学位論文要旨



No 129109
著者(漢字) 飯田,隆吾
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,リュウゴ
標題(和) 逆磁気光学効果により誘起された反強磁性体の超高速スピンダイナミクス
標題(洋)
報告番号 129109
報告番号 甲29109
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8000号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 平川,一彦
内容要旨 要旨を表示する

情報化社会の発達に伴い電子の電荷だけでなく、スピン状態も利用したスピントロニクスの研究が盛んに進められている。スピンの操作の中でも本研究で着目したのは極めて高い磁気共鳴周波数のスピン歳差運動(コヒーレントマグノン)の励起であり、高速磁気デバイスやTHz波デバイスへの応用が期待される。

このようなスピン歳差運動を励起するために2つのアプローチが必要である。1つは磁性体の選択で強磁性体の磁気共鳴周波数はGHz程度だが、反強磁性体ではTHz程度となる。もう1つは制御方法である。スピンの操作は磁場による方法がこれまで一般的であったがピコ秒程度での時間スケールの操作が限界といわれている。近年新たな高速磁化制御の方法としてフェムト秒光パルスによる制御が注目されている。すなわち反強磁性体と超短光パルスを用いることで非常に高速なスピン歳差運動の励起、制御が可能である。

特に本研究では可視~近赤外光パルスのエネルギー(振幅)だけでなく位相も利用したコヒーレント操作によってスピンを制御する。言い換えると偏光状態を反映した操作であり、現象としては超短光パルスによって有効磁場パルスが発生したことによってスピン歳差運動が誘起されると見なすことができる。この現象は磁場によって偏光が変調される磁気光学効果に対して逆磁気光学効果と呼べるもので、円偏光パルス(逆ファラデー効果)[1]、あるいは直線偏光パルスによる(逆コットン・ムートン効果)[2] 有効磁場発生がそれぞれ報告されている。これまでこれらの現象について、左右の円偏光または互いに直交する直線偏光で発生する有効磁場の方向は反転することがわかっており、その結果スピン歳差運動の初期位相がπシフトするということが理解されていた。ただし、制御できるのは振幅以外にはこの単純な位相πの違いのみに留まっており、複数のモードがある場合にそれを選択的に励起することが困難であった。

より複雑なスピン歳差運動の励起あるいは選択的な励起を行うために、逆コットン-ムートン効果に着目した。逆コットン-ムートン効果は逆ファラデー効果よりも磁化に対して高次の効果であり、偏光状態や磁性体の選択によってこれまで考えられている以上に高い自由度を持った制御が可能である。

本論文では逆磁気光学効果、特に磁性体や偏光状態の選択によって逆コットン・ムートン効果の性質を利用したスピン歳差運動の励起を行ったことを報告する。これにより特定の振動モードを励起したり従来報告されていない偏光特性を持ったスピン歳差運動を励起させることができた。

1.DyFeO3における逆磁気光学効果の区別

まず、2つの逆磁気光学効果によるマグノンの性質の違いを調べる実験を行った。一般に複屈折がある物質では2つの逆磁気光学効果の影響は混ざって表れる。例えばKimelらはDyFeO3に円偏光を照射してマグノンを励起し、それを逆ファラデー効果によるものとして説明している[1]。しかし、複屈折のために結晶内部では直線偏光に変化しているため逆コットン-ムートン効果によって励起された可能性もある。これらを分離するため発生する有効磁場パルスの方向とスピン歳差運動の初期位相に着目した。DyFeO3のc軸面に励起パルスを入射すると、有効磁場の方向は逆ファラデー効果と逆コットン-ムートン効果でそれぞれc軸、b軸に平行となる。さらにスピン歳差運動はc軸方向の射影成分の関数形を計算すると、それぞれsinΩt, cos Ωtとなり位相が互いに90°異なることが理論計算でわかった。

実際にDyFeO3のc軸面にpump光パルスを入射し透過probe光パルスの偏光面の回転角が励起されたスピン歳差運動に応じて振動することからスピン歳差運動の位相を観測した。励起光の波長ごとに調べてみると可視光領域と近赤外光領域では観測された磁化変化はそれぞれsinΩt, cos Ωtに近い関数形を示しており、逆ファラデー効果、逆コットン-ムートン効果の影響が大きいことがわかった。

