学位論文要旨



No 128910
著者(漢字) 大坪,望
著者(英字)
著者(カナ) オオツボ,ノゾミ
標題(和) 極低温ルビジウム-リチウム極性分子生成のための装置開発
標題(洋)
報告番号 128910
報告番号 甲28910
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1221号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 鳥井,寿夫
 東京大学 教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 深津,晋
 東京大学 准教授 長谷川,宗良
 東京大学 准教授 松田,恭幸
内容要旨 要旨を表示する

1.本研究の背景

レーザーの輻射圧を利用して原子を冷却するレーザー冷却のアイデアは、1975年にヘンシュ(T. Hansch)とショーロー(A. L. Schawlow)によって提案され、レーザー冷却技術は1980年代に飛躍的に発展した。そして1995年、レーザー冷却された原子集団を蒸発冷却と呼ばれる手法で更に冷却することによって原子気体のボース・アインシュタイン凝縮(BEC)が実現された。

2000年以降、冷却原子の研究分野は、フェルミ粒子系や冷却分子生成に広がっていった。その中でも極低温極性分子は様々な応用が期待されている。極性分子は電気双極子モーメントを持つため、相互作用がお互いの向きに依存し、距離の3乗に逆比例する。このような異方的かつ長距離の相互作用を利用した新しい量子相の探索や量子シミュレーションが提案されている。また、極性分子が不対電子を持っているなら、その電子は分子内の非常に強い電場を感じるので、電子の永久双極子モーメント(EDM)の探索にも有利である。

このような背景のもと、我々の研究室は極低温分子を作るための原子種として(87)Rb原子と6Li原子に着目した。最近の理論計算によると、振動基底状態のRbLi分子は4.2 Debyeという大きな電気双極子を持つ。電気双極子間の相互作用は電気双極子の大きさの2乗に比例するため、RbLi分子は新たな量子多体系を実現する上で極めて有利である。また、我々は分子の生成にフェッシュバッハ共鳴と呼ばれる現象を利用するが、その共鳴磁場が1067 Gという実験的に実現可能な領域に存在し、またその共鳴幅が10 Gと非常に大きいことから、(87)Rb原子と6Li原子の組み合わせは、分子の生成に有利である。

2.研究計画及び本研究の目的

RbLi分子の生成は以下の手順により行うことを計画した。まず、各原子のオーブンから原子を噴流させ、Zeeman減速器を用いて減速し、磁気光学トラップに原子をロードする。磁気光学トラップ中の両原子を磁気トラップに移行し、蒸発冷却により両原子を極低温まで冷却する。極低温(87)Rbと6Li原子を光トラップに移行し、フェッシュバッハ共鳴を起こす磁場(1067 G)を印加して、そこから断熱的に磁場を掃引することで分子の生成を行う。

ここで、最初に問題となるのが磁気光学トラップの両立である。一般に原子種が異なれば、磁気光学トラップに用いる最適な磁場勾配は異なる。また、空間的に重なるようにトラップするため、(87)Rb原子と6Li原子の非弾性衝突が起き、原子数が損なわれる。これらの挙動を調べ、両原子にとって適切な実験条件を決めなければならない。

また、磁気トラップへの移行も困難を伴う。磁気光学トラップ後5 ms以内に磁気トラップを立ち上げなければ原子が拡散してしまう6Liと、10~20 ms程度の偏光勾配冷却を得ることで効率的なトラップのできる(87)Rbとで、折り合いを付けた条件を探さなければならない。

蒸発冷却には一般にラジオ波が用いられている。しかし、トラップできる原子数は(87)Rbの方が10倍以上多く、(87)Rbのみを蒸発させた方が効率的である。(87)Rb原子の基底状態超微細構造分裂間遷移を利用した蒸発冷却を目的として、この遷移周波数にあたる6.8 GHzのマイクロ波照射装置の開発が要請される。

また、RbとLi原子の衝突断面積は小さいことが知られていて、協同冷却にはRb単体の蒸発冷却よりも長い時間が掛かることが知られている。そのため、高い密度で原子をトラップできる高性能なコイルの開発が必要である。また、フェッシュバッハ共鳴による分子の生成を行うために、1067 Gの磁場を空間的に均一に印加しなければならない。新たに開発するコイルには、この目的も同時に達成できる必要がある。

本研究では、まずレーザー冷却を目的とした光源の開発、そして両原子を高効率でトラップできる真空装置の開発を行う。また、磁気トラップおよびフェッシュバッハ共鳴に兼用することのできるコイルの開発、蒸発冷却のためのマイクロ波照射装置の開発を行う。次に、開発したレーザー冷却装置を用いて、(87)Rb原子と6Li原子のトラップを両立させる条件を探索する。さらに、その状況下でマイクロ波による(87)Rb原子の蒸発冷却を行い、BECが達成可能かどうかを確認する。

