学位論文要旨



No 129052
著者(漢字) 芦葉,裕樹
著者(英字)
著者(カナ) アシバ,ヒロキ
標題(和) ナノメカニカル振動子の高性能化と光検出デバイス応用の研究
標題(洋)
報告番号 129052
報告番号 甲29052
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7943号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,直
 東京大学 教授 川勝,英樹
 東京大学 教授 松本,潔
 東京大学 准教授 割澤,伸一
 東京大学 准教授 塩見,淳一郎
 東京大学 講師 米谷,玲皇
内容要旨 要旨を表示する

半導体製造プロセスに代表される微細加工技術の発展により,作製可能な機械素子寸法はマイクロメートルからナノメートルのオーダーに達した.そのような微小機械素子を利用した微小電気機械デバイスはMEMS/NEMS(micro/nano electromechanical systems)と呼ばれ,センサやアクチュエータなど様々なデバイスが開発されている.MEMS/NEMSの重要な応用先のひとつが微小機械素子の振動や共振を利用した振動子センサである.MEMSにおいては加速度センサやジャイロセンサなど,すでに多くの振動子センサが実用化されている.さらに微小化を進めた最先端のNEMSにおいても振動子センサはきわめて有望な応用先と考えられ,超高感度,高速応答,および低消費電力を実現するデバイスとしてナノメカニカル振動子センサの研究が広く行われている.

本研究ではこのようなナノメカニカル振動子センサによる微小荷重検出に着目した.微小荷重の検出は走査プローブ顕微鏡のプローブや,生体組織など剛性の小さい微小試料の機械特性評価など様々な応用先が考えられる.現在,微小荷重を検出するデバイスとしてはピエゾ抵抗カンチレバーがあり,これまでに高いもので0.5 pNの荷重検出分解能が達成されている[1].一方,近年の報告においてもピエゾ抵抗カンチレバーの検出分解能はピコニュートンオーダーに留まっており,同デバイスにおけるこれ以上の大きな検出感度向上は困難であることが考えられる.したがってピコニュートンオーダーを大きく下回る荷重検出実現のためには新しい荷重検出方式が求められる.本研究では,そのような新しい微小荷重検出方式としてナノメカニカル振動子の利用に着目した.ナノメカニカル振動子センサによる力検出はこれまでにも行われているが[2],振動子を用いた高感度力検出は周期的な力や非接触力に限られていた.本研究の検出対象である定荷重や接触力をピコニュートンオーダーの検出分解能で検出した振動子センサは例がない.以上より本研究はナノメカニカル振動子を用いた新たな微小荷重検出原理の確立を目的とした.また同原理に基づいて作製されたデバイスによるサブピコニュートンオーダーの荷重検出実現を目指した.

ナノメカニカル振動子を用いた新たな微小荷重検出方式として,本研究では検出対象の荷重を受けて静的なたわみを生じる静的梁,およびそのたわみを検出するためのナノメカニカル振動子(動的梁)を組み合わせた検出方式を提案した.本検出方式の概要を図1に示す.本検出方式は2本の梁を対向させて配置し,それらをDC電圧によって電気的に結合したものである.電圧が印加されているとき梁間にはクーロン力が生じ,梁先端にはクーロン力による静電実効ばね定数kEが与えられる.この実効ばね定数により電圧印加状態における動的梁の共振周波数はfE = (1/2π)((k + kE)/m(eff))1/2 と表される.ここでkは動的梁のばね定数,m(eff)は動的梁の有効質量である.荷重印加により静的梁にたわみが生じるとkEが変化し,動的梁の共振周波数が変化する.したがって動的梁の共振周波数変化の測定により静的梁のたわみおよび印加された荷重が評価できる.理論計算によれば,例えば動的梁長さ17 μm,静的梁長さ63 μm,厚さ0.1 μm,および初期梁間距離0.2 μmのシリコン製対向片持ち梁デバイスにおいて1 pNを下回る最小検出荷重が得られる.

対向梁による高感度荷重検出の原理を実証するため,本原理に基づくデバイスの作製および微小荷重検出実験を行った.デバイスに微小荷重を与える方法として,本研究ではレーザー照射による光の放射圧印加に着目した.放射圧は光の照射面に与えられる微小な力である.照射面での完全反射を仮定すると,1 mWのレーザーを照射したときに与えられる荷重は6.7 pNとなる.本研究で着目したピコニュートンあるいはそれ以下のオーダーの荷重を容易かつ位置選択性高く与えられることから,レーザー照射による放射圧を本実験の検出対象とした.放射圧検出デバイスの作製は電子線リソグラフィを用いたプロセスにより行った.本デバイスの材料には導電性があること,薄膜形成が可能であること,振動子として適した剛性の高い材料であることが求められる.本研究ではそれらを満たす材料としてクロムを採用した.またデバイスの構造に関して,作製実現性の観点から片持ち梁先端に両持ち梁を直角に接続したT字梁構造を採用した.デバイス作製ははじめにSOI(silicon on insulator)基板上にポジ型電子線レジストを塗布し,電子線リソグラフィにより対向梁および電極接続部のレジストパターンを形成した.レジストパターン上に真空蒸着法により厚さ0.1 μmのクロム膜を形成し,リフトオフ法によって基板上にクロムのデバイス構造を形成した.続いて2回目の電子線リソグラフィおよびリフトオフによりデバイス電極接続部上に金およびクロムからなるコンタクトパッドを形成した.最後にウェットエッチングでSOI活性層を除去した.作製した放射圧検出デバイスの電子顕微鏡像を図2に示す.

