学位論文要旨



No 128948
著者(漢字) 並河,俊弥
著者(英字)
著者(カナ) ナミカワ,トシヤ
標題(和) CMB・銀河観測における弱い重力レンズの精密測定に向けた方法論の構築とその宇宙論的示唆
標題(洋) Toward a precise measurement of weak lensing signals through CMB experiments and galaxy imaging surveys : A theoretical development and its cosmological implications
報告番号 128948
報告番号 甲28948
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5925号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 川村,靜児
 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 准教授 大内,正巳
 東京大学 教授 手嶋,政廣
内容要旨 要旨を表示する

宇宙の進化史、構成要素といった宇宙論の基本的枠組は、宇宙マイクロ波背景輻射(CMB; 宇宙の温度低下により自由に進めるようになった時期(宇宙の晴れ上がり)の光子を我々が観測したもの)などの観測により明らかとなった。これを基に、今後の宇宙論は、より進んだ、本質的な種々の課題解明に挑戦する段階にある。宇宙の加速膨張を引き起こす" ダークエネルギー"は、物理的起源が一切不明である。宇宙のあらゆる構造の種である宇宙初期揺らぎがいかにして生成されたのか、その詳細も未だ明らかでない。また、宇宙論に内在する課題だけでなく、現在理解されている宇宙論を元にした物理理論の検証も可能になると期待される。その一つは、ニュートリノ質量の探求である。素粒子標準モデルではニュートリノは質量を持たない粒子として導入されているが、ニュートリノ振動実験は質量の存在を示唆する。宇宙の構造形成はニュートリノの質量に依存するため、宇宙論的観測からもニュートリノ質量への示唆を与えることができる。これらを説明すべく多くの理論モデルが提案され乱立している現状を踏まえると、観測的にそれらを検証することが今後の宇宙論を進展させる上で不可欠である。実際、世界中でこれまで以上のより強力な観測が計画・実行されている。日本においても、SuMIRe プロジェクトによる銀河の測光・分光観測やKEK グループが主導するLiteBird、GroundBirdといったCMB 実験等、宇宙論的観測が始動・計画され始めている。

重力レンズ効果の測定は、今後の将来観測において特に注目されている観測量の一つである。重力レンズ効果とは、宇宙空間に放たれた光が、銀河・銀河団などで構成される宇宙大規模構造の重力場の影響で我々に届くまでにその軌跡が曲げられ、その結果として像などが歪んで観測される現象である。特に、宇宙の晴れ上がりから放たれた光子が重力レンズを受けることで、CMB の揺らぎのパターンが僅かに歪められる現象を「CMB の弱い重力レンズ(CMB Lensing)」、同様に、銀河から放たれた光が重力レンズを受けることで銀河の像が僅かに歪められる現象を「銀河の弱い重力レンズ(cosmic shear)」と呼ぶ。これらの僅かな歪みを観測することで、加速膨張や、重力場を変化させる物理的情報を引き出せる。

銀河の弱い重力レンズ効果は、2000 年頃、Canada France Hawaii Telescope (CFHTLS)等から得られた銀河の測光データを用い、複数のグループで初検出が報告され(N.Kaiser et al 2000 等)ている。CMB の弱い重力レンズは、近年、Atacama Cosmology Telescope (ACT)およびSouth Pole Telescope (SPT)のデータを用いた検出が報告されている(S.Das et al 2011, A. van Engelen 2012)。今後は、数多くのCMB および銀河観測から弱い重力レンズの高精度なデータを得ることができ、種々の課題の検証への応用が期待される。

本論文では、将来観測を念頭に、弱い重力レンズ、特にCMB、銀河に対する弱い重力レンズ効果の測定が、今後の宇宙論を展開していく上でいかに強力で有用な手段となり得るかに着目する。以下では、本論文で行った研究成果についてまとめる。

