学位論文要旨



No 128989
著者(漢字) 中川,幸祐
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,コウスケ
標題(和) シアノ架橋型金属錯体におけるイオン伝導性と磁気特性
標題(洋) Ionic conductivity and magnetic property of cyano-bridged metal assemblies
報告番号 128989
報告番号 甲28989
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5966号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 佃,達哉
 東京大学 教授 合田,圭介
 東京大学 特任教授 松尾,豊
内容要旨 要旨を表示する

1. 諸言

分子磁性体は、遷移金属イオンや有機配位子を組み合わせて合成されるため、合理的な物質設計が可能である。中でもシアノ架橋型金属錯体は、シアノ基が構造に柔軟性をもたらすため、外部刺激に対して構造が崩壊することなく応答できる。このような性質を活かし、本研究室では、シアノ架橋型金属錯体に磁気特性と様々な物性が共存した系を見出してきた。

イオン伝導性、中でもプロトン伝導性は、物質中に水分子を多く含むと高くなる。水分子を多く含むシアノ架橋型金属錯体は高いプロトン伝導性の観測に適していると考えられる。著者らはこの観点から、湿度応答磁性体、Co[Cr(CN)6](2/3)・4.2H2O (CoCr)において湿度100%で超イオン伝導性を見出し、修士論文にて示した。

本研究では、シアノ架橋型金属錯体を用いて磁性とイオン伝導性とが共存する系を見出すことを目的とし、まずヘキサシアノ金属錯体において伝導性を検討した。中でもプロトン伝導性が高い磁性錯体、V[Cr(CN)6](2/3)・4.8H2O (VCr)について磁気特性との関係を詳細に検討した。また、対象をオクタシアノ錯体へと広げ、伝導性と磁気特性について検討を行った。伝導度の検討を行ったオクタシアノ錯体のうち、Mn2[Nb(CN)8](3-ピリジンメタノール)8・2H2O[MnNb(3-pyMeOH)]およびMn2[Nb(CN)8](3-アミノピリジン)8・2H2O [MnNb(3-Ampy)]において、磁気特性について分子軌道計算を用いて考察を行った。

2. ヘキサシアノ架橋型金属錯体におけるプロトン伝導性

まずヘキサシアノ錯体について伝導度(σ)の検討を行った。

試料は、K3[Cr(CN)6]またはK3[Fe(CN)6]の水溶液を、遷移金属イオン(V(2+)、Mn(2+)、Fe(2+)、Co(2+)、Ni(2+)、Cu(2+)、Zn(2+))の溶解した水溶液と混合することにより粉末として得た。組成はICP-MS および標準微量元素分析法によって決定した。物性評価はXRD、SQUID、インピーダンスアナライザにより行った。

得られた試料の組成は表1 に示した。磁気測定の結果から、試料はZn[Cr(CN)6](2/3)・4.8H2O 以外では磁気相転移温度(TC)を示し強磁性体であることが示唆された。試料の伝導度σ は、交流インピーダンス法を用いて検討を行った。湿度100%で試料を静置した後測定を行うと、図1 のようなプロットが得られた。このプロットを利用してσ を計算した結果を表1 に併せて示した。XRD パターンから構造を解析すると、全ての試料は立方晶で空間群はFm 3 m であった。CoCr の解析の結果得られた構造を図2 に示す。Co(II) とCr(III) がシアノ基によって架橋され立方体の骨格を形成している。試料中に多数の水分子が存在しており、水素結合ネットワークを形成している。CoCr は外部の湿度に応じて試料中の水分子数が可逆的に変化する。従って、湿度100%で見出された高い伝導性には試料中の水分子が関与していることが示唆された。このことからCoCr がプロトン伝導体であることがわかった(これは修士論文において示している)。つまり、Co(II) がルイス酸的に働いて配位水のO 原子上の孤立電子対を引きつけることでプロトンが抜けやすくなる。そのプロトンが水素結合ネットワークを介して水分子を伝っていくという機構で伝導性を示すと考えられる。このようなメカニズムはGrotthuss機構と呼ばれる (図2)。表1 に示すように、CoCr、VCr は湿度100%で超イオン伝導性を示しており、これらは超イオン伝導性を示す磁性体であると言える。

3. ヘキサシアノ金属錯体におけるプロトン伝導性および磁気オーダリングとのカップリング現象

前節で示した通りVCrは超イオン伝導性を示した。続いてVCrにおいてプロトン伝導性と磁気特性との関わりを詳細に検討した。

試料は、前節と同じVCrを用いた。物性評価はIRスペクトル、XRD、SQUID、インピーダンスアナライザにより行った。

伝導度の検討を行うためインピーダンスの温度依存性を測定した。結果を図3(a)に示す。図3(b)に示したように、ln(σT) 対 T-1プロットで傾きに変化が見られた。傾きの大きさは活性化エネルギー(Ea)に比例しており、VCrは途中の温度でEaが変化する振る舞いを示したことになる。図4に磁場中冷却磁化曲線を示す。VCrのTCは313 Kであった。図3(b)と図4に縦線を引いて示したが、Eaが変化した温度とTCは313 Kで一致していた。IRスペクトルの温度依存性を測定した結果、OH伸縮振動の波数領域での変化が313 Kで大きくなることがわかった。またXRDパターンの温度依存性から格子定数を見積もると、313 K付近で大きく変化することがわかった。これらのデータから、VCrは313 Kにおいて磁気秩序とイオン伝導性がカップリングする現象を示したと言える。このような現象を見出したのは、本例が初めてである。

4. オクタシアノ金属錯体におけるプロトン伝導性の検討

続いてオクタシアノ金属錯体について伝導性を検討した。

Cu2[Mo(CN)8]・8H2O (CuMo)はCuCl2水溶液にK4[Mo(CN)8]・2H2O水溶液を加えて粉末として得た。[Cu(cyclam)]2[Mo(CN)8]・10H2O [CuMo(cyclam)] (cyclam= 1, 4, 8, 11- テトラアザシクロデカン)はCuCl2とcyclamをメタノール中で混合して得た粉末の水溶液にK4[Mo(CN)8]・2H2O水溶液を加えることで粉末として得た。MnNb(3-pyMeOH)についてはMnCl2と有機配位子の混合溶液とK4[Nb(CN)8]・2H2O水溶液を徐々に拡散させて結晶として得た。MnNb(3-Ampy)はMnCl2と有機配位子の混合溶液とK4[Nb(CN)8]・2H2O水溶液を混合し粉末として得た。物性評価はX線単結晶構造解析、XRD、SQUID、インピーダンスアナライザにより行った。

CuMoはXRDパターンからアモルファス的であることが示唆されたが、本研究室で以前3 次元ネットワーク構造を持つことが推定されている。CuMo(cyclam)は2 次元構造となっていることが以前本研究室で見出されている。MnNb(3-pyMeOH)およびMnNb(3-Ampy)は図5 に示すように、Mn(II) とNbIV が交互に架橋された3 次元構造となっている。水分子は全て結晶水であった。Mn(II) とNbIV それぞれについての最近接架橋金属イオンの数が2、4 である点やMn(II) の配位環境は2 つの錯体で同じとなっているが、Nb(IV) 周りの配位構造はMnNb(3-pyMeOH)がスクエアアンチプリズム、MnNb(3-Ampy)がドデカヘドロンと異なっていた。磁気測定の結果から、CuMo、CuMo(cyclam)はともに常磁性体、MnNb(3-pyMeOH)およびMnNb(3-Ampy)はTC がそれぞれ24 K、43 K のフェリ磁性体であることがわかった。インピーダンス測定より、各試料のσ は、10(-8) から10(-5) S cm(-1) の間に分布していた。σ が小さいのは、水分子が結晶水であるために遷移金属イオンのルイス酸的な働きによってプロトンが生じることがなかったため、また水素結合ネットワークが局所的に閉じてしまっていたためであると考えられる。