作製したデバイスを用いた放射圧検出実験を行った.本実験では光ヘテロダイン振動計測装置を中心とした測定系を用いた.動的梁の加振および振動特性評価はレーザー加振による光ヘテロダイン振動計測により行い,静的梁への放射圧印加には波長1550 nmのレーザーを用いた.計測は室温の大気中で行った.はじめに動的梁の振動特性を電圧印加なしの状態で測定したところ,1次ピークの共振周波数0.36 MHzおよびQ値4.6,5次ピーク(片持ち梁部2次モード)の共振周波数1.83 MHzおよびQ値20が得られた.本実験ではQ値の高い5次ピークを用いて測定を行った.続いて対向梁間に電圧を印加して同様の測定を行ったところ,20 V印加で共振周波数は1.8328 MHzから1.8394 MHzに向上した.これより静電引力による共振周波数制御の効果が確認された.本デバイスに対し,静的梁への1 mWのレーザー照射を繰り返したときの動的梁の共振周波数変化を測定した結果を図3に示す.電圧印加状態において,レーザー照射/非照射による動的梁の共振周波数のシフトが見られた.一方,電圧非印加時にも同様の周波数シフトが見られた.これより本デバイスは放射圧以外の要因,ここではレーザー照射による熱の影響を受け,共振周波数が低下したものと考えられる.ただし,電圧印加時には非印加時に比べてシフト量に0.6 kHzの差が見られた.この周波数シフトの差は放射圧によって生じた可能性がある.そこで本デバイスを先端にばねおよび慣性質量が接続された梁でモデル化し,0.6 kHzの共振周波数シフト量に相当する荷重を評価した.結果,本シフト量に相当する荷重は400 pNと求められた.この値は照射したレーザーのパワーより見積もった値に比べて大きい.この原因としては,静的梁がレーザー照射による加熱によって反りなどの熱変形を生じ,その変位によって周波数シフトを生じたことが考えられる.したがって本デバイスによる高感度放射圧検出実現のためには熱変形を防ぐ材料や構造を用いることが必要である.また測定結果より評価された本デバイスの最小検出周波数シフトは0.3 kHzであり,理論値に比べて10倍以上大きい値であった.したがってデバイス検出感度向上のためには最小検出周波数シフトを小さくすることが求められ,そのためには動的梁のQ値を向上させることが重要となる.

ナノメカニカル振動子の高Q値化は本デバイスのみならずNEMSにおける重要な課題のひとつとして,多くの研究がなされている.様々なナノメカニカル振動子の高性能化手法が提案されているが,本研究では振動子への引張ひずみ印加に着目した.引張ひずみを印加すると振動子の共振周波数ならびにQ値が数倍以上に向上することが報告されており,効果の高い高性能化手法として知られる.ただし,ナノメカニカル振動子への引張ひずみ印加は対象の微小さゆえに難しく,これまでに提案された方法はいずれもひずみ印加の制御性や位置選択性が十分でなかった.そこで本研究では制御性や位置選択性の高い新たな引張ひずみ印加手法として,スティクション現象を利用した方法を考案した.

スティクションはナノ構造作製において液体の表面張力によりナノ構造が引き寄せられ,基板や他の構造に吸着する現象である.本研究ではこのスティクションを引張ひずみ印加に利用することを考えた.2本の両持ち梁を並べてウェットプロセスにより作製すると,乾燥時に梁間にスティクションが生じると考えられる.この振動子は変形した状態で保持されており,引張りひずみが印加されていると考えられる.本原理によるひずみ印加を実証するため,集束イオンビーム化学気相成長法(FIB-CVD)を用いたプロセスによるスティクション振動子作製を行った.FIB-CVDによってシリコン基板上に振動子パターンを形成し,ウェットエッチングを行うことでスティクションを生じさせる.作製したスティクション振動子の電子顕微鏡像を図4に示す.図のように対になった両持ち梁が吸着し,スティクション振動子が形成された.これらの振動子の振動特性を電子ビームを用いた振動計測手法により測定した結果を図5に示す.梁間隔の増加,すなわち印加されたひずみの増加にしたがって共振周波数およびQ値が大きく上昇し,本手法によるひずみ印加および振動子高性能化が実証された.本手法はひずみ印加の制御性および位置選択性を有し,簡便かつ適用性の高い有望なナノメカニカル振動子高性能化手法である.

[1] J. Harley and T. Kenny, Appl. Phys. Lett. 75, 289-291 (1999).[2] H. Mamin and D. Rugar, Appl. Phys. Lett. 79, 3358-3360 (2001).

図1. 結合対向梁方式による荷重検出概要図.

