学位論文要旨



No 129023
著者(漢字) 中島,章博
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,アキヒロ
標題(和) 演奏者の意識に着目した音楽練習室の評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 129023
報告番号 甲29023
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7914号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 坂本,慎一
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 准教授 佐久間,哲哉
 東京大学 教授 須田,義大
内容要旨 要旨を表示する

音楽練習室は、使用者である演奏者の視点が大切であり、「練習しやすさ」が求められる室である。しかし現状、十分な研究がなされているとはいえない。そのため、設計は設計者の経験や独自の判断に委ねられている。そのため、使用者の視点から練習のしやすい環境性能を明らかにし、設計に有効な知見を示すことが必要である。そこで、本論文では使用者である演奏者の意識に着目し、インタビュー調査や統計分析、演奏評価実験を行うことにより、音楽練習室の設計に関する工学的知見を得ることを目的とした。

第2章では、音楽練習室において、どのような環境性能の項目が必要とされているのか、また、必要とされる環境性能の各項目は相対的にどのくらいの重要性があるのか、インタビュー調査およびコンジョイント分析調査を行った。インタビュー調査では、音に限らず練習室の設計に重要な事項を抽出する目的から、音響性能以外に関する質問も行った。その結果、音楽練習室を設計する際に考慮すべきと思われる評価項目を抽出できた。「響き」「遮音」といった音に関する項目のみならず、「天井高」「床面積」などの室形状に関する項目、「窓」の有無など建築計画に関わる項目も挙げられた。

これらの項目から、どの項目がどのくらいの重要度を持っているのかを調べるため、コンジョイント分析を用いた調査を行った。本分析では、先ほど挙げた5評価項目に加え、練習室を借りるとどのくらいの時間練習することができるのかという運用面での項目である「連続使用時間」、廊下から室内の様子が分かる「廊下からの視線」の2評価項目を入れた。全体調査対象者の結果より、重要度は「響き」が最も高く、ついで「遮音」、「連続使用時間」の順となった。逆に、「廊下からの視線」や「窓の有無」の重要度は低かった。すなわち、練習室の使用者である演奏家は、今回分析を行った7評価項目のうち、「響き」をもっとも重要な評価項目としてとらえていることが分かり、音響設計の重要性を確認できた。また、対象者の楽器グループ別に分析を行うことで、グループごとに音楽練習室に求める環境性能が違うことが示唆された。声楽家は「響き」の重要度が非常に高く、ついで「天井高」が重要という結果であった。また、木管楽器奏者は声楽家同様「響き」の重要度が一番であったが、「使用時間」の重要度が他のグループより相対的に高かった。一方、弦楽器奏者は、「響き」の重要度が「遮音」や「使用時間」より低い値となり、「響き」の重要性が他の楽器グループより相対的に低いという結果が得られた。このことは、画一的なプランで設計されがちな音楽練習室であるが、楽器の特徴により求める条件が異なることを意味する。

第3章では、第2章で得られた結果から「響き」に着目し、基礎検討として「残響時間」にフォーカスし、そもそも練習室に最適な残響時間の範囲は存在するのか、また、楽器グループにより傾向に差があるのかという点について、プロ演奏家または音楽大学生による演奏評価実験を行った。実験にあたり、ひとつの共通するある室を基とし、残響時間の異なる個人練習室を実測結果からシミュレートし、実験音場を構築した。

このシステムを用いて演奏評価実験を行った結果、多重比較(Tukey-Kramer's test)により条件間の比較を行ったところ、残響時間が0.20秒の音場と0.35秒、0.46秒、0.61秒の3音場、0.26秒の音場と0.35秒、0.46秒、0.61秒の3音場、0.80秒の音場と0.35秒、0.46秒、0.61秒の3音場に、それぞれ有意差が示され、0.35秒、0.46秒、0.61秒の3音場の方が「練習しやすい」という結果を得た。すなわち、ある室を対象としたとき、「練習のしやすい」音場である「残響時間」の範囲が存在することが確かめられた。また、本実験では室形状が同じ室での検討を行ったため、この結果を平均吸音率で表すことができる。

その結果、平均吸音率に換算すると、α=0.17~0.28程度となった。よって、音楽練習室の音響設計をする際には、室の平均吸音率がこの範囲となるよう材を選択すればよいという可能性が示唆された。この値の平均吸音率の範囲は、かなり自由度が高く設計できる。例えば、壁や天井の一部に吸音性の材(有孔板空気層ありや岩綿吸音板)を使えばよい。さらに、楽器グループ間での結果を比較すると、声楽家は木管楽器や弦楽器奏者より、より長い「残響時間」を好むことが分かった。そのため、新たに音楽練習室を設計する際、もしその室に声楽家と器楽奏者の双方が練習を行う可能性がある場合は、音場調整用のカーテンを設置するなど、音響的工夫が必要であることがいえる。あるいは、残響時間が適切な範囲の中で、平均吸音率を多少変化させて複数のパターンの室を設けることも有効であると考えられる。

