学位論文要旨



No 129013
著者(漢字) 黒川,瞬
著者(英字)
著者(カナ) クロカワ,シュン
標題(和) 有限集団における社会行動の固定確率と大きいグループにおける互恵性の進化
標題(洋) Fixation probabilities of social behaviors in finite populations and the evolution of reciprocity in sizable groups
報告番号 129013
報告番号 甲29013
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5990号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 井原,泰雄
 東京大学 准教授 近藤,修
 東京大学 准教授 野口,航
 総合研究大学院大学 教授 佐々木,顕
 東京工業大学 准教授 中丸,麻由子
内容要旨 要旨を表示する

General Introduction

社会行動は行為者と被行為者への効果に従って、4つに分類することができる。行為者と被行為者の両方に対して正の効果を伴う社会行動は「共栄」、行為者には正の効果、被行為者には負の効果を伴う社会行動は「利己」、行為者には負の効果、被行為者には正の効果を伴う社会行動は「協力」、行為者と被行為者の両方に対して負の効果を伴う社会行動は「嫌がらせ」という。協力行動と嫌がらせ行動の自然界における存在は、それらは直接的には行為者の適応度に対して負の効果を伴うので、説明を要する。特に、協力行動の進化は、進化生物学において主要な問題であり続けた。協力行動の進化を説明するメカニズムの一つとして、互恵性があげられる。互恵性は、助けてくれた個体に対しては助け、助けてくれなかった個体に対しては将来の協力を差し控える性質であり、このような工夫をほどこした協力的な振る舞いは進化しうることが数理モデルを用いた理論研究から言われてきた。協力行動は2者間での相互作用だけでなく、3個体以上が関わる社会的な相互作用においても観察される。例としては、献血、選挙、地球温暖化対策などがあげられる。互恵性は2者間での協力行動の進化を説明しうる一方で、(協力的な平衡状態に向かうbasin of attractionが、グループサイズが大きくなるにつれて急速に縮むので、)互恵性は大きいグループにおける協力行動の進化を説明できない1というのがコンセンサスの取れた見解であった。そして、その後、大きなグループにおける協力行動の進化を説明するために、「非協力者に対する罰」「村八分」などのメカニズムが提起されることにつながった。しかしながら、この、「互恵性では大きなグループにおける協力行動の進化を説明できない」という知見は無限集団を仮定していて、遺伝的浮動の効果を考慮しない決定論的な過程を考えるモデルの解析に基づいている。最近では、Nowakらが、無限集団という仮定を取り除き、遺伝的浮動の効果を考慮した確率論的モデルを2人ゲームに対して開発した。A,Bを戦略とし、aj,bjをそれぞれtablelのように定義する。

このとき、Nowakらは、代数解析の結果、ρA,Bを、1つの突然変異個体Aが戦略Bばかりからなる集団に侵入したときに固定する確率とすると、

が成り立つことを発見した。2ここで、wは選択の強さ、Nは集団サイズである。しかし、このNowaらの研究では、大きなグループにおける協力行動の進化などの3者間以上での相互作用に関して解析を行うことはできない。本論文の構成は以下である。本稿第1章では、有限集団における任意のグループサイズで行われる社会行動の固定確率を求めて、大きなグループにおける協力行動の進化について論じ、本稿第2章では寛容さの進化について論じ、本稿第3章では、本稿第1章で求めた有限集団における社会行動の固定確率を、社会行動の自分に対する効果と相手に対する効果を用いて書き換え、本稿第4章では、情報が不完全の時の、大きいグループにおける互恵性の進化について論じる。

Chapter l :Emergence of cooperation in public goods game

General Intrroductionで記述したようにNowakらは、2者間での相互作用における固定確率を計算したが、n者間での相互作用における固定確率を求めることは、大人数での相互作用を解析する上では必要である。この章では、n人ゲームの確率論的モデルを解析し、n人ゲームで記述される社会行動の固定確率を得る。A,Bを戦略とし、aj,bjをそれぞれ、n人からなるグループの自分以外のn-1個体の中に、Aがn-j個体いるときの戦略A、戦略Bの利得と定義する(table2)。このとき、table2はtablelの一般化になっている。

このとき、私は、代数解析の結果、1つの突然変異個体Aが戦略Bばかりからなる集団に侵入したときに固定する確率ρA,Bを計算し、

が成り立つことを発見した。ここで、Wは選択の強さ、Nは集団サイズである。式(B)に、N=2を代入すると、もちろん式(A)と一致する。また、式(B)は以下のようにも書き換えられる。

この式を用いて、互恵的協力者がn人繰り返し囚人のジレンマにおいて非協力者の集団に取って代わることを自然選択が好みうる(固定確率が、中立の場合の固定確率である1/Nを超えうる)ことを示した。加えて、先行研究に反して、グループサイズが大きくなるほど公共財ゲームにおける協力行動の進化が促進されることがモデルから示唆された。3

Chapter 2: Generous cooperators can outperform non-generous cooperators when replacing a population of defectors

