学位論文要旨



No 128915
著者(漢字) 夏目,ゆうの
著者(英字)
著者(カナ) ナツメ,ユウノ
標題(和) 内包された球状粒子の分散に起因するジャイアントベシクル変形
標題(洋)
報告番号 128915
報告番号 甲28915
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1226号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 豊田,太郎
 東京大学 准教授 福島,孝治
 東京大学 准教授 矢島,潤一郎
 東京大学 准教授 若本,祐一
 東京大学 准教授 澤井,哲
内容要旨 要旨を表示する

【1.背景と目的】

細胞は、人工的に同じサイズで同等な機能を発現するよりも、遥かに小さなエネルギーで機能を発現する動作原理を備えている。細胞の内部には生体高分子が高い密度でひしめき合っており、この込み合った状態を利用して、タンパク質の複合体形成といった細胞内部の構造形成や、化学反応の効率制御などが行われている。Mintonらは、このように境界内に内包物が込み合った状態で生じる効果を「こみあい効果」と定義した[1]。こみあい効果は構成要素によらず、境界内に内包物が閉じ込められたことによる本質的な効果であるため、素性がよくわかっている分子や粒子などで単純にモデル化し、構成的にアプローチすることが細胞機能の動作原理の解明に重要である。細胞のこみあい効果にアプローチする実験モデルとして、サイズも形状も固定された微小空間に高分子やコロイド粒子を高体積分率(10 %以上)で閉じ込めた系はこれまでも提案されている。Dinsmoreらは、サイズの異なる2種のコロイド粒子を高い体積分率で、ジャイアントベシクル(以下GV)と呼ばれる脂質二分子膜からなる境界内に閉じ込めると、コロイド粒子はGV内部で互いに排除するような空間分布をとることを報告した [2]。

細胞の境界膜である細胞膜は、細胞分裂や細胞運動などにおいて内部状態変化に誘起されて形状変化する。最近、コロイド粒子や高分子を高い体積分率で内包したGVが膜と内包物との枯渇相互作用によって自発的に連球状に変形することが報告された [3,4]。これらは既知の構成要素からなるこみあい効果の実験モデルとして興味深いものであるが、内部粒子の状態を詳細に解析できるソフトマター複合系としての構成モデルに至っていない。そこで本研究では、光学顕微鏡でリアルタイム観測できるマイクロメートルスケールのコロイド粒子を用いたコロイド粒子内包型GVを創成し、その体積分率に依存したGVの形状変化と内部状態変化の関係を明らかにすることを目的とした。

【2.様々な体積分率でコロイド粒子を内包したジャイアントベシクルの構築】

従来のコロイド粒子内包型GVの作製法は、脂質二分子膜をコロイド粒子分散液で膨潤させる薄膜膨潤法を基盤としており、コロイド粒子内包型GVの生成効率は低く、同一条件で体積分率が異なるGVを調製することは困難であった。そこで本研究は、均一な単一膜GVを調製する手法として利用されている油中水滴遠心沈降法に着目した。コロイド粒子を含む油中水滴エマルション(以下W/Oエマルション)を調製し、次いで遠心力でGVの外膜となる脂質単分子膜を貼りあわせてGVを調製するという手法である(図1)。

本手法で調製したコロイド粒子内包型GVは、GVの遠心沈降条件がGVの大きさと比重、GV分散媒の比重と粘性に依存するため、必ずしもW/Oエマルション時の分散液と同程度の体積分率でコロイド粒子を内包するとは限らない。そこで比重の異なる4つの相(GV外水相、GV内水相、GV膜、コロイド粒子)でソフトマター複合系としてコロイド粒子内包型GVを作製する条件を検討した。

次に、W/Oエマルション中の水滴と得られたGVについて、コロイド粒子の体積分率を比較した。その結果、W/Oエマルション水滴中の体積分率は、W/Oエマルション調製時に用いるコロイド分散液の体積分率に依存したが、GVの体積分率は、調製時に用いるコロイド分散液の体積分率に依らず、0-45 vol%となることがわかった。この原因は、GVが高粘度の水中を沈降する際のGV変形によるものと考察される。コロイド粒子の比重はGV内部水溶液のそれよりも小さいため、遠心力によってGVが沈降すると、コロイド粒子がGV内の上部に偏在した状態のまま、GVが遠心力と粘性抵抗で引き伸ばされて分裂する。その結果、体積分率が0 vol%のGVと、著しく体積分率の高いGVが生成したものと考えらえる。本実験結果は、通常ならば凝集する濃度のコロイド粒子や生体高分子でも、細胞内の体積分率に相当する状態でGVに内包できる要素技術となる点で、従来のGV作製法にはない利点を有しているといえる。

