学位論文要旨



No 129063
著者(漢字) 伊藤,広貴
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヒロタカ
標題(和) 粒子法を用いた肺の呼吸性移動のシミュレーションに関する研究
標題(洋)
報告番号 129063
報告番号 甲29063
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7954号
研究科 工学系研究科
専攻 システム創成学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 教授 粟飯原,周二
 東京大学 准教授 中川,恵一
 東京大学 准教授 出町,和之
 東京大学 准教授 酒井,幹夫
内容要旨 要旨を表示する

肺がんは日本人のがんによる死因の第一位を占め,肺がんの放射線治療に対する期待度は大きいといえる.しかし,呼吸性移動を伴う肺などの臓器を放射線治療の対象とする場合,腫瘍付近の広範囲の正常組織に放射線が照射されてしまう.そこで,従来の3次元CT画像に時間軸を考慮に入れた4DCT(Four-Dimensional Computed Tomography)画像に基づく4次元放射線治療が注目を浴びている.呼吸性移動の影響を考慮した胸部の4次元放射線治療において,肺内部の動きを定量的に知ることは重要である.4DCTを用いれば肺内部の動態を知ることが可能であるが,4DCT使用時の被曝線量を考慮すると臨床で多用するのはこれまで困難であった.また,アーチファクトにより標的の輪郭がぼやけてしまい輪郭抽出が困難となる場合があり,放射線治療計画に4DCTを用いることは課題もある.そのため,物理シミュレーションによって肺内部の動きがわかれば4DCTの代替または補助になりうる.

そこで本研究では,肺の呼吸による変形を粒子法によりシミュレーションする.肺を含む胸部の3次元形状はCT画像から作成する.CT画像から読み取れない構造であるミクロな肺胞構造からマクロな肺の挙動をシミュレーションすることは本研究では必要なく,放射線治療時に用いる最低限の情報からモデル化可能な肺変形メカニズムを構築する.すなわち,放射線治療計画では必要不可欠なデータであるCT画像から肺形状を作成し,肺野領域にグリッド状の粒子を配置させ,呼吸性移動の影響による肺の変形を肺は弾性体であるとモデル化することによりシミュレーションする.実際の肺は胸郭と横隔膜の運動により胸郭内が陰圧になり肺が膨張する.物理的な効果によって肺の変形は引き起こされるため,これらの効果をシミュレーションの境界条件として反映させる.肋骨・胸骨・胸椎を含む胸郭の運動は解剖学的知見に基づく運動モデルを提案する.放射線治療計画においてはCT画像を用いて線量計算や治療計画を行う.そこで,シミュレーション結果から4DCTに相当する時系列3DCT画像を構成する手法を提案する.プリプロセスであるCT画像に基づく肺形状のモデリングから,呼吸動態の物理シミュレーション,さらにポストプロセスであるシミュレーション結果から4DCT相当の画像を構成することまでを統一的に扱う手法を提案し,放射線治療計画の高度化につなげる.

CT画像から肺形状を作成する手法について述べる.呼気時および吸気時のCT画像を取得し,粒子法シミュレーションに用いる粒子配置を呼気時のCT画像をもとに作成する.まず,関心領域を解析対象の肺野領域に設定したうえで適切な閾値を用いてCT値の低いクラス(肺,空気等)のみを抽出する.同様に,肺野部周辺の縦隔,体表に該当する高いCT値をピークに持つ領域も抽出する.閾値60[H.U.]で2値化処理を行い大まかな胸郭領域を抽出し,各肋骨・胸椎・胸骨領域に対して別々にラベリングを施す.ここまでにラベリングしたボクセルの形状は非等方的であるため,等方性ボクセルとなるようにボリュームデータをtri-linear interpolationにより変更する.次に,モルフォロジー演算を施し,領域拡張法により肺野領域を抽出し空気領域を除去する.最後に,粒子法シミュレーションをする時の初期粒子配置を記憶させたファイルに変換する.なお,領域拡張法によって抽出された肺領域の輪郭と最下部最表面は肺野輪郭粒子および横隔膜粒子とラベリングする.

CT画像をもとに粒子配置で表現された肺の形状モデルを用いて,肺変形の過程をハミルトン力学に基づいた弾性解析手法によって表現する.この手法は重み付き最小自乗近似によって粒子位置で変形勾配テンソルを近似し,これらを足し合わせることで離散的なハミルトニアンを定式化している.ハミルトニアンから粒子の運動方程式を導出し,シンプレクティックスキームを適用することでエネルギー保存に優れたものになっている.Green-Lagrangeひずみテンソルは変形勾配テンソルを用いて表記される.第2Piola-Kirchhoff応力テンソルは,弾性体の構成則としてSaint Venant-Kirchhoffモデルを用いて表現する.時間積分法にはシンプレクティックスキームのひとつであるリープフロッグ法を用いる.物性値は患者個人のものでなく,文献から一般的な値を採用した.

