学位論文要旨



No 128953
著者(漢字) 堀,泰斗
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,ヤスト
標題(和) LHC-ALICE実験における重心系エネルギー2.76TeV鉛鉛衝突実験での方位角多粒子相関の測定
標題(洋) Mixed harmonic azimuthal correlations in √SNN=2.76 TeV Pb-Pb collisions measured by ALICE at LHC
報告番号 128953
報告番号 甲28953
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5930号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 櫻井,博儀
 東京大学 准教授 山下,了
 東京大学 講師 山口,英斉
 東京大学 教授 初田,哲男
内容要旨 要旨を表示する

QCD によれば通常クォークはハドロン内に閉じ込められているが、エネルギー密度約1GeV/fm3 以上の高温高密度状態では閉じ込めの破れとカイラル対称性回復が起き、クォークグルオンプラズマ(Quark Gluon Plasma、以下QGP)相になると考えられている。QGP相は相対論的重イオン衝突直後に実験的に生成されうると考えられる。図1のような重イオン周辺衝突では、生成粒子の方位角分布は非等方的(楕円的)である。このフーリエ2次非等方性は方位角多粒子相関の方法で実験的に測定できる。実験値は、「格子QCD 計算によって計算されたQGP の状態方程式」を用いた相対論的完全流体モデルの予想と良く一致する。

通常の流体モデルでは、「生成粒子同士の弾性散乱の確率が系の膨張によって無視できるようになった温度」、つまり運動量凍結温度まで系の温度が下がった時点で、流体的描像から粒子的描像に移る。このとき、図2に示したように粒子-反粒子のペアを同じ時空点から放出する、つまり実効的にLocal Charge Conservation(LCC)を課すとする。すると、最終的に測定される粒子-反粒子間に強い相関(LCC 相関)がみられることが予想される。電荷依存型の方位角多粒子相関によって「粒子-反粒子間の相対的な方位角分布」を定量化し、LCC 相関を研究することができる。

本論文は2010年11月にスイス・ジュネーブにある欧州原子核機構(The European Organization for Nuclear Research、CERN)研究所にある大型ハドロン加速器(Large Hadron Collider、以下LHC)とALICE実験による検出器群を使って行われた、核子あたり重心系エネルギー2.76TeV鉛鉛重イオン衝突実験における方位角多粒子相関の測定に関する論文である。方位角多粒子相関の電荷依存性の測定により、LCCが運動量凍結面上において実効的に成り立っていることを実証した。

図3に相関量 Δ<cos(φα-φβ)>の衝突中心度依存性を示す。ここでφは生成された粒子の方位角、αとβは粒子の電荷、<..>はすべての衝突イベントにおけるすべての生成粒子のペアでの平均を意味している。Δ<..>はαとβが異符号の場合から同符号の場合を引いたものを意味する。衝突中心度0%で衝突インパクトパラメタが0になり、衝突中心度が大きくなるほど重イオン同士がかするような周辺衝突である。この相関は、粒子-反粒子間の方位角方向の"距離"に反比例している(つまりLCC相関の強さに比例している)と考えられる。LCC相関を含まない流体モデルでは当然この相関量は0となるが、実験値はすべての衝突中心度において正である。系の流体的膨張を考慮にいれていないHIJINGモデル(グリーンの点線)ではこの"距離"が大きく、実験データを再現できない。一方、流体的膨張と運動量凍結面におけるLCCを考慮にいれたLCCブラストウェーブモデル(流体モデルの一種)では再現できる。図3のσφはモデルのパラメタで、運動量凍結面上の粒子-反粒子間の距離に対応する。σφ=0.5はハドロンのフォーメーション時間程度の距離に対応し、運動量凍結面においてほぼ完全な実効的LCCが実現していることを示唆している。

粒子-反粒子間の方位角方向の"距離"は、運動量凍結面が非等方的方位角分布を持つと、ペアの方位角に依存した変調を受ける。図4左に示すのは、運動量凍結面がフーリエ2次の非等方性を持つ場合に、粒子-反粒子間の"距離"が変調を受けている様子である。これを一般化すると、運動量凍結面のフーリエ高次の非等方性も"粒子-反粒子間の相対的な方位角分布"に方位角方向変調を及ぼすと予想される。そのようなフーリエ|m|次の非等方性とLCCによる効果は方位角多粒子相関量Δ<cos[φα-(m+1)φβ+mψ(RP)]>で実験的に観測できると提案した。図5がLHC-ALICE実験における測定結果と、LCCブラストウェーブモデルによる理論予想との比較である。一連の相関量が非常に良くモデルと一致している。したがって、やはりこの測定結果も運動量凍結面上でのほぼ完全なLCCが成り立っていることを示唆している。

