学位論文要旨



No 129048
著者(漢字) ウィチエンプラディト,ポンサン
著者(英字)
著者(カナ) ウィチエンプラディト,ポンサン
標題(和) タイ・バンコクの仏教寺院と周辺地域の保全課題に関する研究 : 現代的都市計画における宗教施設のあり方をめぐって
標題(洋)
報告番号 129048
報告番号 甲29048
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7939号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 出口,敦
 東京大学 准教授 窪田,亜矢
 東京大学 准教授 城所,哲夫
 東京大学 教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

宗教施設はアジアの都市にとって、重要な文化遺産であり、都市保全を考えていくうえでは欠かせない存在である。アジアの人々の生活は宗教や信仰と深く関わっており、宗教施設は日常的に使われているため、宗教施設の保全を図ることは人々の生活様式を守ることを意味すると考える。

タイの首都バンコクはアジア都市の典型で、多くの宗教施設がみられる。旧市街地では、様々な宗教建築がスカイラインを成し、都市の独特なイメージを形成している。従って、バンコクという都市のアイデンティティを継承していくにも、これらの宗教施設の保全を考える必要は大いにあろう。

バンコク都の行政区域における仏教徒の人口は全体の94.5%を占めており、都内の仏教寺院の数も449カ所あって、全体の宗教施設数の約6割を占めている。しかし、近年は仏教寺院とその周辺地域において、開発をめぐる紛争が目立つようになってきている。次世代に文化遺産を継承し、紛争を防ぐためにも、仏教寺院及び周辺地域を一体的に考え、総合的に保全を図っていく必要があろう。従って、本研究は、(1)現行の宗教施設と周辺地域の保全に関する制度・仕組を整理し、(2)現行の制度・仕組にみられる課題を明らかにし、(3)関係各主体における保全の意識を明らかにしたうえで、(4)今後の宗教施設と周辺地域における総合的な保全施策について提言をし、(5)現代的都市計画における宗教施設のあり方についての示唆を得る5点を主な目的としている。

本研究は、まず第1章で、研究背景、必要性及び目的、そして既往研究及び本研究の位置づけ、用語の定義、研究の着眼点を述べる。第2章から第8章までの内容は二部構成でできている。第I部(現行の制度・仕組にみる課題)は第2章から第4章までで構成されており、タイ人社会における宗教施設の位置づけを整理し、現行の宗教施設の保全に関わる制度・仕組について精査を行った。第II部(保全をめぐる紛争と考察)は実際に起きた開発をめぐる紛争を3件取り上げ、それぞれのケースについての考察を第5章から第7章で述べたうえで、第8章で紛争の構造を整理し、関係各主体の意識・関心を一般化した。総合的な考察となる第9章では、今後の宗教施設と周辺地域における保全の図り方を提言し、都市計画における宗教施設の位置づけを言及した。第2章以下の概要は次のように整理した。

第2章は、歴史を振り返り、既往研究からタイ人社会がどのように宗教施設を扱ってきたかを整理した。伝統宗教、とりわけ上座仏教は支配者層の統治ツールとして長年使われてきた事実があるが、仏教寺院は支配者のサポートを受けると同時に、民衆からも「タンブン」思想のもとで支えられてきた。国家における仏教寺院の扱いが大きく変化したのは近代化が始まった時期で、各寺院に土地所有権が与えられるようになった。国家の負担を軽減させるべく、寺院所有地の一部を不動産として運営し、その収入を寺院の管理運営費用に当て、自立化を図った。また、統治についても、「タイ国サンガ」という全国的な組織が作られ、中央集権的で巨大な宗教組織が次第にできあがっていったのである。

次に、宗教施設にはどのような機能があり、どのように使われているかを調べたところ、宗教の儀式以外でも日常的な利用や年中行事における非日常的な利用が各宗教において一般にみられることがわかった。すなわち、宗教施設は出家者や在家信徒にだけではなく、地域住民や地域社会に対しても様々サービスを提供しているといえる。

第3章は、行政が関連している宗教施設の保全の領域(制度)を中心に扱った。宗教行政、文化財保護行政、都市計画行政において保全に関連した諸制度を精査し、その中からみられる課題を指摘した。その結果、現行の制度では殆ど周辺地域の領域にまで保全が考えられていないことがわかった。また、(1)国家仏教による保全への影響、(2)縦割り行政にみる障害、(3)規制根拠の不足の3点を、制度にみる保全課題として整理できた。