呼吸運動の主な要因は,胸骨と胸椎によって支持される12対の肋骨により構成される胸郭の運動と横隔膜の運動である.肺変形シミュレーションの境界条件としてこれらの運動の影響を反映させる.胸郭の運動は解剖学的知見に基づいた運動モデルを提案する.胸郭粒子及び横隔膜粒子の移動量と移動方向は,呼気時と吸気時のCT画像からテンプレートマッチングによって導出する.横隔膜の運動はテンプレートマッチング結果を利用し横隔膜粒子の強制変位によってその運動を模擬し,胸郭の変位量はテンプレートマッチング結果から算出し,肺野輪郭の運動は胸郭の運動の影響を与える.さらに,他の体幹部領域は他の粒子の変位量から外挿する.

次に粒子法シミュレーション結果の粒子の変位情報を用いて,4DCTに相当する時系列3DCT画像(以下,Quasi-4DCT)を構成する手法を提案する.まず,粒子法シミュレーションの結果から各時刻における全ボクセルの変位ベクトルを導出する.この変位ボクセルからForward WarpingまたBackward Warpingを用いて呼気時のCT画像からQuasi-4DCTを構成する.Forward WarpingとBackward Warping画像を比較し,Backward Warpingの有用性を確かめた.以上より,シミュレーション結果からアーチファクトのないQuasi-4DCTを構成できた.

最後に,これまで述べてきた提案手法の有効性を,合計3人の患者の呼気と吸気時CT画像を用いて検証する.肺内部の評価点の呼気と吸気間における変位量をシミュレーションの変位量と比較することによりシミュレーションの評価を行った.心臓に近い領域,背側の領域,気管支上の評価点のシミュレーションの動きと実際の動きは合っていないことが確認された.一方,肺変形の運動に大きく寄与する横隔膜と胸郭の運動はよくシミュレーションに反映できている.また,上記以外の肺内部の動きも概ね良くシミュレーションできている.さらに,シミュレーション結果から構成したQuasi-CTの評価を行う.実際の吸気時と呼気時のCT画像の差分画像,Quasi-4DCT吸気時と実際の吸気時CT画像の差分画像を生成し,これらを比較することによって検証を行う.この検証方法により,体表面や胸郭の輪郭,横隔膜の位置は概ね一致していることを示した.ただし,3症例の中で一番横隔膜の変位量が大きい1症例で,横隔膜の運動が実際の動きを十分に反映できていないことを示した.また,心臓を含む縦隔領域でもQuasi-CTと実際のCTの間に差異が見られた.さらに,各スライス面(Axial) において,実際の呼気時CT画像と吸気時CT画像および吸気時CT画像と吸気時相当のQuasi-CT画像の相関係数を相互相関法に基づいて算出する評価方法によりQuasi-CT画像の評価を行った.3症例ともに肺尖から横隔膜に至る領域で一致度が向上していて,特に横隔膜領域では一致度が最も改善する.ただし,1症例において横隔膜の最底部付近であまり一致度は改善していなかった.3症例のうち1例は4DCTから呼気と吸気時の画像を選択し,前述の手法でシミュレーションを行い,Quasi-4DCTを構成したものである.同じ位相のQuasi-4DCTと4DCT画像の差分画像および同じ位相のこれらの画像同士で相関係数を算出することにより時系列の評価を行った.時系列差分画像から,体表面,胸壁,横隔膜,背側以外の肺内部の位置は概ね良く一致している.相関係数による評価から,シミュレーションをしない場合(呼気時)と比べ,提案手法によりシミュレーションをして4DCTを再構成したことで実際の吸気時CT画像に近づいていることは示したが,肺変形の変位量が大きくなるにつれ実際の4DCT画像とQuasi-4DCT画像の差が徐々に開いてしまうことがわかった.

さらに,気管支も呼吸と共に移動することを合計7症例のCT画像を用いて示した.これから,今後は気管支や心臓を含む縦隔のモデリングも考慮に入れたシミュレーション体系を構築することが望まれる.呼吸性移動の非典型事例として,COPDや胸膜癒着例,葉間裂を境にした葉同士の滑り合う例があり,これらの事例のシミュレーションにおいては境界条件のスイッチングを行うことにより動きを再現できる可能性がある.

