学位論文要旨



No 128908
著者(漢字) 安村,明
著者(英字)
著者(カナ) ヤスムラ,アキラ
標題(和) 発達障害児の実行機能に関わる神経基盤 : NIRSを用いた脳機能イメージング研究
標題(洋)
報告番号 128908
報告番号 甲28908
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1219号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 開,一夫
 東京大学 教授 植田,一博
 東京大学 准教授 横山,ゆりか
 東京大学 講師 齋藤,慈子
 国立精神・神経医療研究センター 研究部長 稲垣,真澄
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

発達障害は、社会性・行動面・学習面の問題から、それぞれ自閉症スペクトラム障害(ASD)・注意欠陥/多動性障害(ADHD)・学習障害(LD)に大別され、その原因は、本人の努力不足や親の育て方などではなく、脳の発達の特異性にあることが指摘されている。このうち、ASDとADHDの問題が現在の学校現場で特に着目されている。その理由として、友人関係の問題や授業中の離席などの学校不適応を起こすことが多いことが挙げられる。そのため、これらの発達障害への対策は急務の課題と言える。しかし、その神経機序は十分には明らかとなっておらず、特に発達過程にある学齢期の子どもに関する臨床研究は少ない。また、現在のところ鑑別診断や障害の早期発見のための指標となるような生物学的なマーカーが存在しないことから、行動特徴が第一義的な指標となっている。しかし、行動特徴のみでは主観に影響されるため、発見や診断が難しい。

そこで、本研究では、発達認知神経科学的なアプローチにより、ASD及びADHDの脳機能、特に中核症状として示唆されている実行機能に関わる能力を測定することで、(1)鑑別診断の指標の検証(2)早期発見に向けた脳機能計測の有用性の検証(3)創薬や行動療法の有用性の検証の3点について明らかにすることを目的とする。まず、第I部では、両障害を対象に実行機能の中でもルールの柔軟な転換が求められる認知的シフティング能力に着目して研究を行う。そして、第II部では、実行機能のうち干渉を抑制する機能に関わる研究を行う。その際、乳幼児をはじめ、多動な子どもにも適用可能な近赤外分光法 (Near Infrared Spectroscopy:NIRS)を用いて、脳機能の特徴を明らかにする。NIRSは頭皮上から脳皮質の表面を流れる血液に酸素化ヘモグロビン(oxyHb)と脱酸素化ヘモグロビン(deoxyHb)の濃度変化を測定することができる。そのうちoxyHbの変化が局所脳血流の変化と最も相関が高いといわれているため、本研究ではoxyHbを脳活動の指標として用いることとする。

2.発達障害児における認知的シフティング能力(第I部)

研究(1)ASD児における認知的シフティング能力

【目的】ASDに特異的にみられる、限定された行動や興味、反復的でステレオタイプな行動の根底に実行機能の障害が示唆されている。そのうち、ルールの柔軟な転換が求められるシフティング能力の弱さがASDの問題行動に関与することが、ウィスコンシン・カード・ソーティングテストなどを用いた先行研究から示唆されている。しかし、それらの研究はどれも成人のASDを対象としたものであり、発達過程における学齢期の子どもの神経基盤についてはほとんど解明されていない。そこで、研究(1)ではASD児のシフティング能力に関わる神経基盤について、行動面、脳活動の観点から明らかにすることを目的とする。

【方法】対象はDSM-4-TRの診断基準に沿って診断された高機能ASD児14人(平均:9.56歳、SD±1.44)と、年齢・性・知能をマッチングした定型発達児(TDC)20人 (平均:9.15歳、SD±1.64)とした。課題は、頻繁なルールの変更が求められるDimension-Change Card Sort (DCCS)課題を使用した。さらに、課題遂行中の前頭前野の活動をNIRSにより計測した。また、ASDの重症度を評価するための評定尺度としてPARS短縮版を用い、DCCSの成績、また脳活動との関連を検討した。

【結果】DCCS課題においてASD児はTDCと比較して、正答数及び反応時間で低下を認めた。さらに、脳活動ではASD児はTDCと比較して、右外側前頭前野の近傍で賦活低下を認めた。また、ASD児の群内で右外側前頭前野近傍の脳活動とPARSとの数値の間に負の相関関係を認めた。

【考察及び結論】行動成績から、ASD児においてシフティング能力の低下が示唆された。また、課題遂行中の脳活動の結果から、右外側前頭前野の活動低下がASD児のシフティング能力の弱さに関連している可能性が示唆された。つまり、右外側前頭前野の活動の低さがASDのシフティング能力と関連し、常同性や反復的な行動といったASDの症状につながっていると考えられる。このことは右外側前頭前野の脳活動とPARSで測定されたASDの重症度との間に負の相関がみられたことからも裏付けられた。

