No | 128975 | |
著者(漢字) | 久保田,好美 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | クボタ,ヨシミ | |
標題(和) | 東シナ海での最終氷期と後氷期における千年スケールの東アジア夏季モンスーン変動 | |
標題(洋) | Millennial scale changes in East Asian summer monsoon in the East China Sea during the last glacial period and the Holocene | |
報告番号 | 128975 | |
報告番号 | 甲28975 | |
学位授与日 | 2013.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5952号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 地球惑星科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 東アジア夏季モンスーンは,北半球中緯度~低緯度域の水循環と熱輸送において重要な役割を担っている.また,その変動は,人口が集中する東南アジア~東アジア地域に洪水や旱魃といった災害をもたらすため,社会経済学的観点からもその変動メカニズムの解明と変動予測の改善が求められている.しかしながら,降水の観測記録は100年程度と短いため,降水量変動の周期や長期トレンド,極端現象の規模や発生可能性 を評価するには不十分である.したがって,地質学的証拠から,より長い期間に渡る過去の降水量変動を高時間解像度で定量的に復元し,その周期や変動振幅などを解析することは,重要である. 最終氷期 (8万年前〜1万1600年前)は,CO2濃度,氷床量,海水準などの点で,現在とは気候の境界条件が著しく異なる時代である.最終氷期の中でも, Marine Isotope Stage 3 (MIS 3; 6万年前~2万5000年前)は,北大西洋高緯度域において数百から千年スケールの振幅の大きな気候変動(ダンスガードオシュガーサイクル)が存在し、その変動が全球規模に及んでいた時代として注目を集めてきた.この変動の主要因については,北大西洋高緯度域における北大西洋深層水の形成と,それによって引き起こされる大西洋の子午面循環強度の変動が有力な候補と考えられてきた.一方で,グローバルなモンスーンシステムが南北両半球間の熱および水蒸気輸送を通して,MIS 3の急激な気候変動の振幅や持続時間を増大させていた可能性があることも指摘されている.しかし,低・中緯度域においては,信頼性の高い年代モデルによって制約された高時間解像度の環境復元記録が少ないため,MIS 3のモンスーンの挙動や,その気候学的な役割の詳細についてはまだ明らかにされていない.他方,現在と気候の境界条件がほぼ同じである後氷期(1万1600年前~現在)においても,北大西洋高緯度域で,振幅はMIS 3よりも小さいものの千年スケールの気候変動(ボンドイベント)が見つかっており,これらの変動も少なくとも半球規模で起こっていたことが指摘されている. 鍾乳石は,高精度での年代測定が可能で,そのδ(18)Oも高時間解像度で測定が出来ることから,その酸素同位体比(δ(18)O)は,中~低緯度陸域における過去の気候変動の高時間解像度記録として,その有用性が広く認識されている.特に中国の鍾乳石のδ(18)O記録は,夏の降水量変動を定性的に反映するものと解釈され(e.g., Wang et al., 2001, Science),また最終氷期および後氷期について,北大西洋高緯度域の百年〜千年スケールでの気候変動とのリンケージが示されたこともあり,東アジア夏季モンスーンによる降水量変動の代表例として広く引用されてきた.しかし,鍾乳石のδ(18)Oを変化させうる夏の降水量以外の要因の影響を評価することが困難であったため,降水量の定量的復元は行われていなかった.さらに,最近の研究では鍾乳石のδ(18)Oの変動は,夏の降水量変動の影響よりも別の要因(例えば主な水蒸気源であるインド洋の水温や水蒸気のδ(18)Oの変化)の影響が大きい事も指摘され始めている.こうした状況下で,過去におけるアジア夏季モンスーンによる数百年〜千年スケールでの降水量変動を定量的に復元し,その変動の様式や振幅を気候の境界条件の異なる最終氷期と後氷期で比較してその違いを明らかにする事は,全球規模の気候変動と,その中でのモンスーンの役割の理解に貢献するものと期待される. そこで、本研究では,東シナ海北部から採取された2本の海洋堆積物コア(KY0704-01, KR0712-01)を用いて,最終氷期(4万5000年)以降,特にMIS 3及び後氷期について,その集水域が中国南部の大部分を占める長江の淡水流出量を定量的に推定することで,東アジア夏季モンスーン降水量変動の定量的復元を高時間解像度(50年〜100年)で行う事を試みた.