学位論文要旨



No 128943
著者(漢字) 鈴木,剛
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タケシ
標題(和) テラヘルツ分光法による励起子モット転移の研究
標題(洋) Exciton Mott Transition Studied by Terahertz Spectroscopy
報告番号 128943
報告番号 甲28943
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5920号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 髙田,康民
 東京大学 教授 上田,正仁
 東京大学 准教授 岡本,徹
 東京大学 准教授 溝川,貴司
内容要旨 要旨を表示する

高密度に励起された半導体中の電子正孔系は、密度・温度により多彩な相を示す。温度が十分低く、低密度の領域では、電子と正孔がクーロン引力により引き付けあい、励起子と呼ばれる束縛状態を形成する。励起子は、電気的に中性であるので、系全体は絶縁性を示し、また、その量子統計は近似的にボースアインシュタイン統計に従う。一方、密度を増加させていくと、励起子は遮蔽効果により不安定になり、励起子が乖離した状態である電子正孔プラズマが安定となる。電子正孔プラズマは、フェルミ粒子としての気体であり、系全体は金属的な性質を示す。この、密度上昇に伴う絶縁体から金属への転移を励起子モット転移と呼ぶ。

励起子モット転移は、電子正孔系における長距離クーロン相互作用に起因する相転移である点で基礎物理学的に興味深く、約半世紀に渡り様々な研究者がその解明に尽力してきた。また、応用の観点からもレーザーの発振閾値がどのように決まり、そこにクーロン相互作用がどのように効いているのかといった光デバイスの進歩の上で不可欠な研究であり、精力的に研究されてきた。

これまでは主に、乱雑位相近似(Random Phase Approximation : RPA) 理論が一般的に受け入れられてきた。これによると、電子正孔対密度の増大に伴い、主に交換相互作用の増大によりバンドギャップは縮む。この現象をバンドギャップリノーマライゼーション(Band Gap Renormalization :BGR) と呼ぶ。一方、励起子は電気的に中性であるために、周りの電荷による遮蔽効果を受けにくく、エネルギー位置はほとんど変化しない。そして、バンドギャップエネルギーと励起子エネルギーが交差する密度(モット密度)で励起子モット転移が起こると考えられてきた。しかし、近赤外、可視光領域の発光測定及び吸収測定によるバンド間遷移を通した測定では、モット密度近傍でBGR をはっきりと観測できていないのが実状である。

励起子の束縛エネルギーは、数meV~数十meV であり、遠赤外、テラヘルツのエネルギー領域に対応する。近年、高時間分解能を有するテラヘルツ分光法が進展し、物性研究における低エネルギーの素励起観測の非常に強力な手段として普及してきた。電子正孔系においても、テラヘルツ分光法により、励起子の内部遷移の観測を通してクーロン相関を調べることができるようになった。例えば、GaAs/(AlGa)As 量子井戸の2 次元電子正孔系では、密度増加に伴う励起子束縛エネルギーの変化が報告されているが、試料系によって結果が異なるなど、結論には至っていない。一方、1 次元系ではモット転移に伴う励起子束縛エネルギーの減少が生じないことがバンド間光学遷移の測定から提唱されている。3 次元系に至っては、束縛エネルギーの減少を明確に観測した例はない。

このような現状を踏まえ、本研究では、3 次元電子正孔系における励起子モット転移の解明を目指して、テラヘルツ分光測定による観測を行った。バンド構造や励起条件の影響を比較するために、間接遷移型半導体Si と直接遷移型半導体GaAs の両方を用いた。