研究(2)ADHD児における認知的シフティング能力

【目的】ADHDとは不注意、多動、衝動性を主症状とするが、ADHDはASDとの鑑別が非常に難しく、誤診も多い障害である。また、ADHDにおいてもシフティング能力の弱さを示す研究もある。そこで、研究(2)では、研究(1)で用いたシフティング課題をADHD児にも行い、両者の違いを明らかにすることを目的とする。

【方法】対象となるADHD児はDSM-4-TRの診断基準に沿って診断された12人(平均:10.40歳、SD±1.72)である。ADHD児は全員、WISC-3の全IQが80以上であった。TDCは17人(平均:9.33歳、SD±1.65)で、ADHD児と年齢・性・知能をマッチングした。課題は研究(1)と同じDCCS課題を用い、課題遂行中の脳活動をNIRSを用いて測定した。

【結果】DCCS課題において、誤答数ではTDCと比較してADHD児で多かった。一方、反応時間では群間で差は認められなかった。また、チャンネルごとにt検定を行った結果、どのチャンネルにおいても群間で有意な差のあるチャンネルは認められなかった。

【考察及び結論】行動面では、TDCと比較して誤答数が多かったものの、課題中の脳活動においては、ADHD児とTDCの違いは認められなかった。このことより、ADHD児のシフティング課題における誤答の多さは、ASD児のような脳機能の低さに起因したルールの柔軟な転換の問題というより、呈示された刺激に衝動的に反応してしまうというADHDの特性が影響したものと考えられる。

3.発達障害児における干渉に対する抑制機能(第II部)

【目的】ADHDの特性を実行機能のうち抑制機能の観点から定量的に明らかにすることを目的とする。そのため、ストループ課題、逆ストループ課題を作成し、行動学的ならびに脳機能を検討する。同様に、ADHDとの鑑別が難しいASDも対象とし、両障害の違いを明らかにする。

【方法】年齢・性・知能をマッチングした、TDC15人(平均:9.56歳、SD±1.51)、ADHD児10人(平均:11.18歳、SD±2.23)、ASD児11名(平均:10.51歳、SD±2.30)に対して、ストループ課題及び逆ストループ課題中の前頭前野の活動をNIRSにより計測した。

【結果】行動成績において、ストループ課題では3群間で主効果を認めなかったが、逆ストループ課題において、TDCと比較してADHD児で干渉率が高いことが分かった。脳活動において、ストループ課題中の脳活動は、3群間で主効果が認められたチャンネルは存在しなかった。しかし、逆ストループ課題中の脳活動では、右外側前頭前野において、TDCと比較して、ADHD児において有意に低いことが分かった。また、3群で不注意の重症度と右外側前頭前野の脳活動との間に負の相関関係が認められた。また、ADHD児群内においても、不注意の重症度と右外側前頭前野の脳活動との間に負の相関関係の傾向が示された。

なお、逆ストループ課題において、ADHD児でのみ、左右差が認められ、左前頭前野の活動と比較して、右前頭前野の活動が有意に低いことが分かった。

【考察及び結論】ADHD児は、逆ストループ課題における色干渉に脆弱であることが示唆された。また、課題遂行中の右外側前頭前野の賦活低下から、ADHD児の干渉の脆弱性は脳活動の低さと関連があると考えられる。また、ADHD児の右外側前頭前野の活動低下がADHDの不注意の症状につながるものと考えられる。

4.おわりに

本研究では、ASD児及びADHD児の脳機能の特異性を、実行機能に関わる前頭前野に注目して明らかにすることを試みた。第I部では、実行機能のうち、シフティング能力について検討したところ、TDCと比較して、行動面及び脳活動において、ASD児で能力の低下を認めた。第II部では、抑制能力に着目して検討を行った結果、TDCと比較して、ADHD児において、色の干渉課題で成績の低下を認め、さらに脳活動においても低下を認めた。

以上の結果から、ASD児及びADHD児ともに脳の前頭前野が関わる実行機能に問題をもつことが示唆された。特に、ASD児は実行機能のうち認知的シフティングの側面に、一方ADHD児は干渉の抑制の側面に問題をもつことが示唆された。さらに、認知的シフティング課題中の右外側前頭前野の活動とASDの重症度との間に負の相関関係が認められたことにより、ASD児の脳活動の低さは、こだわりや常同的な行動と関連しているものと考えられる。また、ADHD児において、干渉に対する抑制課題中の右外側前頭前野の脳活動と不注意の重症度との間に負の相関関係が認められたことにより、脳活動の低さが不注意性といった行動上の問題につながるものと考えられる。