【3. コロイド粒子内包型ジャイアントベシクルの変形挙動】

前章で構築したコロイド粒子内包型GVの膜が弾性膜としてふるまって変形できる物理的な刺激として、糖の高張液を添加することとした。本研究で作製したコロイド粒子内包型GVは内外に糖を含むため、分散液全体の粘度が高い。そこで、粘度や浸透圧を考慮した糖の添加条件を検討し、1.1 Mのグルコース水溶液がGV変形に適していることを見出した。それによって変形を誘起したGVを経時観測したところ、2つの変形パターンに分類されることが明らかになった。内部コロイド粒子の自由エネルギーと膜の弾性エネルギーにより考察される典型的な変形パターンとして、球形から扁球型/偏長型への変形、球形から二球分割型への変形、そして、扁球型になった後に二球分割型に変化し再度扁球型に戻る挙動が観察された。球形から扁球型/偏長型への変形と、二球分割型への変形は、コロイド粒子の体積分率に依存するコロイド粒子の自由エネルギーと膜の弾性エネルギーの競合によりそれぞれの安定状態へ移行するものと考察した。扁球型から二球分割型となり再び扁球型へと変形するパターンは、エネルギー的に準安定の形状に向かって変形する過程が、内部のコロイド粒子の運動と膜の変形挙動の緩和時間が異なることで生じると示唆された。

さらに、以上のGV内部のコロイド粒子の自由エネルギーと膜の弾性エネルギーの競合のみでは説明できない特異的な変形パターンも現れることもわかった。これらは体積分率が10 vol%前後のコロイド粒子内包型GVで顕著に観測された。これらの変形過程において、コロイド粒子がGV内部で不均一に分散していることが観測されたため、何らかのきっかけによりGV内部でコロイド粒子の一部が凝集形態となり、残りのコロイド粒子との共存状態になることが変形の要因であると考察した。特に、ポリゴン様構造では、コロイド粒子凝集体は排除体積効果によりGV膜に隣接し、膜を裏打ちする。これと同時に、膜に対して浸透圧効果(ドナン膜電位)がかかるので、GV内部に水が流入し、裏打ちされていない膜の一部が突起を形成すると考えられる。

その他に、コロイド粒子の一部を放出する挙動や、球形から2つの異なる体積分率の小球へ分割する挙動も観測された。これらのメカニズムも、GV内部に形成されたコロイド粒子凝集体の浸透圧効果と排除体積効果に起因すると考えられる。本章の最後に、このような内部コロイド粒子の状態変化のきっかけは、アルダー転移であることを提案した。本実験結果は、高い体積分率でコロイド粒子が内包されたGVで初めて観測される新奇ダイナミクスとして興味深いのみならず、細胞ダイナミクスのような多様なGV変形が、単純な構成要因であるコロイド粒子の内部状態変化で誘導されることを見出した点で大きな意義がある。

【4. 光ピンセット法によるGV内コロイド粒子の捕捉】

前章で述べたコロイド粒子内包型GV変形には、高い体積分率で内包されたコロイド粒子が空間的に不均一に分散していることが重要であることが示唆された。このとき、内部コロイド粒子の変位や速度を追跡するのみならず、外部からコロイド粒子の変位や速度を操作することで、GV内部のコロイド粒子の分散を変化させることを着想した。これに対して本研究は光ピンセット法を用いることとした。1064 nmのYAGレーザーを用いて光学系を構築しコロイド粒子内包型GVは安定な状態のままで、内部コロイド粒子1個を捕捉できる条件を見出した。このとき、GV内部でコロイド粒子の空間分布がGV内で局在化することが観測された。この局在化の原因は、焦点に合わなかったコロイド粒子の集団がレーザー光から非対称な輻射圧を受けることで初めて現れるものと考えられる。本研究で明らかになった、内部コロイド粒子の空間分布の不均一化は、第三章で観測されたGV変形のきっかけに相当する現象であり、それを光で制御できることを初めて示した点で極めて重要である。

【5.結論】

本研究の目的は、境界膜としてGV、その内包物としての剛体球粒子(コロイド粒子)を用いて細胞モデルの構築と変形機構の解明とした。油中水滴遠心沈降法に同一条件で0-45vol%の体積分率でコロイド粒子を内包したGVを調製する手法を確立した。さらに、トリガー溶液存在下でGV膜が弾性膜としてふるまう結果、体積分率および分散といった内部粒子の状態により、特異的なGV変形パターンが生じることを見出した。特に、アルダー転移に起因すると考えられる不均一分散する系は、内包された粒子間のこみあい効果の原理を説明しうる新たな実験モデルといえる。さらに、光ピンセット法により、GV内部でコロイド粒子の分散状態を偏らせることを可能にした。本研究成果は、細胞の機能発現の動作原理であるこみあい効果に対し、モデル構築の観点から細胞内動態の普遍則を導くステップになるものと期待される。