第4章は、行政の関わっていない、すなわち宗教施設と隣接コミュニティを中心とした保全の領域(仕組)を中心に扱った。同地域にある仏教、イスラーム教、キリスト教(カトリック)の宗教施設と隣接コミュニティを事例に、宗教施設及び周辺地域の管理運営仕組がどのようにあるかを調査した。イスラーム教とキリスト教の宗教施設の管理運営体制に、隣接コミュニティの参加が仕組上でみられるのに対し、仏教寺院の場合はみられない。これが紛争の原因の一つとして考えることができよう。そして、周辺地域まで管理運営体制がみられるのはキリスト教のコミュニティのだけであることがわかった。次に、仕組にみる保全の課題を、(1)隣接コミュニティの宗教施設離れ、(2)地域文化の理解度不足の危険性、(3)管理運営責任者次第の保全に対する姿勢の3点に整理することができた。

第5章から第7章は、実際に起こった紛争事例を扱った。それぞれの対象は、境内、寺領地、隣接地というように異なっているが、開発と保全の意識が衝突して紛争に発展したことが共通している。各々について検証することにより、具体的な保全課題がわかるようになり、紛争に関わる各主体における保全の意識を把握することができた。

第5章は、カンラヤ寺の境内開発をめぐるケースである。寺院側が大規模な整備を図っているところに、その開発行為がモニュメントの破壊にあたるとして、隣接コミュニティの住民が反対運動を起こし、行政訴訟にまで発展した事例である。このケースから得られた知見として、第一に、日常的に隣接コミュニティが利用していない僧侶の居住区域まで保護が求められていることから、寺院境内の空間全体が隣接コミュニティにとって大切で、開発を実施するには非常に注意する必要があることがわかった。第二に、隣接コミュニティには監視力、結束力がみられ、地域文化継承の意欲も確認できている。第三に、具体的な制度・仕組の課題として、(1)モニュメント指定範囲の不明確、(2)市民参加・地域協働の欠如、(3)住職の地域文化への理解不足、(4)開発発生後の文化財保護手続きの不備、そして(5)縦割り行政の限界が挙げられた。

第6章は、ヤンナワ寺の寺領地における寺院側による新開発が争点となったケースである。隣接コミュニティ住民がその敷地にあったショップハウスの保全を主張したが、結果的に全てが取り壊され、コミュニティ自体も存続できなくなった。このケースから得られた知見としては、第一に、寺領地は境内と比べて地域文化が顕著に現れていないが、コアとしての境内の価値を補完するための領域であるため、開発圧力の高い地域では特に、開発がもたらす結果や影響を検討する必要があることがわかった。第二に、コミュニティの存在を含めた地域文化の完全性を守ることが隣接コミュニティ住民の意識にあることが確認できた。そして第三には、(1)モニュメント保護制度の問題、(2)市民参加・地域協働の欠如、(3)住職の地域文化への理解不足、(4)文化財保護と景観規制の不連携等という点が、制度・仕組の課題としてわかった。

第7章で取り上げたのは、隣接地で行われようとしている民間業者による開発に対し、龍蓮寺及びその信徒集団が反対運動を起こしたケースで、開発の波で存続が脅かされている隣接コミュニティがこの運動に賛同した事例である。このケースから得られた知見として、第一に、宗教施設の周りにおいて、現行の高さ制限以外の規制が求められていることが明らかになった。具体的に本事例では、高さの規制よりも新開発の計画における敷地利用の仕方が争点であった。第二には、隣接コミュニティが反対運動の主格にいなくても、地域文化を守るための主張に必要不可欠な存在となっていることがわかった。第三には、(1)信仰のニーズによる規則の必要性、(2)宗教施設のバッファーのあり方、(3)コミュニティの権利と保証、(4)周辺地域という考え方の欠如が、制度・仕組の課題として残されていることがわかった。

これを受けて、第8章で一般化できたのは、紛争の構造である。仏教寺院及び周辺地域の保全をめぐる紛争は、大別して、境内/寺領地で起きる紛争と隣接地に起きる紛争に分けることができた。いずれの場合も、関係主体の意識・関心のズレが主な原因として考えられる。寺院の意識は、広く一般市民を対象にしているのに対し、隣接コミュニティの意識は周辺地域にある。行政については、それぞれの関心は業務の管轄によってことなるが、周辺地域まで広がりを殆どもたない。この関係各主体の意識・関心を合わせていくのは、今後の保全を考える最大の課題として考えられる。また、事例検証から、現在において宗教施設の機能における変化がみられ、地域コミュニティの中心及び生活を支える都市施設としての機能が非常に弱まってきていることがわかった。

