学位論文要旨



No 129016
著者(漢字) 藤田,俊之
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,トシユキ
標題(和) プロテオミクスを用いたセイヨウミツバチ頭部・胸部外分泌腺の機能解析
標題(洋) Analysis of the functions of cephalic and thoracic exocrine glands of the European honeybee using proteomics
報告番号 129016
報告番号 甲29016
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5993号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 赤坂,甲治
 東京大学 准教授 尾山,大明
 東京大学 准教授 廣野,雅文
 東京大学 准教授 平良,眞規
内容要旨 要旨を表示する

多くの生物種において、同一のゲノムをもつにも関わらず環境からの刺激に応じて異なる表現型を示す現象(polyphenism)が知られている。例えばいくつかの動物種で、発生期に与えられる栄養や、生育密度に依存して異なった成熟の仕方/病気への感受性を獲得する生態学的知見がある。

しかしながら、それらの多くは関わる要因が複雑で、分子基盤は明らかではない。そこで私は、幼虫期に与えられる栄養に依存して異なる表現型を示す社会性昆虫、セイヨウミツバチ(Apis mellifera L.)に着目した。ミツバチでは、メスが幼虫期に与えられるローヤルゼリー(RJ)の量に依存して、女王蜂か働き蜂へとカースト分化する。RJはタンパク質が豊富な働き蜂の分泌物である。近年、最も主要なRJタンパク質(MRJPs:major RJ proteins)の一つ(Royalactin)が女王蜂への分化に必要であることが報告されたが、機能的な女王蜂への分化に十分であるかは不明なままである。

MRJPsは働き蜂の頭部外分泌腺である下咽頭腺に由来することが知られていたが、私は修士課程において、RJとミツバチ働き蜂の頭部・胸部に存在する機能不明な外分泌腺である後脳腺・胸部唾液腺の小規模なプロテオミクス解析を行い、後脳腺に発現する成虫原基成長因子(IDGF4:Imaginal disc growth factor4)がRJ内に存在することを見いだした。これによりIDGF4がRJに外分泌されて、他個体の生理状態に影響する可能性を提唱した。本研究では、RJに含まれるタンパク質のショットガンプロテオミクスを用いた網羅的解析、それらのRJタンパク質が由来する外分泌腺の同定と、各々の外分泌腺のプロテオームに基づく機能解析を行った。修士課程の研究で、後脳腺と胸部唾液腺から新規RJタンパク質IDGF4が発見されたことから、RJタンパク質の全貌を理解する上では、RJタンパク質が由来すると考えられる外分泌腺のプロテオームの解析が有用であると考えた。そこで、RJ、下咽頭腺、後脳腺、胸部唾液腺から各々タンパク質を抽出し、トリプシン消化の後、ダイレクトナノフロー液体クロマトグラフィータンデム質量分析システムを用いたショットガンプロテオミクス解析を行った(図1)。その結果、RJと各々の組織から重複のない38(RJ)、632(下咽頭腺)、711(後脳腺)、833(胸部唾液線)種のタンパク質を同定した(p<0.01)。RJは働き蜂の口器から分泌されるため、含まれるタンパク質は分泌性タンパク質であると期待される。そこで、RJから同定されたタンパク質から分泌性タンパク質を抽出する目的で、タンパク質の局在予想ツール(PSORT)を用いた解析を行った。その結果、38種中22種類が分泌性と予想された(図2)。この内9種は新規RJタンパク質であった。これらの由来を知る目的で、3つの外分泌腺から同定されたプロテオームのリストと比較した結果、11、9、5種は下咽頭腺、後脳腺、胸部唾液腺に共通して検出された。加えて下咽頭腺、後脳腺、胸部唾液腺の内の一つのみと共通するものが、それぞれ7、2、1種あったことから、RJは従来考えられてきたように下咽頭腺だけではなく、これら3つの外分泌腺に由来するタンパク質のカクテルであることが示された。特に、個体の生理状態に影響しうる候補タンパク質として、IDGF4に加えて、insulin-like growth factor-binding protein complex acid labile subunit-like(IGFBP-ALS)とprotein takeout-like(To)を見いだした。IGFBP-ALSはインスリンシグナリング、Toは脂質輸送に関与する。これらは内分泌性のタンパク質であるが、RJから検出されたことおよび、RT-PCR法で由来外分泌腺での発現が確認されたことから、RJへ外分泌される可能性が示唆された。RJタンパク質の由来する外分泌腺のうち、後脳腺と胸部唾液腺については、後脳腺がフェロモンの一種であるオレイン酸エチル(EO)を含むことが報告されている他は、それらの機能は不明であった。そこで、各分泌腺のプロテオームのリストを用いてこれら外分泌腺の機能解析を行った。まず、各々の分泌腺で特異的に同定されたタンパク質が各々の分泌腺に固有な機能と関連すると考え、これらのタンパク質を検索した結果、それぞれ137(下咽頭腺)、138(後脳腺)、213(胸部唾液腺)種の各分泌腺に特異的に検出されたタンパク質を見いだした(図3)。これらのタンパク質について、それぞれKEGGデータベースを用いてパスウェイ解析を行った(図4A)。その結果、下咽頭腺ではGenetic Infbrmation Processingに分類されるタンパク質の割合が高く、これらのタンパク質の高発現が下咽頭腺の高いRJタンパク質分泌能の分子基盤であると考えられた。

