学位論文要旨



No 129111
著者(漢字) 磯島,広
著者(英字)
著者(カナ) イソジマ,ヒロシ
標題(和) 分子モーターキネシンの一方向性運動を決める仕組み
標題(洋)
報告番号 129111
報告番号 甲29111
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8002号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 富重,道雄
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 樋口,秀男
内容要旨 要旨を表示する

人体や植物などの生物の細胞内では分子モーターと呼ばれるナノメートルサイズのタンパク質群が機能することで全体としての秩序が維持されている。これらのタンパク質はその精緻な動きから分子機械とも呼ばれ、その中でもキネシンは細胞内物質輸送に関わる分子機械で、ATPをエネルギーとして消費しながら微小管というレールの上を二足歩行運動することでタンパク質複合体やmRNAなどの荷物を一方向に輸送することができる。さらに、1つのATP加水分解で1歩ステップするという高効率な運動を実現していることが知られている(図1a)。しかし、熱揺らぎが支配的な環境において、キネシンがどのように連続的な一方向性運動を生み出しているのかは未だ解明されていない。

キネシンがATP結合によって一方向性を生み出す仕組みとして現在広く受け入れられているのは、2つの頭部をつなぐネックリンカーが構造変化することでステップを生み出すという「ネックリンカードッキングモデル」である。しかし、これだけではキネシンの発揮できる力を説明できないことや、後ろへの再結合が防止されるメカニズムを説明できないことなど、いくつかの問題点が存在する。それに対して最近我々の研究室は、「結合バイアスモデル」を提唱した。このモデルは、ネックリンカードッキングが前方へのバイアスを生み出すのではなく、浮いた頭部の結合がバイアスされることで前方でのみ結合できるというモデルである。我々は2量体の原子モデルからこれを説明するための構造基盤を明らかにした。具体的には、浮いた頭部が後ろに結合しようとするとネックリンカーは立体障害を迂回しなければならないのでネックリンカーに異常な張力が発生することになり、後ろへの結合は防止されている。一方、前方へ結合する際には張力は緩和するので前方での結合のみが許容される。このモデルはネックリンカードッキングなしで前方へのステップを説明でき、どちらの仕組みをキネシンが用いているかは実験的に検証されていなかった。

そこで、本研究の第一部では、ネックリンカードッキングは前方へのステップの仕組みとして必須かどうかを実験的に検証することを目的とした。具体的にはネックリンカードッキング依存的なステップとドッキング非依存的なステップを交互に繰り返す変異体(タンデムキネシン)を作成し、一分子レベルでの運動を観察することで検証した(図1b)。さらに第二部では、浮いた頭部が前方にステップする様子を直接計測するために、暗視野顕微鏡を用いた高時間分解能での測定で検証した。

第一部:タンデム変異体の一分子観察によるキネシンの前方へのステップ機構の解明

ネックリンカードッキング依存的なステップとドッキング非依存的なステップを交互に繰り返す変異体(タンデムキネシン)を作成し一分子蛍光観察を行なった。タンデムキネシンはATP存在下で一方向性の運動を示し、運動速度は117 nm/s程度であり野生型キネシン(~400 nm/s)の4分の1程度であった。次に、タンデムキネシンがHand-over-handで運動しているかを検証するために、それぞれの頭部を量子ドットで標識しナノメートル精度の蛍光イメージング法を用いることでステップの計測を行なった。その結果、どちらの頭部も16 nmステップを示したことから、タンデムキネシンはHand -over-handで運動することが確かめられた(図2)。これらの結果は、ネックリンカードッキング非依存的なメカニズムでも前方へのステップは可能であることを示しており、すなわち、ネックリンカードッキングは前方へのステップには必ずしも必須ではないことを直接示すものである。また、運動速度は野生型キネシンの4分の1程度であったことから、少なくともどちらか一方のステップは遅くなっていると予想される。

そこで次に、一分子FRET法で運動中のタンデムキネシンの頭部の位置関係を検出した。N末頭部のかかと(43番)とC末頭部のつまさき(215番)に標識した場合、FRET効率は長い時間90%をとり、時折10%へのスパイク状の遷移が検出された(図3)。90%の高いFRET効率を維持する時間は84±4 ms、10%の低いFRET効率を維持する時間は21±1 ms であった。90%のFRET効率はC末頭部が後ろの両足結合状態、10%はN末頭部が後ろの両足結合状態に対応していることから、ネックリンカードッキング依存的なステップは遅く、一方でネックリンカードッキング非依存的(結合バイアス)なステップは速いことを示している。野生型キネシンの1ステップにかかる時間は20 ms程度であることから、これらの結果は、キネシンは結合バイアスを主に用いていることを示唆するものである。

