学位論文要旨



No 128998
著者(漢字) 荒川,晶彦
著者(英字)
著者(カナ) アラカワ,アキヒコ
標題(和) 分子シャペロンHsp70の生化学・構造生物学的解析
標題(洋) Biochemical and Structural Analysis of the Hsp70 Molecular Chaperone
報告番号 128998
報告番号 甲28998
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5975号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 准教授 深井,周也
 東京大学 教授 樋口,秀男
 東京大学 教授 深田,吉孝
 理化学研究所 領域長 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

Hsp70 (The 70-kDa heat shock protein) は, 多くの生物に保存されている分子シャペロンで, タンパク質の適切なフォールディングや翻訳後の輸送を補助する. Hsp70 は, N 末端側のヌクレオチド結合ドメイン (NBD) とC 末端側の基質結合ドメイン (SBD) から構成され, ATP 依存的に作用する. Hsp70 にATP が結合している時は, SBD の蓋が開いて,Hsp70 と基質の親和性は低い状態にある. ATP 加水分解反応後にHsp70 がADP 結合状態になると, SBD の蓋が閉じて, Hsp70 は基質をしっかりと掴んだ状態になる. その後,ADP-ATP 交換反応によってATP 結合状態に戻ると, Hsp70 は基質を放出する. この様なATP 加水分解反応とADP-ATP 交換反応から成るATP サイクルによって, Hsp70 は分子シャペロンとして作用する. 本研究では, 生化学・構造生物学的手法を用いて, Hsp70 の作用機構を理解しようとした.

まずHsp70 の高親和性ADP 結合の分子機構を明らかにしようとした. Hsp70 のADP-ATP 交換反応においてADP の解離速度は非常に遅いため, この交換反応はATP サイクルの中で律速段階となることが知られている. そこで, ADP の結合をより詳細に理解するため, ITC (Isothermal titration calorimetry) アッセイを行った. その結果, Mg(2+)イオンがADP の結合力を劇的に強め, さらに無機リン酸 (Pi) がそのMg(2+)イオンの効果を促進することを見出した (図1). このMg2+イオンとPiの作用を原子レベルで明らかにするため, Mg(2+)イオン・Pi 存在下, 及び非存在下でのADP 結合型Hsp70 NBD のX 線結晶構造解析を行い, 両者の結晶構造を比較した. NBD とADP の直接の相互作用様式は同じものであったが, Mg(2+)イオンとPi 存在下のADP 結合型Hsp70 NBD では, Mg(2+)イオンがADP のβ-リン酸基に配位結合し, さらに水分子を介してHsp70 のAsp10, Glu175, Asp199 の側鎖と相互作用していた. PiはMg(2+)イオンと配位結合し, さらにLys71, Glu175, Thr204の側鎖と水素結合していた (図2). ここで, Mg(2+)イオンに水分子を介して相互作用しているAsp10 とAsp199 に変異を導入したところ, ADP の結合力は著しく低下した. 以上の結果から, Mg(2+)イオンとPi がHsp70 とADP の間で相互作用ネットワークを形成し, それによってADP の結合力を強めてADP-ATP 交換反応を抑制することが示唆された (図3).