本研究では,先ず,堆積物中に含まれる浮遊性有孔虫G. ruberの殻の炭酸塩骨格のマグネシウム/カルシウム比(Mg/Ca;水温の指標)と酸素同位体比(δ(18)Opf)を組み合わせることにより,塩分の指標である海水の酸素同位体比(δ(18)Ow;塩分の指標)を求めた.東シナ海北部のプランクトンネット観測からは,G.ruberは,夏の表層30 m以浅に多く生息するため,夏の表層水塊の記録を保持していると考えられる.現在の観測結果に基づくと,東シナ海北部の夏の表層塩分変動は,長江からの淡水流出量変動(集水域の降水量変動)を反映している.そこで,塩分に相当する指標δ(18)Owを用いることで,過去の淡水流出量変動を定量的に推定できると考えた.現在においては,海水のδ(18)Owと塩分には線形の関係があるため,δ(18)Owを塩分の指標(つまり淡水がどの程度の割合で混合しているか)として使うことが出来る.しかし,時代によって淡水や,それと混合する海水のδ(18)Owが変化することにより推定誤差が大きくなるため,過去における塩分の絶対値の推定は困難であるとされてきた.そこで,本研究では塩分の推定に伴う誤差の増大を避けるために,端成分のδ(18)Ow変化を考慮し,δ(18)Owの収支から直接,淡水の混合比を求める方法で,過去における長江からの淡水の寄与率(f(CFW))を完新世(約7千年間)および最終氷期(4万5000年前〜2万年前)について定量的に復元した. 即ち,東シナ海北部の堆積物採取地点における表層水(N. ECS)のδ(18)Ow は,長江起源の淡水(Changjiang Freshwater; CFW),および黒潮と台湾暖流起源の海水(KTW; Kuroshio and Taiwan Strait Water)のδ(18)Ow と,それぞれの寄与率fを用いて以下の式で表される. 地質記録から得られたこれら端成分のδ(18)Owの時系列データを用いることで,過去7千年間のf(CFW)を求めたところ,過去7千年間の平均値は3.0%となり,堆積物採取地点でラジウムの同位体濃度を用いて明らかにされた現在の夏の寄与率2-3%と調和的な値をとることが分かった.次に,過去における長江流出量Q(CFW)を求めるため, 1951年から1995年までの45年間の夏の塩分の観測値(f(CFW)に変換)と夏の長江流出量(Q(CFW))の5年間ごとの 平均値を比較して両者の間に正の相関があることを確認し,Q(CFW)- f(CFW)の関係式を導いた.この関係式を用いて,過去7千年間のQ(CFW)の変動を求めた結果,後氷期においては,長江の淡水量の平均値が中期後氷期(約6-7千年前)から現在にかけてほとんど変化しなかったことが示された.これまで,南中国の鍾乳石のδ(18)Oから,東アジア夏季モンスーンによる降水量は北半球の夏の日射量変動に伴って中期後氷期から減少傾向を示すという考えが広く受け入れられてきたが,本研究の結果から,このような長期的な減少傾向は,少なくともモンスーンフロントの北限より南に位置する長江集水域には当てはまらないことが示された. これは,同時に,後氷期の鍾乳石のδ(18)Oの長期トレンドの主要な要因が,長江流域内の降水量変動ではないことを示唆している. 堆積物から復元された過去7千年間のQ(CFW)の時系列記録の振幅は,200-300年間程度の平均値の変動振幅を示していると考えられるが,このスケールでの流出量変動の振幅は±0.6×10-2 Sv程度と,現在(1950-2000年)の10年移動平均の振幅(±0.2×10(-2) Sv)よりも大きな振幅を持つことが明らかになった.また,過去7千年間において,長江流出量と南米のエルニーニョ南方振動(ENSO)の頻度記録を比較すると,ENSOの頻度が高い(低い)ときに流出量が大きい(小さい)という関係が見られた.現在,El Ninoの発生時には北太平洋亜熱帯高気圧が衰えるため,梅雨前線が長江流域上に停滞しやすく洪水が発生しやすいが,同様の関係が後氷期を通じて存在した事を示唆する.過去7千年間の長江流出量の最大増加量0.9×10(-2) Sv(約4.7千年前)は,過去50年間で最大の流出量を記録した1954年と同規模の洪水が100年間で約39回発生した場合に相当し,過去50年と比べて,その発生頻度はおよそ10倍である。また,この頻度は同じ時期における南米のENSO頻度(23回)と近い値をとる.これらの結果から,長江集水域の降水量変動が,後氷期を通じてENSOやそれに伴う亜熱帯高気圧の変動に大きな影響を受けてきたことが明らかとなった. 