学位論文要旨



No 129108
著者(漢字) 塩谷,広樹
著者(英字)
著者(カナ) シオヤ,ヒロキ
標題(和) 電場と歪みによるグラフェンの物性制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 129108
報告番号 甲29108
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7999号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 押山,淳
 東京大学 准教授 長田,俊人
 東京大学 准教授 町田,友樹
 東京大学 教授 福山,寛
内容要旨 要旨を表示する

グラフェンは炭素原子からなる層状物質であり、発見以来物理的興味と工学的応用の両面から多くの興味を集め、様々な分野でグラフェンに関する研究が盛んに行われて来ている。2010年のノーベル物理学賞がグラフェンの研究者に与えられたことも、その注目度を反映していると言えるだろう。

本研究はこのように近年興味を集めているグラフェンにおける対称性とそれに対応する物性の関係を実験的に解明することを目的に行われた。また、対称性と物性という物理的な興味のみならず、対称性によって制御された物性の工学的応用も興味の対象に含まれる。グラフェンにおける対称性として検討したものは、グラフェンに対して印加する外部電場の対称性とグラフェンにおける歪み印加状態の対称性である。

外部電場の対称性に関する研究は2層グラフェンを対象にして行われた。2層グラフェンに対して、それを構成する2つの層におけるon site energyが 非等価になるように外部電場が印加されると2層グラフェンが外部電場によ り調節可能なbandgapを形成することが理論的に予言されていた。この理論予 測は後に赤外吸収の実験により確認されていたが、bandgapを形成した2層グ ラフェンを用いたデバイス応用の研究成果は報告されない状態が続いていた。また本研究の以前に半導体素子として最も基本的かつ重要なpn接合デバイス の動作が2層グラフェンを用いて、調節可能なbandgapの特性と共に研究され てもいなかった。そこで電子デバイス応用の観点から、外場によって可変なbandgap値形成という特性を活用したpn接合デバイスを研究するに至った。pn 接合を形成させるためにデバイス支持基板をback gateとし、チャネル部分の 半分をtop gateで覆い、他の半分の領域をtop gateで覆わない2重ゲート構 造を採用した。さらに、従来型の半導体における不純物ドーピングとは異なり電界効果ドーピングの手法を用いデバイスの極性制御を行った。この電界効果ドーピングの利点はチャネルの極性がゲート電圧により変更可能な点である。本研究では一定のソースドレイン電圧印加の下でtop gateとback gateに与え る入力電圧のみを独立な入力パラメータとして扱った結果、2重ゲート構造デバイスのチャネルの極性をPp, Pn, Np, Nn(大文字はtop gate無しの領域の極 性、小文字はtop gate有りの領域の極性にそれぞれ相当)の組み合わせに制御 することに成功した。この実験結果はゲート電圧の調節のみで、チャネルの極性の組み合わせを自由に制御出来ることを意味している。続いてゲート電圧の調節により制御されたチャネル極性の下で、電流-電圧特性の測定を行った。 電流-電圧特性の測定においては特に以下の2点に着目した。1点はチャネル 極性の組み合わせによる電流-電圧特性の違いである。もう1点は同一チャネ ル極性における電流-電圧特性のゲート電圧依存性である。測定の結果、チャ ネル極性の組み合わせの違いにより電流-電圧特性に違いが現れた。例えば極 性の組み合わせがPnの場合とNpの場合とで、微分コンダクタンスが抑制される範囲がソースドレイン電圧0Vに対して反対の符号の電圧領域に現れることが 分かった。これはソースドレイン電圧方向に対する整流性の方向の制御に成功したことを意味する。つまり入力ゲート電圧を調節することによりダイオードの整流方向を可変にしたデバイスの作製に成功したと言えよう。更に、微分コンダクタンスの極小値がback gate依存を示すことからpn接合界面でのband構 造を提唱した。このband構造用い、電流-電圧特性のデータを元に微分コンダ クタンスの解析を進めたところ、ソースドレイン電圧において微分コンダクタンスの傾きが変わる2点の間隔がゲート電圧依存性を持つ事が分かった。ここで2層グラフェンにおいてゲート電圧依存性を持つ物理量として適切なもの として、ゲート電圧値依存、印加される電界強度依存を持つ、外場印加の結果形成されるbandgapが挙げられる。微分コンダクタンスの傾きが変わるソース ドレイン電圧間隔幅に電荷素量eを掛け合わせたものと、先行研究における2 層グラフェンのbandgap値を、様々なゲート電圧の組み合わせに対して系統的 に検討したところ、bandgap値のゲート電圧依存の振る舞いや大きさがよい一 致を示した。これよりソースドレイン電圧における傾きが変わる2点が、外部電場印加によって開かれたbandgapの端に相当すると類推し、微分コンダクタ ンスの解析によって2層グラフェンのbandgapの大きさを見積もる方法を提唱した。以上のように、電場を用いて2層グラフェンの極性やbandgapを制御し、pn接合デバイスを作製して、非線型非対称な電流-電圧特性(整流性)を実現 した。また、電流-電圧特性の解析を通じ外場によって開かれたbandgap値の見積り方法を提唱するに至った。

