学位論文要旨



No 129015
著者(漢字) 田村,光平
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,コウヘイ
標題(和) 構造化された集団における文化進化
標題(洋) Cultural Evolution in Structured Populations
報告番号 129015
報告番号 甲29015
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5992号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 井原,泰雄
 東京大学 教授 植田,信太郎
 東京大学 准教授 石田,貴文
 東京大学 准教授 増田,直紀
 名古屋大学 准教授 鈴木,麗璽
内容要旨 要旨を表示する

文化は,古典的には「非遺伝的手段を用いて伝達される情報」として定義され,ヒトの特異性として挙げられることも多い.集団中の遺伝的構成の時間変化を進化とよぶが,これになぞらえて,集団中の文化的構成の時間変化を文化進化とよぶ.文化進化の理論は1980 年代にCavalli-Sforza and Feldman (1981) とBoyd and Richerson(1985) によって定式化されて以来,現在まで人類学を中心に,文化の多様性とそれを生み出す認知バイアスの理解に大きく貢献してきた.情報伝達は構造によって規定される.構造には,空間的なもの,社会的なもの,文化的なものなどがある.このような構造による情報伝達の局所化は,生物の行動に大きな影響を与えるとともに,文化の多様化を促したり,大域的なパターンを生み出すこともある.特に地理的な構造の重要性は生態学・集団遺伝学で古くから認識されてきた.90年代末に始まった複雑ネットワークの研究により,次数の不均一性といった現実に存在する構造を一般的にモデル化・解析するための基盤が整えられた.生物学の分野でも,特に2000年代にはいってから空間ゲーム理論に応用され,生物の社会行動の理解に大きく貢献してきた.複雑ネットワークの理論をこれまで積み上げられてきた文化進化の理論に組み合わせることは,様々な文化現象への理解をもたらすと期待される.

様々な文化現象のなかでも,非適応的行動は重要な位置を占めている.進化生物学,特に行動生態学では,生物の行動を主として適応進化の産物であると考える.そのため,非適応的行動をこの観点と矛盾しない形で説明することは,進化生物学の大きな課題のひとつである.本論文では,特に,文化的に伝達される非適応的行動に注目する.ヒトには平均して適応的な文化を獲得できるような学習バイアスが備わっていると考えられるが,非適応的文化を対象とすることで,そのバイアスの性質や,誤作動を起こす条件などが明らかになりやすいと考えられる.また,非適応的な文化の拡散にも,社会構造,文化構造などが大きく影響を与えていることがこれまで示唆されてきている.非適応的な文化の伝播を,構造をはじめとする外的な要因と,学習バイアスなどの内的な要因の両面から定量化することは,文化現象の理解に大きく貢献すると考えられる.

本論文では,構造が文化進化に及ぼす影響について,理論・実証の両面から研究を行った.

2次元格子上での社会学習の進化

学習は,「経験による行動の変化」と定義される.ヒトを含む多くの生物の学習能力は,試行錯誤等によって独力で行われる個体学習と,模倣等によって他者から情報を獲得する社会学習の2つに大まかに分けられる.文化には,これら2 つの学習能力が高度に発達していることが不可欠である.近年,構造が個体学習と社会学習のどちらに有利に働くかについて活発な議論が行われている(Rendell et al., 2010; Kobayashi and Wakano, 2012).先行研究で一致した結果が得られていない原因として,(1) 文化伝達様式(誰から学ぶか)と(2) 空間構造の違い,の2 つの要因が考えられる.本研究では,人類学の分野で伝統的に用いられてきた学習進化のモデル(Feldman モデル)に2 次元格子構造を導入し,シミュレーションを行うことで,(a) 斜行伝達と(b) 垂直・水平伝達の2 つの文化伝達様式が社会学習の進化に及ぼす影響を比較した.その結果,構造が社会学習の進化に有利に働きやすいのは,垂直・水平伝達の場合であることが示唆された.また,戦略のアップデートが同時的か,非同時的かも,局所的な競争や文化伝達の速さに影響を与えることで,進化の帰結に影響を及ぼしうることがわかった.

社会ネットワーク上での学習の進化

上で述べたように,構造が社会学習の進化に有利に働くかどうかについて先行研究で一貫した結論が得られていない理由のひとつに,各研究で想定している空間構造の違いが挙げられる.そこで本研究では,まず,包括適応度理論を用いて任意のネットワーク構造における社会学習者の平衡頻度を近似的に求めた.続いて,複雑ネットワークの手法を用いて,ランダム正則グラフ,スケールフリーネットワーク,1 次元格子,2 次元格子上でシミュレーションを行い,それぞれのネットワーク上での社会学習者の平衡頻度を,完全混合集団のものと比較するとともに,近似式の妥当性を調べた.その結果,クラスターを作りやすいネットワークのほうが,構造が社会学習の進化に有利に働きやすいが,その効果は文化伝達様式に大きく依存することが明らかになった.また,クラスターを作りやすいネットワークでは,近似式の精度が低下することがわかった.