Si における励起子モット転移のキャリアダイナミクス

電子系の温度が格子系の温度と等しくなる準熱平衡状態における励起子モット転移を観測するために、試料としてキャリア寿命の長い間接遷移型Si を選定した。図1 の(A),(B) は、格子温度30 K、遅延時間4 ns での誘電率実部、光学伝導度の励起密度依存性である。励起密度は、ボーア半径で規格化した平均粒子間距離rs で示してあり、RPA による30 K でのSi のモット密度はrs = 3:0 である。実験データから、励起密度を増大させても12meV に見られる励起子1s-2p 遷移エネルギーは変化せず、また、RPA のモット密度以上(rs ≤ 3.0) でも励起子が強く残存していることが見て取れる。これらは明らかに、これまでの解釈とは異なる振る舞いである。得られたデータから定量的な知見を得るために、ドルーデ・ローレンツモデルによりフィッティングを行った。フィッティング曲線を(A),(B) の青実線で示し、得られたパラメータの密度依存性を図(C) に示す。30 K でのRPA によるモット密度を黒点線で示す。(a) は、プラズマ周波数ω(p1) と励起子1s-2p 遷移エネルギーω(ex) の値をプロットしてあり、ω(p1) がω(ex) 以上の値になる密度領域でも、ω(ex) は変化しない様子が見て取れる。(b) は、自由キャリア密度nD と励起子密度nex、及び励起子が乖離している割合を表すイオン化率α を示してあり、ちょうどRPA でのモット密度近傍でイオン化率が急激に上昇している様子が見て取れる。(c) は、自由キャリアと励起子の散乱確率γD,γ(ex) を示してあり、γD がモット密度近傍でピーク的な振る舞いを示していることが見て取れる。さらにγD ≃25meV と、この密度領域での自由キャリアの運動エネルギーと比較しても1 桁以上大きな値を取ることから、この密度領域で系が不良金属的になっていることを示唆している。

次に、集団運動の性質を調べるために、誘電関数から損失関数を計算し、ピークのエネルギーから縦波共鳴周波数を求めた。図1(D) に損失関数(赤点)を示し、現象論的2 成分ローレンツモデルのフィッティング曲線(青線)も併せて示す。低密度領域では、二つのピークが明確に分離している様子が見て取れる。低エネルギー側の共鳴がプラズモンであり、高エネルギー側が縦波励起子の1s-2p 遷移エネルギーである。図1(E) にピークのエネルギーと半値全幅の励起密度依存性を示すが、観測された縦波共鳴周波数(ω+, ω−) と、遮蔽プラズマ周波数(ω'(p1)) と裸の励起子1s-2p 遷移エネルギー(ω'(ex)) との振る舞いを比較すると、励起密度の増大に伴い、二つの共鳴周波数が反交差し、またそれと同時にブロードニングしていく様子が見て取れる。反交差していく振る舞いから、この領域で系の縦波共鳴は、プラズモンと励起子の結合モードであることが分かり、言い換えれば、これは、系の集団運動である電荷密度揺らぎ(プラズモン)と縦波励起子の分極とが結合していることを示している。プラズモンのブロードニングの起源は、励起子の存在に起因し、通常のフェルミ液体と異なる、電子正孔系特有の現象であることが分かった。

Si における励起子モットクロスオーバーと相図の決定

テラヘルツ分光により誘電率実部と光学伝導度が得られ、フィッティング解析からイオン化率が求まること分かったので、次に、密度・温度を系統的に変えてイオン化率を求めることで、Si における相図を決定した。図2(a)に、本研究で実験的に求めたイオン化率の2 次元プロットを示す。比較のために、デバイ-ヒュッケル近似及びRPA によるモット密度を白破線及び白実線で表す。40、50 K などの比較的高温領域において、モット密度以上の高密度領域で励起子が高い割合で存在していることが新しく発見された。より詳しく見るために、(b) に代表的な温度におけるイオン化率の密度依存性を示す。また、熱力学的な安定性から割合を決定するサハ方程式による予測を点線で併せて示す。サハ方程式によれば、密度が増大するにつれて、励起子の束縛エネルギーの利得がプラズマであることによるエントロピー的利得を上回り、励起子の割合が高くなることが予想される。温度が高くなるほど、サハ方程式に近づいていく振る舞いから、高温領域では、励起子・電子正孔プラズマは古典的な粒子として振る舞い、質量作用の法則により割合が決まることが分かった。一方低温になると、高密度領域で遮蔽効果による安定性が熱力学的な安定性を上回って、イオン化率は上昇する振る舞いを示す。

次に、相図における自由キャリアの散乱確率の振る舞いを見るために、(c) に代表的な温度における散乱確率の密度依存性を示す。比較的高温の領域では、密度上昇と共に単調に増大していくのに対して、低温領域の30 K では、モット密度近傍でピーク的な振る舞いを示すことが分かった。この振る舞いは、電子正孔間の引力相互作用に起因するものと考えられる。密度がある程度高く、頻繁に電子正孔が衝突し、かつ励起子の熱的乖離が抑制される低温領域でこのような不良金属的な応答を示すと考えている。

