学位論文要旨



No 129065
著者(漢字) 北岡,雅則
著者(英字)
著者(カナ) キタオカ,マサノリ
標題(和) イオントラップ・レーザ冷却法の同位体分析への適用
標題(洋)
報告番号 129065
報告番号 甲29065
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7956号
研究科 工学系研究科
専攻 システム創成学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 長谷川,秀一
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 准教授 白山,晋
 理化学研究所 上席研究員 山崎,泰規
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

長寿命極微量放射性同位体は地球上の大気圏,水圏,岩石圏の広い範囲にわたって存在し,特徴的な同位体比を示す.したがって,これらの同位体の分析手法は生体臨床医学,地球惑星科学,宇宙科学などで重要である.しかしながら,長寿命極微量放射性同位体を崩壊カウントにより計測するには宇宙放射線等の背景カウントを完全に除去し,崩壊を確実に捉えなければならず容易ではない.したがって,崩壊カウントよりも原子カウントの方が,優位性が高いと考えられており,現在は加速器質量分析が最も実用的に使用されているが大型施設が必要となる.そこで,共鳴イオン化質量分析や原子捕獲微量分析といった中性原子に対するレーザ分光を基礎とした手法の開発が進んでいる.一方,イオントラップ・レーザ冷却技術を用いることで,電磁場によるイオンの操作が可能となるため中性原子の場合よりも操作性が高く必要なレーザパワーも低くできる.さらに,誘導結合プラズマ質量分析器(ICP-MS)をイオン源として利用することにより大気圧から液体サンプルを連続的に供給可能となるためサンプルの供給効率を高めることが可能である.ICP-MSはイオン化効率が高く,ほぼすべての元素に対して適用可能という点で,利便性が高い.捕獲されたイオンは極低温まで冷却され,スペクトル線幅が同位体シフト以下に狭窄化される.その結果として,分光学的手法により同位体を選択的に観測することが可能であり,原理的には観測への同重体の影響を避ける事が可能となる.これらの事実は,極微量放射性同位体の新たな分析手法を提供する可能性を示している.

そこで,本研究では複数の安定同位体が存在し,様々な分野で応用が期待されているCa+を対象にICP-MSとイオントラップ・レーザ冷却法を組み合わせることによる同位体イオンの捕獲および観測技術を確立し,イオンの捕獲時の挙動を測定することで,本手法を同位体分析へ適用することを目的とした.具体的には,第一段階としてイオントラップ中に同位体が同時に捕獲された場合の少数同位体の観測技術として,レーザとイオンの相互作用を利用した同位体イオンの制御手法を確立し,超微細構造を有する奇数同位体である43Ca+の観測を実現した.次に,ICP-MSから供給されたイオンをイオントラップまで導き,捕獲・観測を行った.その際のイオンの挙動を調べ,解析結果を利用して本手法を同位体分析へ適用した.さらに,分析技術の高度化,高精度化に向けたシステムの開発を行い,捕獲イオンのイメージングを実行した.

2.イオントラップ中でのレーザとイオンの相互作用を利用した同位体観測

同位体分析技術の確立のためには,まずイオントラップ中で同位体イオンの挙動を知ることが重要である.特に,天然存在比を有するサンプルから生成されるイオン集団から,目的の同位体を観測可能にする必要がある.イオントラップ中で目的のCa同位体のレーザ誘起蛍光(LIF)を観測するためには,天然存在比が大きく大量に生成・捕獲される40Ca+の影響を除去しなければならない.不要な同位体と同時に捕獲された希少同位体を選択的に取り扱う手法として選択的加熱冷却(SHC)法を採用した.これは不要同位体を加熱することにより選択的にイオントラップから排除すると同時に対象同位体を冷却するようにレーザとイオンの相互作用を制御する手法である.しかしながら,大量のイオンが存在する状況でのSHC法によるイオン挙動は調べられた例がなく,特にSHC法のみの選択性によって奇数同位体であり,かつ天然存在比が小さい43Ca+を観測した例は存在しない.そこでSHC法の適用可能条件を詳細に調べることにより,同位体選択的にローディングされていない状況からの43Ca+の観測を実現することを目的とした.