第4章は、引き続き「響き」に着目した演奏評価実験を行った。本章では「響き」に関する応用的な検討として、第2章のコンジョイント分析でも挙げられた「天井高」と「床面積」の違いに着目した。第3章にてある大きさの練習室に適する「残響時間」、つまり「平均吸音率」の範囲が得られたため、本検討では「平均吸音率」を固定して室形状が異なる音場を作成し、「練習のしやすさ」について実験を行った。この実験音場構築のため、数値解析により「天井高」や「床面積」が異なる複数の音場を作成し、得られた解析結果を基にして3次元シミュレーションを行う手法を構築した。

実験結果は、全実験協力者に対しては、個人の好みが分かれたため、どの室形状がよいか結論はでなかった。しかし、楽器グループ別にみると、共通する傾向が見られた。本実験は、無響室内に音場を再現しているため、視覚情報として室の様子を知ることはできない。それにもかかわらず、声楽家は「天井の高い」室形状を好むことが示唆された。また、木管楽器奏者は、平均吸音率が0.175という響きが多い条件において、室容積が大きい部屋を好まなかった。木管楽器奏者にとって、どうやらこのような室は「響きすぎ」あるいは「響きの質が悪い」という認識になるということが伺えた。また、弦楽器奏者は個人の好みの差が非常に大きく、第3章においても同様の結果であったが、まとまった結果を導くことはできなった。第2章のコンジョイント分析において、弦楽器奏者は、他の楽器グループよりも「響き」の重要度が低い結果となっているが、その結果と適合する。この理由としては、楽器の音源点が奏者の耳の位置に近いヴァイオリン、ヴィオラは、弓を弦から離した後も楽器本体から音の放射がある程度の時間持続することから、残響の長さによる影響が相対的に少ないことが影響していると推測する。

第5章は、「遮音」という評価項目に着目した。音楽練習室の遮音設計について、遮音性能が高ければ高い方がよいのは明らかである。しかし実際には、費用の問題や、練習室が不足している現状でのスペースの問題などから、スタジオ相当の遮音性能を確保することは困難である。そこで、音楽練習室の実測結果を基とし、隣室からの練習音が透過している音場を作成し、演奏評価実験を行った。その結果、その実験結果から、Dr-45を確保できれば、50%以上の奏者が「遮音性能として練習しにくくない」環境であると判断できた。ただし、付録Aにおける実際の練習室の測定結果からは、Dr-45相当の室間遮音レベル差であれば、「遮音はよい」というヒアリング結果となっており、本検討は実験室実験だったために、危険側に判断されている可能性がある。この点に関しては、今後の検討課題としたい。また、隣室音の「気になる」程度と「やかましさ」の程度を調べたところ、隣室透過音が「気になる」が、「やかましい」と感じない環境があることが示唆された。その時の遮音性能はDr-40程度であり、本実験における透過音のLAeq, 1minは45.6 dBである。

つぎに、「遮音」に関するアンケート調査結果からは、周りの音が気になっていて練習に集中できない経験を多数の奏者がしていたことが確かめられた。また、集中できない環境をたずねたところ、音量の多い楽器の透過音が気になるという回答が多く得られたが、それのみならず、透過音の曲の種類などにも影響を受けることが分かった。楽器音以外で聞こえていると気になる音はありますか?という質問では、15名中12名が、「話し声」を挙げた。このうち「廊下からの話し声」と答えた回答者も複数おり、「話し声」が楽器音以外で主な気になる要因となっている結果のみならず、廊下からの音の遮音を考慮する重要性が示唆された。

さらに、自分の演奏する楽器と同じ楽器音が聞こえていると気になりますか?という質問では、15名中14名が「気になる」と回答した。この回答結果を裏付けるため、演奏実験結果から同じ楽器音とそれ以外の組み合わせで、要求する遮音性能が変化するかどうか、分析を行った。その結果、同族楽器の透過音が聞こえる状態では、「気になる程度」「練習のしにくさ」共に評価が悪くなることが確かめられ、「気になる」と「練習しにくい」と感じるレベルは異なることが分かった。

