学位論文要旨



No 128913
著者(漢字) 樋田,啓
著者(英字)
著者(カナ) トイダ,ヒラク
標題(和) 半導体量子ドット-超伝導共振器結合系によるCircuit QEDの研究
標題(洋)
報告番号 128913
報告番号 甲28913
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1224号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 教授 清水,明
 東京大学 准教授 鳥井,寿夫
 東京大学 准教授 加藤,雄介
 東京大学 特任研究員名誉教授 小宮山,進
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、半導体量子ドットによる2 準位系と超伝導共振器による電磁場の相互作用を調べた実験による研究である[1]。2 準位系と電磁場との相互作用は、これまで主に天然原子を使ったCavity QED (Quantum Electrodynamics) の実験[2] や、超伝導量子ビットを使ったCircuitQED の実験[3] により調べられてきた。超伝導量子ビットを用いた系では複数の量子ビットを組み合わせた量子プロセッサなど、量子情報処理を目指したデバイスの実現も報告されている。このような系を半導体量子ドットを使って実現できれば、半導体プロセス技術を使った大規模化や、スピン自由度を利用した2 準位系(=スピン量子ビット)を含む様々な系への拡張などの点で、さまざまな利点があると考えられる。また、本研究で用いる超伝導共振器は同種または異種の量子ビットをつなぐ「配線」に相当する「量子バス」としてもはたらく。量子バスを使って異なる量子系を組み合わせることで、相反する要素である制御性とコヒーレンス時間を兼ね備えた「ハイブリッド量子系」を実現することもできる。したがって、半導体量子ドットと超伝導共振器の結合が実現できれば、半導体系を含む大規模なハイブリッド量子素子開発への道も開かれる。

2 準位系と電磁場を組み合わせた系で顕著な量子効果が現れる実験を行うためには、両者の結合、すなわち2 準位系と電磁場がエネルギーをやりとするレートが系全体のデコヒーレンスレートを上回らないとならない。結合が系のデコヒーレンスより小さい場合、両者が光子を介して相互作用する前に系の状態が乱されてしまい、量子的な効果の観測は期待できない。本研究では、量子ドットと共振器の結合の強さg と量子ドットおよび共振器のデコヒーレンスレートγ,κを実験により調べ、デコヒーレンスの原因について考察も行った。

図1 に作製した試料の光学・電子顕微鏡写真を示す。(a) は試料の断面図、(b) は全体像である。アルミニウム薄膜で作製したコプレーナ型超伝導共振器(共振周波数ω0=2π =8.3267 GHz)の端に、2 重量子ドットを結合している。この試料では半波長の共振器を用いているので、共振器の両端でマイクロ波の電圧振幅は最大になる。この電場の振動を静電的な結合により量子ドットに伝え、両者の強い結合を実現する。(c) は量子ドットと超伝導共振器の結合部の拡大図である。超伝導共振器の中心導体から量子ドットへ結合用のゲート電極が延びている。(d) は量子ドットの拡大図である。量子ドットの直上に乗せたゲート電極が量子ドットと超伝導共振器の静電的な結合を与える。左右2 つの量子ドットの片側のみにゲートが結合することにより、左右の量子ドット間を行き来する電子による電場の振動と、共振器の電場の振動が効率よく結合する。

図2 に2 重量子ドット(=2 準位系)のエネルギー間隔" を変えながら共振器のマイクロ波透過スペクトルを測定した結果を示す。(a) は透過強度を、(b) は位相をプロットしたものである。量子ドットのエネルギー間隔と共振器の中心周波数が一致する付近で、鋭い透過強度のディップが現れており、位相にもそれに対応する変化が見られる。図2 で得られた実験結果を詳しく解析するために、共振ピーク周波数およびその線幅をフィッティングにより求めた。その結果を図3 に示す。

2 準位系と電磁場が結合した系の性質はJaynes-Cummings ハミルトニアン

により記述できる。ここで、σzはパウリ行列、σ+, σ- は昇降演算子、a+(a) は光子の生成(消滅) 演算子である。また、Δ =√(ε2+4t2)は左右の量子ドット間のトンネルレートt を含めた左右の量子ドットの間のエネルギー間隔である。系全体の共振周波数は、Jaynes-Cummings ハミルトニアンの固有エネルギーを用いて、

と求めることができる。この結果は、Δ = ω0 付近で共振周波数が式(2) の正負の符号に対応する反交差を示すことを意味しており、予想されるとおりの反交差が実験結果にはっきりと見られる。図3(a) の実線は式(2) による実験結果のフィットである。ここから、結合強度g/2π の値が30(20) MHz と求まる。また、共振器のデコヒーレンスは量子ドットを動作させない状態での測定からκ/2π=8.0 MHz と求まった。さらに、量子ドットのデコヒーレンスをマスター方程式による数値計算の結果から求め、/2π=666 MHz を得た。以上により、系を特徴づける結合強度とデコヒーレンスの値が求まった。