[1] Ellis, R. J.; Minton, A.P. Nature 2003, 425, 27-28.[2] Dinsmore, A. D.; Wong, D. T.; Nelson, P.; Yodh, A. G. Phys. Rev. Lett. 1998, 80, 409-412.[3] Natsume, Y.; Pravaz, O.; Yoshida, H.; Imai, M. Soft Matter, 2010, 6, 5359-5366.[4] Terasawa,H.; Nishimura, K.; Suzuki, H.; Matsuura, T.; Yomo, T. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 2012, 109, 5942-5947.

図1. 油中水滴遠心沈降法によるコロイド粒子内包型GVの調製プロセスの模式図。

図2. 扁球型から二球分割型となり再び扁球型をとるコロイド粒子内包型GVの位相差顕微鏡像。

図3. ポリゴン様構造(矢印)を示すコロイド粒子内包型GVの位相差顕微鏡像と模式図。

図4. 光ピンセット法で内部コロイド粒子を捕捉した(破線丸印)様子の位相差顕微鏡像。

これにより、GV内でコロイド粒子集団が形成され、空間的に疎な部分(矢印)が現れた。

審査要旨 要旨を表示する

細胞内では,生体高分子が細胞容積に対して5 -40 vol%でひしめきあっており,それによりタンパク質等の高次構造形成という機能が発現することが近年明らかになってきている。この機能発現はエントロピックな作用に起因しており,そのような作用が"こみあい効果"と呼ばれ注目されている。しかし,細胞変形自体を"こみあい効果"の観点でとらえる研究報告例はこれまでなかった。夏目君の博士論文は,細胞膜に近い構造であり変形可能な袋状の脂質二分子膜(ジャイアントベシクル;GV)をモデルとして用いることで,細胞変形におけるこみあい効果に構成的にアプローチすることを目指したものである。

論文の概要

第一章では,本研究の背景,目的とその意義について述べている。第二章では,ポリスチレンビーズ(コロイド粒子)を様々な体積分率で閉じ込めたGVの作製法の確立について述べている。脂質二分子膜の薄膜を膨潤してGVを作製する従来法では,体積分率の異なるコロイド粒子内包型GVを同一条件で調製することは困難である。そこで夏目君は,油中水滴エマルションと水油界面上の単分子膜の利用に着目し,コロイド粒子を細胞内と同程度に高い体積分率で内包したGVを作製することを目指した。油中水滴エマルションの液滴と油相の比重差を利用して遠心力でGVを作製することから,液滴,コロイド粒子およびGV分散液の比重に基づいて作製条件を検討し,0 -45 vol%の体積分率でコロイド粒子を内包したGVを得るに至った。本研究で確立されたGV作製法は,高い体積分率で高分子や粒子が共存すると,脂質二分子膜はGVを形成せずに凝集するという不安定なソフトマター複合系に対し,GVの内膜と外膜に対応するように油中水滴エマルションと単分子膜を利用してコロイド粒子内包型GVを形成した初めての例として興味深い。

第三章では,コロイド粒子内包型GVの変形と内部コロイド粒子の分散状態の関係について論じている。GV膜が弾性膜として振舞うように糖の高張液を添加し,コロイド粒子内包型GVの形態の経時変化を観察したところ,コロイド粒子内包型GVの変形挙動が内部コロイド粒子の分散状態に依存することを見出した。第一に,変形時間の特徴として,コロイド粒子内包型GVは高張液添加後100分以上かけてエネルギー的に安定な形状へ変形する間に,準安定な形状を30分以上保持することがわかった。蛍光コロイド粒子を用いた画像相関法によって,GV内部のコロイド粒子の速さ分布を調べたところ,GVに閉じ込められていないコロイド粒子のそれよりも0を中心に先鋭であったことから,GV内部ではコロイド粒子の運動が抑えられていることが明らかになった。ゆえに,コロイド粒子の運動の速さがGV膜の変形のそれよりも小さいために,GVの準安定な形状から安定な形状へのエネルギー緩和過程の時間が,コロイド粒子の運動によって引き伸ばされることが示唆された。第二に,11 -13 vol%という特定の体積分率のコロイド粒子内包型GVは,準安定形状として角張ったポリゴン様の構造を呈することを見出した。GV内部の一部のコロイド粒子が,残りのコロイド粒子の並進エントロピーを増すように凝集するという相転移が起こり,凝集したコロイド粒子群がGV膜を裏打ちすることで,GV膜がポリゴン様の構造へ変形したと考察される。内包したコロイド粒子の並進エントロピー増加というこみあい効果が,膜変形を誘起することを示した点で,本研究成果の意義は大きい。