まず,天然混合サンプルから同位体非選択的なイオン化手法であるレーザアブレーションによって生成したCa+を線形イオントラップに捕獲し,SHC法を用いて44Ca+の観測を実現した.その結果,適切なポテンシャルを設定することにより,レーザ周波数,パワー,照射時間を調整すること無しに40Ca+を除去し,44Ca+を観測することが可能であることが明らかになった.明らかになった条件を利用することにより42,48Ca+についてもそれぞれ観測することが可能になった.43Ca+については特別な取り扱いが必要である.43Ca+は奇数同位体であり核スピンI = 7/2を有するため,レーザ冷却で用いる光学遷移のエネルギー準位に超微細構造を持つ.閉じたサイクルを形成し,直接レーザ冷却するためには,複数台のレーザが必要となる.特に,43Ca+の直接冷却に利用する遷移周波数のひとつは40Ca+を冷却してしまう周波数である.それぞれのレーザパワーと共鳴周波数からの離調を調整することによりSHC法を実行し,43Ca+の観測を実現した.スペクトルの観測より,43Ca+の同位体シフトおよび超微細構造に対応する周波数でピークを確認した.これにより,46Ca+を除く安定同位体に関して天然存在比でトラップ中に存在する同位体の中から目的の同位体を選別して直接観測を行う手法を確立した.

3.ICP-MSからイオントラップへ供給された同位体イオンの挙動

Caはこれまでにイオントラップ・レーザ冷却実験で同位体観測の実績があるが,同位体濃縮されていないサンプルから46Ca+を含むすべての安定同位体を観測した例は1例のみであり,100%の選択性は実現されていない.ICP-MSをイオン源として利用することで,微量同位体の完全な選択的捕獲が実現される.そのためには,ICP-MSからのイオン輸送,イオントラップでの減速・捕獲,レーザ冷却およびLIF観測を実現する必要がある.本研究では本手法の重要なパラメータとしてRF電圧振幅,衝突・反応セルのガス流量,減速用バッファガスの圧力,磁場とレーザ偏光の影響を取り上げ,それらのパラメータ最適値を求めた.これらの最適パラメータを設定することにより,微量分析に必要となる0.1%以上のイオン輸送効率を実現した.さらに,Caの微量同位体である46Ca+および43Ca+の捕獲およびレーザ冷却を実現した.完全に同位体選択的な捕獲・観測が可能となったため,特に46Ca+について100%純粋なクーロン結晶を生成し,線幅の狭いスペクトルを観測することが可能となった.以上の結果より,本装置が微量な同位体を検出する能力を有していることが確かめられた.

次に,同位体分析装置として利用するためには,イオンの捕獲挙動について定量的に評価する必要がある.そこで,本手法におけるイオンのローディングに関するダイナミクスおよび液体サンプル中に含まれるCaの同位体濃度に対する検出量の依存性を調べる必要がある.イオンの捕獲挙動に関してはイオントラップへの入射量と損失量からイオン数のレート方程式を記述し,バッファガス圧力に対する依存性を調べることによりレート方程式が成立していることを確認した.これに付随してバッファガスおよびレーザ冷却の影響を調べ,加熱・冷却効果を評価することができた.濃度に対する検出量の依存性ではサブppbレベルの濃度の溶液からイオンを引き出し,イオントラップで捕獲することに成功し,レート方程式との対応を調べた.幅広い濃度に対応するためには,イオン数とLIFとの間にスケーリングファクターを導入して補正する必要があった.さらに,同位体ごとのローディングについても調べ,LIF量から同位体比を評価する手法を考案した.偶数同位体についてはLIFとレート方程式との関係により相対的な同位体比を評価することが可能となった.以上により,ICP-MSをイオン源とするイオントラップ・レーザ冷却法を同位体分析へ適用するための基礎を確立した.

4.同位体分析の高度化・高精度化に向けた捕獲イオンイメージング

バッファガス存在下では効率的なレーザ冷却が実行できず,クーロン結晶を観測することは出来ない.このような条件下で多数のイオンが捕獲されている場合,LIFの量から絶対的なイオン数を決定することは困難である.同位体分析をさらに高感度化・高精度化するためには,バッファガスを排気した超高真空条件で効率的なレーザ冷却を行い,結晶化させ,イオンの直接イメージングによりイオン集団の像を撮影し,イオン集団の性質からイオン数を評価する必要がある.CCDカメラによる結晶化したイオンの直接撮影によりイオン1個からのLIFを空間的に分解して得ることができる.また,この方法では観測対象以外の同位体・同重体の存在を画像から直接的に把握することができる.

そこで,イメージングシステムの開発を行い,イオンの直接イメージングを実現することにより,イオン数の評価および観測対象以外のダークイオンの観測を行った.ダークイオンの観測は協同冷却により結晶化したイオン集団の中から暗くなっている部分を観測することにより行った.また,RF光子相関法を実現することでイメージングの質を低下させる原因であるマイクロモーションの影響を評価した.これにより,適切な条件下でイオン1個1個を分解して撮影することに成功した.