一方,最終氷期の特にMIS 3については,年代モデルの誤差範囲内でダンスガードオシュガーサイクル(DOC)の亜氷期に東シナ海北部のδ(18)Owが高く,亜間氷期にδ(18)Owが低かったことが示された.一方,Mg/Caから求めた表層水温の値は,δ(18)Owが高いときに高く,δ(18)Owが低いときに低いという関係を示し,亜氷期には表層水温が高く,亜間氷期に低くなるという結果が得られた.現在においては,長江からの淡水が周囲の海水と混合して形成される長江希釈水は,低塩分でかつ低水温という特徴を持つ.したがって,亜間氷期の表層水温の低下は,長江からの淡水の寄与が増えたことに起因すると考えられる.この時代についても,端成分のδ(18)Owの時系列データを用いて,f(CFW)を復元した.その結果,f(CFW)の平均値は,6.3%を示し,後氷期の平均値や現在の観測値と比べてほぼ2倍であることが示された.この時代の海水端成分の塩分を34.5-35 PSUと仮定すると,東シナ海北部の堆積物採取地点での塩分は海水端成分の塩分より2.2-2.7 PSU低かったことを示し,現在の端成分からのずれ(約1 PSU)よりもさらに1.2-1.7 PSU低い値にずれることが分かった. MIS 3は,現在よりも海水準が約80 m低かった時代であり,それに起因した地形の変化に伴って東シナ海の海洋環境は後氷期と異なる状況であったと考えられる.従って,現在の経験的なQ(CFW)- f(CFW)の関係式からこの時代のQ(CFW)を推定することはできない.現在,夏の東シナ海では北東向きの流れがあり,長江から流出する淡水のほぼすべてが周りの海水と混ざりつつ日本海に流入する.対馬海峡は,水深が130 m程度と浅い海峡であるので,海水準低下の影響を受けて断面積が減少する.現在,対馬海峡で観測されている東シナ海から日本海への海水全流量は2.7 Svと,長江からの淡水流出量 (4.0×10(-2) Sv)の約65倍であり,そのほとんどが黒潮からの海水と台湾海峡から陸棚へ侵入してくる海水で占められる.一方,海水準が80 m低下したMIS 3について,東シナ海から日本海へと抜ける流量が対馬海峡の断面積減少に比例して低下したと仮定して,この時代の淡水と海水の全流量を現在比 16(+7)(-5)%と見積もることにより,Q(CFW)を求めた.その結果,MIS 3における東シナ海への淡水流出量の平均値は現在(1950-2000)の平均値 (4.0×10(-2) Sv)の70(+30)(-22)%程度になることが示唆された. また,MIS 3の百年から千年スケールの変動の振幅は,後氷期よりも2倍程度大きかったことが示唆された.これは,最終氷期と後氷期の気候の境界条件の違いによって,東アジア夏季モンスーン降水量の変動が千年スケールで大きく変動したことを示し,北半球高緯度域の亜氷期(寒冷期)に弱く,亜間氷期(温暖期)に強かったことを示唆している. | |
審査要旨 | 東アジア夏季モンスーンは,北半球中~低緯度域の水循環と熱輸送に重要な役割を担っている.また,その変動は,人口が集中する東南アジア~東アジア地域に洪水や旱魃といった災害をもたらすため,社会経済学的観点からもその変動メカニズムの解明と変動予測の改善が求められている.しかしながら,降水の観測記録は100年程度と短いため,降水量変動の周期や長期トレンド,極端現象の規模や発生頻度を評価するには不十分である.したがって,地質学的証拠から,より長い期間に渡る過去の降水量変動を高時間解像度で定量的に復元し,その周期や変動振幅,持続期間などを解析することが重要である.しかしながら,これまで観測記録以前の東アジア夏季モンスーン降水量の定量的復元はその困難さからほとんど行なわれてこなかった.本研究は,長江の河川流出量が南中国における降水量と高い相関を持つことに着目し,東シナ海の海底堆積物試料を用いて,後氷期の過去約7000年間と最終氷期の4万4千年前〜2万5千年前(MIS 3)における長江河川流量変動の定量的な復元に取り組んだものである. 本論文は、九つの章から構成される。第一章では,東アジア夏季モンスーン降水量復元の重要性を,気候学的な観点および社会経済学的な観点から記述し,これまでの中国における観測記録以前の降水量復元のレビューを行っている.レビューの中で,これまで東アジア夏季モンスーンの間接指標として古気候学で広く受け入れられて来た鍾乳石の酸素同位体比についての問題点を指摘し,本研究の目的を述べている.第二章では,東アジア夏季モンスーンの気候学的背景および東シナ海の海洋学的背景について現在の観測データに基づく研究結果をまとめている. 第三章では本研究の解析に用いた東シナ海の海底堆積物試料について試料の採取地点および試料の産状,年代モデルについて記述している.第四章では、試料の前処理方法および分析手法について記述している.