次にHsp70 の相互作用因子BAG5 (Bcl-2 associated athanogene 5) に注目した。BAG5は, 3 本のαヘリックスから成るBAG ドメインを5 つ持ち (図4), Hsp70 NBD に相互作用する. そして細胞内でBAG5 が過剰発現すると, Hsp70 とE3 ユビキチンリガーゼであるParkin の活性が低下し, タンパク質の凝集が促進されてパーキンソン病を発症することが報告されている. 一方, 多くの組織でBAG5の発現が確認されており, 平常時のBAG5の機能は明らかになっていない. 本研究ではBAG5 のHsp70 に対する作用機構を明らかにしようとした. まず, in vitro の結合実験により, BAG5 の5 つあるBAG ドメインの中で, C 末端側のBAG ドメイン, BD5 のみがHsp70 NBD に強く結合することを見出した (図4). そこでBAG5 BD5 とHsp70 NBD から成る複合体を調製してX 線結晶構造解析を行った (図5). 複合体の結晶構造で, NBDと相互作用しているBD5 のアミノ酸残基 (図6) をアラニンに置換したところ, NBD への結合活性が著しく低下した. 従って, これらのアミノ酸残基がNBDとの相互作用に重要であると予想される. また, これらのアミノ酸残基は他のBAGファミリータンパク質に保存されているのに対し, BAG5 の他のBAG ドメインには保存されていない. それによって, BAG5 のBAG ドメインの中でBD5 のみがNBD に強く相互作用すると考えられる. 次にBD5 結合状態のNBD とADP 結合型NBD を構造比較したところ, BD5 結合状態のNBD の構造の方が全体的に開いた状態であることを見出した (図7).さらにADP 結合部位に注目したところ, BD5 結合状態のNBD ではアデニン結合残基がリン酸基結合残基から離れた位置にシフトし, ADP が解離しやすい状態にあることが示唆された. 実際にITC アッセイにより, BD5 を加えるとNBD とADP の結合力が弱まることを確かめた. さらにLuciferase を用いたin vitro のリフォールディングアッセイを行ったところ, BAG5 はHsp70 のリフォールディング活性を促進することを見出した. BAG5は, BD5を介してNBD に結合し, ADP の解離を促してHsp70 のリフォールディング活性を促進したことから, Hsp70 のヌクレオチド交換因子として作用すると結論付けた (図8). 一方, BAG5 が細胞内で過剰発現すると, Hsp70 は新たにATP を取り込めず, それによりHsp70 の活性が低下するのではないかと推測した.

Mg(2+)イオンとPi を介した相互作用ネットワークによってHsp70 にADP が強く結合し,ADP-ATP 交換反応は抑制される. そこで, このネットワークに関わるAsp10 とAsp199 に変異を導入して活性を測定したところ, どちらの変異体もATP 加水分解活性を示したにも関わらず, リフォールディング活性を全く示さなかった. これらの変異体はATP を加水分解してATP サイクルを回すことができるが, それに伴う構造変化をすることができなくなっていると予想した. さらに結晶構造中で, Asp10 とAsp199 はMg(2+)イオンとK+イオンに相互作用していたので, これらの金属イオンがHsp70 全体の構造変化をATP サイクルに対応させる役割を担っていると考えた. そこで, Hsp70 のNBD とSBD に非天然型アミノ酸,アジドフェニルアラニン (AzF) を1 つずつ導入した. その後, アルキル基を持つ蛍光色素で標識し, 分子内FRET を検出することでHsp70 の構造状態を観察しようとした (図9).その結果, Mg(2+)イオンとK+イオン存在下ではHsp70 のNBD とSBD はATP 依存的にドメイン間相互作用するのに対し, Mg(2+)イオン又はK+イオンを除くとATP 依存的なドメイン間相互作用しなくなることを見出した. さらにADP 存在下でPi を加えると, FRET 効率が低下してドメイン間相互作用がより抑制された. 分子内FRET の実験により, Mg(2+)イオンとK+イオンはATP 依存的なドメイン間相互作用に重要で, ATP 加水分解後に生じたPi はNBD とSBD の解離を促進することが示唆された. 従って, Mg(2+)イオンとK+イオン, 及びPi はNBD とSBD のドメイン間相互作用を制御して, ATP サイクルに対応したHsp70 の構造変化に重要であると考えられる.

Hsp70 はATP サイクルに対応して構造変化しながら分子シャペロンとして作用する.ATP サイクルに対応した構造変化において, Mg(2+)イオンとK+イオン, 及びPi は重要であることを示した. 一方, これらのイオンは相互作用ネットワークを形成することでADP の結合力を強め, ADP-ATP 交換反応を抑制する. そこで細胞内では, BAG5 のようなヌクレオチド交換因子がその相互作用ネットワークを壊し, ADP-ATP 交換反応を促進していると考えられる.

図1 Hsp70 とADP の結合実験

図2 Mg とPi 存在下のADP 結合型Hsp70 NBD 相互作用ネットワーク

図3 Mg とPi 依存的な高親和性ADP 結合

図4 BAG5 とHsp70 の結合実験

図5 BAG5 BD5・Hsp70 NBD の複合体の結晶構造

図6 BAG5 BD5 とHsp70 NBD の相互作用様式

図7 Hsp70 NBD の構造比較

図8 BAG5 によるHsp70 の活性化機構

図9 分子内FRET によるHsp70 のドメイン間相互作用解析

審査要旨 要旨を表示する

Hsp70は広く保存された分子シャペロンで、タンパク質の適切なフォールディングや翻訳反応後の輸送などを補助する。Hsp70はN末端側にあるヌクレオチド結合ドメイン (NBD) とC末端側にある基質結合ドメイン (SBD) から構成され、ATP加水分解反応とADP-ATP交換反応から成るATPサイクルに対応して構造変化しながら作用する。5章から構成される本論文では、生化学と構造生物学的手法を用いて、Hsp70の作用機構を理解しようとしている。