2.逆コットン・ムートン効果の拡張

逆磁気光学効果は円偏光によって逆ファラデー効果、直線偏光によって逆コットン-ムートン効果が発生するものであると考えられていた。前述したように逆ファラデー効果では左右の円偏光によって逆向きの有効磁場が発生し、スピン歳差運動の初期位相がπずれるという性質を持っている。しかし、磁気モーメント周りの対称性が比較的低い物質では円偏光でも逆コットンπムートン効果が発生する場合があり、左右円偏光で同位相のスピン歳差運動が励起される。これは直線偏光励起の場合では特定の角度の偏光射影成分のみがマグノンを励起する状態と同等である。

対称性の低さ(2'/m')、磁気共鳴周波数の高さから反強磁性体CoOを選択し、円偏光励起による逆コットン-ムートン効果を確認するpump-probe実験を行った。温度5 Kに冷却したCoOの(001),(100)面に垂直にpump光パルスを入射し、透過probe光パルスの偏光面の回転を観測した。その結果、(001)面で(001)面に入射したときには左右の円偏光もしくは互いに直交する直線偏光でそれぞれ励起されるスピン歳差運動の初期位相はπシフトした。一方、(100)面に入射した場合を図1に示すが、左右円偏光σ^±励起で同位相のスピン歳差運動が観測された。直線偏光励起の場合には振幅が[001]方向からの偏光の角度をΦとしたときsin2φに比例することが確認された。これらの結果は(100)面では円偏光による逆コットン-ムートン効果が生じたことを意味している。

今回示された円偏光の逆コットン-ムートン効果と従来から示されていた逆ファラデー効果、直線偏光による逆コットン-ムートン効果が示されたことになるが、これで逆磁気光学効果として考えられるすべてのスピン歳差運動の偏光依存性が示されたことになる。

3.六方晶YMnO3におけるマグノン励起

これまでの光パルスによるマグノン励起は強磁性体もしくは2副格子反強磁性体(フェリ磁性体)のみに限られてきた。このようなスピン系を直線偏光でマグノンの励起をさせた場合、磁化の変化方向は一次元的に結晶面内のある方向にしか振動しない。一方マルチ磁化ドメインの2副格子反強磁性体NiOは12個のドメインが混ざることで擬似的な3回対称系を作ることができる。このとき励起直線偏光の偏光角を変えることで磁化の振動方向を二次元的に変えることが示されている[3]。また、このような系に2つの偏光角が異なった直線偏光を時間差をつけて入射すると単パルスでは励起できない結晶面内に二次元的磁化振動を作ることができ、例えば円運動磁化振動を励起できる[4]。

本研究では単位格子自体が3副格子を持つhexagonal-YMnO3においても同様の現象が起き、加えて円偏光によっても逆ファラデー効果で面直方向にも磁化振動を起こすことができることをpump-probe実験で確認した。温度5 KのYMnO3の(0001)面に50 fs光パルスを入射し、pump光が円偏光のときはprobe光を直線偏光にして逆ファラデー効果によるマグノン励起をファラデー回転の変調として観測、pump光が直線偏光のときはprobe光を円偏光にして逆コットン-ムートン効果によるマグノン励起を磁気複屈折の変調として観測した。その結果、逆ファラデー効果で面直方向に振動する磁化振動56 GHz、逆コットン-ムートン効果で面内に振動する磁化振動1.3 THzが励起されることが観測された。これは3つの磁化振動モードを三次元的にpump偏光状態に応じて選択的に励起することができることを示している。円偏光、直線偏光を含めたすべての完全偏光状態がマグノンを励起させることができることを示した初めての例でもあり、偏光の情報を磁化振動として完全に転写したことを意味する。これらの実験結果は3副格子系についての逆コットン-ムートン効果を新たに理論計算して得られた結果ともよく一致する。直線偏光励起では4.2, 7.0, 9.2 THzのフォノンも観測された。

また、2つの異なる偏光を時間差をつけて入射することでシングルドメインで3回対称性を持つYMnO3においてもマルチドメインNiOと同様に円運動磁化振動を起こせることが確認された。

[1] A. V. Kimel et al., Nature 435, 655 (2005).[2] A. M. Kalashnikova et al., PRL 99, 167205 (2007).[3] T. Higuchi et al., PRL 106, 047401(2011).[4] N. Kanda et al., NatureComm. 2, 362 (2011).