第二部:暗視野顕微鏡を用いた高時間分解能計測によるキネシンのステップの直接計測

浮いた頭部の揺らぎを直接観察するためにはμs程度の高い時間分解能で計測する必要があるが(図4a)、従来の蛍光色素を用いた方法では、蛍光の退色や消光などの問題があり十分な蛍光強度を得られないために、ミリ秒程度が限度であった。そこで本研究では、蛍光ではなく金コロイドの散乱光を検出することで高い時間分解能で測定することにした。全反射型暗視野顕微鏡を用いてバックグラウンドノイズを抑えつつ金コロイドの散乱光をS/N良く検出し高速カメラで撮影することで55 μsの時間分解能かつ1.3 nmの中心位置精度を実現した。そこでこの系を利用して金コロイド標識したキネシン頭部のATP存在下での動きを観察したところ、On-axis方向には16 nmの離散的なステップが見られた(図4b)。一方、Off-axis方向に関しては揺らぎが一時的に増大しており、この状態は16 nmステップが完了する直前に起きていた(図4b赤)。

また、ATP濃度を下げると揺らぎの増大する時間も長くなったことから、この状態はATP待ち状態に対応することを示しており、ATP待ちは片方の頭部が浮いたUnbound状態であるという過去の知見と一致する。さらに、Unbound状態の揺らぎの分布を調べたところ結合サイトに対して常に右側で揺らいでいることが明らかになった(図4c赤)。この結果は、ネックリンカーの付け根が右側に位置するというキネシンの構造を反映していると考えられる。また、Unbound状態における金コロイドの揺らぎの分布を詳細に分析したところ、金コロイドは前方にアクセスできるほど広い分布を示した(図4c赤)。この結果は、ATP待ちの間も浮いた頭部は前方の結合サイトへアクセスできるが前方でのADP解離および微小管への結合が阻害されているという、結合バイアスモデルを支持するものである。

まとめると、キネシンがどのような仕組みで前方へのステップを実現しているのかを明らかにする目的で、タンデムキネシンの一分子観察と高時間分解能測定を行なった。第一部では、ネックリンカードッキングは前方へのステップの仕組みとして必須ではないことが明らかになった。第二部では、浮いた頭部が前方にステップする様子を55μsの分解能で直接計測することに成功し、浮いた頭部は前方にアクセスできるぐらい広い分布を持つことが示された。これらの結果は、キネシンは揺らぎを無理矢理制御しているのではなく、揺らぎを巧みに利用しながら一方向性を生み出すという分子モーター特有の機構を持っていることを示すものである。

図1.野生型キネシンのステップ(a)とタンデムキネシンのステップの模式図(b)

図2. ナノメートル精度の蛍光イメージング

(a) タンデムキネシンの量子ドット(Qdot)標識位置。N末頭部のつまさき(215)とC末頭部のつまさきをそれぞれ標識した。(b) 5 μM ATP存在下におけるトレース例。(c) ステップサイズのヒストグラム。

図3. タンデムキネシンの一分子FRET観察

(a) 頭部の位置関係とFRET効率を表した模式図。N末頭部のかかと(43)とC末頭部のつまさき(215)に標識することで、どちらの頭部が前であるかをFRET効率の違いで検出できる。(b) 1 mM ATP存在下におけるFRET効率のトレース(中段)。FRET効率は高い値から低い値にスパイク状に遷移していた(矢印)。(c) 高いFRET効率(>50%)を維持する時間のヒストグラム(上)と低いFRET効率(<50%)を維持する時間のヒストグラム(下)。どちらの分布も指数関数的に減少する関数でフィッティングすることができ、時定数はそれぞれ84±4 ms、21±1 msであった。

図4. 金コロイド標識したキネシンの運動

(a) ステップの模式図。進行方向をOn-axis成分、垂直な方向をOff-axis成分とした。(b) 10 μM ATP条件下におけるトレース。揺らぎの大きい状態を赤で表示した。(c) On-axis成分を横軸、Off-axis成分を縦軸で表示した二次元トレース。青線は51frameでアベレージをとったもの。