また、胸部唾液腺のみでEnvironmental Information Processingに分類されるタンパク質が検出され、胸部唾液腺の機能が外部環境に影響されることが示唆された。さらに、各々の外分泌腺でMetabolismに分類されたタンパク質を詳細に調べた結果、後脳腺では炭水化物代謝に関わるタンパク質の割合が他の分泌腺より高かった(図4B)。質量分析機で所得したスペクトラルカウントに基づくタンパク質の発現の半定量的解析も、KEGGパスウェイ解析の結果と一致した。さて、働き蜂は羽化後の加齢に伴い、育児蜂から採餌蜂へと分業し、EOは採餌蜂が分泌する。そこで、これら炭水化物代謝に分類された脂質代謝酵素遺伝子群について定量的RT-PCR法を用いて組織および分業間での発現量比較を行った結果、acyl-CoA Delta(11)desaturase-likeは後脳腺選択的に発現し、育児蜂より採餌蜂の後脳腺で有意に発現量が高いことが判明した(図5A)。この傾向はtrans-2,3-enoyl-CoA reductase-likeについても確認された(図5B)。他の脂質代謝酵素遺伝子について同様な傾向が見られた。これらの結果は、採餌蜂後脳腺でEO合成が行われている可能性を支持するものである。本研究において、新規タンパク質9種を含む22種のRJタンパク質を同定し、その由来外分泌腺を同定した結果、RJが3つの外分泌腺に由来するタンパク質のカクテルであることが初めて明らかとなった。また内分泌性のタンパク質がRJに外分泌され他個体に影響する可能性が示された。さらに、プロテオームに基づき、3つの外分泌腺の機能を解析した結果、下咽頭腺の高タンパク質合成・分泌能の分子基盤を明らかとし、後脳腺がEO合成に働く可能性を示した。今後は同定した新規なRJタンパク質の、カースト分化における機能解析や、各々の外分泌腺のミツバチの分業における役割の解析が重要な課題である。

図1 実験のワークフロー

上段右:ミツバチ頭部・胸部の模式図。、下咽頭腺、後脳腺、胸部唾液腺をそれぞれ橙色、水色、赤で示す。下段:ショットガンプロテオミクスのワークフロー

図2 RJタンパク質の局在予測同定したRJタンパク質の内、分泌性と予想されたものを青で示す。

図3 各々の外分泌腺に特異的なタンパク質の探索数字はそれぞれの分画に対応するタンパク質の種数を示す。

図4 外分泌腺のKEGGパスウェイ解析

(A)大分類に基づき各々に含まれるタンパク質の割合を示した。(B)(A)のMetabolism分類の詳細を割合で示した。

図5 後脳腺特異的な炭水化物代謝遺伝子の発現量比較

(A)acyl-CoA Delta(11)desaturase-likeの発現量比較。ANOVA,Scheffe's test,**;p<0.01,*;p<0.05

