学位論文要旨



No 129112
著者(漢字) 鵜飼,竜志
著者(英字)
著者(カナ) ウカイ,リュウジ
標題(和) 空間または時間モードを用いた多段階・多入力一方向量子情報処理の研究
標題(洋)
報告番号 129112
報告番号 甲29112
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8003号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 香取,秀俊
 東京大学 教授 小芦,雅斗
 東京大学 特任講師 米澤,英宏
 慶応義塾大学 准教授 山本,直樹
内容要旨 要旨を表示する

近年、量子力学を計算に応用した量子計算機に関する研究が急速に進められている。量子計算機が注目を集めるようになったのは、従来の古典計算機では処理に時間がかかりすぎるため解けないと考えられている問題に対して、量子計算機を利用した効率の良いアルゴリズムが発見されたことによるものが大きい。

量子計算あるいは量子情報処理では、始めに情報が量子状態にエンコードされる。その量子状態に対する量子状態操作が計算に対応し、計算の解を保有する量子状態へと変換される。最終的な量子計算の解は、変換後の量子状態に対する観測を行うことで得られる。従って、量子情報処理の要をなすのは、量子状態に対する量子状態操作であるといえよう。

この量子計算を実現する手法として、「一方向量子計算」が提案された。これは「エンタングルした状態の一部を測定すると、測定されなかった部分系の状態が変化する」というエンタングルした状態の特徴を積極的に量子計算に利用しようというものである。つまり、量子計算の資源(リソース)として「クラスター状態」と呼ばれる多者間のエンタングルした量子状態を利用し、そのクラスター状態の一部に対して順番に測定を行っていくことで、測定されなかった残りの部分系に計算結果を表す量子状態を出現させる。ここで、測定としてどのような測定を行うかを変更すれば、同じクラスター状態を利用しながら別の計算結果を表す量子状態を出現させることができ、これは別の量子計算を行うことに対応している。

一方向量子計算に限らず、一般に任意の量子計算を実現するためには、任意の量子状態操作を実現できる必要がある。量子状態操作の中で、最も単純かつ基礎的なものは、1つの量子状態をそのまま出力する「恒等操作」である。量子状態を遠方に伝送する量子テレポーテーションも恒等操作であるとみなすことができる。この恒等操作を軸として、最終的に任意の量子計算を実現するためには、次のような拡大が要求される。

・1つの量子状態だけではなく、多くの量子状態を扱えるようにすること(1入力から多入力へ)。

・恒等操作以外の演算を実現すること(恒等操作から演算へ)。

・1回の演算だけではなく、複数回演算が行えるようにすること(1段階から多段階へ)。

これまでに、当研究室において光を用いた連続量一方向量子計算の実証実験を行ってきた。そこでは、1つの量子状態に対する「位相回転操作」および「スクイーズ操作」と呼ばれる量子状態操作が実現された。また、一方向量子計算では、リソースとして利用されるクラスター状態のサイズが演算の回数であるとみることができ、これらの実証実験では4者間のエンタングルした状態が利用されていたことから4段階の演算であると言える。

上記を踏まえ、本研究での実証実験では、多入力に対する連続量量子状態操作の例として、2入力に対する3種類のゲートの実証を行った。いずれも、クラスター状態の各モードを空間的に異なるモードに配置するという空間モードを用いた2入力量子状態操作の実証実験であり、2つのエンタングルしていない量子状態をエンタングルさせる働きのあるゲートである。また、クラスター状態の各モードを時間的に異なるモードに配置するという時間モードを用いた手法の理論についても研究を行った。これは多段階量子状態操作の実現に寄与するものである。

以下ではこれらについて項目ごとに述べる。

<制御Zゲートの実証実験>

これは、4者間のエンタングルした状態である線形4モードクラスター状態をリソースとして利用した量子状態操作の実証実験であり、2つの入力に対する全体の演算が、1つの量子系に対する余分なスクイーズ操作を含まない、ゲイン1の制御Zゲートとなっているものである。また、2つの量子状態それぞれに対して量子テレポーテーションを行った後、制御Zゲートを施す回路を考え、その制御Zゲートを量子テレポーテーションの前に移動させたものが本実証実験の量子回路となっていることから、2入力に対するゲートのテレポーテーションの実証実験であるとみることができる。

<最適非局所ゲートの実証実験>

これは、2者間のエンタングルした状態である2モードクラスター状態をリソースとして利用した量子状態操作の実証実験であり、作用する2量子系が遠方に位置している非局所ゲートを、あらかじめ両者で共有された1組のエンタングルした状態と、双方向へのチャンネル数1ずつの古典通信という、最小の構成で実現したものである。

<相互作用ゲイン可変エンタングリングゲートの実証実験>

これは、3者間のエンタングルした状態である線形3モードクラスター状態をリソースとして利用した量子状態操作の実証実験である。上記の2つの実証実験においては行われた演算が固定であったのに対し、この実証実験ではクラスター状態に対する測定を変更することで、入力した2つの量子状態に対するエンタングリング操作を行うかあるいは行わないかという操作のON/OFFの切り替えや、エンタングルさせる相互作用のゲインの制御ができることを実証した。これは測定基底に応じて演算を制御するという一方向量子計算の特徴を強く表している。