MBE 成長したGaAs における励起子モット転移の研究

直接遷移型半導体では、バンド端遷移における吸収係数が大きいために、励起子共鳴励起により高密度に励起子を生成することができる。本研究では、GaAs を試料として選定し、4f 光学系を用いた波長の切り出しにより、1s 励起子共鳴励起とバンド端励起の二つの励起条件を実現し、テラヘルツ分光により観測した。図3(a) に1s 励起子共鳴励起とバンド端励起に用いたパルスのスペクトルと、格子温度5 K における試料の吸収スペクトルを示す。(b) に1s 励起子共鳴励起条件下で、励起後10 ps、格子温度5 K における差分透過率を、励起強度を変化させて点で示す。励起子共鳴励起条件にも関わらず、自由キャリアの応答を示すドルーデ型のスペクトルが現れた。定量的に考察するために、ドルーデモデルを用いた転送行列法により差分透過率を計算し、フィッティング解析を行った。フィッティング曲線を(b) の実線に示し、得られた自由キャリア密度を(c) に示す。比較のために、励起子遮蔽を考慮したRPA によるモット密度の計算結果を黒点線で示してあるが、実験データから抽出した自由キャリア密度は、モット密度以下であった。それにも関わらず、励起子の応答が表れずに自由キャリア応答が現れたことに関しては、高品質の直接遷移型半導体であるために分極のコヒーレンスが大きく、実効的にモット密度が低下して自由キャリアになってしまうことが可能性として考えられる。自由キャリアに乖離してしまう微視的な機構は、本研究では分からなかったが、その解明のためには、励起パルスの制御や、同じ励起条件での発光や吸収によるバンド間遷移とバンド内遷移の比較などの実験が今後の展望として考えられる。

総括

半導体電子正孔系において、励起子の束縛エネルギーはテラヘルツ周波数領域に存在する。本研究では、間接遷移型半導体Si と直接遷移型半導体GaAs を用いて、励起子内部遷移を通して3 次元系における励起子モット転移の解明を試みた。誘電関数からフィッティング解析により定量的な物理量を求めることができ、励起子モット転移におけるキャリアダイナミクスの新しい知見を得ることに成功した。

[1] T. Suzuki and R. Shimano, Phys. Rev. Lett. 103, 057401 (2009).[2] T. Suzuki and R. Shimano, Phys. Rev. B 83, 085207 (2011).[3] T. Suzuki and R. Shimano, Phys. Rev. Lett. 109, 046402 (2012).

図1: 格子温度30 K、遅延時間4 ns における(A) 誘電率実部と(B) 光学伝導度の変化。点が実験データを表し、実線がドルーデ・ローレンツモデルのフィッティングによる計算結果を表している。(C) フィッティングにより得られた様々なパラメータの密度依存性。点線は30 K でのRPA モット密度(rs = 3:0)を表す。(a) プラズマ周波数(ω(p1)) と励起子1s-2p 遷移エネルギー(ω(ex))。(b) 自由キャリア・1s 励起子密度(nD,n(ex)) とイオン化率(α)。(c)自由キャリアと励起子の散乱確率(γD,γ(ex))。(D) 格子温度30 K、遅延時間4 ns における損失関数。実線は、現象論的2 成分ローレンツモデルによるフィッティング曲線。(E) 損失関数(D) のピークエネルギー位置(ω+, ω−) の密度依存性。半値全幅を破線で示す。また参照のため、遮蔽プラズマ周波数(ω'(p1)) と裸の励起子1s-2p 遷移エネルギー(ω'(ex)) をプロットしている。

図2: (a) 温度・密度空間でのイオン化率の二次元プロットで表したSi における相図。デバイ-ヒュッケル近似及びRPA によるモット密度を白破線及び白実線でそれぞれ示してある。(b) イオン化率の密度依存性とサハ方程式(点線) との比較。(c) 自由キャリアの散乱確率の密度依存性。

図3: (a) 格子温度5 K における試料のバンド端光吸収スペクトル(黒実線)と4f 光学系により切り出した励起光パルスのスペクトル。赤実線が1s 励起子共鳴励起条件で青実線がバンド端励起条件。(b)1s 励起子共鳴励起条件下で、励起後10 ps、格子温度5 K における差分透過率(点)。ドルーデモデルによるフィッティング曲線を実線で示す。(c) フィッティングにより求められた自由キャリア密度の励起強度依存性。黒点線は励起子遮蔽を考慮したRPA によるモット密度。