表1 に今回の実験で得られた系を特徴づけるパラメータをまとめた。結合強度は、超伝導量子ビットの場合[3] と同程度の値が得られている。系のデコヒーレンスは量子ドットのデコヒーレンスに支配されており、強結合の実現には改善が必要であると言える。量子ドットのデコヒーレンスの値は類似の系の実験結果[4] より5 倍程度小さいものである。

デコヒーレンスの原因についての考察は論文に譲るが、量子ドット・超伝導共振器の両方に共通するデコヒーレンスの原因が基板として使用したGaAs の圧電効果であることがわかった。この結果は、さらに強い結合強度を得るために使用すべき材料についての指針を与えるものである。

以上により、

1. 超伝導量子ビットの場合と同等の結合強度が量子ドットによるCircuit QED 系でも得られること

2. 結合強度とデコヒーレンスの比を改善するためには圧電効果によるデコヒーレンスが少ない材料を使うべきであること

が言える。

[1] H. Toida, T. Nakajima, and S. Komiyama. Circuit QED using a semiconductor double quantum dot. arXiv: 1206.0674, June 2012.[2] Herbert Walther, Benjamin T. H. Varcoe, Berthold-Georg Englert, and Thomas Becker.Cavity quantum electrodynamics. Reports on Progress in Physics, Vol. 69, pp. 1325-1382,2006.[3] A. Wallraff, D.I. Schuster, A. Blais, L. Frunzio, R.-S. Huang, J. Majer, S. Kumar, S.M. Girvin, and R.J. Schoelkopf. Strong coupling of a single photon to a superconducting qubit using circuit quantum electrodynamics. Nature (London), Vol. 431, pp. 162-167, 2004.[4] T. Frey, P. J. Leek, M. Beck, A. Blais, T. Ihn, K. Ensslin, and A. Wallraff. Dipole coupling of a double quantum dot to a microwave resonator. Physical Review Letters, Vol. 108, No. 4, pp. 046807-, January 2012.

図1 (a) 作製した量子ドット-超伝導共振器結合デバイスの断面の模式図。(b) は試料の光学顕微鏡写真で、(c) は接続部を、(d) は量子ドット部を拡大したもの

図2 量子ドットの準位間隔を変えながら測定した(a) 透過強度と(b) 位相

図3 図2 の透過スペクトルから求めた(a) 共振ピーク周波数および(b) 線幅。(a) の赤(緑)線は式(2) を用いg=2π =20(30) MHz とした場合のフィッティング

表1 実験・数値計算から得られたパラメータのまとめ

審査要旨 要旨を表示する

量子情報処理を行う素子等への応用を目指して2準位系と電磁場の相互作用についての研究が近年活発に行われており,2012年のノーベル物理学賞の対象になるなど注目を集めている。このような相互作用の研究は,天然原子を共振器中に閉じ込めたCavity QEDの実験により行われてきており,近年では超伝導量子ビットと同一チップ上に構成した超伝導共振器を使ったCircuit QEDの研究も急速に進展している。このような結合系を現実的に応用可能な量子デバイスに発展させるためには大規模化が必須であり,既存のプロセス技術が応用可能な半導体系に拡張することが極めて重要である。半導体で実現でき,かつ制御性の高い2準位系の代表例は半導体量子ドットであり,電荷自由度・スピン自由度を用いた量子ビットの研究が活発に行われている。量子ドットと共振器の結合はこれまでに理論的提案が行われているが,実験的な検証の例はほとんどなく発展途上の領域といえる。また,半導体量子ドットの典型的なエネルギースケールはマイクロ波領域であり,超伝導量子ビット,ダイヤモンド中窒素空孔中心等と同程度である。これらの量子ビットと超伝導共振器の結合はこれまでに報告されており,量子ドットと超伝導共振器を結合することで異なる量子ビットを組み合わせたハイブリッド量子系の実現も可能になる。

本論文は半導体量子ドットと超伝導共振器の結合を目標として,両者を静電的に結合させた試料の伝導特性やマイクロ波透過スペクトルを測定し,両者の結合と系のデコヒーレンスについての研究を報告している。

