学位論文要旨



No 129000
著者(漢字) 光山,倫央
著者(英字)
著者(カナ) コウヤマ,ミチオ
標題(和) 真核生物由来タンパク質の分子動力学シミュレーション
標題(洋) Molecular dynamics simulations of eukaryotic proteins
報告番号 129000
報告番号 甲29000
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5977号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,真也
 東京大学 教授 伊藤,隆司
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 特任准教授 寺田,透
 東京大学 教授 濡木,理
内容要旨 要旨を表示する

タンパク質の機能解明には、結晶構造だけでなく、ダイナミクスの理解が重要である。本研究では、なかでもダイナミクスが機能に重要であると考えられる2つの真核生物由来タンパク質、脂質メディエーター産生酵素オートタキシンと光駆動性の陽イオンチャネルであるチャネルロドプシンを取り上げ、タンパク質のダイナミクスをシミュレーションする手法である分子動力学シミュレーションを用いてその機能解明を目指した。

オートタキシンの活性保持機構

オートタキシンは、生体内の脂質の一種であるリゾホスファチジルコリンを加水分解し、脂質メディエーターであるリゾホスファチジン酸を産生する分泌型のリゾホスホリパーゼDである。リゾホスファチジン酸は特異的なGタンパク質共役型受容体に作用して、細胞の増殖、分化、遊走など様々な細胞応答を引き起こす。従って、オートタキシンは脳神経系の発達や分化、胎児の血管形成、リンパ球のトラフィキング、創傷治癒など多岐にわたる生命現象に関与する。また、オートタキシンはがんの浸潤・転移にも関与すると考えられていることから、抗がん剤のターゲットとしても注目されている。

オートタキシンは2つのソマトメジンB様ドメイン(SMB)、触媒ドメイン、およびヌクレアーゼ様ドメイン(NLD)からなり、さらにはASn53、Asn410およびAsn524の3箇所においてAsn結合型糖鎖修飾を受けている。このうち、NLDとAsn524-結合型糖鎖は活性に必須であることが知られている。2010年に当研究室の西増らによって得られたオートタキシンの結晶構造から、SMBとNLDは触媒ドメインを両側からはさみ込むように相互作用していることが明らかになった(図1)。また、活性に必須のAsn524-結合型の糖鎖は触媒ドメインとNLDの間に位置していた。しかしながら、NLDもAsn524-結合型糖鎖も共に脂質結合ポケットや活性部位と直接の相互作用は無く、糖鎖修飾がどのように活性保持に寄与しているかは依然不明であった。

そこで本研究では、NLDおよびAsn524-結合型糖鎖がオートタキシンの活性に与える影響を調べるために、オートタキシンに対して分子動力学シミュレーションを行った。具体的には、全長のオートタキシン(WT)およびNLDや糖鎖を欠損させた構造(Δglycan、ΔNLD、および、ΔNLDΔglycan)をそれぞれ初期構造として300~400nsの分子動力学シミュレーションを行い、そのダイナミクスの差異を調べた。

最初に、各シミュレーションのroot mean square deviation(RMSD)を調べると、WTでは触媒ドメインとNLDのRMSDの値は共に小さく安定であったのに対し、ΔNLDおよびΔNLDΔglycanシミュレーションにおいては触媒ドメインのRMSDが大きく変化していることが明らかになった。またΔglycanでは触媒ドメインとNLD間の角度がWTと比較して大きくなっていることが明らかになった。そこで次に、触媒ドメインについてより詳細な解析を行うために、触媒ドメインを、脂質結合ポケットを含むcoreと、2つの挿入領域Ins1、Ins2の3つの領域に分割し(図1)、RMSD解析等を行った。その結果、Δglycan、ΔNLD、およびΔNLDΔglycanシミュレーションではIns1およびIns2が不安定化することが確認された(図2)。加えて、それら変異体のシミュレーションでは、触媒残基であるThr209、およびThr209を含むαヘリックスも同様に不安定化していた(図3)。さらに、シミュレーションのトラジェクトリに対して残基間の動きの相関係数解析を行った結果、オートタキシンには、NLD、Ins1、Ins2、糖鎖から活性残基に至るまで相互作用パスウェイが形成されており、このパスウェイが活性残基の安定化に寄与していること、また、変異体ではこのパスウェイが壊れるため、活性残基が不安定化し、活性の消失に繋がることが示唆された(図4)。

チャネルロドプシンのゲート機構

チャネルロドプシンは緑藻類から単離された光駆動性の陽イオンチャネルであり、他のロドプシンファミリータンパク質と同様に、発色団としてレチナールを有する。光が照射されると全trans型レチナールは13-cis型レチナールヘと異性化し、シッフ塩基からプロトンアクセプターである近傍の酸性アミノ酸残基へとプロトンが受け渡される。また、青色光を照射すると細胞内に陽イオンを取り込むという性質から、チャネルロドプシンは神経科学の応用技術としても脚光を浴びている。

2012年に当研究室の加藤らによって解かれた暗状態のチャネルロドプシンの結晶構造(図5)は、プロトンアクセプターやイオン透過経路についてなど、これまで不明な点が多かったチャネルロドプシンの分子機構について非常に多くの知見を与えた。しかしながら、得られたチャネルロドプシンの結晶構造には細胞内側とタンパク質中央付近にそれぞれ狭窄部位が存在し(狭窄部位A、B)、細胞質側が閉じた構造であった(図6)。そのため光サイクルの各過程で、結晶構造で観測されたチャネル孔に存在する2つの狭窄部位(図6)を含め各残基がいつどのようにして動くことでチャネル孔が開くのかは依然不明である。