5.結論

SHC法による捕獲同位体イオンの挙動を調べ,捕獲パラメータに対する依存性を調べた.これにより,レーザ光を利用して複数の同位体が同時に多数捕獲されてしまっても,対象とする同位体のみをトラップ領域に維持したまま不要同位体を除去することが可能となった.ICP-MSからのイオン輸送・捕獲を実現し,装置パラメータを最適化することにより,46Ca+を含むCaの全安定同位体を捕獲することに成功した.捕獲イオン数に関するレート方程式との対応により相対的な同位体比を測定した.これにより,同位体分析の基礎を確立した.さらに,CCDカメラによる直接イメージングを実現し,分析技術のさらなる高感度化・高精度化の可能性を示した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、線形イオントラップに捕獲された原子イオンに対して、同位体選択的にレーザー冷却を行うことで高効率な蛍光分光を可能とし、これを誘導結合プラズマ質量分析装置(ICP-MS)と組み合わせることで、微量同位体分析へ適用するための研究を行っており6章より構成されている。

第1章は序論として本研究の背景とその目的について述べている。まず研究の背景として、極微量同位体の存在とその分析意義について概観している。その既存測定手法の特徴を列挙している。次に、本研究で用いているイオントラップ・レーザー冷却法についても触れている。その後、本研究で対象としているCa同位体、特に、極微量同位体であるCa-41について、その利用分野を紹介するとともに、分析対象として既存分析法の効率を評価している。そのあと、本研究で開発を進めている誘導結合プラズマ質量分析(ICPMS)―イオントラップ(IT)―レーザー冷却分光法(LCS)について概要を紹介している。最後に、ICPMS-IT-LCSを同位体分析へ適用することを本研究の目的として掲げている。

第2章では、本研究で用いた理論を紹介している。まず、2準位系における光と物質の相互作用について記述している。さらに、同位体選択の上で重要な原子準位における同位体シフトやCa-41で重要となる核スピンによる超微細構造について詳述している。これらを元にして、イオンの磁気サブレベルまで考慮した準位密度を古典的なレート方程式により記述している。次に、イオントラップ・レーザー冷却法について説明している。具体的には、捕獲された荷電粒子の運動方程式からMathieu方程式を導出し、イオンの微小運動(マイクロモーション)、永年運動および非線形共鳴を説明している。次に、レーザーによる冷却・加熱の概念、原子・分子との衝突による加熱・冷却、イオンどうしの協同加熱・冷却、rf加熱について説明している。さらに冷却された結果、イオンが結晶化されるが、その性質について述べている。その後、ICPMSの紹介を行っている。

第3章では、レーザーによる同位体制御について実験結果を記述している。まず、実験装置の説明をした後に、実験プロセスを述べている。具体的には、レーザーアブレーションにより生成したCaイオンをrf線形イオントラップにより捕獲した後で、866nmのリポンプレーザーを2台準備し、それらの波長をCa-40およびCa-44の遷移に共鳴させ、397nmの励起光の波長を各同位体の共鳴波長の間に設定する。これにより、天然同位体比97%をしめる支配的なCa-40がトラップから排出され、Ca-44だけをトラップに残すことに成功している。直接冷却・協同冷却ではCa-44を十分冷却することはできず、本手法の選択的加熱冷却法が有効であることを実験により示している。また、さまざまな実験パラメータの依存性についても調べている。さらにCa-42,43,48に対しても選択的加熱冷却を行い、それぞれの同位体のスペクトル観測に成功している。また、分子動力学によるシミュレーションと比較することで本手法が効率的な手法であることを示している。

第4章では、ICPMS-IT-LCSによる同位体分析可能性について検討している。まず、ICPMS-IT装置の紹介を行っている。次に、ICPMSからイオントラップまでのイオンの輸送効率について、評価している。実際のイオンとしては天然存在比が最も小さいCa-46および奇数同位体であるCa-43を取り上げ、スペクトル観測を行っている。ICPMSからイオントラップへのイオンの捕獲挙動について、レート方程式を仮定して解析を行い、実験結果との比較から妥当な結果を得ている。このレート方程式に基づいて、液体試料濃度について検量線を作成している。さらに連立のレート方程式により直接観測ができない同重体の挙動についても、定量的な評価の可能性があることを示している。また、同位体比についても検量線を作成することで同位体比の測定が可能であることを示している。

第5章では、高感度化・高精度化に向けて、LIFのイメージングの実験的検討を行っている。まずイメージングシステムの概要を紹介している。長時間観測可能にするためのレーザー波長安定化および高真空化について述べている。イオン結晶化に必要となるイオン運動の解析を行うとともに、その実験観測を実現している。これらを踏まえて、捕獲イオンの画像取得に成功している。さらに、その結晶化により、個別イオンの観測およびその構造について検討を行っている。これの結果から、同位体分析で重要となる捕獲イオンの個数評価法について考察している。

第6章は、結論および今後の展望であり、本研究のまとめを述べている。

以上を要するに、本論文はイオントラップ・レーザー冷却を利用して、ICPMSと組み合わせることで同位体分析への適用可能性を明らかにしている。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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