図2. 作製した放射圧検出デバイス電子顕微鏡像.

図3. 放射圧検出デバイス静的梁へのレーザー照射時の動的梁共振周波数変化.

図4. スティクション振動子電子顕微鏡像.

図5. スティクション振動子振動特性測定結果.

審査要旨 要旨を表示する

微細加工技術の発展により製作可能な機械素子寸法はマイクロメートルからさらに微細なナノメートルの領域まで進んでいる。微細加工技術を駆使して作製される微小電気機械デバイスはMEMS/NEMS (Micro/Nano Electro- mechanical Systems)と呼ばれ、センサやアクチュエータへの応用研究が活発である。さらに構成要素をナノメートルスケールまで微小化し,ナノメカニカル構造の特異な機械的特性を機能化することによって革新的な性能を実現するNEMSデバイスの研究が活発化している。本研究は、「ナノメカニカル振動子の高性能化と光検出デバイス応用の研究」と題して、ナノメカニカル振動子の共振特を利用した微小荷重センシングを対象に、新しい荷重センシングデバイス構造の提案、デバイス試作と特性評価、およびその高性能化について論じている。

第1章では、ナノメカニカル振動子の特長とこれを用いた超高感度センシングについて、これまでの研究や技術開発を広くサーベイし、荷重、すなわち力の検出が最も基本となる検出技術であるとの観点から、ナノメカニカル振動子を用いた超高感度荷重検出技術の確立を研究目的に設定している。

第2章では、本研究で検出対象とする微小荷重の検出方法について検討を加え、荷重検出に多用されてきたひずみ検出法でなく、より微小な荷重検知の可能性を持つ変位検出法を取り上げている。本研究では、静的梁と動的梁を組み合わせる検知方式として、検出対象の微小荷重を受けてたわみを生じる静的梁のたわみ量を近傍に対向配置して電気的に結合させた動的梁の共振周波数変化として検出する方法を提案している。本章では、対向梁デバイスで得られる荷重検出感度に関する理論解析を行い、動的・静的の二種の梁構造とその配置に関する設計指針を得ている。

第3章では、 検出対象の微小荷重として光の放射圧を取り上げ、前章の設計指針に基づいて光の放射圧検出デバイスを設計、製作し、その特性評価の実験を行っている。デバイス設計については、作製実現性も勘案して静的梁としては片持ち梁先端に両持梁を直角に接続したT字構造とし、その先端部に動的両持ち梁の中央部を対向させて、二つの梁相互に静電吸引力が作用する構造としている。デバイス試作については、振動子にシリコン、光検知部にクロム膜を用い、電子ビームリソグラフィやウエットエッチングなどの微細加工技術を駆使して対向梁構造デバイスを作製している。

作製したデバイスの動作実験は、微小荷重として静的梁にレーザを照射して放射圧を与え、レーザ加振された動的梁の共振特性を光ヘテロダイン振動計測によって測定している。本デバイス特性評価実験によって、静的梁のレーザ照射によるたわみを動的梁の共振状態における共振周波数シフトとして検知することに成功している。しかしながら、検知信号の特性を詳細に評価した結果、検知された微小荷重は光放射圧によるものよりも静的梁のレーザ加熱による熱歪の影響が大きかったと考察している。

第4章では、微小荷重検出デバイスの更なる高性能化のためには機械振動子の高Q値化が必要であることを述べている。ナノメカニカル振動子のQ値の支配要因を体系的に分析し、共振周波数や機械定数の維持を条件に振動子性能を向上させるには、振動子への引張り応力(引張ひずみ)印加による高Q値化が有力な手段であることを論じている。

第5章では、ナノメカニカル振動子のスティクションを利用した高Q値化の手法を提案している。スティクションはナノ構造の作製過程のウエットプロセスにおいて起こるナノ構造相互が液体の表面張力によって吸着する現象である。本研究ではこの現象を巧みに利用して両持ち梁を相互に吸着させて引張りひずみを印加する方法について、理論計算と実際のナノ構造作製、およびQ値評価実験により有効性を実証している。

第6章では、 前章で述べたスティクションによるナノメカニカル振動子への引張ひずみ印加法の本論文で提案した微小荷重検出デバイスへの適用可能性を述べている。本微小荷重検出デバイスの動的梁をスティクション法により作製すれば、動的梁(ナノ振動子)の高Q値化により静的梁のたわみ検出性能の向上が可能であるとしている。

第7章 では、本研究で得られた結果を総括し,本論文の結論および今後の展望について述べている。

以上、本論文は、ナノメカニカル振動子を用いる放射圧を例にした微小荷重の検知において、静的梁・動的梁組み合わせ方式が有効であるものの熱の扱いが課題であること、動的梁へのひずみ印加によるQ値の改善による検出感度向上の可能があることを示し、超高感度荷重検出の実現に向けた問題点抽出と性能改善の方向を示している。換言すると,ナノメカニカル振動子による微小物理量センシングにおいて、デバイス構造の設計とひずみ印加による高Q値化が高感度化に有効であることを提言しており、本分野の新展開を切り拓く研究として評価される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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