(1) 弱い重力レンズにおける観測量の奇パリティ成分までを含めた定式化、およびその宇宙論への応用

CMB における弱い重力レンズ効果では、重力レンズによって軌跡が曲げられることで、観測されたCMB の揺らぎは晴れ上がりの時点では別の方向に存在していたものである(図1)。CMB の弱い重力レンズ測定では、この方向のシフトを表す二次元天球面上のベクトル(曲がり角)を測定する。また、銀河の弱い重力レンズでは、銀河の像の歪みを測定している。これらの観測量(曲がり角、像の歪み)は、一般に、パリティにより偶・奇パリティをもつ成分に分解できる。大規模構造が作る重力ポテンシャルで引き起こされる重力レンズ効果では、線形摂動の範囲(スカラー摂動)では、観測量の偶パリティ成分のみが生じ、奇パリティ成分は生じない。一方、重力波や宇宙初期の相転移などで生じ得る宇宙紐などから生じる重力場(ベクトル、テンソル摂動)でも重力レンズ効果が起こるが、このさいには観測量に奇パリティ成分が生じる。このため、奇パリティ成分の測定からこれらを検証できる可能性がある。また、奇パリティ成分が存在しない場合でも、系統誤差の確認という観点で奇パリティ成分の測定は有用である。本論文では、重力レンズ効果における観測量である曲がり角および像の歪みを、偶・奇パリティ成分を両方包含した場合に議論を拡張し、重力場と関連付ける式の導出を行った。また、これを基に、フーリエ空間での二点相関関数である角度パワースペクトルの表式を導出した。さらに、CMB および銀河の将来観測(Planck、ACTPol(CMB 観測)やHSC(銀河サーベイ)など)を念頭に置き、偶パリティを用いたニュートリノ質量の制限可能性、および奇パリティ成分を用いたインフレーション起源の重力波、特定のモデルを仮定した宇宙紐の検証可能性について見積もりを行った。結果、弱い重力レンズの偶パリティ成分を利用したニュートリノ質量和の決定精度の見積もりでは、質量和を0:1 eV と仮定した場合、約2σで質量の無い場合を棄却できる可能性を示した。また、奇パリティ成分を用いることで、特定の宇宙紐のモデルに対して検証できる可能性を示した。

(2) CMB の弱い重力レンズ測定における、曲がり角の偶・奇パリティ成分の推定法

従来、CMB の弱い重力レンズ測定では、曲がり角の偶パリティ成分を測定する手法は存在したが、奇パリティ成分の測定手法は経験的に導かれたものしかなかった。また、偶パリティ成分を推定する手法は、奇パリティ成分が存在する場合にはバイアスされると主張されていた。そこで、本論文では、偶、奇パリティ成分が両方存在する場合に、それぞれの成分をバイアスなく測定可能な手法を導出した。結果、偶パリティ成分の推定法は以前の方法でバイアスなく推定できることが分かり、また奇パリティ成分の推定法は経験的に導かれたものと一致することが分かった。本論文で導出された手法は最尤推定法の観点からも自然に導けること示した。さらに、偶パリティ、奇パリティ成分の推定量から、それらの角度パワースペクトルを推定する方法について議論を行った。

(3) CMB の弱い重力レンズ測定において、点光源マスク等によるバイアスの影響を抑える手法の構築

今後宇宙論を観測的に検証していく上で大きな課題となっているのは系統誤差の影響である。系統誤差が存在することで推定値を誤り、事実と相反する結果を導きかねない。例えば、銀河の数密度を用いる場合、宇宙論的に興味のある全物質の揺らぎを銀河の数密度揺らぎと関連付けて推定している。しかし、実際に見ているものは銀河であり、それがどのように全物質揺らぎと関連付くのか正確に理論予言を行うことは困難である。このため、銀河の数密度揺らぎを今後の宇宙論的検証へ応用することはこの不定性のため難しくなる。これに比べ、重力レンズ効果は直接物質が作る重力場により引き起こされるため、この不定性がなく、よりクリーンな情報だと考えられている。

しかし、弱い重力レンズ測定においても、系統誤差に関連していくつかの課題が残っている。CMB の弱い重力レンズ測定では、重力レンズを受ける前の揺らぎは統計的にガウス分布に従うことを仮定している。点光源の寄与を抑えるためのマスクの存在、検出器由来のノイズが空間的に一様でないなど、これらが原因となって重力レンズの推定量がバイアスされることが指摘されている。今後の測定では検出精度が上がり、これらの系統誤差が大きな問題となるため、これらを抑制する方法を構築しておく必要がある。