運動量凍結面上でのほぼ完全なLCC相関のミクロスコピックな起源を考えること自体大変物理的に興味深い。そのためには、QGP相からハドロン相への相転移直後に粒子描像に移るような流体計算に、LCCを課し、またその後の粒子間相互作用を考慮にいれた理論モデルの構築が必要不可欠である。そのような半ミクロスコピックなモデルにより、運動量凍結面上での粒子-反粒子間の強いLCC相関が、粒子間の非弾性散乱の結果なのか、それ以前の相転移によるハドロン化の時点で作られたLCC相関が生き残って見えているのか、という議論が可能になる。

図5のm= - 2の相関量(<cos(φα+φβ-2ψ(RP))>)は、もともとはカイラル磁気効果(Chiral Magnetic Effect、以下CME)の探索のために提案されたものである。相対論的重イオン衝突後の高温下または非平衡状態ではグルオンの特異な配位(スファレロン)が量子異常を通してクォークと相互作用し、結果として局所的にパリティとチャージパリティを破る可能性のあることが議論されている。このパリティ破れを持つ領域が、反応平面に垂直に生成される非常に強い磁場(図1の橙色矢印)と組み合わさることで、正電荷と負電荷の粒子が磁場の軸上逆向きに放出されると予想される。この予想がCMEである。CMEによって反応平面に垂直に電流が流れると、

となると予想される。ここで「opp.」(「same」)のラベルはαとβが異符号(同符号)の電荷ペアの相関量である。したがって、CMEによってもΔ<cos(φα+φβ-2ψ(RP))>が正値であることが予想される。

CME探索は、はじめ米国ブルックヘブン研究所のRHIC加速器とSTAR実験の検出器群を使った核子あたり重心系エネルギー200GeV金金重イオン衝突実験において行われ、QCD局所パリティ破れの証拠として注目を浴びた。また、CMEが起こるにはカイラル対称性回復が必要なので、CMEの発見はQGP相ができてカイラル対称性が回復していることの証拠ともいえる。図6の星印がRHIC-STAR実験の結果である。異(同)電荷ペア相関量が中心衝突以外のほぼすべての中心度の衝突で正(負)となる。これはCMEの予想に一致する。また、その相関の強度もCMEの理論的な予想とオーダーで一致している。図6の丸印がALICE実験での結果である。RHIC-STAR実験の結果とほとんど変わらず、やはりCMEの予想と定性的に一致している。

一方で、図5で見てきたように、相関量Δ<cos(φα+φβ-2ψ(RP))>は「LCCと運動量凍結面のフーリエ2次非等方性が組み合わさった効果」によってほとんど説明できてしまう。従って、LCC効果がCME探索に対するバックグラウンドとしてかなり寄与することになる。今後、より精密なLCC流体モデルの構築により、精密にLCC効果によるバックグラウンドを評価し、これを測定値から差し引くことが最終的なCME探索に必要不可欠である。

最後に、図6青バンドが示すように相関量Δ<cos(φα+φβ-2ψ(RP))>の電荷非依存部は負であった。CMEの観点からは、これはパリティ破れの領域とQGP物質が相互作用して異電荷相関量が抑制されほぼ0になった結果と考えられる。一方で、「系全体の横運動量保存則による効果」あるいは「粒子方位角分布のフーリエ1次非等方性と高次非等方性の相関」による電荷非依存部がCME以外の解釈として考えられる。前者の効果は非常に小さいことを半解析的な方法で示した。また、後者でも現在の流体モデルではこの電荷非依存部が説明できないことを示した。付随して、このような方位角多粒子相関で測定されるフーリエ1次非等方性が系の流体的運動に由来している可能性を理論との比較により議論した。

図1:衝突関与部(赤色)の方位角分布が非等方的に流体発展(灰色の矢印)2つの原子核の傍観部が青色

図2:相対論的重イオン衝突後の系の時空発展。流体的描像(青まで)から自由粒子ガス描像へ移る「運動量凍結面」において、粒子-反粒子の間に強いLCC相関が存在している場合の図。

図3:方位角相関△〈cos(φα-φβ)〉の衝突中心度依存性。HIJINGモデルとLCCブラストウェーブモデルの予想の比較

図4:2次非等方的方位角分布をもった運動量凍結面上においてハドロン(青矢印)と反ハドロン(赤矢印)が空間的・運動量空間的に強く相関しているとすると:(左)反応平面内のペアは最終的な相関が強くなり、反応平面外のペアの相関は弱くなる。(右)あるハドロンの対になる反ハドロンは反応平面側に見つかる確率が高くなる。