3.装置の開発と評価

Li原子レーザー冷却用光源の開発として、波長671 nmを発振する外部共振器型半導体レーザー及びテーパー型半導体増幅器の開発を行った。また、Li原子分光用のセルを開発し、偏光分光信号を用いた周波数の安定化を行い、さらに音響光学素子を用いた周波数の制御を行った。さらに、Rb原子とLi原子を個別のZeeman減速器を用いて原子を供給できる真空装置を開発した(図1)。また、磁気トラップおよびフェッシュバッハ共鳴を目的としたクローバーリーフコイルの開発を行い、ヨッフェ・プリチャード型の磁場と1100 Gの均一磁場のどちらも生成可能なコイルを設計、作製した。 (図2))。

開発した光源・真空装置及びコイルを用いて、1×1010 個のRb 原子、5×108 個のLi 原子をそれぞれ同じ磁場勾配で作られるMOTにロードすることができた。また、同時磁気トラップのための適切なパラメーターを実験的に見い出し、1× 109 個のRb 原子と1×108 個のLi原子を同時に磁気トラップすることに成功した。さらに、開発したマイクロ波装置を用いて蒸発冷却を行い、1×106 個のRb 原子BEC を達成した。(図3)

図 1: (a)開発した真空装置

図 2:高性能クローバーリーフコイル

図 3:マイクロ波蒸発冷却によって生成したBEC

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章は序論であり、極低温冷却原子気体および極低温極性分子気体の研究の現状および本研究の意義が述べられている。第2章では、レーザー冷却の原理、レーザー周波数安定化の手法、およびフェッシュバッハ共鳴を用いた分子の生成手法に関する理論が記述されている。第3章は実験装置に関する章で、レーザー冷却のための光源開発、偏光分光を用いたレーザー周波数安定化、ゼーマン減速器の作成、磁気トラップコイルの作成について記述されている。4章では、3章で記述された実験装置を実際に用いたLi原子およびRb原子の同時冷却実験について述べられている。第5章では本研究のまとめと今後の展望について述べられている。

極低温極性分子は、異方的な長距離相互作用を持つことから、近年新しい量子凝縮相の研究対象として大きな注目を集めており、実際にRbK原子の振動基底状態にある極低温分子は2008年に米国のJILAのグループによって実現されている。しかしRbK分子の電気双極子モーメントは0.6デバイと比較的小さく、新たな量子凝縮相の探索には有利とは言えない。それに対してRbLi分子の電気双極子モーメントはRbK分子の7倍の4.2デバイであり、RbK分子の約50倍の双極子・双極子相互作用を示すことが理論的に予言されている。しかもLi原子にはフェルミオンの同位体が存在し、ボゾンである(87)Rb原子とフェルミオンである6Liからなる分子はフェルミオンであることから、極低温下でのS波散乱がパウリ原理によって禁止されるため長い寿命を持つという利点がある。しかしながら、現在までLiRb分子の生成に成功した例は報告されてない。その背景には、6Li原子はレーザー冷却に用いる遷移の励起状態における超微細構造分裂が自然幅より小さく、実質的には複数の励起状態が縮退しているという他のアルカリ原子にない特徴を持っているため、レーザー冷却やレーザー周波数安定化の研究報告がRbやNaといった他のアルカリ原子に比べで少ないことなどが挙げられる。このような状況のもと、大坪氏は6Li原子のレーザー冷却技術を確立し、極低温RbLi分子生成を可能とするRbLi同時レーザー冷却および同時磁気トラップ装置の開発を本論文の研究テーマとした。

第3章に記述されているように、大坪氏はLi原子のレーザー冷却のためのレーザー光源システムを新たに構築し、その過程でこれまで前例のなかった6Li原子の偏光分光をレーザー周波数安定化に応用した。6Li原子は励起状態の超微細構造が縮退しているため、円偏光ポンプ光によるスピン偏極が他のアルカリ原子に比べて起こり難く、ポンプ光によるスピン偏極および飽和効果の両方を考慮しなければ偏光分光信号を説明できないことを理論計算および実験によって明らかにした。この成果は既にOptics Letters誌に公表済である。また大坪氏は、6Li原子のゼーマン減速器の磁場設計には、上準位の超微細構造が縮退していることに起因する基底状態超微細構造間の光ポンピングの影響を考慮する必要があることを初めて実験的に明らかにした。この研究に関しては現在論文を準備中である。また大坪氏はLi原子およびRb原子の同時磁気トラップを可能にし、かつフェッシュバッハ共鳴に必要な1100Gの均一磁場も生成することができるコイルおよび電流制御システムを新たに開発した。

第4章で述べられているように、大坪氏が開発した装置により109個のRb、および108個のLi原子を同一のチャンバー内で同時に磁気トラップすることに成功した。これらの大原子数同時トラップは世界に例がなく、大坪氏の開発した装置の性能の高さを実証している。

なお、本論文の第3章の一部は、鳥井寿夫氏、青木貴稔氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および理論的考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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