第9章では、これまでに検証してきた各章の結論を再整理し、これからの宗教施設と周辺地域の保全を実現していくにはどうすれば良いかということを考察した。提言したのは、(1)現行制度の見直し、(2)周辺地域での計画の策定、(3)管理運営仕組の強化の3つのステップであり、地域協働の重要性を強調した。宗教施設及び周辺地域における開発が行われる場合、各事例からわかるように、隣接コミュニティで代表する地域住民が少なからず影響を受けるからである。

また、弱まった周辺地域に対する宗教施設の機能を補うためには、各主体の意識を周辺地域に合わせ、地域住民による公共的利用を促進しながら、宗教施設との関係を再構築していくべきである。これに「タンブン思想」等のもとで、伝統的な地域社会の仕組を活かすことができれば、公共投資における負担も軽減できると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、タイ・バンコク都の存在する宗教施設を対象に、現行の宗教施設と周辺地域の保全に関する制度とその課題を明らかにし、具体的な紛争の事例から、保全において地域コミュニティが果たすべき役割を明示し、今後の宗教施設と周辺地域との総合的な保全施策のあり方を論じ、ひろく現代の都市計画において宗教施設が担うべき役割やそのあり方について知見を得ることを目的としている。

論文は、研究の目的や論文の構成、用語の定義を述べる序論である第1章に続き、全般的な制度論を述べる第1部と具体的事例をもとに論じ、総括する第2部とから成っている。第1部はさらにテーマごとに3つの章に分かれ、第2部は3つのケーススタディを論じる3つの章とまとめにあたる2つの章、合計5つの章から成っている。

第1部の第2章は、主として気負う研究をレビューし、タイ社会において宗教施設の扱い、社会の中での位置づけの歴史を概観し、本論文が対象とする周辺地域の範囲を明確に画定している。

第3章では、宗教施設の保全の中でも主として行政組織が関連している部分をとりあげ、法制度の概要を中心に、宗教行政、文化財保護行政および都市計画行政における宗教施設の位置づけを示し、その課題を明らかにしている。

第4章は、行政と直接関連しない宗教組織と隣接コミュニティ間に見られる宗教施設の管理問題を取り上げ、仏教、イスラム教、キリスト教それぞれの仕組みを比較しつつ、課題を抽出している。とくに宗教施設の経済基盤と社会基盤との乖離、宗教組織側の地域文化の理解不足、管理運営組織の硬直化などの共通する問題点を指摘している。

第2部の第5章から第7章までは、仏教寺院に的を絞り、その境内開発(第5章)、境内に隣接する寺領地における開発(第6章)、隣接地における他主体による商業開発(第7章)のそれぞれの事例において、周辺の地域コミュニティとどのような紛争が惹起したかを詳細に跡づけ、その原因を考察している。その結果、空間整備の考え方の相違、モニュメント指定範囲が不明確であること、周辺コミュニティと宗教施設の協働の可能性、文化財保護と景観規制が不連続であること、商業地域内の宗教施設の不明確な扱いなどの点を詳しく指摘している。

第8章においては、これまでの3事例を横断的に考察し、寺院・隣接コミュニティ・行政の三者のあるべき関係を明らかにし、保全に関する課題の体系化をおこなっている。さらに、仏教寺院における紛争の特徴を空間的側面と社会的側面とに分けて分析し、最後に隣接コミュニティが有する社会的な役割の可能性を評価している。

第9章は全体を総括する章である。各章での小括をとりまとめ、全体的な提言として、現行制度の見直し、周辺地域での計画策定、管理運営の仕組みの強化の3点を詳細に論じている。

以上、本論文は、従来ほとんど論じられることのなかった現代都市計画における宗教施設の取扱い方、宗教施設そのものの在り方に関して、広い視野に立って、課題を系統的に整理し、宗教施設そのもののみならず、周辺コミュニティとの関係を視野に入れて仕組みを組み立てる必要性を論じ、制度改変の方向性を論じるというきわめて独創的で、時宜を得た論文として高く評価することができる。

よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

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