もし協力者が、将来の協力を差し控えることによって非協力者を罰するという性質(互恵性)を持っているならば、2者間での繰り返し相互作用において協力は進化しうると述べられてきた。しかしながら、3者間以上の個体が関わる社会的な相互作用では、将来の協力を差し控えることが非協力者だけでなく、他の協力者も罰することをもたらすかもしれない。従って、そのような社会的な相互作用では、協力者がどんな数の非協力者にも寛容でないときに協力が最も進化しやすいかどうかは明らかではない。ここで、第1章で得た式(B)(式(C)とも)を用いて、n人囚人のジレンマの確率論的なモデルを解析する。そして、協力者がいくらかの非協力を容認するときの方が、そのような寛容さを持たないときよりも非協力者からなる集団に取って代わることはもっと起こりうることを示した。また、協力行動の進化をもっとも促進する寛容さの最適なレベルも求めた。4

Chapter 3: Evolution of social behavior in finite populations: a payoff transformation in general n-player games and its implications

この章では、有限集団における社会行動の進化について一般的なn人ゲームを用いて研究する。n-j個体のAとj-1個体のBの、計n-1個体と共にゲームをする個体を考える。この個体が、BからAに戦略を変えた時の行為者と被行為者の利得への効果をそれぞれ、Cj,Bjと定義するとCj=aj-bj,Bj=(n-j)(aj-a(j+1))+(j-1)(b(j-1)-bj)と書き表すことができる。第1章で、一般のn人ゲームの社会行動の固定確率が、式(B)(式(C)とも)で記述できることを示したが、今、定義したCj,Bjを用いて、固定確率は、

とも記述できる。Nowakらは、「(i)Bばかりの集団にAが1個体侵入したときにAが固定する確率が中立の場合を下回り、」かつ、「(ii)Bばかりの集団にAが1個体侵入したときに、侵入した個体Aの利得が、Bのそのときの平均利得よりも下回る」とき、BがESSNであると呼ぶことにした。この定義に従えば、BがESSNであるための条件は、

である。これは、行為者の利得への効果に、被行為者の利得への効果に完全に混合した集団の2個体間の平均血縁度を掛けたものを足したものが、戦略がESSNであるか否かにおいて重要な役割を担うことを意味する。5ここまでは、完全に混合した集団における社会行動の解析であるが、マルチレベルセレクションがあるときにおいても、社会行動の固定確率を得た。6

Chapter 4: The evolution of reciprocity in sizable groups when information is imperfect

第1章、第2章で互恵性の進化にっいて解析したが、これらは協力しているか否かという情報が他者に伝わることを仮定していた。しかしながら、現実の世界では情報はしばしば不完全である。協力しているか否かの情報が不完全であることは、互恵的協力者の協力が他者に伝わらず、その結果、互恵的協力者は他者の協力を引き出せず、互恵的協力者の協力が割に合わない、という事態を引き起こしうる。本章では、2つの情報構造を考え、式(B)(式(C)、式(D)とも)を用いてn人囚人のジレンマの確率論的なモデルを解析した。そして、グループサイズが2の時の互恵性の進化の条件と、グループサイズが十分に大きいときの互恵性の進化の条件を比較することで、大きいグループでの協力行動の進化の条件は情報が不完全であっても説明できることを示した。7

General Discussion

本稿第1章では、有限集団における社会行動の固定確率を求めて大きなグループにおける協力行動の出現を説明し、本稿第2章では寛容さの進化について論じ、本稿第3章では、本稿第1章で求めた有限集団における社会行動の固定確率を、社会行動の自分に対する効果と相手に対する効果を用いて書き換え、本稿第4章では、情報が不完全の時の、大きいグループにおける互恵性の進化を論じた。本論文は、「一般の社会行動の固定確率」という一般的な話と、それを用いた応用(本論文では、大きいグル0プにおける互恵性の進化)に分けられる。まず前者に関して。本論文で求めた固定確率は、社会行動に関しては一般的な場合に関して扱えるが、集団の構造に関しては十分に混合した集団と第3章で扱ったマルチレベルセレクションが働く集団という2つの場合に限定されている。今後の研究としては、任意の集団構造の場合の固定確率を求めるということが考えられるであろう。次に後者に関して。本論文では、大きいグループにおける互恵性の進化に関して議論したが、「協力しようとしたが、実際にはできなかった」といった行動のミスに関しては考慮していない。このような行動のミスに関して考慮すれば興味深い知見が得られるかもしれない。また、嫌がらせも協力と同様に自らの適応度を下げる行動であり、現在存在することは説明を要するが、これに対するアプローチとしても、本論文で得た固定確率は有用であろう。また、応用としての位置づけにあたる、罰の進化に関する論文8もあるが、さらなる研究が期待される。