本論文では、従来に比べS/N の面で若干劣るものの、従来の手法では取り除くことが困難であった点光源マスク、非一様ノイズ等から生じる系統誤差の影響を受けず、より確実性のある推定法を提案した。モンテカルロ・シミュレーションにより生成したCMB マップを用いて提案した手法のテストを行い、大角度スケールでのバイアスをうまく取り除けることを示した。さらに、提案した推定法を実データに適用し、曲がり角の角度パワースペクトルの測定を行い、モンテカルロ・シミュレーションを用いない我々の方法で測定した結果は従来の手法で推定された結果と無矛盾となることを示した。

図1: CMB の揺らぎのパターンが重力レンズにより歪む様子。黄点線の方向から到来し観測された光子は、晴れ上がりの時点では黒矢印だけシフトした点で放たれたものであり、その結果、パターンが歪められる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、7章からなり、第1章は序章として、最近の宇宙論的観測の精密化とその中での弱い重力レンズの観測の位置づけと意義が述べられ、本研究の物理的動機付けがなされている。

第2章では、3章以降に関連する宇宙論の基礎的事項とマイクロ波宇宙背景放射(CMB)の非等方性の生成とその観測についてまとめられ、本論文のテーマであるCMBと銀河像の弱い重力レンズ効果についてレビューされている。

第3章からが論文提出者の研究に基づく結果が述べられている。まず、重力場にスカラー、ベクトル、テンソル摂動が存在する場合において、CMBの光の軌道が重力レンズ効果によって曲げられる角度や銀河の像の歪みといった観測量と重力場の摂動を関係づける式の導出が行われている。論文提出者は、これまでの研究で主に考えられてきたスカラー摂動では偶パリティをもった観測量だけしか生じないが、ベクトル、テンソル摂動では奇パリティ成分も生じることに着目し、観測量が偶・奇パリティ両方を含んだ場合に従来の議論を拡張し、定式化を行っている。

第4章では、第3章で導出された表式を基にFisher解析を用いて、偶パリティ成分を利用したニュートリノ質量の制限の可能性、さらに、奇パリティ成分を生み出すインフレーション起源の重力波や大統一理論・超弦理論で予言される宇宙紐の検証可能性について述べられ、ニュートリノの質量和が0.1eVであれば2σレベルで質量のない場合を棄却できること、重力波については検出が容易でないが、宇宙紐に関しては将来の観測で検証できる可能性があることが示されている。

第5章では、CMBの重力レンズによる曲がり角が偶・奇パリティ成分両方を含む場合にそれぞれの成分を推定する手法が導出されている。従来、CMBの弱い重力レンズ測定では曲がり角の偶パリティ成分を推定する手法は存在したが、奇パリティ成分の推定は経験的に導かれたものしかなく、また、偶パリティ成分の推定法は奇パリティ成分の存在によってバイアスされると考えられていたが、論文提出者はそれぞれの成分をバイアスなく独立に推定できることを示している。この章ではさらに偶・奇パリティの推定量から、角度パワースペクトラムを推定する方法が述べられている。

第6章では、CMBの弱い重力レンズ効果によるレンズ場の推定の新たな手法が述べられている。CMBの弱いレンズ測定では温度揺らぎの異なるフーリエ成分の相関を見ることでレンズ場を推定するが、この相関は有限観測領域や点光源マスク等の様々な効果でも生じ、推定量がバイアスされる。そこで、論文提出者はこれらのバイアスを抑制するように従来の推定法を改良した新たな手法を提案している。さらに、提案した推定法を実データに適応し、曲がり角のパワースペクトルの測定を行い、偶パリティ成分に関しては従来の手法と無矛盾な結果が得られ、奇パリティ成分に関してはゼロと無矛盾な結果が得られることを示している。最後に、第7章で本論文のまとめが述べられている。

このように本論文は弱い重力レンズを用いた将来の精密測定を見据えて、観測量と重力場の摂動を関係づける包括的な定式化を行い、観測データから重力レンズ効果を推定する手法の開発とその有効性についてまとめたもので、その学問的意義は高いと考えられる。なお、本論文3章以降6章までが論文提出者の研究に基づいて書かれており、樽家氏(第3、4、5章)、山内氏(3、4、5章)、高橋氏(6章)、Hanson氏(6章)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク