学位論文要旨



No 128996
著者(漢字) 村山,祐子
著者(英字)
著者(カナ) ムラヤマ,ユウコ
標題(和) 原核生物型RNAポリメラーゼのDNA上での後退とRNA切断の構造基盤
標題(洋) Structural basis of backtracking and transcript cleavage by bacterial RNA polymerase
報告番号 128996
報告番号 甲28996
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5973号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 深井,周也
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 准教授 石谷,隆一郎
 東京大学 教授 豊島,近
 理化学研究所 領域長 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

・研究の背景と目的

RNA ポリメラーゼ(RNAP)は細胞内における遺伝子の転写を担う,巨大なタンパク質複合体である。転写伸長中のRNAP(伸長複合体)は鋳型DNAに沿って移動しながらRNAの3'端に1つずつヌクレオチドを付加していくことで,鋳型DNAに相補的なRNAを合成する。RNA合成は5'端から3'端の一方向に行われるが,RNAPはDNA上を転写の上流から下流,下流から上流のどちらの方向にも移動することが知られている。RNAPの逆向きの移動(RNAPの後退,backtracking)は,鋳型に適合しないヌクレオチドの取り込みや鋳型DNAの損傷,あるいは特異的なシグナル配列によって誘発される。後退状態では新生RNAの3端が鋳型DNAから解離し,転写伸長が中断される(図1)。このときRNAの3'端は,RNAPの基質取り込みチャネルであると考えられている2次チャネルに向かって突出した状態となっている。RNAPには転写伸長反応の触媒部位においてRNAを加水分解する活性があり,後退状態のRNAPはこの切断反応によってRNA3'端の突出部分を取り除き,転写伸長を再開することができる。RNAP単独の活性によるRNAの切断反応(イントリンジックなRNA切断)は比較的遅いが,細菌ではGre factorと呼ばれる転写伸長因子がRNAPの2次チャネルに結合すると,切断活性が大幅に促進されることが知られている。真核生物のRNAPでもRNA切断を促進する因子(TFIIS)が知られているが,細菌のGre factorとは配列および構造に類似性がない。後退とRNA切断はRNAPの基本的な転写制御機構のひとつであるが,その構造基盤については未解明の点が多く残されている。そこで本研究では細菌型RNAPの後退とイントリンジックなRNA切断,Gre factor存在下におけるRNA切断それぞれの構造基盤を解明することを目的として,X線結晶構造解析および生化学的解析を行った。

・後退状態のRNAPの構造

まず, 後退とイントリンジックなRNA切断の構造基盤を明らかにするために,細菌型RNAPの後退状態の複合体の構造解析を行った。高度好熱菌Thermus thermophilusのRNAPとRNA3'端の突出した核酸構造部を用いて後退状態の複合体を再構成し,分解能3.4 Aの構造を決定した。後退状態の複合体の全体構造(図2)は, 通常の伸長複合体とほぼ同じであったが,RNAの3'端の残基が鋳型DNAから解離し,2次チャネルに向かって突出していた(図3a)。また後退状態の複合体では,RNAPの活性を制御するトリガーループが「半開き」の状態であった。トリガーループは活性部位の近傍に位置する柔軟性に富んだモチーフで,基質NTPの結合時に閉じた状態となり,基質の適切な配向に寄与する(図3b)。後退状態の複合体におけるRNAの3'端の残基と閉じた状態のトリガーループの位置が重なることから(図3c),後退状態ではトリガーループは閉じたコンフォメーションをとることができずに半開き状態に固定されると考えられる。

