学位論文要旨



No 129043
著者(漢字) パンノイ,ナッタポン
著者(英字)
著者(カナ) パンノイ,ナッタポン
標題(和) リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働の展開 : 石見銀山地域を事例として
標題(洋)
報告番号 129043
報告番号 甲29043
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7934号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 出口,敦
 東京大学 准教授 窪田,亜矢
 東京大学 准教授 大月,敏雄
 東京大学 教授 下村,彰男
内容要旨 要旨を表示する

(1)第一部:序論(第1章ー第3章)

本研究は、リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた(1)「関係主体協働の展開プロセス」、(2)「関係主体協働の課題の克服方法」、(3)「関係主体協働における促進主体の役割」、(4)「関係主体協働のあり方」を明らかにすることを目的としている。

「リビング・ヘリテージ地域」とは、「人々の暮らしの中で生み出された文化遺産とその人々の生活環境の総体として包括的に捉える「地域」の概念であり、現在もその地域において文化遺産とともに人々が生活を営んでおり、文化遺産が地域コミュニティに大きな意味合いをもたらし続ける地域」である。リビング・ヘリテージ地域には「『文化遺産』、『生活環境』および『観光資源』としての価値」が共存している。また、地域の「生活空間」と「文化遺産」および「観光空間」が重なっていることは特徴としてあげられる。

1990年代から、世界各地のリビング・ヘリテージ地域には多くの観光客が訪れるようになった。そのため、多くのリビング・ヘリテージ地域は「観光影響(Tourism Impact)の問題」に直面している。「観光影響の問題」とは、地域の観光活用によってリビング・ヘリテージ地域が持つ「『文化遺産』、『生活環境』および『観光資源』としての価値」が損なわれる問題である。リビング・ヘリテージ地域の価値が損なわれると回復することが難しいため、リビング・ヘリテージ地域の観光活用に向けて観光影響の予防策を講じる必要がある。

リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策は、地域の「『文化遺産』、『生活環境』および『観光資源』としての価値」を総合的に保全するものでなければならないため、観光影響の予防策を講じるために、地域の「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」に関わる行政、市民および住民が協働を行う必要がある。しかし、多くのリビング・ヘリテージ地域では、「関係主体の無関心」や「関係主体の対立」などの課題によって関係主体協働が実現されず、地域における観光影響の予防策を講じることができない。そのため、現在も多くのリビング・ヘリテージ地域は観光影響の問題に直面している。

そのため、本研究は、関係主体協働を実現し地域における観光影響の予防策を講じることができた「石見銀山地域」を対象に、石見銀山地域の観光活用に向けた関係主体協働および観光影響の予防策の経緯について調査を行った。本研究が石見銀山地域において行った調査は、「新聞記事の収集」、「関係者に対するインタビュー調査」、「アンケート調査」および「関係主体協働に関する既存資料の収集」であり、その調査結果を基に「第二部:本論」を作成した。

(2)第二部:本論(第4章ー第7章)

第二部では、石見銀山地域の観光活用に向けた関係主体協働および観光影響の予防策を時系列に整理した。

第4章の「石見銀山地域の文化遺産活用に向けた関係主体協働の発芽」では、1957ー1995年に大森町住民および行政が展開した石見銀山地域の文化遺産活用をまとめた。この時期は「大森町住民による石見銀山地域の文化遺産保存活用の展開(1957-1983)」、「行政による石見銀山地域の文化遺産保存活用の展開(1983-1991)」および「大森町住民と行政の協働による石見銀山地域の文化遺産保存活用の展開(1991-1995)」に分けることができる。

第5章の「世界遺産登録に向けた地域の観光活用に関する関係主体の議論の展開」では、1995-2005年の間に行政、市民および住民が行った世界遺産登録に向けた石見銀山地域の観光活用に関する議論の展開を整理した。実際に、石見銀山地域の世界遺産登録では関係主体の「地域の価値に対する認識形成」、「地域の観光活用の課題に対する認識形成」および「関係主体協働の必要性に対する認識形成」の展開がみられた。

第6章の「石見銀山協働会議:地域に相応しい文化遺産活用に向けた計画策定プロセス」では、石見銀山地域の世界遺産登録に向けて、2005年に開催された「石見銀山協働会議」の背景、運営方法、実態および「石見銀山行動計画」の策定プロセスをまとめ、石見銀山協働会議の成功と課題を分析した。

第7章の「石見銀山地域における観光影響の予防策の実施」では、2004ー2009年の間に実施された6つの観光影響の予防策における関係主体協働の実態を整理した。この時期は、「石見銀山行動計画策定以前の観光客の受け入れ態勢整備の展開(2004ー2005年)」、「行政主導による観光客の受け入れ態勢整備の展開(2006-2007)」および「住民主導による観光客の受け入れ態勢整備の展開(2007ー2009)」に分けることができる。

(3)第三部:結論(第8章ー第9章)

