学位論文要旨



No 128971
著者(漢字) 永井,平
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,タイラ
標題(和) 潮汐起源の渦に伴う豊後水道内の乱流混合の定量化とその急潮現象に果たす役割の評価
標題(洋) Evaluation of turbulent mixing associated with tidally induced eddies in the Bungo Channel and its impact on sporadic Kuroshio-water intrusion (kyucho)
報告番号 128971
報告番号 甲28971
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5948号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安田,一郎
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 准教授 羽角,博康
 東京大学 准教授 伊賀,啓太
 東京大学 准教授 東塚,知己
内容要旨 要旨を表示する

1 背景

瀬戸内海と太平洋とをつなぐ豊後水道の東岸では, 黒潮起源の暖水塊が沿岸密度流として北上し, 海域内の海況が短時間内に急変する「急潮現象」が発生することが古くから知られている。特に, 豊後水道東岸の宇和島湾では, 急潮に伴う水温上昇が最大で5 ℃/day にも達し, 周辺の養殖業に甚大な被害を与えることが報告されている。

豊後水道内における急潮現象の発生時期は夏季の小潮時に集中しており, その顕著な周期性から冬季や大潮時に強化される鉛直混合との関連性が指摘されている(Takeoka et al., 1993)。しかし, これまで豊後水道内における鉛直混合強度の見積もりは行われておらず, その時空間分布はおろか, オーダーすらわかっていないのが現状である。

そこで, 本研究では乱流直接観測と数値モデルの両面から豊後水道内における潮汐起源の乱流混合強度の定量化を図るとともに、得られた乱流混合場の情報を反映させた急潮再現実験を行うことで, 豊後水道内における急潮の発生/抑制の物理機構を議論した。

2 豊後水道内における乱流混合強度の定量化

2.1 豊後水道内における乱流直接観測

2.1.1 観測概要

2012 年8 月20 日(大潮)と9 月10 日(小潮), 愛媛大学沿岸環境科学センターの協力の下, 豊後水道内の宇和島市日振島沖(132.210 °~132.251 °E, 33.175 °N)の5 点(S1~S5)で, 浅海用乱流計TurboMAP5(九州大学応用力学研究所所有)を使用した合計60 キャストの乱流観測を行った。鉛直混合強度の指標である鉛直拡散係数KV は, 乱流観測から得られたエネルギー散逸率ϵ と成層強度N をOsborn (1980) の式

に代入することにより見積もった。ここで, 混合効率Γ = 0.2 とした。

2.1.2 結果

乱流観測から得られた鉛直拡散係数を図1 に示す。大潮時には, 日振島に近い測点S4, S5 でKV ~ 10(−2) m2 s(−1) に達するような非常に強い鉛直混合が観測された。観測した5 点における鉛直拡散係数の平均値は大潮の上げ潮時でKV (MEAN) ∼ 9.7 × 10(−4) m2 s(−1), 下げ潮時で~ 9.6 × 10(−4) m2 s(−1), また, 小潮の上げ潮時で~ 1.4 × 10(−4) m2 s(−1), 下げ潮時で~ 0.5 × 10(−4) m2 s(−1) となり, 大潮時と小潮時でおよそ1 オーダーの隔たりがあることが明らかになった。

2.2 高解像度数値モデルを用いた豊後水道内の乱流混合強度の見積もり

豊後水道内で観測された強い乱流混合の発生機構を調べるため, 上述の観測結果をもとに高解像度, 非静力モデルを用いた潮汐混合のシミュレーション実験を行った。

2.2.1 数値モデル

本研究ではMITgcm を用いて数値実験を行った。支配方程式はブシネスク近似を施した回転系の三次元非静水圧(Navier-Stokes) 方程式である。潮汐混合過程を再現するため, 計算領域は急潮が発生する豊後水道東岸のみとし, 水平解像度は~100 m, 鉛直解像度は3 m とした。水平境界条件として, 別途順圧潮汐モデルを用いて計算した海面変位と水平流速を与えた。初期条件として, 上述の観測から得られた温度, 塩分場を理想化したものを設定し, 大潮, 小潮それぞれのケースについて観測日を含む4 潮汐周期( 1 潮汐周期= 12.41 時間)にわたる計算を行った。

2.2.2 結果

数値実験から得られたエネルギー散逸率をそれぞれの潮時において観測値と比較した結果, その違いは最大でも3 倍程度に収まっていたことから, 本数値実験の乱流場の再現性が確認された。図2 に下げ潮時における水深平均のエネルギー散逸率と順圧流速を示す。大潮時には潮汐流の風下側の島陰に旋衡風バランスを満たす直径1 km 程度の小規模渦が発生し,その付近で特に大きなエネルギー散逸が見られる。このことから, 豊後水道東岸の複雑な海岸地形と潮流との相互作用により励起された小規模渦が豊後水道東岸に強い混合域を形成していると考えられる。この多島海域において流速場に対し潮汐平均(25 時間平均)を施すと, 直径5 km 以下の「潮汐残差流渦」が見られるが, これによって強化される「水平混合過程」も, 急潮の抑制過程にとって重要な役割を果たす可能性がある。この潮汐残差流渦は従来の解像度1 km 程度の数値モデルでは満足に再現できない。