図1:CoO(100)面におけるpump-probe時間分解測定によるマグノン励起。(T=5 K)

審査要旨 要旨を表示する

本論文はフェムト秒パルス光により、半強磁性体のスピン歳差運動を高い自由度で制御しようとするものである。

従来の光によるスピン歳差運動の励起は、光による強磁性体あるいは半強磁性体の加熱によるものがほとんどであった。近年、フェムト秒パルス光を用い、逆磁気効果により発生した有効磁場パルスによる、非熱的なスピン歳差運動の励起が報告され始めている。そこでは主に円偏光が用いられ、逆ファラデー効果により現象が解釈されてきた。本研究は逆ファラデー効果に加えて、逆コットンムートン効果も利用し、より高い自由度でスピン歳差運動を制御しようとしている。逆ファラデー効果は円偏光のみにより引き起こされるが、逆コットンムートン効果は円偏光と直線偏光の両方で励起され、よりスピン歳差運動の制御の自由度が高まると期待され、この研究ははじめられた。

本論文は、7章から構成されている。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、序論として本研究の背景目的、及び構成について述べている。

第2章では、本論文の理論的基盤となる、磁気光学効果とその逆過程である逆磁気光学効果について説明している。逆磁気光学効果によりスピン歳差運動が誘起される。磁気光学効果はスピン歳差運動の観測に用いる。

第3章では、半強磁性体結晶であるDyFeO3において、逆ファラデー効果と逆コットンムートン効果を分離することを試みた。Pump光としてパルス長 120 fs、波長 600~1500 nm、のパルス光を照射し、これによるスピン歳差運動を波長 800 nm、パルス長 120 fsのprobe光を用い、ファラデー効果により観測した。スピン歳差運動の、pump偏光依存性、pump波長依存性、結晶厚さ(相互作用長)依存性、probe偏光依存性、温度依存性を測定し、理論と照合することにより、900 nm 以上の波長域では逆コットンムートン効果が大きく、それ以下の波長域では逆ファラデー効果が大きいことを明らかにした。

第4章では、従来知られていなかった円偏光による逆コットン-ムートン効果をCoOにおいて測定し、直線偏光も含めてより完全に逆コットンムートン効果によるスピン歳差運動について考察した。これまでは、逆ファラデー効果は円偏光、逆コットンムートン効果は直線偏光により起こるという思い込みがあった。実際には逆コットンムートン効果は円偏光でも起こる。ここでは結晶内のスピンの方向[117]に対して、pump光の電場ベクトルの方向を[001],[010],[100]の3方向すべてに変化させ、偏光と励起されたスピン歳差運動の振幅と位相の関係について測定した。その結果、確かに直線偏光だけでなく円偏光でも逆コットン-ムートン効果を起こすことができることを実証した。これまでhelicityに依存しない円偏光励起のスピン歳差運動は全て熱由来であると考えられてきたのに対して、この結果は反例を与えたものとしても価値がある。

第5章では、3副格子を持つ反強磁性体YMnO3 のスピン歳差運動がpump光の偏光状態に応じて3次元的に励起されることを示した。3副格子系のスピン歳差運動のモードを考察した結果、pump光がz方向に伝搬する場合、直線偏光によりxおよびy方向のスピン振動成分が、円偏光によりz方向のスピン振動成分が励起できることを示した。これにより、励起光パルスの偏光状態により、ベクトル的なスピン振動の制御が可能であることが明らかになった。さらに応用として時間差をつけたxおよびy偏光ダブル光パルスにより円運動磁化変化を励起できることを示した。

第6章では、磁性体の対称性から理論的に予測されるスピン歳差運動の励起状態について考察した。逆磁気光学効果における角運動量保存則、結晶の回転対称性と角運動量保存則を考察し、角運動量のウムクラップ過程を考慮した角運動量保存則を検証した。

第7章では、本研究の成果をまとめた後、今後の展望について述べている。

以上のように、本論文では反強磁性体をフェムト秒光パルスで励起したスピン歳差運動に対して、逆ファラデー効果と逆コットンムートン効果の分離を行うことが可能であることを示し、次いでこれまで知られていなかった円偏光による逆コットンムートン効果を実験的に計測し、より一般的な逆コットンムートン効果の偏光依存性を示した。さらに3副格子を持つ反強磁性体に対して、逆コットンムートン効果によりベクトル的なスピン振動制御が可能であることを示した。これにより、これまで詳細には明らかにされていなかった逆コットンムートン効果によるスピン振動制御に関して有益な知見を与えたといえる。このため本研究の成果は今後の物理工学の発展に大きく寄与することが期待される。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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