以上、各章で得られた内容を、音楽練習室設計の知見としてまとめた。本論文では、これらの結果はすべて使用者である演奏者の意識に着目して評価を行うことにより導いた。各評価実験において、音楽家は非常に繊細な感覚で実験音場に反応している。その反応をいかに工学的な立場で音楽練習室設計の知見を得るのか。その基礎研究として、実測結果や数値解析を用いて音場を作成し、様々なアプローチを試みた結果をまとめた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「演奏者の意識に着目した音楽練習室の評価に関する研究」と題し、6章から成る。音楽練習室に求められる環境性能を演奏家へのインタビューによって調査し、抽出された環境要素である「響き」、「遮音」、「室床面積および高さ」の各項目について、3次元音場シミュレーションを用いた評価実験によって検討を行い、音楽練習室として具えるべき要件を整理した。本研究によって、音楽練習室使用者による「練習のしやすさ」なる視点からの基礎資料が得られ、これまで確たる客観的な指針なく行われてきた音楽練習室の設計に、有用な知見として活用されることが期待される。

本論文の構成は以下の通りである。

第1章では、音楽練習室に関する研究における演奏者の視点の重要性を述べるとともに、我が国および欧州における音楽練習室の設計指針、および音響設計に関する先行研究の概略をまとめ、本研究の位置付けを行っている。

第2章では、演奏者が音楽練習室に対して重視する環境性能について、インタビュー調査に基づく分析ならびに実験的検討を行っている。インタビュー調査は音楽の練習環境に関する自由記述で行い、分析から得られた項目に関して、さらにコンジョイント分析を用いた実験により音楽練習室の環境性能の重要度を定量的に検討した。その結果、音楽練習室として重要な音響的要素は「響き」と「遮音」の2つであることを導いている。また、音響性能以外でも「天井高さ」や「床面積」という建築計画に関する項目が重要視されていることも明らかにしている。さらに分析結果を詳細に調べるため、調査対象の楽器グループ別の分析を行っており、その結果、上述の重要とされる環境性能の相対順位が楽器によって異なる傾向にあることも確認している。

以下、第3章から第5章までの各章では、本章で抽出された3種類の項目が、演奏者の「演奏のしやすさ」に与える影響を実験的に検討している。

第3章では、前章で音楽練習室の環境性能として最も重要度が高かった「響き」に関して、残響時間の長さに着目した評価実験を行っている。実験は、室容積に比して残響時間の長いある小規模な室のインパルス応答を基にして、信号処理によって段階的に残響時間を変化させた音場を実験室内に再現し、プロの演奏家、および音楽大学生の合わせて21名を実験協力者とした主観評価実験を行ったものである。その結果、練習のしやすさに着目した演奏者の評価によれば、音楽練習室として適した残響時間が、練習目的や、用いる楽器の種類によって異なることが示されている。

第4章では、第2章で抽出された音楽練習室の環境要因のうち、室床面積および高さに着目した評価実験を行っている。音楽練習室として典型的な室の基本形状をまず設定し、室床面積と高さを段階的に変化させた室における音響特性を、波動理論に基づく数値解析を用いて設定し、実験条件としている。数値解析結果に基づいた条件設定で違和感なく実験を行うことが可能であることを予備実験結果に基づいて述べた上で、10名のプロの演奏家を実験協力者とした主観評価実験について述べている。実験の結果、演奏者にとって練習のしやすい室形状は、単純に一つのパターンに集約することは難しいが、演奏者が使用する楽器クループによって特有の異なる傾向を示すとの知見が得られている。

第5章では、第2章で抽出された環境性能のうち、遮音に関連した検討として行った、隣室から透過する演奏音に着目した実験的検討について述べている。隣接する小規模個人練習室間インパルス応答の実測結果に基づいて、室間音圧レベル差をパラメータとした実験音場を構築し、15名のプロの演奏家に対する評価実験を行っている。実験結果から、ロジスティック回帰分析によって定量的な知見を得るとともに、ヒアリング結果より、楽器や話し声等の透過音源種類に関する定性的な知見を得ている。

以上に述べたように、本論文は、音楽練習室という特定の空間を対象に、その空間に特有の評価指針である「演奏のしやすさ」に着目した評価実験を3次元音場シミュレーションを用いて行い、定性的および定量的知見を得たものである。実空間の測定あるいは音響数値解析によって得られた音響伝達特性に基づいてシミュレーション音場を構築して実施された評価実験はユニークであり、学術的価値が高い。さらに、本研究で得られた定性的および定量的な知見は、音楽練習室の設計に関する基礎資料として大きな価値を有すると考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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