学位論文要旨



No 129029
著者(漢字) 菊本,英紀
著者(英字)
著者(カナ) キクモト,ヒデキ
標題(和) 化学反応を伴う大気汚染物質拡散の数値予測モデルの開発
標題(洋)
報告番号 129029
報告番号 甲29029
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7920号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 半場,藤弘
 東京大学 教授 沖,大幹
 東京大学 准教授 前,真之
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、化学反応性を示す大気汚染物質の数値流体解析に基づいた拡散シミュレーションモデルの開発に関して論じたものである。主に、都市街区内の乱流拡散場において、二分子化学反応が汚染物質の輸送過程に与える影響の解明、同反応の速度評価モデルの提案と検証、モデル評価用データの拡散実験による取得などを行った。

現在、都市には、建築物やその他都市構造物に囲まれた半閉鎖的な空間(都市キャニオン)が多く見られる。このような空間の低層部は弱風域となり、また、概して同様の空間は自動車道として利用される。そのため、道路交通車両からの排出ガスが高濃度の状態で長期にわたり滞留し、道路沿線の局所的な空気質の低下を招く。このような大気汚染の解決には、汚染物質発生量の制御と同時に、都市空間の換気性能を向上する必要があり、空間設計も重要な要素となる。

また、大気汚染物質は化学的に活性である。これまでの都市街区スケールでの大気汚染解析では、一部の数少ない研究事例を除けば、専ら不活性物質の移流拡散性状のみが検討対象となってきた。しかし、我が国においては光化学オキシダントの環境基準達成率が今日も極めて低く、その生成および消失は大気中での複雑な反応過程によって決定されることが知られている。さらなる都市空気質の改善を図る上で、その反応性の影響を考慮した大気汚染解析が必要不可欠である。

都市の大気環境は一般に乱流状態にある。その特徴のひとつは物質の拡散性の向上にあり、大気汚染で問題となる化学反応は、多くの場合、様々な発生源に由来する物質が大気環境中で混合しながら進行する、いわゆる拡散混合反応である。そのため、反応速度が反応自体の特性だけでなく物質の拡散(混合)速度にも依存し、拡散の時間スケールが反応の時間スケールを上回る場合には拡散速度が反応を律速する。高度な大気汚染予測には、乱流場での反応物質の混合性状を適切に評価する反応速度モデルが必要である。

このような背景のもと、本研究は、都市の複雑な3次元形状および汚染物質の化学反応性を考慮した精緻な大気汚染予測システムの開発を目的とした。そして、その手段として数値流体解析(CFD, Computational Fluid Dynamics)への反応速度モデルの導入を考えた。しかし、大気中での反応といってもその内容は複雑多岐にわたる。そこで、本研究では、乱流拡散場での二分子化学反応が都市空間における大気汚染現象の代表的問題であると捉え、特にこの問題を中心に検討を行った。以下に、本研究で得られた知見をまとめる。

まず、乱流モデルのひとつであるLarge-eddy simulation (LES)に簡易な二分子化学反応速度モデルを導入して、異なる建物高さとその変化をもつ都市キャニオンを対象とした解析を実施した。街区底部から発生する一酸化窒素と上空風に含まれるオゾンの輸送および反応現象を再現することで、汚染物質の反応性と街区形状の変化に伴う都市の換気性能の差が、複雑に街区内の濃度分布形成に寄与することを明らかにした。また、時間平均的な反応速度の決定には反応物質の平均濃度のみならず、それらの時間変動に関する相互相関の影響が大きく、Reynolds平均型反応速度モデルの開発に重要な要素であることを報告した。

乱流場での拡散実験によって、数値予測モデルの評価用データの収集も試みた。まず、都市キャニオンを模擬した実験チャンバー内で、エチレンを用いた不活性ガスの拡散実験を行い、その平均濃度や濃度変動強度などの空間分布を計測した。その後、オゾンと一酸化窒素および二酸化窒素をトレーサーとして、同チャンバー内での二分子化学反応を伴う拡散実験も実施した。それらの平均濃度分布を調べることで、キャニオン内の二分子化学反応を伴う拡散場へ、Reynolds数や第一Damkohler数、汚染物質発生量が与える影響を検討した。しかし、結果の一部には物質の保存性を満たさない結果が得られた。その主要因として、用いた計測器の時間応答性の低さを挙げ、この点に関しては今後改善を行い、計測値の精度を向上する必要があることを述べた。

LESにおける二分子化学反応の速度評価モデルの高精度化を目指し、解析格子より小さいスケール(Subgrid-scale, SGS)での濃度分散の評価モデルの導入とその精度検証を行った。SGSでの乱流エネルギーと濃度分散の輸送方程式を他の基礎方程式と解く手法を採用し、前述の不活性ガスの拡散実験との比較から、導入したSGS濃度分散の評価モデルの妥当性を確認した。ただし、まだ発生源近傍では過小評価の傾向にあり、輸送方程式のモデル化や移流項の差分スキームなどに改善の余地があることを示した。SGS濃度分散の0方程式型での評価に関しても検討を行ったが、間欠性の高い濃度に関しては、SGS濃度分散の生産と散逸の局所平衡の仮定が成立しない状況が多く、本手法のような非平衡状態を対象とし移流の効果を含んだSGS濃度分散のモデル化が必要であることを示した。

