学位論文要旨



No 128965
著者(漢字) 槇坪,宏展
著者(英字)
著者(カナ) マキツボ,ヒロノブ
標題(和) 高感度テラヘルツ波帯天文観測に向けたサブ波長構造を有した単一材料シリコンによる多層干渉光学フィルター
標題(洋) All-silicon multi-layer interference optical filter with sub-wavelength structure toward high-sensitivity terahertz-wave astronomical observation
報告番号 128965
報告番号 甲28965
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5942号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,行泰
 東京大学 教授 常田,佐久
 東京大学 准教授 宮田,隆志
 東京大学 准教授 関本,裕太郎
 東北大学 教授 羽根,一博
内容要旨 要旨を表示する

我々は、テラヘルツ波帯において高性能かつ耐環境性能に優れた光学フィルターの実現に向けて、単一材料シリコンのみによる多層干渉フィルターという新たなコンセプトを提案した。本論文では、コンセプトの理論的検証、3層構造での製作実証、コンセプトの3層構造での実験的検証について述べる。

テラヘルツ波帯(ν=1-10THz i.e.λ=30-300μm)は、例えば星形成銀河など、ダストに覆い隠された天体が最も明るく輝く波長帯域である。したがつて、可視光ではダストの吸収により観測ができない天体をテラヘルツ波帯では観測することができ、星形成銀河や生まれたての星といった重要な科学観測テーマをテラヘルツ波帯天文学によつて開拓することができる。しかしテラヘルツ波帯の光は地球大気の吸収により地上望遠鏡では観測することができなかつたため、可視光や近赤外線波長域に比べ研究は進まなかった。ここ最近20年程になってきて、ようやく人工衛星や気球からのテラヘルツ波観測が行われるようになり研究は進んできた。例えばあかり衛星では赤方偏移z=1.5までの宇宙の星形成史、すなわち銀河がどの時代で多く形成されてきたのかが明らかになった(Goto et al.2010)。しかしながら波長28μmより長い波長域では、検出器やフィルターの開発が遅れていたため、高感度の天文観測は行われていない。次世代の冷却赤外線宇宙望遠鏡SPICAでは、波長38μmまでの波長帯域をカバーする高感度かつ高素子数(1K×1K ピクセル)の検出器が搭載されるため、あかりでは観測できなかった赤方偏移z=4までの宇宙の星形成史が解明されると期待される。しかし依然としてバンドバスフィルター等の光学フィルターの開発が遅れている波長帯域であり、テラヘルツ波帯での高性能フィルターの開発が望まれる。また高感度のテラヘルツ波帯天文観測のためには、フィルター自身からの熱背景放射を低減する必要があるため、フィルターは極低温環境下(<10K)で使用される。すなわち常温から極低温への熱サイクルに対する耐環境性がフィルターに要求される。さらにSPICA望遠鏡の場合は、真空チャンバーによつてフィルターが保護されないため、ロケット打ち上げ時の強い音響振動と急速減圧にフィルターが耐える必要がある。

上記の課題を解決するため、我々は単一の材料で多層干渉フィルターを構成することを提案する。その際、干渉効果を生むために必要な屈折率の異なる層の実現には、サブ波長構造を導入し構造(空隙率)により制御する。このフィルターの大きな利点としてまずは耐環境性に優れていることが挙げられる。単一の材料でフィルター全体を構成することで、フィルター全体で熱膨張係数が同じになり、熱サイクルを与えてもフィルター全体が同時に伸び縮みするだけで、従来の異種材料のような熱膨張係数の差による膜剥離の危険性からは解放される。さらにアィルターの基板を厚くすることで、音響振動や急速減圧による衝撃に強い構造とすることが可能である。テラヘルツ波帯でのフィルターの材料としては、シリコンという最適な解がある。シリコンは波長3帥皿より長い波長域においては吸収がほばなく、高い透過率を持つたフィルターが実現可能となる。さらに物理化学的にも安定な材料であり、かつサブ波長構造の形成に必要な微細加工の技術も産業的に十分に発達している。本論文では、このように高性能かつ優れた耐環境性が期待される単一材料多層フィルターが、多層薄膜干渉フィルターとして機能するというコンセプトの検証を、理論計算、製作実証、実験的検証の順に行つた。