第四章では,GV内部のコロイド粒子の分散状態を制御し,不均一な分散状態に対する膜の応答を明らかにする研究の要素技術の構築について述べている。GV内部のコロイド粒子を操作可能な光ピンセット法に着目し,GV膜を不安定化せずに内部のコロイド粒子1個をレーザー光の輻射圧で捕捉する光学条件を確立した。この条件において,他のコロイド粒子がレーザー光から非対称な輻射圧を受けることで,GV内部で集団化することを見出した。この成果は,GV膜に与える影響を抑えながら外部からコロイド粒子の分散状態を制御した初めての例であり,応用性の高いソフトマター複合系の制御法として期待される。

審査結果

この発表を受け審査会では,以下のような質疑討論を行った。

第二章において,コロイド粒子内包型GVの体積分率について,従来法では実現されなかった目標値を達成できる作製法を確立した点が高く評価された。そして,本作製法を汎用する場合として,タンパク質などの生体高分子を閉じ込める際に,どの条件を最適化すべきか討論を行い,比重差に着眼した工夫点としてコロイド粒子表面に生体高分子を担持する手法などを挙げた。一方で,コロイド粒子の体積分率を導出する際,蛍光コロイド粒子の個数の計測法に対する信頼性を評価するべきとのコメントがあり,その後ポアソン分布に基づく信頼性の評価をもとに論文の改訂がなされている。

第三章において,弾性膜としてふるまうGV膜が角張ったポリゴン様の構造へ変形する,という現象の新奇性に高い関心が寄せられた。この新奇現象は特定の体積分率のコロイド粒子内包型GVでのみ見出されたことから,GV変形を顕微鏡下で探究する申請者としての高い能力を示すものと言える。理論面で理解しやすくするために,コロイド粒子内包型GVの変形に関する自由エネルギーとそのオーダーについての議論を整理してほしいとの要望があり,すぐに改訂がなされている。

第四章において,コロイド粒子のエントロピックな作用によるGV膜の変形を,直接観察できる要素技術を確立した点が評価された。特に,本研究で作製したコロイド粒子内包型GVの特性が光ピンセット法に適合しうるという着眼点と,内部のコロイド粒子を集団化させる条件を見出すことができた点が相乗的に本研究成果の価値を高めている。

全体を通した前向きのコメントとして,本論文は,細胞内におけるこみあい効果の本質を細胞全体で理解するための構成的アプローチの重要な研究として位置づけられる。細胞膜に近い変形可能な膜を用いてこみあい効果を導いた先駆的な研究例であるので,GV内部の個々のコロイド粒子の運動の詳細を実験的に明らかにできれば,従来にない新しいソフトマター複合系の細胞変形モデルという意義をより深めることができるだろう,とのコメントがあった。

夏目君の博士論文は,細胞内の高次機能のみならず細胞変形の機構にもこみあい効果を示唆する実験モデルを提案するものとして先駆的な研究を論じたものである。これまで,マイクロメートルスケールの柔軟な閉空間に高い体積分率で微粒子を閉じ込める手法を確立することが難しいという実験上の障壁があったために,このような研究は十分になされていなかった。夏目君は,GV作製法の原理に立ち返って課題を設定しクリアしてゆくことで,変形可能な脂質二分子膜に高い体積分率でポリスチレンビーズを内包する技術を確立し,そのような単純な構造のソフトマター複合系において,エントロピックな効果に基づく膜変形機構を見出すことができた。以上より,本論文は関連分野の発展に大きく貢献するものである。

結び

論文の公表状況をここに述べる。第2章の内容は新規性が高く,様々な高分子や微粒子を高い体積分率で内包しうる汎用性の高いGV作製法であると評価され,本論文の提出者が筆頭著者である原著論文が日本化学会速報誌Chemistry Letters に受理されている。第3章および第4章の内容については論文執筆中である。コロイド粒子の運動状態に関する測定データを踏まえて,微粒子の自由体積空間の増大に基づいたエントロピックな作用の普遍則にアプローチするという特色をもつ実験モデルとしてまとめられ,閲覧頻度の高い専門誌へ投稿される予定である。それぞれ共著者との共同研究であるが,本論文の提出者が主体的に実験・解析・考察を行ったもので,論文提出者の寄与は十分であると判断される。

よって,本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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