第8章では、第二部の内容を基に、石見銀山地域における観光影響の予防策に向けた(1)「関係主体協働の展開プロセス」、(2)「関係主体協働の課題克服」、(3)「関係主体協働における促進主体の役割」および(4)「関係主体協働のあり方」を明らかにした。さらに、第8章の成果を一般化し、第9章ではリビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策の実現に向けた指針として、(1)「関係主体協働の展開プロセス」、(2)「関係主体協働の課題克服方法」、(3)「関係主体協働における促進主体の役割」および(4)「関係主体協働のあり方」をまとめた。下記では、第9章の研究成果を要約したものである。

(1)リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働の展開プロセス

「リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働の展開プロセス」は、「ステージ1:関係主体のリビング・ヘリテージ地域の観光活用の課題に対する認識形成」、「ステージ2:関係主体によるリビング・ヘリテージ地域の観光活用に向けた計画策定」および「ステージ3: リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策の実施」の3つのステージに分けることができる。また、各ステージはさらに2-3つの小さな段階に分けられる。実際に、各ステージおよび段階は因果関係になっているため、観光影響の予防策に向けた関係主体協働を実現するためには、それぞれのステージおよび段階を順番に達成する必要がある。

「ステージ1:関係主体のリビング・ヘリテージ地域の観光活用の課題に対する認識形成」は、さらに「段階1-1:関係主体の地域の価値に対する認識形成」、「段階1-2:関係主体の地域の観光活用の課題に対する認識形成」および「段階1-3:地域の観光活用に向けた関係主体協働の必要性に対する認識形成」の3つの段階に分けることができる。このステージにおいて、関係主体である行政、市民および住民はリビング・ヘリテージ地域の「『文化遺産』、『生活環境』および『観光資源』としての価値」を認識する上で、地域の観光活用の課題を共有し、観光活用に向けて「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」の調和をめざす「目標」を形成する必要がある。さらに、このステージでは、地域の観光活用の目標を達成するために、行政、市民および住民が関係主体協働の重要性を認識するように促進しなければらない。

「ステージ2:関係主体によるリビング・ヘリテージ地域の観光活用に向けた計画策定」は、「段階2-1:関係主体による地域の観光活用の課題定義」、「段階2-2:関係主体による地域の観光活用の課題解決の方向性の決定」および「段階2-3:関係主体による地域の観光活用に向けた計画策定」の3つの段階に分けることができる。このステージにおいて、関係主体は地域の「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」の課題を共有する上で、地域の観光活用の課題を具体的に定義し、それぞれの課題の解決方法を導き出す必要がある。さらに、このステージでは、関係主体が地域の「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」の課題を総合的に考慮する観光活用計画を策定するように促進しなければならない。

「ステージ3: リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策の実施」は、「段階3-1:関係主体による観光影響の予防策の実施に向けた意思決定」と「段階3-2:関係主体による観光影響の予防策の実施および見直し」の2つの段階に分けることができる。このステージにおいて、関係主体は互いの利害を共有し、意思決定を行い、地域の「『文化遺産』、『生活環境』および『観光資源』としての価値」を総合的に保全する観光影響の予防策を実施する必要がある。また、関係主体が地域の状況の変化に合わせて観光影響の予防策を見直すように促進しなければならない。

(2)リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働の課題克服

下記のように、リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働の課題は5つある。本研究はそれぞれの課題の克服方法を明らかにした。

第一、「関係主体協働の促進主体の欠如」を克服するために、「促進主体」の役割を担う主体が「関係主体協働の必要性に対する認識」および「責任に対する自覚」を形成するように促進しなければならない。「促進主体」の認識および自覚の形成を促進するためには、「専門家による助言」、「地域社会からの要請」および「地域の文化遺産保存活用における関係主体協働の経験」が有効な手段である。

第二、「観光活用の課題に対する関係主体の無関心」を克服するために、関係主体の地域の観光活用の課題に対する関心を高める方法として、「専門家による助言」、「文化遺産保全活用への関係主体参加の促進」および「関係主体間の情報共有」が考えられる。

第三、「観光活用における関係主体の対立」を解決するために、地域の観光活用に向けた関係主体協働において、地域の「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」の課題を総合的に捉えた話し合い、計画策定、意思決定などを実現しなければならない。このような状況を実現するには、「関係主体の地域の価値に対する理解」および「地域の価値を総合的に捉えた議論」を促進する必要がある。

第四、「関係主体間の考え方の共有の困難」を克服するために、リビング・ヘリテージの観光活用において、「関係主体間の情報共有の促進」および「関係主体の話し合いおよび意思決定の仕組みの形成」を行う必要がある。

第五、「関係主体の能力的な限界」を解決するためには、促進主体は関係主体に対して「関係主体の話し合いおよび意思決定の仕組みの形成に対する支援」、「話し合いおよび意思決定への関係主体の参加の促進」、「関係主体に対する学習促進」、「関係主体の話し合いおよび意思決定に対する支援」および「観光影響の予防策の実施に対する支援」を行う必要がある。