審査要旨 要旨を表示する

キネシンは、ATPを加水分解しながら細胞内の微小管上を一方向に連続的に移動し、物質輸送に関わるモータータンパク質である。最近の研究によりキネシンは二足歩行運動(Hand-over-hand)することがわかったが、このような運動を行うためには2つの頭部間での協調性が必要である。2頭部間の協調には頭部をつなぐネックリンカーが重要だと考えられているが、その具体的な仕組みは未だわかっていない。キネシンが一方向性を生み出す仕組みとして現在広く受け入れられているのは、ネックリンカーがATP結合によって構造変化することで前方へのバイアスを生み出すという「ネックリンカードッキングモデル」であるが、いくつかの問題点が報告されている。一方、最近我々の研究室により、浮いた頭部は拡散運動により前後の結合サイトへアクセスできるが後方への結合が阻害されるために前方へのみ選択的に結合できるという、「結合バイアスモデル」が提唱された。申請者は、本論文の第一部で、ネックリンカードッキングあるいは結合バイアスどちらが前方へのステップの仕組みとして寄与するのかを検証することを目的とし、ドッキング依存的なステップと結合バイアスによるステップを交互に繰り返す変異体(タンデムキネシン)を作成し、一分子レベルで運動を観察した。さらに第二部では、野生型キネシンの浮いた頭部が前方に移動する様子を直接計測するために、暗視野顕微鏡を用いた高時間分解能での測定を行なった。

本論文は、以下の8章から構成され、和文で書かれている。

第1章では、キネシンについてわかっている事実および未解決問題をまとめた上で、本研究の概要が述べられている。

第2章では、研究に用いた実験試料の調製法および、生化学測定や一分子蛍光観察、さらには暗視野顕微鏡観察などの計測技術の原理・手法が説明されている。

第3章~第5章(第一部)では、タンデムキネシンを作成し一分子蛍光観察を行なった結果が述べられている。タンデムキネシンはATP存在下で一方向性の連続的な運動を示し、運動速度は野生型キネシンの4分の1程度であった。さらにステップ検出を行なったところ、どちらの頭部も16 nmステップを示したことから、タンデムキネシンはHand -over-handで運動することが確かめられた。これらの結果は、ネックリンカードッキング非依存的なメカニズムでも前方へのステップは可能であること、すなわち、ドッキングは前方へのステップには必須でないことを直接示すものである。さらに、一分子FRET法で、運動しているタンデムキネシンの頭部の位置関係を検出したところ、ドッキング依存的なステップは遅く、一方で結合バイアスによるステップは野生型キネシンのステップと同程度に速かった。これらの結果は、野生型キネシンは結合バイアスを主に用いていることを示唆するものである。

第6章~第7章(第二部)では、浮いた頭部の揺らぎを直接観察するために高時間分解能で計測した結果が述べられている。全反射型暗視野顕微鏡を用いて金コロイドの散乱光をS/N良く検出することで時間分解能55 μsかつ位置精度~1.3 nmを実現した。この系を用いて金コロイド標識したキネシン頭部のATP存在下の動きを観察したところ、運動方向には16 nmの離散的なステップが見られ、一方、運動と垂直な方向には16 nmステップ直前に揺らぎの一時的な増大が見られた(Unbound状態)。ATP濃度を下げると揺らぎの増大する時間も長くなったことから、ATP待ちは片方の頭部が浮いた状態であるという過去の知見と一致する。また、Unbound状態の揺らぎの分布を調べたところ結合サイトに対して常に右側で広い範囲揺らいでいた。この結果は、キネシンの構造を反映している。さらに、金コロイドの揺らぎは前後の結合サイトにアクセスできるほど広い分布を示しており、結合バイアスモデルを支持している。

第8章では、本研究で得られた結果をもとに、浮いた頭部が広い範囲揺らぎながらも前方に選択的にステップする構造モデルが提案され、キネシンの歩行メカニズムの説明がされている。

以上のように、申請者は、ネックリンカードッキングは前方へのステップの仕組みとして必須でないことを実験的に明らかにし、さらに、頭部が前方にステップする様子を55μsの分解能で直接計測することに成功し、浮いた頭部は結合サイトの右側で広い範囲揺らぐことを示した。これらの結果は、キネシンは揺らぎを無理矢理制御するのではなく、揺らぎを巧みに利用しながら一方向性を生み出すという分子モーター特有の機構を持っていることを示している。これはキネシンの運動機構の理解に貢献するにとどまらず、タンパク質が方向性のないブラウン運動から方向性ある運動を効率よく生み出すという生命のエネルギー変換機構の本質に迫るものであり、その学術的価値は高い。よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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