歪み印加状態の対称性の研究は、グラフェンに与えるストレスを外部より制御することにより実施された。グラフェン上にストレスの大きな金属薄膜や10%以上の大きな収縮性を有する有機絶縁膜を塗布することによってグラフ ェンに2種の歪みを導入することに成功した。1つは1軸性歪みであり、もう1つは2次元面内等方性圧縮歪みである。歪み状態の確認はラマン分光測定を通じ行われた。1軸性歪みの確認はG-bandが分裂したことにより確認した。また、2次元等方性圧縮歪みはG-bandのblue shiftによって確認された。本研 究が歪みに関する先行研究に対して優れる点は、歪み印加の方法が電気伝導測定に拡張可能な方式を採用している点にある。1軸性歪み印加の実現自体は、先行研究において既になされていたが、先行研究の方法は歪み印加グラフェンのデバイス応用を検討した場合に集積化等の観点から困難な方法と言える。本研究で提唱した手法は平坦化プロセスにも耐え、かつ電極の設置も可能にした方法であり、発展性があると言える。例えば1層の一軸性歪みの印加されたグラフェンではbandgapが開くことも報告されており、歪み印加技術はグラフェ ンの電子デバイス応用の観点からも基幹技術になりうる点で重要である。本研究では歪んだグラフェンに電極を設置し、電界効果移動度の温度依存性を解析した。解析の結果、歪みグラフェンの電界効果移動度は温度依存性を持つ事が分かった。これは歪み印加の結果、歪み無しの状態に比べて電子-格子相互作用が変化したためと思われる。以上のようにグラフェンに歪みを導入し、先行 研究とは異なる歪み印加手法を確立した。また、これらの手法はデバイス応用可能な方法であり、更なる研究の発展が期待出来る。

本研究ではグラフェンに対して外部電場と歪み印加というグラフェンの対 称性を破る操作を導入し、物性の制御を行った。またそれらの制御方法はデバイス応用等に拡張可能であり、今後更に電子デバイス応用や基礎物理の研究に発展可能なものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「電場と歪によるグラフェンの物性制御に関する研究」と題し,2層グラフェンの2重ゲート電極構造を用いたpn接合の形成、及びグラフェンへの歪の導入とその評価、電気伝導との関係について論文提出者が行った研究の成果をまとめたものである.

論文は4章から成っている.

第1章では、グラフェンの構造、物性研究、電子デバイス研究の背景を述べた後、本研究の主題である、電場の印加と歪の導入でグラフェンの対称性を崩すことにより物性を制御する、という狙いの説明と研究の具体的な課題設定を行っている.