第五章では,本研究で用いた有孔虫の炭酸塩殻のマグネシウム/カルシウム比,および酸素同位体比について,水温,塩分の間接指標としての化学的な原理について記述している. 第六から八章では,本研究により得られた主な結果とその意味に関する考察が述べられている.第六章では,後氷期の東シナ海北部海域について浮遊性有孔虫殻のMg/Ca比および酸素同位体比を用いてに表層水温と表層水の酸素同位体比を復元し,それを基に長江流量の定量的な復元を行った結果について述べている.本研究では,東シナ海北部における表層水の酸素同位体比を黒潮水と長江淡水の混合モデルで説明することにより長江淡水の寄与率変動を求め,さらに過去45年間の観測値を基に長江流量と東シナ海北部における長江淡水寄与率変動の関係式を導き,過去の長江流量を定量的に推定している.その結果,長江の淡水量の平均値が後氷期中期(約6-7千年前)から現在にかけてほとんど変化しなかったことが示された.これまで,南中国の鍾乳石の酸素同位体比から,東アジア夏季モンスーンによる降水量は北半球の夏の日射量変動に伴って後氷期中期から後期にかけて減少傾向を示すという考えが広く受け入れられてきたが,本研究の結果から,このような長期的な減少傾向は,少なくともモンスーンフロントの北限より南に位置する長江集水域には当てはまらないことが示された.これは,同時に,後氷期における南中国の鍾乳石に見られる酸素同位体比の長期トレンドの主要な要因が,長江流域内の降水量変動ではないことを示す.また,過去7千年間の流出量の最大増加量0.9×10(-2) Sv(約4.7千年前)は,過去50年間の最大流出量を記録した1954年と同規模の洪水が100年間で約39回発生したことに相当し,過去50年と比べると,その発生頻度がおよそ13倍であることを示した.更に,千年スケールの長江流量の時系列変動がエルニーニョ南方振動の変動とも関係していることを示唆した. 第七章では,最終氷期の長江流量変動について述べている.特に,4万4千年前〜2万5千年前(MIS 3)については,後氷期と基本的に同様の方法で長江淡水の寄与率変動を導き,さらに東シナ海陸棚上を北上する黒潮起源水の流量が対馬海峡を通って日本海に流入する対馬暖流の流量と同じで、それが対馬海峡の断面積に比例すると仮定することによって長江淡水流出量の定量復元を行っている.その結果,MIS 3における東シナ海への淡水流出量の平均値は後氷期の平均値と比較すると,70±30%程度になることが示唆された. 一方,百年から千年スケールの変動の振幅は,後氷期よりも2倍程度大きかったことが示唆された.これは,最終氷期では後氷期の気候の境界条件との違いによって,東アジア夏季モンスーン降水量の千年スケールの変動が大きく増幅されたことを意味する.また千年の時間スケールでは,北半球高緯度域の亜氷期(寒冷期)に東アジアでの降水量が少なく,亜間氷期(温暖期)に多かったことも明らかとなった. 第八章では,グローバルな気候変動の枠組みの中で,今回の研究結果を位置づけると共に,今回の研究結果が,従来東アジア夏季モンスーン降水の指標と考えられてきた南中国の鍾乳石の酸素同位体比の解釈にどういう変更を迫ることになるのか,について述べている.そして,第九章で,本研究の成果とその意義のついてまとめている. 本委員会は、論文提出者に対し、平成25年1月31日に学位論文の内容および関連事項について口頭試験を行なった。そして本研究によって, MIS 3と後氷期という二つの気候条件が異なる時代について,長江流域の夏季モンスーンによる降水量変動が定量的に明らかにされたこと,特に後氷期での長江流量変動が長期的な北半球夏の日射量変動の影響を受けなかったこと,一方,千年スケールの変動について見ると,過去50年の観測記録における大洪水頻度の10倍以上の頻度で洪水が起きていた時期が後氷期に千年スケールで繰り返されたこと,さらにMIS 3には完新世よりも降水量が少なく,変動幅が大きかったことなどが示されたことを地球システム科学における重要な発見であると判断し,審査委員全員一致で合格と判定した。 なお、本研究は,木元克典,多田隆治、横山祐典,小田啓邦,松崎浩之との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって調査と結果の解析を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。 上記の点を鑑みて、本論文は地球惑星科学、とくに地球システム科学の発展に寄与するものと認め、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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