第1章は,2準位系と電磁場の相互作用についてこれまでに行われてきた研究の概説である。また,半導体量子ドットへの拡張についての理論的提案について概説している。

第2章は,本研究で量子ビットとして用いる半導体2重量子ドットの電気伝導特性,電荷自由度を使った量子ビットとしての性質が記述されている。

第3章は,半導体量子ドットと超伝導共振器を結合した際に得られる実験結果についての理論的考察である。ここでは,半導体量子ドットと超伝導共振器を組み合わせた系が量子光学の分野で頻繁に用いられるJaynes-Cummingsハミルトニアンで記述できることが示されている。さらに,量子ドットと超伝導共振器の間の結合の大きさは,量子ドット周りの静電容量から見積もることが可能であり,量子ドット単体の実験結果から34MHzの結合が予想されることが記述されている。

第4章は,試料の測定方法についての記述である。本研究で用いられる測定系は極低温を実現するための冷却系,量子ドットの微小電流測定系,超伝導共振器のマイクロ波透過測定系に分けることができる。量子ドットと超伝導共振器の測定系は本論文の提出者が構築したものであり,熱雑音を含むノイズの除去や安定した測定を行うために必要な注意点等が詳細に記述されている。

第5章は,超伝導共振器の作製方法,実験結果および考察についての記述である。本研究で用いる超伝導共振器は,GaAs/AlGaAsヘテロ接合基板上に作製し,量子ドットと結合を行うための構造が加わるため,これまでに報告されている超伝導共振器に比べて損失が大きくなることが明らかにされた。GaAsには結晶の反転対称性がないため圧電性があり,超伝導共振器に蓄えられた電気的エネルギーが圧電効果を通じて結晶の振動エネルギーとして逃げてしまうことにより損失が増大することが記述されている。この結果は,化合物半導体基板上に低損失の超伝導共振器を作製する際には圧電定数の少ないものを選ぶ必要があるという指針を与えるものである。また,超伝導共振器の設計する際には圧電効果を避けるために表面弾性波の波長を考慮する必要があることも明らかにされた。さらに,GaAs/AlGaAsヘテロ構造基板では,結晶成長を行った層に含まれる不純物によりマイクロ波吸収が起こり,損失が増大することも記述されている。これまでに,超伝導薄膜中の不純物によるマイクロ波吸収は報告さていたが,同様の現象が半導体基板中の不純物によっても引き起こされることが明らかにされた。

第6章は,半導体量子ドット-超伝導共振器結合系の作製方法,実験結果とその解析結果,および考察についての記述である。超伝導共振器にマイクロ波を入力しながら量子ドットの伝導特性を測定することでフォトンアシストトンネルを観測している。また,半導体量子ドットの特性は通常電気伝導によって測定されるが,量子ドットの電荷状態によって超伝導共振器の透過特性に変化が現れることが報告されている。これらの効果は回路モデルによって解析され,量子ドットが超伝導共振器と結合していることを明らかにされた。さらに,半導体量子ドットと超伝導共振器の結合の効果により,共振器のマイクロ波透過スペクトルに反交差が現れることが報告されている。これは,第3章で導出したJaynes-Cummingsハミルトニアンから予想される量子的な効果である。実験で得られた反交差を理論式でフィットすることで30MHzという超伝導量子ビットで報告されているものと同等の大きさの結合が得られることを明らかにされた。さらに,反交差の形状の温度依存性を測定し,その結果のマスター方程式を用いた数値計算による解析結果が報告されている。この解析結果から量子ドットのデコヒーレンスが系のコヒーレンスを破壊する主な原因であり,2準位系と電磁場が強く結合した量子系に特異な効果を発現させるためには量子ドットのコヒーレンス時間を延ばすことが必須であると考察されている。また,2重量子ドット単体を量子ビットとして動作させる場合との動作点の違いから,量子ドットのデコヒーレンスを減らすために改善すべき点についての考察が行われている。

第7章は本論文のまとめの記述である。第5章,第6章で得られた結果と総括がまとめられている。さらに,本研究で得られた成果を踏まえて,デコヒーレンスが小さく量子的な効果が顕著に現れる試料を作製するための指針を示されている。

以上をまとめると,量子ドットと超伝導共振器が結合した際に現れる反交差を観測し,超伝導共振器に結合可能な量子ビットの種類を拡大すること本論文は成功している。結合を得るために用いたゲート電極による静電結合という方法は,GaAs以外の材料を用いた量子ドットでも一般的に利用できるものであり,他の材料を用いた量子ドットへの波及効果が大きい。さらに,超伝導共振器単体および結合デバイスの実験結果の考察から,他の材料を用いた量子ビットを用いた実験を行う場合の材料選定や試料設計の指針も示されている。従って,本論文が固体量子ビット,特に半導体量子ドットを用いた量子情報処理デバイスの開発に果たした役割は大きく評価できる内容である。

なお,本論文における研究成果は,本学大学院総合文化研究科の小宮山進氏(現本学名誉教授),中島峻氏(現本学大学院工学系研究科)との共同研究であるが,論文の提出者が主体となって遂行したもので,論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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