5. Mn(II)-Nb(IV)オクタシアノ錯体における構造による磁気特性の違い

前節で用いた試料のうち、Mn-Nb 系の2 つの試料は、構造がほぼ同じであるが、TC が大きく異なっていた。分子軌道計算を行い、この違いを解析した。

2 つの錯体の[Nb(CN)8]ユニットについて、DV-Xα 法により分子軌道計算を行った結果を図6 に示す。配位子場によって分裂したNb(IV) のd 軌道の準位を考慮すると、最安定軌道はMnNb(3-pyMeOH)がdz2、MnNb(3-Ampy)がdxy であった。Nb(IV) はd 電子を1 つ持っているので、分子軌道に寄与するのは最安定軌道となる。図6 に示した分子軌道の様子にもその点が反映されている。2 つの錯体で電荷密度を比較すると、架橋シアノ基のN 原子上の密度が大きく異なっていた。MnNb(3-Ampy)のほうが大きな値を示しており、N 原子とMn(II) の交換相互作用がより大きいと考えられる。その結果、Nb(IV) とMn(II) の間の超交換相互作用がより強くなっていると考えられる。ここで、分子磁場理論より、TC は以下のような式で表せる。

Tc = |J(MnNb)|√Z(MnNb)Z(NbMn)S(Mn)S((Mn+1))S((Nb)+1)/3kBただし、J(MnNb)はMn(II)とNb(IV)の間の超交換相互作用定数、Siはiイオンのスピン量子数、Z(ij)はiイオンに配位している最近接jイオンの数、kBはボルツマン定数である。2つの錯体では、SやZに関する値が全て等しいので、TCの差は超交換相互作用に起因すると示唆された。分子軌道計算の結果はこのことを支持するものとなっている。

6. 結論

シアノ架橋型金属錯体を用いて、強磁性とイオン伝導性が共存する系を見出し、詳細な検討を行った。ヘキサシアノ金属錯体では、VCr のような超イオン伝導性を示す錯体を見出し、磁気秩序とイオン伝導性のカップリング現象を初めて観測した。また、オクタシアノ金属錯体では、高い伝導性を示す錯体は見出されなかったものの、磁気特性と構造の関係について分子軌道計算を用いて検討した。このようにシアノ架橋型金属錯体がイオン伝導性を示す磁性体の有力な候補になることが示された。

表1. ヘキサシアノ金属錯体の組成および伝導度

図1. Zn[Cr(CN)6](2/3)・zH2O のインピーダンス測定結果

図2. CoCr の構造とプロトン伝導経路の一例

図3. VCr におけるインピーダンス測定の温度依存性 (a) 293 K から323 K の間で得られたプロット (b)ln(σT) vs. T-1 プロット(縦線は活性化エネルギーが変化する温度を表す)

図4. VCr の磁化温度曲線(縦線は磁気相転移温度を表す)

図5. (a) b 軸から見たMnNb(3-pyMeOH)の構造 (b) c 軸から見たMnNb(3-Ampy)の構造

図6. DV-Xα 法を用いた[Nb(CN)8]の分子軌道計算結果(a) MnNb(3-pyMeOH) (b)MnNb(3-Ampy)

審査要旨 要旨を表示する

分子磁性体であるシアノ架橋型金属錯体は、水分子を含むことから高いイオン伝導性を示すことが期待され、イオン伝導性と磁気秩序の関係を調べるのに適した系であると言える。本論文では、シアノ架橋型金属錯体における電気伝導性を検討し、2つのヘキサシアノ金属錯体が良いプロトン伝導体であることを見出し、磁気秩序がプロトン伝導性に影響する現象を観測している。また、電気伝導性を検討したオクタシアノ金属錯体について、分子軌道計算を用いて配位構造が磁気特性に影響することを示している。

本論文は全6章からなる。

第1章は、序論である。本論文の研究背景として、これまでのシアノ架橋型金属錯体の研究例を示し、その構造の特徴および機能性について述べている。また、イオン伝導性に関する理論的な事項やその研究状況を述べている。以上の点を踏まえ、強磁性とイオン伝導性が共存する系を見出すためにシアノ架橋型金属錯体を用いることの優位性を述べ、本論文の意義を示している。

第2章では、種々のヘキサシアノ金属錯体の電気伝導性について述べられている。この中で、Co[Cr(CN)6](2/3)・4.2H2O錯体は高い伝導性を示し、様々な温度・湿度の条件における伝導度測定の結果より、その伝導性の由来がプロトン伝導であることを明らかにしている。また、構造解析の結果より、その伝導機構はプロトンが3次元水素結合ネットワークを介して隣接する水分子へと移るGrotthuss機構であると結論付けている。室温におけるイオン伝導度の値から、Co[Cr(CN)6](2/3)・4.2H2O錯体は超イオン伝導体であり、強磁性と高イオン伝導性が共存する系であることを見出している。

第3章では、ヘキサシアノ金属錯体V[Cr(CN)6](2/3)・4.8H2Oにおける磁気相転移とイオン伝導性の関係を述べている。V[Cr(CN)6](2/3)・4.8H2O錯体はCo[Cr(CN)6](2/3)・4.2H2O錯体同様、室温において高い伝導性を示し、超イオン伝導体であることを見出している。また、V[Cr(CN)6](2/3)・4.8H2O錯体の構造がCo[Cr(CN)6](2/3)・4.2H2O錯体と類似していると考えられることから、その伝導機構はGrotthuss機構によるものであると推定している。さらに、V[Cr(CN)6](2/3)・4.8H2O錯体において伝導度の温度依存性を調べることにより、イオン伝導の活性化エネルギーが310 K付近で変化することを示している。この活性化エネルギーの変化する温度が磁気相転移温度と一致していることから、磁気秩序とイオン伝導性がカップリングした現象であることが示されている。これは、磁気秩序とイオン伝導性がカップリングした初めての例であると結論付けている。

第4章では、オクタシアノ金属錯体の電気伝導性と構造について述べられている。4種類のオクタシアノ金属錯体について、X線構造解析により得られた構造をもとにプロトン源となる水分子の位置や水素結合ネットワークに関して考察している。その結果、高いイオン伝導性を実現するには錯体全体に広がった水素結合ネットワークが必要であると結論付けている。

第5章では、第4章で述べたオクタシアノ金属錯体のうち、2種類の化合物Mn(II)2[Nb(IV)(CN)8] (3-pyridinemethanol)8・2H2OおよびMn(II)2[Nb(IV)(CN)8](3-aminopyridine)8・2H2Oの構造と磁気特性について述べられている。2つの化合物の構造は類似した骨格を形成しているが、金属イオン周りの配位構造が大きく異なることをX線構造解析により明らかにしている。また、これら2つの化合物はフェリ磁性体であり、磁気相転移温度はそれぞれMn2[Nb(CN)8](3-pyridinemethanol)8・2H2Oが24 K、Mn2[Nb(CN)8](3-aminopyridine)8・2H2Oが43 Kであることを明らかにしている。さらに、結晶構造に基づいた分子軌道計算を行うことにより、この磁気相転移温度の違いが配位構造の違いに起因することを明らかにしている。

第6章では、本論文を総括するとともに、今後の展望が述べられている。

以上、本論文では、含水分子磁性体であるシアノ架橋型金属錯体の高プロトン伝導性を示すとともに、プロトン伝導性と磁気秩序のカップリングという新しい現象について述べられている。これらの結果は、機能性磁性体の発展に貢献するものであると判断され、審査委員全員の賛同により認められた。

なお、本論文第5章は、井元健太、宮原弘行、大越慎一との共同研究であるが、本論文提出者が主体となって実験の実施、データの解析、考察を行っており、研究への寄与は十分であると判断される。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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