学位論文要旨



No 128930
著者(漢字) 江端,宏之
著者(英字)
著者(カナ) エバタ,ヒロユキ
標題(和) 垂直に加振された複雑流体における局在構造
標題(洋) Localized structures in vertically vibrated complex fluids
報告番号 128930
報告番号 甲28930
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5907号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 野口,博司
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 准教授 波多野,恭弘
 東京大学 教授 半場,藤弘
 千葉大学 准教授 北畑,裕之
内容要旨 要旨を表示する

流体の自由界面に現れる不安定性やパターン形成についての研究は長い歴史を持っており、多くの研究者たちによって研究されてきた。例えば、細長い水のジェットが表面張力によって不安定化し、小さい液滴に分裂する不安定性はレイリー・プラトー不安定性と呼ばれ百年以上昔から研究されている。また、比重の大きい流体の層を比重の小さい流体の層の上に乗せると、界面が不安定化し長波長の波が成長していくレイリー・テイラー不安定性も古くから知られている。また、ファラデーは百年以上前に振動板上の粉体において、振動に共振した定在波(ファラデー波)が現れることを発見している。ニュートン流体に限っても、流体の自由界面に現れる不安定性やパターン形成は強い非線形性を有していることが多く、未だ多くの実験的・理論的な研究がおこなわれている。一方で、内部構造を持つ複雑流体についても、レオロジー特性や界面不安定性についての研究がおこなわれている。例えば、垂直に加振された粉体や希薄懸濁液界面には、オシロンと呼ばれる孤立した定在波が現れることが報告されている。

本研究では、垂直加振された複雑流体の自由界面に現れる、空間的に局在した構造について着目している。上記のオシロンは空間的に局在した定在波であり、波の振幅についての現象論的な方程式を使ったモデルが提唱されている。このような波や振動子の振幅についての方程式は一般に振幅方程式と呼ばれており、パラメーターによって空間的に振幅が局在した解が現れることが知られている。一方で、化学反応系(反応拡散系)においては化学物質の濃度が空間的に局在した構造が現れることが良く知られている。二次元系の場合、円状に化学物質の濃度が高い領域が局在する場合Spot解と呼ばれ、濃度が低くなる場合はHole解と呼ばれている。また、高濃度のドメインと低濃度のドメインが急激な濃度変化をする部分によって分けられるkink解も発見されている。Spot解などの局在構造が現れるモデルはいくつも提案されており、理論的な研究も多く行われている。一方でこれら局在構造についての実験はあまり行われていない。そこで我々は垂直加振された複雑流体の自由界面に現れるパターンについて着目した。F. Merktらにより、垂直加振されたコーンスターチ懸濁液界面においてstable holeと呼ばれる界面不安定性が発見された。これは、初期条件として界面に与えられた変形が成長してゆき、懸濁液の層を底まで貫く非常に安定な穴が現れるというものである。一方で我々は、垂直加振されたガラスビーズ・シリコンオイル懸濁液において、初期条件として作られた小さな穴が広がってゆき、最終的には懸濁液の存在する部分と存在しない部分がkinkのような構造によって分離されることを発見した。このようなkinkは垂直加振された粘塑性流体やエマルジョンでも発見されている。一方、我々は垂直加振されたポテトスターチ懸濁液界面においてreplicating holeと呼ばれる自発的に分裂する穴を発見した。また、分散している粒子の比重が分散媒よりも重い場合、heapingと呼ばれる大きな盛り上がりが現れることも報告されている。懸濁液の膜厚に着目した時、stable holeでは膜厚が非常に小さくなる場所が急峻な斜面によって円状に形作られている。また、kinkでは膜厚が大きいドメインと膜厚が非常に小さいドメインが急峻な斜面によって分けられている。つまり、複雑流体系における膜厚と、化学反応系における化学物質の濃度を対比すると、二つの全く異なる系に現れる局在構造は非常に似ている。それでは、二つ異なる系に現れる局在構造はただ似ているだけなのであろうか?それとも、普遍的な共通する性質を持っているのであろうか?これらの疑問に答えるために、本研究ではまず懸濁液における分裂する穴のダイナミクスを調べた。