社会ネットワーク上での非適応的文化進化

構造が非適応的文化の伝播を促進する可能性があることが,理論的に指摘されてきた.しかし,そうした研究の多くは,集団が社会学習者で固定している場合を考えており,学習戦略の進化ダイナミクスを明示的には扱ってこなかった.そこで本研究では,個体学習者と社会学習者の間の進化ダイナミクスを扱えるFeldman モデルを用い,ランダム正則グラフとスケールフリーネットワークを比較することで,次数分布の偏りが非適応的文化進化にどのような影響を及ぼすかをシミュレーションによって検証した.その結果,不均一なネットワークでは,社会学習者の頻度自体は,ランダム正則グラフとスケールフリーネットワークで同程度であるが,スケールフリーネットワークでは社会学習者のうち非適応的文化をもつ個体の割合が,ランダム正則グラフよりも高くなることが示された.また,学習戦略と戦略の平均次数の間に相関はみられなかった.革新的な個体や高度な技術を持つ個体がネットワーク上の影響力のある位置を占めている可能性は指摘されている.しかしながら,単純な進化ダイナミクスや静的なネットワークのもとでは,そのような傾向はみられないことが示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章はイントロダクションであり、文化進化研究の背景となる知識の説明、特に学習能力の進化、および集団構造が文化進化におよぼす影響に関する先行研究の総説にあてられている。

第2章では、学習能力の進化を扱うための数理モデルが導入されている。このモデルは、変動環境下での学習能力進化の標準モデル(Feldman et al., 1996)を踏襲しており、集団中に存在する社会学習者と個体学習者の頻度の進化動態を分析するものである。個体学習者は、自分が置かれている環境において試行錯誤等のコストの高い個体学習を行い、常に適応的な行動を獲得する。一方、社会学習者は、他個体の行動を模倣する等のコストの低い社会学習を行う。社会学習には非適応的な行動を獲得する危険が伴うが、多くの個体が示す行動が、環境の変動により非適応的になったときに、特にこの危険が大きい。従来の研究により、社会学習は環境が比較的安定な場合に有利になることが示されていた。従来の研究で用いられてきたモデルの大部分は、パンミクティックな(各個体が集団中の全ての個体と無作為に相互作用する)集団を仮定していたが、本研究ではモデルに新たに空間構造を導入している。特に第2章では、空間構造として格子平面を仮定しており、格子平面上に分布する個体が隣接個体とのみ相互作用する場合に注目している。最近のいくつかの研究では、パンミクティックな場合と比べて、空間構造がある場合に社会学習能力の進化が促進されるか否かが議論されていたが、この問題に対する明確な解答はまだ得られていなかった。本研究は、新たに導入したモデルを分析することにより、この問題に明確な結論を提出した点で意義深い。すなわち、大部分のパラメータ領域において、空間構造は社会学習能力の進化を抑制するが、特定の条件下では逆にこれを促進することが示された。先行研究における結果の不一致は、注目するパラメータ領域の違いに起因することが示唆された。

第3章では、集団構造を個体間の社会ネットワークとして記述したうえで、第2章と同様、学習能力進化の標準モデルを用いて社会学習能力の進化について分析している。まず、一般的な社会ネットワークに対して、進化動態の平衡状態における社会学習者の頻度を近似的に導出している。これによれば、社会学習者の平衡頻度は、3つの血縁度指標を使って表される。一般的な社会ネットワークに対して、社会学習者の平衡頻度の解析的導出に成功したのは本研究が初めてであり、高く評価できる。次に、4種類の具体的なネットワーク構造(正則ランダムグラフ、スケールフリーネットワーク、1次元格子、2次元格子)を仮定したうえでモンテカルロ・シミュレーションを行い、社会学習者の頻度の長期的平均を数値的に求め、解析的に求めた平衡頻度と比較した。この結果、本研究の方法による近似は、正則ランダムグラフとスケールフリーネットワークでは極めて良好であり、2次元格子でも概ね良好、1次元格子では不適当であることが示された。

第4章では、第3章に引き続き社会ネットワーク上での標準モデルを用いて、homogeneousなネットワークとheterogeneousなネットワークの違いが、文化進化におよぼす影響について分析している。なお、homogeneousなネットワークとは、全てのノードが等しく一定数のノードとの間にリンクをもつものであり、本研究では正則ランダムグラフを分析に用いている。これに対して、heterogeneousなネットワークは、ノードによりリンクの数が異なるものであるが、本研究ではスケールフリーネットワークを用いている。分析の結果、heterogeneousなネットワークでは、homogeneousなネットワークに比べて、非適応的な文化形質が高頻度で集団中に維持されやすいことが示唆された。非適応的文化進化に関する従来の理論研究においても、「他者への影響力のばらつき」が重要な要因であることが示されていた。本研究の結果は、先行研究の結果をネットワークのheterogeneityという観点から解釈できることを示した点で意義がある。

第5章では、本研究を総括し結論が述べられている。

なお、本論文第2章、第4章、およびAppendix Dの内容は、井原泰雄との共同研究であり、また第3章は、小林豊、井原泰雄との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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