・Gre factorを結合した後退状態の複合体の構造

続いて,Gre factor存在下におけるRNA切断の構造基盤を明らかにするために,Gre factorを結合した後退状態の複合体の構造解析を行った。本研究では,T. thermophilusの切断促進因子であるGreAと切断促進活性を持たないGre factorホモログであるGfh1のハイブリッドタンパク質(Gre-hybrid)を結晶化に用いた。Gre-hybrid(図4a)は,Gfh1のN端側のコイルドコイルドメインの先端約半分をGreAの対応するドメインに置換したもので,GreAと同様の切断促進活性を持つことが先行研究において示されている。後退状態のRNAPとGre-hybridの複合体(BC・Gre-hybrid)について,分解能4.3 AのX線結晶構造を決定することに成功した。BC・Gre-hybridではRNAPが「ラチェット状態」と呼ばれるコンフォメーションにあり,通常の伸長複合体や後退状態(図2)における「タイト状態」と比べてGre factorの結合部位である2次チャネルやDNA/RNAの結合チャネル(1次チャネル)が広がり,ブリッジヘリックスが折れ曲がるなど大きく変化していた(図4b)。この全体構造は切断促進活性を持たないGfh1を結合した伸長複合体とほぼ同様であった。切断促進活性に必須な保存残基を含むGre-hybridのコイルドコイル先端部はRNAPの触媒部位の近くに配置されており(図4c),切断活性の促進に寄与していることが示唆された。BC・Gre-hybrid複合体では,トリガーループは完全に開いた状態となっていた。

・イントリンジックな切断とGreA factor存在下での切断におけるRNAの経路の変化

BC・Gre-hybridの構造では核酸構造部に相当する電子密度が観察できなかったが,後退状態のRNAの構造を重ね合わせると,Gre-hybridの先端部分とRNAの3'端部分が衝突する(図5)。このことから,後退状態のRNAPにGreAが結合するとRNAの3'端部分の構造が変化することが推測された。後退状態の複合体では,RNAの3'端の残基はRNAPのβサブユニットのMet560残基の近くにある。この残基をトリプトファンに置換したRNAP変異体では,イントリンジックなRNA切断が大幅に阻害されたが,GreA存在下でのRNA切断は阻害されなかった(図6)。このことから,RNAの3'端はイントリンジックな切断の際にはMetβ560残基の近くに位置しているが,GreAが結合した状態での切断の際には別のコンフォメーションをとっていることが示唆された。

・考察

基質結合状態の複合体(PDB 2O5J)と今回決定された後退状態の複合体およびBC・Gre -hybrid複合体におけるトリガーループの構造比較を図7に示す。基質結合状態の閉じたトリガーループは,隣接するブリッジヘリックスとほぼ平行な2本のαヘリックスを形成している。転写伸長中は基質が次々と取り込まれるため,トリガーループは頻繁に閉じた状態となり,ブリッジヘリックスを伸びた状態に保つ役割を果たしていると考えられる。後退状態では,トリガーループが半開き状態となる。このとき,2次チャネルはやや広がっているが,Gre factorの結合には不十分である。一方で,トリガーループが閉じた状態にならないため,ブリッジへリックスが曲がりやすくなり,ラチェット状態への移行が容易になっている可能性がある。Gre factorを結合したRNAPはラチェット状態にあり,ブリッジヘリックスが折れ曲がっている。このとき2次チャネルはGre factorのコイルドコイルドメインに占められ,トリガーループは完全に開いた構造に固定される。

本研究では,細菌型RNAPの後退状態の複合体,Gre factorを結合した後退状態の複合体を再構成し,それぞれのX線結晶構造を決定した。これらの構造と生化学的解析から,後退状態およびGre factorを結合した後退状態の複合体ではトリガーループがそれぞれ半開きの状態と開いた状態に固定されること,またイントリンジックなRNA切断とGre factor存在下におけるRNA切断では,RNAPの全体構造と切断を受けるRNAの経路が異なることが明らかになった。