第1章は序論であり、研究の背景と概要が述べられている。

第2章では、Hsp70のATPサイクルにおいてADP-ATP交換反応が律速段階となる原因を明らかにしている。まず論文提出者は、ADPがHsp70にMg(2+)イオンと無機リン酸 (Pi) 依存的に強く結合することを生化学実験により示した。さらにX線結晶構造解析によりADP結合型NBDの構造を明らかにし、Mg(2+)イオンとPiを介した相互作用ネットワークがHsp70とADPの間接的な相互作用を担って、ADPの結合を強めていると推測した。さらにMg(2+)イオンとPiを介した相互作用ネットワークに関わるアミノ酸残基に変異を導入すると、ADPに対する親和性は低下することを示した。以上の結果から、Mg(2+)イオンとPi依存的にADPはHsp70に強く結合し、それによりADP-ATP交換反応が抑制されていると結論付けている。

第3章では、Hsp70のNBDに相互作用するBAG5に注目している。まず論文提出者は、生化学実験によりBAG5のC末端側にあるBAGドメイン (BD5) がNBDに強く相互作用することを示した。そしてBD5とNBDから成る複合体のX線結晶構造解析を行った。複合体の構造から、BD5はNBDのヌクレオチド結合ポケットを開いてADPの解離を促すことが示唆された。実際に生化学実験により、BD5はNBDのADPに対する親和性を下げることを示した。さらにBAG5は、BD5を介してHsp70のリフォールディング活性を促進することを明らかにした。以上の結果から、BAG5はHsp70のヌクレオチド交換因子として作用すると結論付けている。

第4章では、まずHsp70のAsp10又はAsp199に変異を導入すると、ATP加水分解活性は維持されているにも関わらず、シャペロン活性は失われることを示した。論文提出者はこの理由として、この2つの変異体はATPサイクルを回すことができるが、それに対応して構造変化することができなくなっていると予想した。ここで、第2章で明らかにしたADP結合型NBDの結晶構造中で、Asp10とAsp199はMg(2+)イオンとK+イオンに相互作用していたので、これらの金属イオンがATPサイクルに対応したHsp70の構造変化に重要であると仮説を立てた。この仮説を検証するため、論文提出者は非天然型アミノ酸アジドフェニルアラニンを用いた分子内FRETの実験系を確立して、Hsp70の構造状態を観察した。その結果、通常Hsp70のNBDとSBDはATP依存的にドメイン間相互作用するのに対し、Mg(2+)イオン又はK+イオンを除くとATP依存的にドメイン間相互作用しなくなることを明らかにした。またADPとPiはNBDとSBDのドメイン間相互作用を協働的に抑制することも示した。これらの結果から、Mg(2+)イオンとK+イオン、PiはHsp70のドメイン間相互作用を制御し、ATPサイクルに対応したHsp70の構造変化を可能にすると結論付けている。

第5章では総合討論が述べられている。まず、Mg(2+)イオンとK+イオン、Piを介した相互作用ネットワークは、Hsp70の構造変化やADPの結合に重要であることを述べている。また、Hsp70はADPが強く結合する様に設計されているため、BAG5などのヌクレオチド交換因子の重要性が指摘されている。

この様に、新規性のある結果と論理的な考察により、Hsp70の作用機構が詳細に明らかにされた。

なお、本論文の第2章は, 東京大学の横山茂之教授 (現・理化学研究所 領域長)、理化学研究所の白水美香子、半田徳子博士との共同研究であり、第3章は横山茂之教授、白水美香子博士、半田徳子博士、理化学研究所の大沢登博士、木川隆則博士、林文晶博士、東京大学の志田明里博士 (現・中外製薬株式会社) との共同研究であり、第4章は横山茂之教授、白水美香子博士、坂本健作博士、向井崇人博士との共同研究であるが、各章の内容に関して論文提出者が主体的に研究、分析、検証、及び論文執筆を行っていることから、論文提出者の寄与が十分であり、論文提出者は独自に研究を遂行できる能力を有していると判断する。

従って、博士 (理学) の学位を授与できると認める。

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