図5:方位角相関Δ<cos[φα+φβ-2ψ(RP)]>の衝突中心度依存性とLCCブラストウェープモデルの予想の比較。

図6:方位角相関<cos(φα+φβ-2ψ(RP))>の衝突中心度依存性(丸印:LHC-ALICE、星印:RHIC-STAR)。赤線は同符号電荷ペアの相関に対する理論モデル予想。青バンドはLHC-ALICE実験での電荷非依存部。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は英文で書かれ、本文7章と補章10節から構成されている。第1章は序論で、この研究の背景特に高エネルギー原子核衝突実験によるクォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)研究と、本論文の動機がまとめられている。第2章はこの研究の目的である、方位角多粒子相関について詳しく述べている。第3章では、本論文のデータ収集に用いられたLHC加速器におけるALICE測定器、特に解析に重要な役目を果たすタイムプロジェクションチェンバー(TPC)と、前方粒子多重度測定器(FMD)、及び解析に使用したデータ収集条件についてまとめている。第4章でデータ解析の詳細が述べられ、第5章で実験結果と、その物理的意味が議論されている。第6章は論文のまとめと今後の課題にあてられ、補章で解析の詳細等が補足されている。

この論文の主題は、CERN研究所のLHC加速器での核子あたりの重心系エネルギー2.76TeV (2.76×10(12)eV) の鉛+鉛 原子核衝突において、衝突関与部から多重発生する荷電粒子の、反応平面からの生成方位角分布の非等方性の測定と、その物理的意味である。LHC加速器は2010年に稼働を開始した世界最高エネルギーの衝突ビーム型加速器で、本論文で用いた実験データは、LHCに設置された大型測定器ALICEを用いて2010年に収集された。

量子色力学QCDによれば、原子核を十分に高いエネルギーで衝突させると、陽子・中性子・π中間子などからなる核物質から、クォークとグルーオンからなる新たな高温物質相「クォーク・グルーオン・プラズマ」(QGP)に一時的に転移すると考えられている。衝突で高温になるのは、二つの原子核が重なった衝突関与部である。衝突直後は生成粒子の平均自由行程が系のサイズより十分に短く、衝突関与部は流体的に膨張する。その後、膨張が続いて温度が下がると、平均自由行程が系のサイズを超える。この時の温度を凍結温度と呼び、その時点での流体表面を「運動量凍結面」と呼ぶ。

一方、原子核のうち衝突に関与しなかった部分は前後方に飛び去り、粒子を多重発生する。前後方に設置した測定器でそれらの粒子を捉えることで、反応平面を決めることができる。

生成関与部から生成する粒子の方位角(反応平面から測った角度)分布は非等方的(楕円的)であることが既に知られているが、その際、運動量凍結面上の同一の時空点から、粒子と反粒子が対になって発生する確率が高いのではないかと、論文提出者は考えた。そこで本研究では、粒子の電荷を識別して、正電荷粒子と負電荷粒子の間の相関(実効的な局所電荷保存 Local Charge Conservation (LCC))の有無を実験的に調べた。

そのために測定したのが、相関量Δ<cos(φα-φβ)>である。ここでφは生成粒子の方位角、αとβは粒子の電荷、<...>はすべての衝突事象における全粒子対での平均、Δ<...>はαとβが異符号の場合から同符号の場合を引いた結果を意味する。この相関量は、粒子-反粒子間の方位角方向の"距離"に反比例しており、LCC相関が無ければ当然0になるべき量である。

実験結果から、衝突パラメタが大きくなる(衝突時の原子核の中心間距離が大きくなる)にしたがって、相関量が大きくなる(粒子-反粒子間の方位角方向距離が小さくなる)ことが見出された。また、流体的に膨張した衝突関与部の、運動量凍結面上で、LCCが成り立つと仮定したモデル(LCCブラストウェーブモデル)を用いると、実験で観測された相関が再現できることが示された。

このように、この博士論文は最高エネルギーの原子核衝突実験で、局所電荷保存(LCC)に起因すると考えられる相関を初めて観測したものである。その起源の微視的理解は今後の研究の課題であるが、このような相関の存在可能性を発想し、解析手法を確立し、相関が存在することを示したのは、この研究が初めてであり、独自性は非常に高い。実験はALICEという大きな国際研究グループで行われたものであるが、論文申請者は本研究を発案し、本論文に記載されたすべての解析を行った。また、本論文の内容を申請者の学位申請論文とすることについては、共同研究者の同意を得ている。このことから、本人の寄与が十分あり、博士号を授与するのに十分な内容であると、審査員一致で判定した。

UTokyo Repositoryリンク