自発的に分裂する局在パターンとしては反応拡散系でのreplicating spotが知られているが、分裂する穴は流体系で発見された初めての例である。分裂する穴は円状の形状が不安定であり、自発的に楕円状に変形をしていく。そして、楕円変形した短軸が徐々にくびれはじめ、最終的には二つの穴に分裂する。十分に加振の加速度(加振強度)が大きい場合、穴は次々と分裂してゆき液面全体に散らばってゆく。穴には臨界的な大きさが存在し、小さすぎる穴は自発的に消えてゆく。また、穴同士が衝突すると、多くの場合一方または両方の穴がつぶれて消える。したがって、穴の数密度が高くなると穴の分裂と、衝突による消滅が高頻度で起こるようになり、穴のダイナミクスは時間的・空間的に非常に乱れたものになる。このような時空カオス(STC)は反応拡散系の一種であるグレイ・スコットモデルのreplicating spotでも発見されている。そこで、我々は化学反応系での欠陥の時空カオスの統計的な解析に使われている手法を用いて解析を行った。まず、穴の生成頻度と消滅頻度を、穴の個数に対する関数として求めた。その結果、穴の消滅頻度に衝突による消滅由来の二次の非線形項が現れることを除けば、グレイ・スコットモデルで得られる結果に似たものとなった。また、穴の数の増減がマルコフ過程になっていることを仮定することで、生成頻度・消滅頻度から穴の数の分布関数を非常によく再現できることを示した。

次に、我々は安定な穴から分裂する穴の分岐について調べた。安定な穴はコーンスターチ懸濁液で現れることが知られており、分裂する穴はポテトスターチ懸濁液で現れることが分かっている。しかし、同一の懸濁液でこの両方の局在構造を観察することはできていなかった。そこで、我々はポテトスターチとコーンスターチの粒径の違いに着目した。我々はポテトスターチをふるいにかけ、同一の物質からなる、粒径分布のみが異なる粉体を何種類も用意した。これらの粉体を使うことで、粒径の小さい粉体からなる懸濁液では安定な穴が現れ、粒径の大きな粉体からなる懸濁液では分裂する穴が現れることを発見した。また、中間の大きさの粒径を使用することで、加振強度を大きくしていくと安定な穴から分裂する穴へと分岐することが分かった。さらに、分散媒の表面張力を小さくすることでも、安定な穴から分裂する穴へと分岐することが分かった。このことから、粉体粒子間に働く毛管力が穴の形状を安定化させているという事が示唆されている。また、安定な穴から分裂する穴への分岐するとき、穴の形状の振る舞いがどのようになるかを詳しく調べた。その結果、加振強度が大きくなるにつれ、間欠的に大きく穴が変形するようになり、分裂をするようになる事が分かった。穴の変形と重心運動について説明するために、我々は反応拡散系でのspot解に対して提唱されている、変形と重心運動についてのモデル方程式を使った。その結果、間欠的な大きな変形や分裂が起こる時間間隔などの基本的なダイナミクスを説明できることを示した。このことは、全く異なる系である垂直加振された懸濁液と反応拡散系での局在パターンが同じ枠組みで理解できる可能性を示唆している。

以上は局在パターンのダイナミクスに注目しているが、heaping, holeやkinkのメカニズムはどのようになっているのであろうか?これら複雑流体における局在パターンのメカニズムは直観的には説明できない。複雑流体系では時間平均すると鉛直下向きに重力がかかっている。したがって、重力による静水圧によってheaping, holeやkinkの斜面は構造がつぶれる方向に力を受けている。構造を支える力の候補として考えられるのは表面張力だが、懸濁液の平均の膜厚は0.5cm~2cm程度あり、表面張力ではこの膜厚を支えることはできない。つまり、局在構造を安定に支えるには何かしらの非自明な駆動力またはメカニズムが必要になる。ニュートン流体ではheaping, holeやkinkなどの局在パターンは発見されておらず、実験に使用している複雑流体特有のレオロジーがメカニズムに密接に関係していると考えられる。それでは、どのようなレオロジーがheaping, holeやkinkに重要なのであろうか?また、流体の構成方程式からこれらの界面不安定性のモデルを作ることが出来るであろうか?本研究では懸濁液が持つ固体壁面上での境界条件に着目をし、heapingについてのモデルを提案した。我々は懸濁液が容器との間でスリップをし、スリップが起こる臨界応力が加振と共に振動しているという仮定と薄膜近似、ストークス近似を使い流体の構成方程式からheapingのモデルを導いた。モデルの解析の結果、不安定性の種類、臨界加振強度、対流状の流れ、などの実験結果が良く説明できることが分かった。また、弱非線形解析から流体のレオロジーによらず、サブクリティカル分岐を起こしヒステリシスを持つことが分かり、これも実験結果を説明できている 。また、このモデルを使い容器の床が傾いているときのheapingの動きについて計算を行った。その結果、加振強度が大きくなると一般の流体とは異なりheapingが傾いている板を上っていくという結果が得られた。