3 急潮再現実験

第2 節において再現された鉛直混合や潮汐残差流渦が急潮に与える影響を調べるために, 上述の数値モデルを用い「急潮再現実験」を行った。ただし, 急潮(密度流)を発生させるため, 豊後水道南部の表層48 m の水温を30 ℃ に緩和した。小潮時と大潮時, それぞれのケースについて9 日間の計算を行った。

3.1 結果

図3 a, b はそれぞれ小潮時, 大潮時の「急潮再現実験」から得られた, 計算開始8 日後の海面水温・流速(潮汐平均場)である。大潮時には暖水は複雑な海岸地形を持つ豊後水道東岸を通り抜けることができないのに対して, 小潮時には暖水が強い流速を伴いながら, 豊後水道東岸を北上し, 宇和島湾に侵入していく急潮現象が再現された。また, 宇和海において, 小潮時(青実線)には半日の間に2 ℃ 程度の急激な水温上昇がみられるが, 大潮時(赤実線)にはそのような水温上昇は見られなかった((図4))。ここで, 豊後水道東岸において, 小潮時, 大潮時それぞれの南北傾圧流速, 水温についての力学バランスを調べたところ, 大潮時に暖水の北上が妨げられる物理的要因として, これまでの先行研究で指摘されていた「鉛直渦粘性・渦拡散」の効果に加えて, 「潮汐残差流渦による水平移流」の効果の重要性が示唆される結果となった。この直径5 km 以下のスケールの「潮汐残差流渦による水平移流」は, 内部変形半径5 − 7 km の空間スケールを持つ密度流にとって「水平渦粘性・渦拡散」と同等の働きをすると考えられる。

次に, 大潮時に急潮が抑制される物理機構をより直接的に調べるために, 潮汐流により強められた鉛直渦粘性・渦拡散係数をパラメタライズし, 潮汐流の代わりに数値モデルに組み込んだ「鉛直混合実験」と, 鉛直渦粘性・渦拡散係数に加えてさらに潮汐残差流を組み込んだ「鉛直混合+残差流実験」とを行った。実験の結果, 「鉛直混合実験」では暖水塊の北上は完全には抑制されず(図3c), 宇和海にまで暖水が到達する(図4 黒破線)のに対し, 「鉛直混合+残差流実験」では暖水塊の北上が抑制され(図3d), 宇和海では大潮時の「急潮再現実験」と同様な水温上昇が再現される結果となった(図4 黒実線)。このことから, 急潮を抑制する物理機構として, これまで指摘されてきた鉛直混合のみならず, 豊後水道東岸で活発に励起される潮汐残差流渦による水平混合の効果も重要であることが明らかになった。

4 まとめ

本研究では豊後水道内の乱流混合の定量化とその急潮現象に果たす役割の評価を行った。

豊後水道内における初の乱流直接観測を行った結果, 大潮時の鉛直拡散係数は平均で約10(−3) m2 s(−1) であり, 小潮時よりも1オーダー程度大きな値であることが明らかになった。乱流直接観測から得られた情報をもとに, 潮汐混合を陽に再現した高解像度数値実験を行った結果, 複雑な海岸地形の存在する豊後水道東岸において, 潮汐流の風下側の島陰に発生する小規模渦が鉛直混合過程に大きく寄与すること, そして潮汐残差流渦が活発に励起されることが明らかになった。

これらの鉛直混合や潮汐残差流渦の効果を分離した数値実験を行った結果, これまで急潮の発生機構として重要であると考えられてきた鉛直混合を考慮するだけでは急潮を再現することはできず, 鉛直混合に加えて, 潮汐残差流渦に伴う水平混合過程をモデルに組み込むことで初めてその再現が可能となることが明らかになった。この結果は, リアス式海岸や多島海域などの複雑な地形を持つ沿岸海域における海水交換過程を議論する際はもちろん, より大規模な海洋循環のモデリング時においても, 乱流直接観測から得られたマイクロスケールの情報をフィードバックするとともに, 潮汐残差流渦などのサブメソスケールの現象を考慮しなければならないことを強く示している。

図1: 豊後水道内における鉛直拡散係数の観測値。

図2: 大潮の下げ潮時における水深平均のエネルギー散逸率(色)と順圧流速(矢印)。

図3: 計算開始から8 日後における潮汐平均の海面水温(色)と海面流速(矢印)(a:「急潮再現実験(Ex:KYC)」(小潮時),b:「急潮再現実験(Ex:KYC)」(大潮時)c:「鉛直混合実験(Ex:VMIX)」, d:「鉛直混合+残差流実験(Ex:RES)」)。