本研究では,CT画像を用いて胸部の粒子配置を生成し,提案した境界条件を用いて肺変形をシミュレーションする手法を開発した.次に,シミュレーション結果を用いて呼気時CT画像をベースに時系列CT画像であるQuasi-4DCTを構成する手法を提案した.さらに,シミュレーションおよび再構成したQuasi-4DCTの検証を行った.今後は,背側におけるpleural slidingの効果,縦隔のモデリングなどを導入し,より実際の動きに近いシミュレーション体系を構築する.また,肺内部の評価点の軌跡を4DCTと実際のシミュレーション結果で比較することにより,肺内部の時系列の動きの評価を行う.そして,Quasi-4DCTを用いた4次元放射線治療計画への導入可能性を探る.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は粒子法を用いた肺の呼吸性移動のシミュレーションに関する研究で、8章より構成されている。

第1章は序論であり研究の背景、関連研究、本研究の目的および本論文の構成が示されている。肺がんは日本人のがんによる死因の第一位を占め、肺がんの放射線治療に対する期待度は大きい。しかし、呼吸性移動を伴う肺などの臓器を放射線治療の対象とする場合、腫瘍付近の広範囲の正常組織に放射線が照射されてしまう。そこで本研究では、肺の呼吸による変形を粒子法によりシミュレーションする技術を開発するとしている。

第2章では肺の解剖学的知見と呼吸のメカニズムをまとめるとともに、これらを基礎として本研究の全体像を提示している。

第3章ではCT画像から肺形状を作成する手法について述べられている。呼気時および吸気時のCT画像を取得し、粒子法シミュレーションに用いる粒子配置を呼気時のCT画像をもとに作成する。まず、関心領域を解析対象の肺野領域に設定したうえで適切な閾値を用いてCT値の低いクラス(肺,空気等)のみを抽出する。閾値で2値化処理を行い大まかな胸郭領域を抽出し、各肋骨・胸椎・胸骨領域に対して別々にラベリングを施す。等方性ボクセルとなるようにボリュームデータを変更する。次に、モルフォロジー演算を施し、領域拡張法により肺野領域を抽出し空気領域を除去する。最後に、初期粒子配置のファイルに変換する。

第4章では肺変形のシミュレーションが述べられている。肺変形の過程はハミルトン力学に基づいた弾性解析手法によって表現されている。この手法は重み付き最小自乗近似によって粒子位置で変形勾配テンソルを近似し、これらを足し合わせることで離散的なハミルトニアンを定式化している。シンプレクティックスキームを適用することでエネルギー保存に優れたものになっている。弾性体の構成則としてSaint Venant-Kirchhoffモデルを用いて表現する。物性値は患者個人のものでなく、文献から一般的な値を採用している。

第5章では解剖学的知見に基づいた胸郭の運動モデルが提案されている。呼吸運動の主な要因は、胸骨と胸椎によって支持される12対の肋骨により構成される胸郭の運動と横隔膜の運動である。肺変形シミュレーションの境界条件としてこれらの運動の影響を反映させる。胸郭粒子及び横隔膜粒子の移動量と移動方向は、呼気時と吸気時のCT画像からテンプレートマッチングによって導出されている。横隔膜の運動はテンプレートマッチング結果を利用し横隔膜粒子の強制変位によってその運動を模擬し、胸郭の変位量はテンプレートマッチング結果から算出し、肺野輪郭の運動は胸郭の運動の影響を与える。さらに、他の体幹部領域は他の粒子の変位量から外挿するとしている。

第6章では、粒子法シミュレーション結果の粒子の変位情報を用いて、時系列3DCT画像を構成する手法が提案されている。まず、粒子法シミュレーションの結果から各時刻における全ボクセルの変位ベクトルを導出する。この変位ボクセルからForward WarpingまたBackward Warpingを用いて呼気時のCT画像から時系列3DCT画像を構成する。Forward WarpingとBackward Warping画像を比較し、Backward Warpingの有用性を確かめている。

第7章では、これまで述べてきた提案手法の有効性を、合計3人の患者の呼気と吸気時CT画像を用いて検証している。肺内部の評価点の呼気と吸気間における変位量をシミュレーションの変位量と比較し、肺変形の運動に大きく寄与する横隔膜と胸郭の運動はよくシミュレーションに反映できていることが示された。ただし、心臓に近い領域、背側の領域、気管支上の評価点のシミュレーションの動きと実際の動きはあまり合っていない。体表面や胸郭の輪郭、横隔膜の位置は概ね一致していた。さらに、気管支も呼吸と共に移動することを合計7症例のCT画像を用いて示した。これから、今後は気管支や心臓を含む縦隔のモデリングも考慮に入れたシミュレーション体系を構築することが望まれる。

第8章は結論であり、医用画像に基づいて患者個人の肺の呼吸性移動を粒子法によってシミュレーションする技術を開発したこと、患者データを用いて検証し全体的には良い一致が得られたものの部分的にはまだ問題がありさらなる研究が必要であるとまとめられている。さらに今後は本技術を放射線治療計画に導入していきたいと述べられている。

以上を要するに、本研究は粒子法によって肺の呼吸性移動をシミュレーションする技術を開発し、患者データを用いた検証によって手法の有効性を示すとともに問題点も明らかにしている。さらに、本技術は肺がんの放射線治療への応用が期待できる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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