第2、3章が本論文の中心的な章で、それぞれ、2重ゲート電極によるpn接合の形成と電気伝導の整流性の検出、新しい歪の印加法の開発と歪の評価、歪と電気伝導との関係について研究成果を書いている。

第2章では,2層グラフェンに電場を印加した時のバンドギャップの変化を説明した後、本研究で採用した2重ゲート電極の作製法と電気伝導の測定手法について述べている.ゲートはグラフェンの下部の一様な電極と上部の部分的な電極で構成され、上下の電極に適当な電圧を加えることで上部電極の境界にpP、pN、nP、nNの接合を形成している.それぞれの接合特性の妥当性は、電気伝導の線形性、整流性の観測によって確認している.ここではグラフェンで作られたpn接合で初めて整流特性を観測しており、電子デバイス応用の新しい可能性を提供している.グラフェンのpn接合には、通常の半導体のようなキャリアの打消しによる空乏層が無く、電子、正孔が境をなして蓄積している.本研究では、このことと電場によるバンドギャップの開きを考慮した、pn接合のモデルを用いて、電気抵抗のバイアス電圧特性を理解し、また、整流性が見られる電圧からバンドギャップの大きさを見積もっている.バンドギャップの導出は、過去に赤外吸収の方法で行われているが、本実験で得られた値はこの文献値と一致している.本研究による電気伝導測定法は赤外吸収測定に比べて精度は劣るものの、遥かに簡便なバンドギャップ計測法を提供している.

第3章では、まずグラフェンへの歪印加と歪評価の報告例、バンドギャップ発生や偽磁場発生などの理論予測を紹介した後、本研究で提案、実現した歪の印加法を説明している.Ni蒸着膜への電子線照射による1軸性引っ張り歪の印加、有機絶縁材料への電子線照射による1軸性引っ張り歪の印加と同材料の一様加熱による面内等方性圧縮歪の印加を、独自のアイデアで試行し、ラマン散乱を用いた方法で有効性を確認している.これにより、同法は従来のメカニカルな歪印加に比べて簡便であり、また1軸性の歪導入に優れることを定量的に確認している.さらに、歪の電気伝導への影響を調べるために、歪導入用Ni膜(電子線照射後は酸化の影響で電極端子として使用できない)の内側に電気伝導の測定端子用にTi/Au金属蒸着膜を付けたところ、導入したはずの歪が解消されるという問題に遭遇したこと、このため、新たに厚膜のNi電極を使えば、電子線照射することなく歪が導入でき、同時に測定端子としても使うことができることを発見し、これにより同問題を乗り切ったことを紹介している.本研究で工夫しながら実験を進めている様子が伺われる.最終的に歪の影響として、ディラク点近傍の電気伝導度に平坦な広がりが生じることを見出し、これは量子ホール特性、移動度でみる限り、歪による損傷などに起因するものとは考えられず、キャリア密度の空間分布が発生し、結果としてディラク点のゲート電圧が分布するためではないかと議論をしている.ディラク点の分布の存在は、ランダウファン測定で確認しており、議論の妥当性を裏付けている.歪とキャリア密度の因果関係に関しては、細かい皺の発生による基板との界面状態の局所的な変化が原因と推論しているが、確証はなく今後の検討課題として残されている.なお、理論予測に関連して、歪によるバンドギャップ発生の証拠は見られないと結論している.本章で記述されている、歪印加法、歪評価、電気伝導測定のいずれについても、詳細で信頼性の高い議論がなされており、当該研究分野に有用な知見を提供している.

第4章は,本研究の結論であり,結果の要約と今後の展望が述べられている.

以上述べたように,本研究は,グラフェンの対称性を崩すことによって物性を制御することを中心概念として、電場効果を利用したpn接合の形成、面内歪の導入とその評価、及び電気伝導への影響を調べたもので、いずれも初めての報告である.その研究は独自性が高く、様々な工夫が盛り込まれている.得られた結果の信頼性は高く、固体物理、ナノ科学の進展、グラフェンの新しい電子デバイス応用に大きな寄与があったと評価できる.また,これらの研究成果は,グラフェンの電子デバイスにおける歪の影響という新しい問題を提起しており,物理工学としての貢献が大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる.

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