以上のように、本研究では新しい界面の不安定性を発見し、局在パターンの分岐から乱流化までの研究を一つの実験系で行い、局在パターンのもつ普遍性について研究を行っている。また、界面の不安定性のメカニズムを考える上であまり着目されてこなかった、懸濁液の壁面上での振る舞いに着目して構成方程式に基づくモデルを提唱した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章は序論であり,研究の背景と目的が述べられている。第2章では本研究で行ったコロイド懸濁液の垂直加振実験の実験手法と実験条件について説明している。第3章と第4章では、実験結果を示すとともに理論的な解析を行っている。第3章では、垂直加振されたポテトスターチ懸濁液において界面がへこんで生成される穴の生成消滅のダイナミクスについて述べられている。第4章では、この穴が安定に存在する条件と分裂が起こる条件について調べている。第5章ではheapが発生するメカニズムを薄膜近似を用いて理論的に解析している。底面の固体表面での境界条件が加振により、スリップからノンスリップ境界条件に周期的に変わることを理論模型に取り入れると、この現象を説明できる。第6章では、本研究の結論が述べられている。

流体の自由界面に現れる不安定生やパターン形成については長い研究の歴史があるが、まだよくわかっていない現象が多々ある。本研究では、でんぷんやガラスビーズといったコロイド粒子の懸濁液においてみられるパターンに焦点を当てている。コロイド懸濁液はshear thickeningや降伏応力がみられる非ニュートン流体であり、ニュートン流体ではみられないような不安定生やパターンが生じることが知られている。垂直加振によって安定な穴が生じることはすでに知られていたが、論文提出者は、穴が安定な状態から分裂する状態に変化する条件を実験的に初めて明らかにした。さらに、そのメカニズムを物理学的に詳しく解析し、粉体粒子間に働く毛管力と容器の底面で働く降伏応力が穴を生成するための重要な要因であることを明らかにしている。

第3章では、まず、穴の分裂、衝突のダイナミクスを実験で詳しく観察し、穴の生成消滅頻度の穴の密度依存性を調べている。穴の生成頻度がほぼ一定なのに対し、穴の衝突により穴が消滅するため、消滅頻度は密度の2次の非線形項が現れることを示している。そして、穴の分布はこれらの頻度とマルコフ過程を考えることで再現できることを明らかにしている。これは反応拡散系のグレイ・スコット模型で得られる時空カオスと同様のパターンである。

第4章では、安定な穴から、分裂する穴への分岐を調べている。これまで、コーンスターチでは安定な穴が、ポテトスターチでは分裂する穴が生じることは知られていたが、同一の懸濁液でこの両方の局所構造はこれまで観察されていなかった。論文提出者は、この二つの粒径の違いに着目し、ポテトスターチをふるいにかけることで粒径の分布を調節した場合とガラスビースを分散させた場合の2種類の懸濁液において、加振強度の増加により、安定から分裂への分岐を得ることに成功した。また、界面活性剤の添加による表面張力の現象によって穴の分裂が起こりやすくなることも明らかにしている。これらの事実から、粉体粒子間に働く毛管力が穴を安定化させる要因であることが示唆される。また、変形と重心運動のモデル方程式を構築し、理論解析を行っている。分裂は変形が敷居値を越えると起こると仮定している。このモデルを詳しく解析することで、加振強度の増加によって穴の形の変動が大きくなることが、実験でみられるふるまいを再現する上で重要であることを明らかにしている。

第5章においては、平らな液面が不安定化して、液面がこぶ状になるheaping現象について、理論的に解析している。加振により、容器の底面近傍での粉体粒子の密度が変動することに着目し、その影響を底面の固体表面での働く降伏応力の変化と捉え、境界条件がスリップからノンスリップ境界条件に周期的に変わるとして、理論模型に取り入れている。そして、薄膜近似を用いて液面の高さの方程式を導き、実験でみられるheapingを定性的によく説明できることを示している。

以上のように本論文では,界面がへこんで生成された穴状の構造が安定に存在する状態から、自発的に分裂する状態へ分岐する条件を新しく見いだし、そのような局所構造の生じるメカニズムを理論的に考察している。また、化学反応系で用いられている理論模型が複雑流体のパターン形成の解析を有効であることを示し、自然界でみられるパターン形成の統一的な理解に示唆を与える研究であり、今後の非平衡物理学の発展への寄与が期待できる。なお本論文は指導教員である佐野雅己氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって研究を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、審査員全員の一致により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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