LESを用いた都市キャニオン内での汚染物質拡散の拡散予測に、SGS濃度分散が与える影響を明らかにするため、不活性および反応性物質の都市キャニオン内での拡散解析を実施した。その手法には、先に検討したSGSでの濃度分散の輸送方程式を解くモデルを採用した。まず、不活性物質の拡散解析を異なる格子解像度において実施し、いずれの解像度でも同等の濃度変動強度が得られることから、同手法がSGSでの濃度分散を適切に評価できるものであることを確認した。次に、反応性物質の拡散解析に同手法を適用した。キャニオン高さに形成される混合層内でSGS濃度共分散は比較的大きくなったが、SGS濃度分散の有無による平均濃度の差は極めて小さく無視し得るものであった。

最後に、LESよりも計算負荷が小さいRANS (Reynolds-averaged Navier-Stokes equations)モデルを用いた解析においても、乱流場での濃度変動を考慮した二分子化学反応速度の評価を実現するため、反応物質濃度の相互相関の簡易なモデルの提案と数値実験による検証を行った。乱流平行平板間流れにおける拡散と化学反応を対象としたLESによってモデルの妥当性を検証し、同流れ場・拡散場を対象としたRANS解析によってその予測精度検証を行った。壁面近傍を除いて、モデルから評価された濃度変動の相関は、LESの結果から直接計算される相関と線形な関係を示しモデリングの妥当性が確認された。モデル定数にReynolds数依存性が見受けられたが、高Reynolds数領域で一定値に収束する傾向も示された。また、RANS型乱流モデルに提案したモデルを導入することで、未だ過小評価の傾向はあるものの、当モデルが定性的には適切に濃度変動相関を評価し、反応速度の予測精度向上に貢献しうることを確認した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、化学反応性を示す大気汚染物質の数値流体解析に基づいた拡散シミュレーションモデルの開発に関して論じたものである。主に、都市街区内の乱流拡散場において、二分子化学反応が汚染物質の輸送過程に与える影響の解明、同反応の速度評価モデルの提案と検証、モデル評価用データの拡散実験による取得などを行っている。

本論文は大きく分けて序論、研究対象と研究手法の説明、本論、結論の4つの部分で構成される。章立てでは、全10章である。本論では、具体的に本研究で行った検討を報告しているが、これも大きく分けて、LES (Large-eddy simulation)による拡散解析とその高精度化(第4, 7, 8章)、拡散実験による予測モデル評価データの収集(第5, 6章)、およびRANS (Reynolds-averaged Navier-Stokes equations)型モデルの開発(第9章)に関する研究課題によって構成される。

第1章では、本研究の背景と目的、および本論文の構成を述べている。

第2章では、研究対象とする大気汚染に関してその概要や関連する既往研究を紹介している。

第3章では、研究対象とする乱流拡散場を数値的に解くための理論的背景や解析手法、また実験による検討手法に関してまとめている。

第4章では、Large-eddy simulation (LES)に簡易な二分子化学反応速度モデルを導入し、異なる建物高さをもつ都市キャニオンを対象とした解析を実施した。街区底部から発生する一酸化窒素と上空風に含まれるオゾンの輸送および反応過程を再現し、汚染物質の反応性と都市の換気性能の差が、複雑に街区内の濃度分布形成に寄与することを明らかにしている。

第5章では、都市キャニオン内乱流場での不活性物質の拡散実験を実施している。エチレンガスをトレーサーとして平均濃度や濃度変動強度などを計測し、その分布を示している。

第6章では、オゾンと窒素酸化物をトレーサーとして、都市キャニオン内乱流場での反応性物質の拡散実験を実施している。反応性物質の平均濃度分布を計測し、Reynolds数や第一Damkohler数、汚染物質発生量が与える影響を検討している。

第7章では、LESにおける二分子化学反応速度評価の高精度化を目指し、解析格子より小さいスケール(Subgrid-scale, SGS)での濃度分散の評価モデルの導入とその精度検証を行っている。SGSでの乱流エネルギーと濃度分散の輸送方程式を他の基礎方程式と解く手法を採用し、第5章で行った不活性物質の拡散実験を解析対象とした。実験値との比較から、発生源近傍でまだ過小評価となる傾向があるものの、全体的には導入したSGS濃度分散モデルが妥当な結果を示したことを報告している。

第8章では、LESを用いた都市キャニオン内での汚染物質拡散の拡散予測に、SGS濃度分散が与える影響を明らかにするため、不活性および反応性物質の都市キャニオン内の拡散解析を実施している。前章と同じく、LESにSGSでの濃度分散の輸送方程式を連成した。まず、不活性な物質の都市キャニオン内での拡散解析を異なる格子解像度において実施し、解析モデルがSGSでの濃度分散を適切に予測できるものであることを確認した。その後、反応性物質の拡散解析に同モデルを適用し、SGS濃度分散の有無による平均濃度の差は極めて小さいものであったことを報告している。

第9章では、Reynolds平均型の乱流モデルを用いた解析においても、乱流場での濃度変動を考慮した二分子化学反応速度の評価を実現するため、反応物質濃度の相互相関のモデルの提案と数値実験による検証を行った。まず、乱流平行平板間流れにおける拡散と化学反応を対象としたLESによってモデルの妥当性を検証した。その後、同流れ場・拡散場を対象としたRANS解析に提案モデルを適用し、まだ過小評価の傾向はあるものの、同モデルが定性的には適切に濃度変動相関を評価し、反応速度の予測精度向上に貢献しうることを確認している。

第10章では、本研究で得られた成果をまとめ、今後の検討課題を示している。

本論文は、大気中での化学的な変質過程を考慮した大気汚染物質の拡散予測モデルの開発に向けて新たな可能性に挑み、その発展に大きく貢献している。本研究で得られた知見は、乱流場での拡散が律速する反応速度を適切に評価することを可能とし、都市空間内での汚染物質の濃度分布予測を高精度に実現する基礎技術として、工学的、社会的な有用性は極めて高い。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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