図1 RNAPの後退とRNA切断

図2 後退状態のRNAPの全体構造

図3 活性部位付近の構造 (a)後退状態 (b) 基質結合状態(PDB 2O5J) (c)重ね合わせ

図4 (a) Gre-hybridのドメイン構成(b)BC・Gre-hybridの全体構造(c)活性部位付近の拡大図

図5 Gre factorの結合によるRNAのコンフォメーション変化

図6 RNAP β-M560W変異体におけるRNA切断活性の変化

図7 基質結合状態,後退状態,BC・Gre-hybrid複合体におけるトリガーループの構造比較

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章は、イントロダクションであり、当該分野におけるこれまでの研究と課題について述べられている。論文提出者が研究対象としたRNAポリメラーゼは、細胞内における遺伝子の転写を担う酵素である。RNAポリメラーゼは転写の各局面において、様々な転写因子ないしRNAと相互作用することによって複雑な制御を受けており、これらの制御機構の構造基盤については未解明の部分が多い。論文提出者はこのようなRNAポリメラーゼの制御機構の中で、後退とRNA切断という基本的かつ重要な機構に着目し、構造解析と生化学的解析を行った。後退とRNA切断は転写の速度と正確性の維持に重要な機構である。本章における記述からは、論文提出者が関連分野の研究背景をよく理解した上で、学位論文の主題としてふさわしい、価値のある研究テーマ・目的を設定したと評価できる。

第2章では、細菌型RNAポリメラーゼの後退状態の複合体の再構成と特性解析、X線結晶構造解析について述べられている。論文提出者は、高度高熱菌Thermus thermophilus由来のRNAポリメラーゼと核酸構造部を用いて後退状態の細菌型RNAポリメラーゼ複合体を再構成し、この複合体の性質をRNA切断アッセイによって確認した上でX線結晶構造解析を行っている。ここで決定された構造は細菌型RNAポリメラーゼについて初めて解明された後退状態の結晶構造であり、これまでの生化学的解析等から予想されていたRNA切断機構と整合性のある構造が明らかになった。また、RNAポリメラーゼの活性制御に重要なトリガーループと呼ばれるモチーフが触媒部位から離れたコンフォメーションをとっていることが明らかになった。

第3章では、転写伸長複合体のX線結晶構造解析について述べられている。伸長複合体の結晶構造は先行研究によって報告されているが、本論文では第2章で決定した後退状態の構造との比較をより信頼性のあるものとするため、第2章で用いた核酸構造部から後退状態を再現するRNA3'端の突出部分のみを除いたものを用いて、活性のある伸長複合体を再構成し、構造を決定した。この構造から、後退状態の複合体と転写伸長活性のある複合体で、RNAポリメラーゼの全体構造に変化がないことが改めて確認された。また、後退状態において観測されたものと同様のトリガーループのコンフォメーションが、伸長複合体においても存在することが明らかになった。

第4章では、RNA切断の促進因子Gre factorを結合した後退状態の細菌型RNAポリメラーゼの結晶化と構造解析について述べられている。論文提出者はT. thermophilusにおけるRNA切断の促進因子であるGreAと切断促進活性を持たないGre factorホモログであるGfh1のハイブリッドタンパク質を利用して、先行研究において知られているGfh1を結合した伸長複合体の結晶化条件と同様の条件で、ハイブリッドタンパク質を含む結晶を得ることに成功した。ここで決定された構造は、切断促進因子を結合したRNAポリメラーゼについて初めて解明された結晶構造である。この構造から、切断促進因子を結合したRNAポリメラーゼの全体構造は、通常の伸長複合体から大きく変化した「ラチェット状態」であり、切断促進活性を持たないGfh1を結合した複合体と同様であることが明らかになった。また、Gre factorの活性に重要な保存残基は生化学的解析等から予想されていたとおり、RNAポリメラーゼの触媒部位近傍に結合していることが明らかになった。

第5章では、第2章および第4章において決定された構造の比較と、これに基づく生化学的解析から、RNA切断におけるRNA3'端部分の経路がGre factorの結合によって変化することを示している。この解析は、RNAポリメラーゼ単独の活性によるRNA切断と、切断促進因子が結合した複合体におけるRNA切断の機構が大きく異なることを明らかにしたものである。

第6章では、第2章から第5章までの内容をふまえた総合的な考察が述べられている。

本論文に記載された研究は、RNAポリメラーゼの基本的な制御機構の構造基盤を明らかにしたものであり、当該分野において重要な意義を持つと評価する。また、論文提出者は、当該分野における包括的知識と議論の能力を十分に有していると判断する。論文は全体にわたり、論理的で明快な文章で記述されている。

なお、本論文第2章は、関根俊一・横山茂之との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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