[1]Boyd, R., and Richerson, P. J. 1988. Journal of Theoretical Biology[2]Nowak, M. A., Sasaki, A., Taylor, C. and Fudenberg, D. 2004. Nature[3]Kurokawa, S., and Ihara, Y. 2009. Proceedings of the Royal Society B[4]Kurokawa, S., Wakano, J. Y., and Ihara, Y. 2010. Theoretical Population Biology[5]Hamilton, W. D. 1964. Journal of Theoretical biology[6]Kurokawa, S., and Ihara, Y. 2013. Theoretical Population Biology[7]Kurokawa, S., and Ihara, Y.投稿凖備中[8]Deng, K., Li, Z., Kurokawa, S., and Chu, T. 2012. Theoretical Population Biology

Table1. 2人ゲームの利得行列

Table2. 一般のn人ゲームの利得行列

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第0章はイントロダクションであり、論文の構成についての説明がなされている。

第1章前半では、本論文の全体で使われる基本的なゲームモデルが導出されている。このモデルは、相異なる2つの戦略(A、B)のいずれかをとるN個体の集団を想定し、そこから無作為に抽出されたn個体からなるグループ内でゲームを行い、ゲームの利得に応じて各個体の繁殖確率が決まるというものである。ゲームの利得は、グループ内の各戦略をとる個体の数に依存する。集団中の各戦略をとる個体の数の時間変化は、頻度依存淘汰をともなうモランモデルによって定式化されている。このモデルの分析により、A戦略をとる個体1個体とB戦略をとる個体N−1個体からなる集団が、最終的にA戦略をとる個体N個体からなる集団に収束する確率(固定確率)が、簡単な式で表されることを示している。また、得られた固定確率を、両戦略が進化的に中立である場合の固定確率(1/N)と比較することにより、B戦略の集団のA戦略による置換が自然淘汰によって促進されるための条件を求めている。先行研究(Nowak et al., 2004. Nature 428, 646-650)は、本論文第1章の結果をn = 2の場合について導出したものであるが、本研究はこれを一般のnに関して導出することに成功した初めての研究であり、きわめて意義が深い。さらに、第1章後半では、導出したモデルをn人繰り返し囚人のジレンマゲームに適用し、協力の進化について分析している。特に、互恵的戦略(TFTn−1)による、非協力的戦略(ALLD)の集団の置換が、自然淘汰によって促進されるための条件を求めている。また、先行研究で得られていた「1/3則」(協力の進化が促進されるための条件)が、実際にはより一般的な「{2/[n(n+1)]}^[1/(n-1)]則」の、n = 2の場合の表現であったことを発見した点も高く評価できる。

第2章では、第1章後半で行ったn人囚人のジレンマゲームの分析をさらに進め、互恵的戦略の「寛容さ」が、協力の進化に及ぼす影響について論じている。第1章で分析した互恵的戦略であるTFT(n−1)は、グループ内に1個体でも非協力者が存在する場合には次回の対戦で協力をしないという、最も不寛容な戦略であった。これに対してTFTa(a < n−1)は、グループ内に存在する非協力者の数がn−a−1以下であれば次回の対戦で協力するという、より寛容な戦略である。分析の結果は、このような寛容さが協力の進化を促進しうることを示している。また、協力の進化が最も起こりやすい寛容さ(a)を特定することに成功している。いずれも新奇な知見であり、評価に値する。

第3章では、第1章前半で導出したn人ゲームのモデルにより、一般的な利得行列を用いて、パンミクティックな集団、および分集団間でマルチレベル淘汰が起こるような集団における社会行動の進化を分析している。社会行動は行為者および被行為者が受けるコストとベネフィットに応じて、mutualistic、altruistic、spiteful、selfishの4通りに分類される。従来の理論研究は特殊な利得行列を仮定したうえで分析を進めるものであったが、本研究はそのような仮定を置いていない点で新奇性がある。また、導出された社会行動の進化のための条件は、本研究で新たに発見した利得の変換を施すことにより、包括適応度理論からも解釈できることを示している。昨今、進化ゲーム理論と包括適応度理論との関係が盛んに論じられているが、本研究はこの議論に貢献するという意味でも意義がある。

第4章は、第1章後半で用いたn人繰り返し囚人のジレンマゲームを拡張し、他個体の振る舞いに関する情報が不完全な場合について論じている。第3章までの分析では、各個体の行動はグループ内の全ての個体により正しく認識されることが仮定されていた。しかし実際には、特にグループの大きさ(n)が大きいときに、各個体の行動に関する情報が正しくすべての個体に行き渡るとは限らない。第4章はこの点に注目し、2種類のモデルを使って情報が不完全な場合の協力の進化について分析している。分析の結果、情報が不完全な場合であっても、もし2個体間の相互作用(n = 2)において協力の進化が自然淘汰によって促進されるのであれば、n個体間の相互作用(n > 2)においても協力の進化が自然淘汰によって促進されるということが示された。この結果は、大きなグループでは互恵性による協力行動の進化は起こらないという従来の支配的見解に一石を投じるものであり、大きな意義がある。

第5章では、本研究を総括し結論が述べられている。

なお、本論文第1章、第3章、第4章は、井原泰雄との共同研究であり、また第2章は、若野友一郎、井原泰雄との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク