学位論文要旨



No 128933
著者(漢字) 奥沢,暁子
著者(英字)
著者(カナ) オクサワ,サトコ
標題(和) ショウジョウバエ幼虫の方向転換行動パターンを制御する神経回路の同定と機能解析
標題(洋) Identification and functional analysis of the neural circuit regulating the pattern of directional change in Drosophila larvae
報告番号 128933
報告番号 甲28933
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5910号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 樋口,秀男
内容要旨 要旨を表示する

動物の行動は、定型的な動作の連続によって成り立っている。定型動作はそれ単独でも運動機能として成立するが、組み合わされることによってより複雑で目的に合致した行動を生み出す。例えば前進運動と後退運動はそれぞれ前方ないし後方へ進む運動機能として成立しているが、組み合わせることによって前後の二方向に進むことが可能となる。本研究では、ショウジョウバエ幼虫の方向転換行動が定型的な3つの動作要素の組み合わせによって成り立つことを示し、更にセロトニン作動性神経回路が動作要素の組み合わせパターンを制御することを見出した。

ショウジョウバエ幼虫において、方向転換行動はぜん動運動と摂食行動に並んで重要な行動である。方向転換は逃避や自由探索の際に行われる行動であり、幼虫が自らの置かれた環境を把握し、その状態からの変化を選択することによって起こる。本論文では、方向転換行動に関係する定型動作を分類・解析することで、従来着目されにくかった方向転換を構成する運動要素に注目した。ショウジョウバエ幼虫は、青色光に対し逃避性の反応を示す。そのため強い青色光を頭部領域に投射された幼虫は、投射領域から脱するために方向転換行動を行う。本論文ではこの性質を用いて、青色光の投射によって方向転換行動を人工的に誘起する実験系を構築し、方向転換行動の運動要素を詳細に検討した。その結果、方向転換行動は、3つの動作要素、Bending、Retreating、Rearingで成り立つことを明らかにした。さらに、一回の方向転換行動に含まれる動作要素の総数の定量によって、トライアルごとに、動作要素の組み合わせに幅広い変動が存在することが判明し、このことから、方向転換行動が複数の動作要素が可変的に組み合わされた行動であることを示した。また3つの動作要素が同じような頻度で方向転換行動に含まれるわけではなく、Bendingに比べてRearingとRetreatingの発生頻度は大きく抑制されていることを明らかにした。以上のことから、方向転換行動は、それ自体が分割できない一連の固定的な運動によって成り立つわけでなく、動作要素がその都度選択され可変的に組み合わされることによって成立する複雑な行動であることが示された。

次に、この方向転換行動の動作要素の選択を制御する神経回路機構としてセロトニン作動性神経細胞に着目した。セロトニンは神経伝達物質として、多くの動物種で様々な行動や情動の制御に関与している。本論文では、セロトニン作動性神経細胞の神経伝達を抑制し、その際方向転換行動に異常が生じるかについて分析した。結果、BendingやRetreatingの発生頻度は変化しないが、Rearingの発生率のみが上昇することが明らかになった。このことから、ショウジョウバエ幼虫の方向転換行動において、セロトニン作動性神経細胞が方向転換行動動作要素のうち、Rearingのみを選択的に抑制することを見出した。また脳ではなく、腹部神経節内のセロトニン作動性細胞がRearingの抑制を担うことを示した。更に、温度により活性化される神経入力を、セロトニン作動性細胞が調整することでRearingが抑制されることも示唆された。さらにセロトニン受容体作動薬を投与したセロトニン過剰と同様な状況下で、Rearingの発生が減少したことから、セロトニンによる神経伝達がRearing頻度を調節することが明らかとなった。

次に、このセロトニンを介する方向転換制御が、どのような神経回路によって伝達されるかについて検討した。ショウジョウバエの4つのセロトニン受容体のうち、5-HT1BDroを発現した神経細胞の神経伝達を抑制すると、Rearingの発生率が増加した。また5-HT1BDro欠失個体や、RNA干渉法を用いた5-HT1BDroの発現抑制においてもRearing発生率が増加したことから、セロトニンを介した方向転換制御が、セロトニン受容体5-HT1BDroによって伝達されることを特定した。更に、神経形態の観察により、一部の5-HT1BDro細胞が、神経ペプチドロイコキニン陽性であることを見出した。ロイコキニン作動性細胞の神経伝達を抑制すると、Rearing発生率が上昇することから、この5-HT1BDro細胞の一部であるロイコキニン陽性神経細胞の活動が、Rearing発生率の調節に十分であることが示唆される。また、RNA干渉法によってロイコキニン発現を抑制した際にRearingの発生が増加したことは、Rearingの発生率を調節するシグナルが正にロイコキニンを介して下流の神経細胞へ伝達されていることを示している。一方で、ロイコキニン陽性の5-HT1BDro神経細胞を過剰興奮した時にもRearing発生率は増加した。このことは、ロイコキニン作動性細胞の活動の抑制・過剰のどちらを引き起こしてもRearing発生率が適切に調節されないことを表しており、ロイコキニン陽性5-HT1BDro細胞の適切な神経活動が、方向転換行動の正常な運動要素構成の実現に必要である可能性を示唆している。最後に、腹部神経節内に分布するロイコキニン受容体の分布を明らかにし、ロイコキニンが腹部神経節内において機能している可能性を示した。