(B)後脳腺でのtrans-2,3-enoyl-CoA reductase-likeの発現量比較。t検定。**;p<0.01

審査要旨 要旨を表示する

多くの昆虫で唾腺系は、その種に固有な生態の成立に必要な、特異な生理活性タンパク質や化合物を合成・分泌する。セイヨウミツバチ(Apis mellifera L.)は社会性昆虫であり、その雌は幼虫期に与えられたローヤルゼリー(RJ)の量に依存して、女王蜂か働き蜂へとカースト分化する。RJ の主要タンパク質(MRJP)は働き蜂頭部の外分泌腺、下咽頭腺(HpG)で合成・分泌される。一方、ミツバチの唾腺系は、共通な導管を経て口器に開口する後脳腺(PcG)と胸部唾液腺(TG)から形成されるが、その機能は不明であつた。論文提出者は、ミツバチの唾腺系の機能の解析は、ミツバチの生態(社会性)を成り立たせる化学コミュニケーションの理解に役立つと考え、修士課程ではそれらの機能を調べるために、PcGとTGのゲル電気泳動ベースのプロテオミクスを行つた。その結果、PcGから細胞成長因子(IDGF4)がRI中に外分泌されること、PcGとTGでは解糖系酵素であるaldoraseと脂肪酸代謝酵素であるacetyl‐CoAacyltransferase 2の発現が克進しており、PcGがフェロモンであるオレイン酸エチル(EO)の生合成器官であることを示唆した。博士課程ではRJに加えてHpG、PcG、TGの3つの外分泌腺のショットガンプロテオミクスを実施し、RIタンパク質が各々どの外分泌腺に由来するか、また各々の外分泌腺のRJ合成以外の機能を解析した。

本論文は2章立てで構成されており、第1章では修士課程での解析に加えて博士課程で解析したゲル電気泳動レベルのPcGとTGのプロテオミクスの結果、第2章ではRJ とHpG、PcG、TGのショットガンプロテオミクスの結果が記載されている。以下、第2章の内容について述べる。RJ からは38種類のタンパク質が同定した。この内、RJの採集段階で爽雑した可能性が懸念されるタンパク質を除外するため、ミツバチゲノムにコードされている推定上の'分泌性タンパク質'に注目すると22種類のタンパク質が同定された。この内、6種類は既知のMRIPであり、9種類は今回初めて同定されたRJタンパク質であった。興味深いことに、これらの中には、昆虫の生育に重要な役割を果たす分泌性タンパク質であるインスリン様増殖因子結合因子のサブユニット(IGFBP-ALS)や幼若ホルモン輸送因子(Protein takeout-like)が含まれていた。RJとHpG、PcG、TGのプロテオームを比較した結果、RJは従来考えられてきたようにHpG由来タンパタ質のみから構成されるのではなくPcG、TGという3種類の外分泌腺由来タンパク質の'カクテル'であることが判明した。

次にHPG、PcG、TGの3種類の外分泌腺の機能を解析する上で、それぞれの外分泌腺で固有に発現するタンパク質を検索した結果、それぞれ137、138、213種類のタンパク質を得た。これらをKEGGデータベースを用いて既知の代謝マップに当てはめたところ、HpGでは翻訳や核酸代謝に関わるタンパク質が種類も多く、またスペクトラル・カウントの結果、半定量的に多く検出され、HpGの高いタンパク質合成能の分子的基盤であることが示唆された。一方、PcGでは先の2種類の解糖系・脂質代謝酵素に加えて、糖・脂質・アミノ酸代謝酵素が多く検出され、定量的RT‐PCR法の結果、αryl-CoA Delta (11)desaturase と trans-2,3-enoyl-CoA reductase PcGがPcGで最も強く発現することが確認さされた。これらは、PcGがEO生合成器官であることをさらに支持する結果である。TGでは機能は不明ながらエネルギー代謝に関わるタンパク質が多く検出された他、機能未知の即タンパク質を分泌することが示された。最後に今後、新たに発見される可能性のあるRJタンパク質の候補として、HpG、PcG、TGの3つの外分泌腺が合成する推定の分泌性タンパク質のリストを作成した。

本研究はプロテオミクスを利用してミツバチ唾腺系の機能を解析した初めての例である。これにより、RJがHpGのみならずPcGとTG由来タンパク質のカクテルであること、RJに細胞成長因子が外分泌されるとの新しい概念を提示した。また、PcGがEO生合成器官であることを示唆した。これらの知見はミツバチ社会を成立させる化学コミュニケーションの分子基盤の理解に大きく貢献するものである。なお、本論文は秦祐子・近藤裕子・宇野佑子・錦織健児・森岡瑞枝・國枝武和・尾山大明・久保健雄(東京大学)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究戦略設定、実験、考察を行つたもので論文提出者の寄与が十分であると判断する。従つて、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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