まず初めに、我々のコンセプトすなわち、単一材料多層フィルターが多層薄膜フィルターとして機能するかどうかを電磁場シミュレーションにより検証した。我々は周期構造体において厳密な解が得られるRCWA ttgorous coupled‐wave analysis)法を用いて計算を行つた。例として3層構造の単一材料フィルターを考え、2つのサブ波長構造層の穴の相対位置を様々に変化させて計算を行つた。その結果は計算精度(1%)の範囲内で一致し、穴の相対位置はフィルターの特性には影響を与えないことを確かめた。また遠方解での電磁場分布も計算し、サブ波長構造によつて波面が乱れないことを確認した。さらにサブ波長構造層をある屈折率を持った薄膜に置き換えた計算(単純薄膜計算法)でも3層フィルターの透過特性を計算し、その結果は電磁場シミュレーションによる厳密な計算解と一致した。すなわち単一材料多層フィルターが多層薄膜干渉フィルターとして機能することを理論的に実証した。

次に実際に多層構造が形成可能かどうか確かめるため、最初のステップとして3層構造の製作実験を行つた。3層構造は我々が提案する製造法の1サイクルで作れるため、3層で製作実証すれば原理的にはより多層の構造でも製作することが可能だと考えられる。製作実験は特別な研究開発の要らない一般的なMEMS(micro‐electro‐mechanical systems)技術を組み合わせてインハウスで行った。まずフォトリソグラフィー及び反応性イオンドライエッチングを用いて、サブ波長スケールの円柱穴が周期的に並んだ構造を製作した。次に表面活性化常温ウェハ接合技術を用いて、接着剤を用いずにシリコンウェハとサブ波長構造を加工したシリコンウェハを張り合わせた。そして、ダイヤモンド微粒子を用いた研磨機によって接合したウェハを薄くしていき、フィルター設計から要求される厚みになるまで薄膜化を行つた。最後に将来のウェハ接合(さらなる多層化)のために、薄膜化した表面を化学機械研磨(CMP;chemical mechanical polishittg)により鏡面化処理を行った。以上の1サイクルプロセスで2層構造を製作実証した。我々はさらにフォトリソグラフィー、 ドライエッチングを行つて3層構造(2つ目のサブ波長構造層)も製作した。図1に製作した3層構造単一材料フィルターの走査型電子顕微鏡(SEM;scanning‐electronmicroscope)画像を載せる。

続いて、製作した3層フィルターの波長透過特性の測定を行った。測定にはアーリエ変換赤外線分光器を用いた。測定環境は、真空(く0.3 Torr、常温(~ 300K)である。また図1のSEM画像より実測した穴の径、構造の周期、そして各層の厚みを用いて、3層構造の計算モデルを作りRCWA及び薄膜計算法にようて理論透過率値を計算した。図2に測定された波長透過特性、並びに理論計算値を載せる。両者はほぼ測定エラーの範囲内で一致している。特に、波長透過特性が山谷のピークを持つ波長位置が、実測と計算の両者で良く一致した。すなわち、作製した3層構造単一材料フィルターが3層薄膜干渉フィルターとして機能していることを実験的に明らかにした。

以上から本論文では、単一材料多層フィルターが多層薄膜干渉フィルターとして機能することを理論と実験の両面から明らかにした。そこで次に、実際の天文観測応用に可能なスペックを持つたフィルターの設計を行い、その理論的な振る舞いを調べた。さらに各干渉層の穴径および厚みに誤差を与え、それがフィルター特性に与える影響を調べた。そして、我々の3層製作実験での製造誤差および現在の微細加工技術で到達可能な製造誤差との比較を行い、単一材料多層干渉フィルターが実用応用可能かどうか検証を行った。その結果、我々の3層実験では、サブ波長構造層の厚み・穴径については許容誤差を満たすことが確かめられたが、バルク層は厚みがアィルター全体に渡って大きく傾いており、実用フィルターヘの要求範囲には収まらないことが分かつた。そこで我々はこの解決法として新たにSOI(silicon- on‐insulator)ウェハを用いる方式を提案した。SOIウェハとはシリコン基板上にシリコン酸化膜の絶縁膜があり、さらにその上にバルクシリコンの薄膜が載った構造のウェハである。この最上層のシリコン層は、膜厚が非常に均一(厚み誤差±10nm程度、スマ‐トカット法で製造された場合)であり、実用フィルターヘの要求範囲に十分に収まる。したがつて、現在の産業応用されている最先端技術を持ってすれば、単一材料多層干渉フィルターによつて非常に高性能な波長透過特性を持ったバンドパスフィルターを実現することが可能である。図3に我々が製作した3層フィルターを仮に18層まで多層化した場合の波長透過特性の理論計算結果を載せる。テラヘルツ波帯において、このような90%超の透過率を持ち、かつ急崚な矩形構造の波長透過特性を持ったフィルターはこれまでに例がなく、我々の単一材料多層干渉フィルターが実現されれば、テラヘルツ天文学に非常に大きなインパクトを与えることができる。

図1: 作製した3層フィルターのSEM画像

(a)(b)断面を斜めから見た画像、(c)鳥蹴画像、(d)断面画像

図2: 3層アィルターの波長透過特性

赤線:実測値、青線:RCWA法での計算値、緑線:薄膜計算法での計算値

図3: 18層フィルターの理論波長透過特性

波長30μm及び波長300μm帯の長波長透過フィルターを例として挙げている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、現状では製作が困難な30μmを越える波長域での高い性能の光学バンドパスフィルターが、新たな技術を導入することにより実現できることを示した開発研究であり、このフィルターは計画中の冷却赤外線望遠鏡SPICAへの搭載などの期待がかけられる。30μmを越える波長域では、適切な材料が存在しないことから、これより短い波長域で行われている干渉フィルター製造技術を適用することが困難である。本論文では単一材料としてのシリコン結晶材料に波長よりも小さな空隙構造を設けることにより、原材料よりも屈折率が小さな光学材料が製作できることを示し、さらに、これらを用いて多層膜構造を形成することにより、高性能な光学フィルターが実現できること示した。こうして作られたフィルターは、高い透過率と急峻な矩形状の波長透過特性を備えて光学フィルターとしての特性は極めて優れたもので、充分な耐冷却性能や打ち上げ時の大きな重力加速度、急激な圧力変化に耐えられるなどの衛星搭載のための条件も満足する。

本論文は六章からなり、第一章はイントロダクションとして、30μm超波長帯での天文学、さらには既存のフィルターとその製作技術の現状、求められるフィルター性能とそれを実現できるサブ波長構造をもった干渉フィルターの原理・概要についてが述べられている。第二章では、サブ波長構造を持ったシリコン構造体の有効屈折率を評価するために、構造の周期性を利用した、厳密結合波解析を用いた電磁場シミュレーションを行った。サブ波長構造をある屈折率を持った単一材料に置き換えて、標準的な薄膜設計手法を用いて三層膜フィルターの光学透過特性を計算し、これが厳密解と良く一致することを確認した。

第三章では、サブ波長構造を持った、三層膜フィルターの製造手法が示される。半導体の製造に一般的に利用される技術をベースにしたもので、フォトレジストにパターンの露光、ドライエッチング、シンニングなどを繰り返し、サブ波長サイズの円柱状穴構造の多層膜を形成する。ほとんどの作業を論文提出者がインハウスにおいて行ったもので、基本となる三層膜からなるフィルターを製作した。より高い性能を得るためにはより多層の干渉膜を構成する必要があるが、三層膜の製作技術をくりかえすことで、これは実現可能である。 第四章では、製造された多層膜フィルターの透過率の測定、透過特性の一様性の測定などを行い、フィルターとしての機能が実際に実現されていることが示される。電子顕微鏡によって得られた画像には、見事な円柱状のサブ波長構造が現れる。

第五章では、SPICA搭載性能を想定し、18層の干渉フィルターの設計が示される。より多層の干渉膜を用いてフィルターを製作するためには、それぞれの膜の製作精度を高める必要があるが、そのための現実的な解決策として、絶縁膜を内包したシリコンオンインシュレーターウェハを採用するなどの手法を提案した。最後の第六章は結論にあてられている。

以上のように、本論文はサブ波長構造を用いることにより、シリコンという単一材料を用いながら実質的な屈折率を制御し、多層膜干渉フィルターが実現できることを、理論的かつ実験的に実証したものである。これにより、既存技術では、実現できなかった30μm波長帯における、より高性能なバンドパスフィルターが製作できる見通しがたったと言える。アイデア自体は以前からあったものであるが、本論文申請者により、新たに設計手法、製作技術が確立された。いずれも実験により、実現性が高いことが実証されており、SPICAなども含めて、将来の赤外線天文学に大きく貢献する成果であると認められる。

なお本論文は和田武彦、三田信、鈴木仁研との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、開発、研究を進めたものと認められ、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、審査委員の全員一致により合格と判定し、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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