動物の可変的な行動を生み出すのは、個体内外の情報を統合・制御する中枢神経回路であり、この神経機構を明らかにすることは動物の行動を神経回路レベルで解析するために重要である。本論文では、方向転換行動が定型動作の可変的な組み合わせで構成されること、さらにその組み合わせがセロトニン作動系、そしてその直接の下流であるロイコキニン作動系によって制御されていることを示した。セロトニン―ロイコキニン系がRearingを抑制して行動の適切な組み合わせを実現させていることは、特定の運動生成を抑制する機構が、ショウジョウバエ幼虫の行動選択に寄与していることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、ショウジョウバエ幼虫の方向転換行動を解析し、方向転換行動のうちRearing(首持ち上げ)行動を制御する神経回路に着目し、セロトニン神経→セロトニン受容体を持つロイコキニン神経→ロイコキニン受容体を発現する神経→Rearingの抑制、という回路を同定することに成功した。

ショウジョウバエ幼虫は、青色光に対し逃避性の反応を示す。そのため強い青色光を頭部領域に投射された幼虫は、投射領域から脱するために方向転換行動を行う。本研究ではこの性質を用いて、青色光の投射によって方向転換行動を人工的に誘起する実験系を構築し、方向転換行動の運動要素を詳細に検討した。その結果、方向転換行動は、3つの動作要素、Bending(左右首ふり)、Retreating(後退)、Rearing(首持ち上げ)で成り立つことがわかった。この3つの動作要素は同じような頻度で方向転換行動に含まれるわけではなく、Bendingに比べてRearingとRetreatingの発生頻度は大きく抑制されている。

次に、この方向転換行動の動作要素の選択を制御する神経回路機構としてセロトニン作動性神経細胞に着目した。セロトニンは神経伝達物質として、多くの動物種で様々な行動や情動の制御に関与しているが、ショウジョウバエでは働きがわかっていなかった。セロトニン作動性神経細胞の神経伝達を抑制すると、方向転換行動動作要素のうち、Rearingのみが選択的に抑制されることがわかった。ここで、セロトニン作動性神経細胞の抑制は、遺伝子工学的に温度感受性変異ダイナミンShibire(温度を29℃以上に上げると活性を失う)を挿入し、シナプス小胞のリサイクルを止めることで、セロトニン放出を抑制することによって行った。脳ではなく、腹部神経節内のセロトニン作動性細胞がRearingの抑制を担うことを示した。さらにセロトニン受容体作動薬を投与したセロトニン放出が過剰な状況下でも、Rearingの発生が減少したことから、セロトニンによる神経伝達がRearing頻度を調節することが明らかとなった。

次に、このセロトニン神経の下流を検討した。4種類のセロトニン受容体のうち、5-HT1BDroを発現した神経細胞の神経伝達を抑制すると、Rearingの発生率が増加した。この抑制は、 5-HT1BDro変異体を用いた5-HT1BDroのノックダウンや、RNA干渉法を用いた5-HT1BDroの発現抑制、また上述したShibireによる神経伝達阻害によって行った。このようにしてセロトニンを介した方向転換制御が、セロトニン受容体5-HT1BDroによって伝達されることを特定した。更に、遺伝工学的に5-HT1BDro神経細胞にGFPを発現させて、GFP蛍光で可視化して形態を観察することと、ロイコキニン抗体での組織染色を組み合わせることで、一部の5-HT1BDro細胞が、神経ペプチドであるロイコキニンを放出する神経であることを見出した。この神経伝達をShibireを用いて抑制すると、Rearing発生率が上昇することから、この5-HT1BDro細胞の一部であるロイコキニン陽性神経細胞の活動が、Rearing発生率の調節に十分であることが示唆された。また、RNA干渉法によってロイコキニン発現を抑制した際にRearingの発生が増加した。一方で、ロイコキニン陽性の5-HT1BDro神経細胞を遺伝子工学的に強制発現させた温度感受性陽イオンチャネルdTrpA1によって過剰興奮した時にもRearing発生率は増加した。このことは、ロイコキニン作動性細胞の活動の抑制・過剰のどちらを引き起こしてもRearing発生率が適切に調節されないことを表しており、ロイコキニン陽性5-HT1BDro細胞の適切な神経活動が、方向転換行動の正常な運動要素構成の実現に必要である可能性を示唆している。最後に、抗ロイコキニン抗体による免疫染色によって腹部神経節内に分布するロイコキニン受容体の分布を明らかにし、ロイコキニンが腹部神経節内において機能している可能性を示した。

以上要約すると、本研究では、ショウジョウバエ幼虫の方向転換行動を構成する3要素のうち、Rearing(首持ち上げ)行動がセロトニン作動系、そしてその直接の下流であるロイコキニン作動系によって制御されていることを示すことに成功したという点で、神経細胞生物学上有意義な貢献をしたものと認められる。

なお本論文は、能瀬聡直博士と高坂洋史博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって審査委員一同、博士(理学)にふさわしい研究と判断した。

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