図4: 各実験から得られた, 宇和海(33.21°N, 132.46°E) における表層水温の時系列(青実線:「急潮再現実験」(小潮時), 赤実線:「急潮再現実験」(大潮時), 黒破線:「鉛直混合実験」, 黒実線:「鉛直混合+残差流実験」)

審査要旨 要旨を表示する

豊後水道では、黒潮起源の暖水が北上することで、海域内の水温が短時間内に急上昇する「急潮現象」が発生し、養殖業に甚大な被害を与えることが古くから知られている。豊後水道における急潮現象の発生時期は夏季の小潮時に集中しており、その顕著な周期性から潮汐混合との関連性が指摘されてきた。しかし、豊後水道における潮汐混合強度の見積もりはこれまで行われておらず、その時空間分布はおろか、オーダーすら明らかになっていなかった。本論文は、乱流直接観測と数値モデリングによって、豊後水道における潮汐起源の乱流混合強度を定量化し、その物理過程の解明を図るとともに、得られた乱流混合場の情報を反映させた急潮の数値シミュレーションを行うことで、豊後水道内における急潮の発生と抑制の物理機構を明らかにした。

本論文は4つの章から成る。まず、第1章は導入部であり、豊後水道における急潮現象の特徴、またその発生と抑制に対する鉛直混合の役割、さらに、本論文の目的と構成が述べられている。

第2章では、豊後水道における乱流直接観測の結果が示されるとともに、観測結果を再現した高解像度3次元数値モデルを用いることで、豊後水道における乱流混合強度が定量化され、乱流混合の発生機構が議論される。観測からは、豊後水道における鉛直渦拡散係数は、大潮時に約10 cm2 s-1 であり、小潮時の値(約1cm2 s-1)とは1オーダーの差があることが示された。これらの観測結果を再現した数値実験から、大潮時には、豊後水道に点在する島などの複雑な海岸地形と潮流との相互作用により、直径1km スケールの小規模渦が励起され、この小規模渦形成に対応して豊後水道東岸に強い潮汐混合域が形成されることが明らかにされた。この小規模渦は、潮汐周期で平均しても残ることから、沿岸海洋学において物質拡散に重要な役割を果たすと古くから考えられている「潮汐残差流渦」であることが確認された。

第3章では、前章において再現された鉛直混合や潮汐残差流が急潮に与える影響を調べるために、上述の数値モデルを用い、急潮の数値シミュレーションを行った。数値シミュレーションの結果、豊後水道南部で発生した密度流が小潮時のみにしか豊後水道東岸の多島海域を北上できない、という急潮の特徴が現実的に再現された。次に、大潮時に急潮が抑制される物理機構を調べるため、数値シミュレーションの結果から鉛直混合の効果を鉛直渦粘性・渦拡散係数の形でパラメタライズすることで取り出し、潮汐流の代わりにモデルに組み込む実験を行った。実験の結果、鉛直混合の効果だけでは暖水塊の北上を完全に妨げることはできないことが明らかとなった。一方、鉛直混合の効果に加えて、潮汐残差流渦の効果を潮汐応力の形でモデルに組み込む実験を行った結果、豊後水道東岸で暖水の北上が妨げられ、急潮の数値シミュレーションと同等の結果が再現された。これらの結果は、豊後水道における急潮現象を支配する物理機構として、従来から指摘されてきた鉛直混合の効果に加え、潮汐残差流渦に伴う水平混合の効果が重要な役割を果たしていることを示している。

第4章では、論文全体のまとめと今後の課題が述べられている。

以上のように、本論文は豊後水道内での実地観測から得られた乱流混合の場の情報を反映させた高解像度数値実験に基づいて、潮汐起源の鉛直混合が急潮の発生と抑制に及ぼす寄与を定量的に明らかにした。鉛直混合の効果は急潮を抑制するのに十分ではなく、それを補う物理過程として、豊後水道東岸の多島海域で励起された潮汐残差流渦に伴う水平混合の効果が重要であることが初めて明らかになった。本研究は、豊後水道内における急潮現象の予報精度の向上に繋がるだけでなく、マイクロスケールの乱流混合とサブメソスケール渦の効果を的確にパラメタライズすることが、現実海洋のモデリングにおいて重要であることを明確に示した。これらの研究成果は、乱流混合と小規模渦の効果が取り入れられていない海洋循環モデルを含む現在の数値モデリング一般に警鐘を鳴らし、かつ、その高度化への道を切り拓く成果として、高く評価できる。

なお、本論文の主要な内容は、指導教員である日比谷 紀之 教授との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって研究を行ったもので、その寄与が十分であると判断できる。従って、審査員一同は、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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