そこで本研究では、チャネルロドプシンに対して分子動力学シミュレーションを適用し、チャネルロドプシンの各残基がどのように動きチャネル孔が開くのかを調べた。具体的には、レチナールの異性化状態やシッフ塩基のプロトン化状態、またチャネル孔を塞いでいたグルタミン酸のプロトン化状態を変えた構造を使用してそれぞれ分子動力学シミュレーションを行い、状態ごとのチャネル孔の動きなどを調べた。

最初に、レチナール近傍に存在していた2つの酸性残基であるGlu162とAsp292のうち、プロトン化状態が不明であったGlu162について、プロトン化および脱プロトン化双方の状態に対して分子動力学シミュレーションを行った。その結果、レチナールが全trans型および13-cis型のどちらの場合もGlu162がプロトン化している状態の方が結晶構造におけるレチナール周辺の環境を再現することが明らかになった。従って、プロトン化状態がこれまで報告されていないGlu162については、今回の結果からプロトン化していることが示唆された。

次に、レチナールの状態と、チャネル孔に存在するGlu122およびGlu129のプロトン化状態を変えた構造を初期構造としてそれぞれ分子動力学シミュレーションを行った。その結果、Glu122およびGlu129を脱プロトン化させたシミュレーション(sim E122-E129)では、共にプロトン化させたシミュレーション(sim-E122p-E129p)と比較してTM7のRMSDが大きくなっていることが明らかになった(図7a)。実際に100ns時点の構造のスナップショットを見ると、TM7の細胞質側の領域が、チャネル孔が広がる方向に傾くことが観測された(図7b)。

さらに、狭窄部位Aに着目すると、Glu122の脱プロトン化によってTM2に属するGlu121とTM7に属するArg307の相互作用頻度が減少しており(図8b)、このことがTM7の不安定化に繋がっていることが示唆された。また、結晶構造の温度因子が高かったTM1に属するTyr109はシミュレーション中では安定な挙動を示した一方で、Glu122は高いRMSD値を示した(図8a)。この結果から、狭窄部位AはTyr109ではなくGlu122が動くことでチャネル孔が開くことが示唆された。次に狭窄部位Bに着目するとGlu129の脱プロトン化によってTM2に属するGlu129とTM7に属するAsn297の水素結合が切れており(図9a)、この水素結合の消失もTM7の不安定化に繋がることが示唆された。さらに、sim E122-E129では水分子が流入しており(図9b)、水分子が透過し得る経路が形成されたことも確認された。これらの結果によりチャネル孔の開閉モデルが提唱され、今後の変異体作製などの実験やシミュレーションについての示唆を与えた。

図1:オートタキシンの結晶構造

図2:触媒ドメインの各領域のRMSFの平均値

図3:脂質結合ポケットの解析結果

(左)脂質結合ポケットの構造。結晶構造(水色)と30nsごとのスナップショット(灰色)を示した。

(右)α6、α8、α14のRMSD、Thr209の重原子のRMSD

図4:オートタキシンの活性残基安定化メカノズム

図5:チャネルロドプシンの結晶構造

図6:2箇所の狭窄部位

図7:TM7の動き

(a)TM7のRMSD(b)sim E122-E129の100ns時のスナップショット

図8:狭窄部位Aの動き

(a)Tyr109、Glu122、His173のRMSD

(b)sim E122-E129の100ns時のスナップショット

図9:狭窄部位Bの動き

(a)Glu129-Asn297の距離

(b)チャネル孔への水分子の流入。100nsのスナップショットを示す。水分子は水色のballstickモデルで示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。序章はイントロダクションにあたり、本論文中で行うタンパク質の分子動力学シミュレーションについての概略および論文の概要、研究目的等が記述されている。第1章は脂質メディエーター産生酵素オートタキシンの分子動力学シミュレーションについて述べられている。野生型、ヌクレアーゼ様ドメイン欠損体、また、糖鎖欠損体のオートタキシンについて分子動力学シミュレーションを適用していた。その結果、ヌクレアーゼ様ドメインと糖鎖という、活性部位と直接の相互作用が無い領域も、オートタキシン内において相互作用パスウェイを形成することで共に活性残基Thr209の安定化に寄与していることが示唆された。その結果を踏まえ、オートタキシンの活性残基安定化モデルが提案されていた。第2章は光駆動性の陽イオンチャネルであるチャネルロドプシンについての分子動力学シミュレーションによって得られた知見について述べられている。チャネルロドプシンの発色団であるレチナールの異性化状態やシッフ塩基のプロトン化状態、さらにはチャネル孔に存在するグルタミン酸のプロトン化状態を変えた構造をそれぞれ初期構造として分子動力学シミュレーションを行い、ダイナミクスの差異を調べていた。その結果、チャネル孔に存在する2つのグルタミン酸の脱プロトン化やレチナールの状態がゲートの開閉に重要であることが示唆されていた。この結果は、神経科学への応用ツールとしてより価値の高いチャネルロドプシン変異体作製のための知見を与えたものとして、意義あるものと評価できる。終章には論文全体の総括が記述されている。

なお、本論文第1章は、西増弘志、石谷隆一郎、および、濡木理との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、オートタキシンの分子動力学シミュレーションを行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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