以上、本研究の結果より、従来から報告されてきた発達障害児の行動や社会性の問題について、部分的にではあるが、脳機能の観点から明らかにすることができた。これらの知見は、発達障害の早期発見や鑑別診断の際の客観的な指標として有効であると考えられる。今後の課題としては、これらの成果を発達障害の創薬や行動療法の有効性の検証にも活用できるかどうか検討することが必要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、発達障害児の認知機能を発達認知神経科学的アプローチから研究したものである。具体的には、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder; ASD)および注意欠陥/多動性障害(Attention-deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)に焦点をあて、脳機能イメージング手法の1つである近赤外分光法 (Near-Infrared Spectroscopy; NIRS)を用いて実行機能関連課題遂行中の前頭前野の活動を計測し、その神経機序を明らかにした。実行機能とは、計画・ワーキングメモリ・シフティング・抑制といった高次の認知的制御能力の総称である。本研究では、これらの中でシフティング能力と抑制能力に対応した課題遂行中の脳活動を計測している。

本論文は全7章で構成されている。まず、第1章では、発達障害の定義と先行研究のレビュー、および、本論文の目的について述べられている。本論文の主な目的は、発達障害(ASDとADHD)の早期発見や創薬・行動療法の効果検証に向けた行動レベル・脳活動レベルの指標を確立することである。第2章では、本論文で行った脳活動計測実験で用いられているNIRS の原理や解析方法について詳しく説明されている。

以降の第3章から第6章は、ターゲットとする実行機能に応じて第I部(第3章、第4章)と第II部(第5章、第6章)に分けられている。第I部では実行機能の中でも認知的シフティングに着目した研究が、第II部では実行機能のうち干渉の抑制に関する研究が述べられている。認知的シフティング能力とは、心的な表象(課題のルールなど)を状況に応じて他の状態に転換するための能力、抑制能力とは、当該の状況で優位な行動を意図的に抑止する能力のことを指す。なお、本論文で研究対象とした発達障害児は、全て臨床経験豊富な複数の専門医によって事前に診断されている。

第3章は、ASD児(14名、平均年齢9.6歳)とコントロール群の定型発達児(20名、平均年齢9.2歳)を対象として行われた脳活動計測実験について述べられている。ASD児とコントロール群の参加者は、事前調査によって群間で年齢・読解力・非言語性知能で差がないようにマッチングされていた。実験では、認知的シフティング能力を検討するために開発されたDCCS (Dimensional Change Card Sorting)課題中の脳活動が計測されている。実験の結果、ASD児では定型発達児と比較してDCCS課題中に右外側前頭前野周辺の賦活が低いことが発見された。第4章では、第3章と同DCCS課題実行中の脳活動計測実験をADHD児(12名、平均年齢10.4歳)と定型発達児(17名、平均年齢9.3歳)を対象として行っている。実験の結果、ADHD群と定型発達児との間で行動レベル・脳活動レベルにおける有意な差が確認されなかった。3章と4章の実験結果は、DCCS課題がASD児とADHD児を区別する上で効果的であることを示唆している。

第II部では、実行機能のうち、干渉の抑制に関わる能力について発達障害児と定型発達児とを比較した実験、および、その実験結果に基づいて投薬効果について述べられている。第5章では、ADHD児(10名、平均年齢11.2歳)、ASD児(11名、平均年齢10.5歳)、定型発達児(11名、平均年齢9.6歳)を対象に抑制機能と関連しているといわれている「ストループ課題」「逆ストループ課題」の2種類を実施中の脳活動が計測されている。実験の結果、ADHD児では定型発達児と比較して「逆ストループ」課題中の右外側前頭前野の活動が低く、行動レベルでは逆ストループ課題における干渉率が高いことが明らかにされた。第6章では、第5章で扱った発達障害児の抑制機能を投薬効果の視点から論じている。サンプル数が少ないものの、若年ADHD児への投薬は抑制機能改善に効果があることが示唆されている。

第7章は論文全体を総括し、今後の研究課題が整理されている。

本論文は、自閉症スペクトラム障害(ASD)と注意欠陥/多動性障害(ADHD)の実行機能における神経機序の解明に大きく貢献するものである。また、発達障害の確定診断には十分な知識と経験が必要とされており、ASDとADHDが混同されてしまうことも多い。本論文で確立された行動レベル・脳活動レベルの指標はこうした問題を解決する上でも重要である。本論文は、将来的に、発達障害の早期発見や支援にも繋がる広がりをもった有望な研究といえる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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