審査要旨 要旨を表示する

半導体に光を照射すると、電子と正孔が等量生成される。電子と正孔には強いクーロン相互作用が働き、密度や温度に応じて量子多体系として多彩な物質相を示す。低温でかつ低密度では、一対の電子と正孔が励起子と呼ばれる束縛状態を形成する。励起子は中性のボース粒子で、密度を上昇させると、電子正孔のクーロン相互作用が遮蔽され、束縛状態が不安定化し、金属的な電子と正孔のプラズマ状態に転移すると予想される。この励起子ガスから電子正孔プラズマへの転移は、絶縁体相から金属相への転移であり、励起子モット転移と呼ばれている。励起子モット転移は電子と正孔という量子性が強く働く粒子がクーロン相互作用する中で生じる量子多体現象であり、長年研究が進められてきた。しかし、多電子相関効果、キャリアの有限寿命効果、非平衡性などが影響する現象であり、その本質は未解明である。

近年、パルスレーザー技術の進歩により、周波数が0.1~10テラヘルツ(THz)程度の領域の電磁波、テラヘルツ波、の発生検出技術が開拓されてきた。この周波数領域は伝導現象と光学現象を繋ぐ領域であり、半導体のキャリアの高速運動を誘電応答として捉えることが可能である。テラヘルツ波のエネルギースケールは励起子束縛エネルギーなど電子正孔の相互作用を特徴づけるエネルギー領域と合致しており、電子正孔系の物質相の特徴を調べる手法として有効である。

本研究は、パルスレーザー光を光源とし、高帯域のテラヘルツプローブパルスを発生し、光パルスで励起された半導体のキャリアの挙動をテラヘルツ時間領域分光法によって系統的に調べ、3次元電子正孔系における励起子モット転移について新たな知見を得ることを目的とした。

本論文は、7章から構成されている。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、本研究の主題である励起子モット転移について述べ、研究の背景および目的を述べ、本論文の構成について述べている。

第2章では、理論的背景として、本研究で対象としたSiおよびGaAsの電子構造と光学応答について述べ、さらに半導体におけるクーロン相互作用の遮蔽効果について説明している。

第3章では、本研究の実験に用いた薄膜Si試料とGaAs試料について述べている。続いて、本研究で用いた広帯域テラヘルツ時間分解分光法について光源発生および検出法の原理と実験装置について述べている。さらにGaAs試料で用いた、波形整形法を用いたポンププローブ分光法について説明している。

第4章では、間接遷移型半導体であるSiについてパルス光照射下で、3-25meVに及ぶ広いエネルギー領域で、光励起電子正孔系の誘電応答関数を評価した実験について述べている。試料を30Kに保持し、パルス励起から4ナノ秒後で電子正孔系がほぼ準熱平衡に達した状況で励起密度依存性を調べた。ランダム位相近似理論で予想されるモット転移密度で自由キャリア成分の顕著な増大が観測されたが、この密度以上でも励起子内部1s-2p遷移に起因する構造がほぼ同じ共鳴位置に存在することが見いだされた。従来、励起子モット転移はバンドギャップの収縮と励起子束縛エネルギーの縮小が同時に起こることによって生じるとされてきたが、この実験結果はこの常識を覆すものとなった。また損失関数を評価し、自由キャリアのプラズモンおよび励起子内部遷移の共鳴特性を抽出し、緩和定数の温度依存性やプラズモンと励起子内部共鳴遷移の結合などの現象を捉えた。

第5章ではSiにおいて実験で求めた誘電応答関数から励起子のイオン化率を抽出し、温度と密度を変数として電子正孔系の相図を決定した。高温領域では、電子正孔と励起子の乖離結合反応における質量作用の法則に従う熱力学的な安定性によりイオン化率が決まる様子が見られた。低温領域ではクーロン遮蔽効果により高密度化によって励起子が乖離する様子を捉えた。

第6章では直接遷移型半導体GaAsを用いた実験について述べている。波形整形法を用いてパルス光の切り出しを行い励起子共鳴励起を行う手法を開拓した。共鳴励起下ではあるが、励起子応答が観測されず、励起直後に励起子がプラズマに乖離することが見いだされた。その微視的機構は未解明である。

以上のように、本研究では、時間領域テラヘルツ分光法を用いて、光励起キャリアの誘電応答を系統的かつ定量的に評価する実験手法を開拓し、3次元の電子正孔系における励起子モット転移について新しい知見を得たものである。また、テラヘルツ分光法が電子正孔系の相関効果やダイナミクスを捉える方法として活用できることを示した。

本研究の成果は物性物理学、光物理学両面にとって意義のあるものであり、今後の発展に大きく寄与することが期待できる。なお、本研究は、島野亮氏との共同で行われたが、論文提出者が主体となって、実験の実施、結果の解析と考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

よって、本論文は博士(理学)の学位論文として合格と認める。

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