(3)リビング・ヘリテージ地域の観光影響の予防策に向けた関係主体協働における促進主体の役割

観光影響の予防策に向けた関係主体協働における「促進主体」とは、地域の「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」に関わる関係主体が円滑に協働を行うために、それぞれの関係主体が利害関係を調整し、考え方および重視する課題を共有するように、関係主体の話し合い、討論、計画策定および意思決定などを促進する主体のことである。

リビング・ヘリテージ地域の観光影響の予防策に向けた関係主体協働において、「促進主体」は欠かせない存在である。促進主体の役割として、「リビング・ヘリテージ地域の価値の明確化」、「関係主体間の情報共有の促進」、「関係主体の話し合いの仕組み形成の促進」、「観光活用に向けた話し合いへの関係主体の参加の促進」、「関係主体の話し合いおよび意思決定に対する支援」、「関係主体の公平性の保持」および「関係主体の話し合いおよび意思決定の有効性の確保」の7つがあげられる。

(4)リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働のあり方

「リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働のあり方」は、下記ように表すことができる。

1. リビング・ヘリテージ地域の観光影響の予防策は、地域の「文化遺産保存」、「生活環境保全」および「観光振興」を包括的にかつ対等な立場で考慮する関係主体協働によって実現されるものである。

2. リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策を実現するために、文化遺産保存・生活環境保全・観光振興に関わる行政、市民および住民が多く参加することができる関係主体協働の仕組みを形成する必要がある。

3. 観光影響の予防策に向けた関係主体協働の展開プロセスを段階的に達成することによって、リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策の持続性を見出すことができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、人の暮らしの中で生み出された文化遺産と生活環境の総体をリビング・ヘリテージと名付け、その地域の観光影響の予防策に向けた関係主体協働の展開プロセス、関係主体協働の課題の解決方法、および関係主体協働における促進主体の役割を明らかにすることを目的としている。

論文は3つのパートから成っている。第1部は序論、第2部は本論、第3部は結論である。

第1部は3つの章から成っている。

第1章では、研究の目的、方法、対象について述べ、用語の定義をおこない、既往研究を整理している。

第2章では、研究の枠組み、分析視点および仮設を提起している。リビング・ヘリテージ地域の観光影響の予防策の必要性について論じ、関係主体間の協働の必要性を示し、そのうえで、そうした協働を構築するプロセス、課題解決の方法、協働を促進する主体の存在について明らかにするという本論文の枠組みを明示している。

第3章では、本論文が対象としている石見銀山地域の概要を述べると共に、新聞記事、詳細なインタビュー調査、アンケート調査の併用による分析という本論文の研究方法を述べている。また、第2部の論述の基礎となる石見銀山での文化遺産保存活動の年代区分が根拠と共に示されている。

第2部は4つの章から成っている。

第4章では、世界遺産登録の前史というべき1957年から1995年までの石見銀山地域における文化遺産保存活動の概要が、行政と住民の関係を軸に年代別に記述されている。

第5章では、1996年から石見銀山協働会議が開催された2005年までの地域の関係主体の間に展開された議論と主体間の関係性に着目し、行政と住民と住民以外の市民との関係を軸に考察している。この時期に、石見銀山地域の価値に対する共通認識が形成されていったことと同時に観光活用に伴う課題に関する共通認識がかたちづくられたこと、それに対処するための協働の必要性が認識され始めたことを明らかにしている。

第6章は、2005年に実施された石見銀山協働会議の実態を明らかにすることが目的である。同協働会議が最終的にまとめた行動計画までの経過を詳細にあとづけ、行動計画の内容のキャン間的な検討を行っている。なぜこのようなプロセスが可能であったかを考察している。

第7章は、世界遺産登録に伴う観光影響の予防策がどのように議論され,実行されていったのかを時系列を追いつつ、詳細に明らかにしている。

第3部は2つの章から成っている。

第8章は、本論文の目的に沿って、第4章から第7章までの経緯を総括し、石見銀山地域における観光影響の予防策に向けた関係主体間の協働の意義を総合的に考察している。また、世界遺産登録による効果を明らかにし、関係主体協働から得られた示唆を他のリビング・ヘリテージ地域において適用する際の留意事項を論じている。

最終の第9章では、リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策に向けた関係主体協働の展開プロセスについて、3つのステージに分けてそれぞれの段階の条件を整理している。同じく観光影響の予防策に向けた関係主体協働の課題克服のためには、要因を5つに分析し、それぞれの課題ごとの対処策を論じている。同じく関係主体協働における促進主体の役割については、公平性の確保や意志決定の有効性の確保など7つの論点を提起している。

以上、本論文は、リビング・ヘリテージ地域における観光影響の予防策のありかたについて、石見銀山地域の世界遺産登録前後のプロセスを詳細に追うことによって具体的な課題を明らかにし、さらにその意義を一般化することに成功している。ひろく観光計画立案とそこへの関係主体の参加の在り方に関して有用な知見をあたる論文として高く評価することができる。

よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

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