<時間モードを用いた手法の理論>

古典計算機ではNANDゲートの組み合わせで任意の計算が実装できるように、量子計算機でも限られた種類のゲートの組み合わせで任意の計算を実装することができる。そのためには、多段階の量子状態操作を実現できるようにならなければならない。しかし、これまでの実験手法は拡張性に乏しい面があった。つまり、一方向量子計算のリソースとして利用されるクラスター状態の各モードは、空間的に異なるモードに配置されており、ある時刻に同時に存在していた。そのため、多段階の量子状態操作を実現するためには、その段数と等しい数の異なる空間モードを利用する必要があり、実験系が肥大化してしまうのである。

この問題点を解決する手段として、時間モードを用いた手法が提案された [N. C. Menicucci, Phys.Rev. A 83, 062314 (2011)]。つまり、クラスター状態の各モードを空間的に異なるモードに配置する代わりに、時間的に異なるモードに配置するというものである。このようなクラスター状態を時系列クラスター状態と呼ぶ。この手法を利用すれば、光学系を肥大化させることなく複数回の量子状態操作を実現できるようになる。

オリジナルの論文により、複数回の量子状態操作に利用可能なクラスター状態の生成方法の提案がなされた。この手法では有限かつ静的な光学系を利用することで、無限に大きいクラスター状態を生成することができ、多段階の量子状態操作の実現に向けて大きな一歩となるものである。

ところが、この手法によって生成されるクラスター状態が複雑なものであったため、オリジナルの論文ではより特性の分かっている簡単なクラスター状態に変換するために、生成したクラスター状態のうち1/2あるいは3/4を廃棄し、残りのモードで演算をすることが提案されていた。しかし、これは生成したリソースを無駄にしていることになり、可能であれば全てのリソースを利用して量子計算を行うことが望まれる。

本研究では、上記の問題に対する解を見出した。つまり、時間モードを用いた手法は、量子テレポーテーションの繰り返しと等価であることを示し、その量子テレポーテーションにおける測定の変更により演算を行うことができることから、クラスター状態のすべてのモードを演算に利用することができるということになる。また、本実証実験で行った制御Zゲートを基本回路とし、それの繰り返しと等価な時系列クラスター状態を利用すれば、全てのリソースを利用しながら多入力に対する量子状態操作も実現可能であるということを発見した。これらの発見により、時間モードを用いた手法の理論的発展及び実証実験の発展が進むことが期待される。

これまでの研究により、1入力に対する位相回転操作とスクイーズ操作の実証実験に成功している。これらと今回の2入力に対するエンタングリングゲートを組み合わせることにより、任意の多入力に対する線形変換であるガウス型操作を実装することができるようになる。これは連続量一方向量子計算の実現に向け重要な構成要素が揃いつつあることを意味する。

任意の量子計算を実現する上で唯一達成できていない構成要素は、線形変換ではない1入力に対する非ガウス型操作である。その実証には、光子数測定やあるいは光子数状態の重ね合わせの生成など、本研究では扱っていない技術が必要になるが、これまでに当研究室において3光子状態までの重ね合わせの生成に成功するなど、非ガウス型操作の実証に向けて研究が進められている。

また、量子計算の段数の観点からいえば、今回の実証実験では最大4モードのクラスター状態を利用しており、4段階の量子状態操作の実証に成功したと言える。将来さらなる多段階の量子状態操作の実証実験を行うための技法として提案された時系列の手法に対して、それが量子テレポーテーションの繰り返しに基づくものであることを発見し、さらにその全てのモードの自由度を演算に利用することができると分かった。これは将来的に多段階の量子状態操作の実証実験を行う上で効率よく量子計算を実装することができるようになることを意味している。

今後の研究により、1入力に対する非ガウス型操作の実証や、より多段階の量子状態操作の実証が行われ、量子計算機の実現につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

一方向量子情報処理は量子状態に情報をエンコードして計算を行うという量子情報処理を実現するための手段として新たに提案されたものである。これは、クラスター状態と呼ばれる多量子系のエンタングルした状態に対して測定を繰り返すことによって量子情報処理が達成されるというものである。行う量子情報処理は測定の際の測定基底の選択によって決定され、十分に大きいクラスター状態を利用すれば、同一のクラスター状態に対して適切な測定基底の組み合わせを選択することによって任意の量子情報処理を実現することができる。ここで、従来利用されている古典計算機ではNANDゲートの組み合わせによって任意の情報処理ができるのと同様に、連続量の量子情報処理においても1量子系に対するガウス型操作・1量子系に対する1種類の非ガウス型操作・2量子系に対する1種類のガウス型操作の3種類の量子状態操作を実現することができれば、これらの組み合わせによって任意の処理が可能であるということが分かっている。従って、一方向量子情報処理の実現に向けて、その枠組みでのこれらの実証実験が重要な鍵となる。また、任意の情報処理はこれらの組み合わせによって達成されることから、多段階の量子情報処理が必要となる。

本研究は、過去に論文提出者が一方向量子情報処理の枠組みでの1量子系に対するガウス型操作の実証実験に成功していることを踏まえ、一方向量子情報処理の実現に向けた新たな広がりとして、2量子系に対するガウス型操作の実証をそれぞれ特徴の異なる3種類行ったものである。また、多段階一方向量子情報処理の実現に向けて提案された時系列の手法に対して、生成されたクラスター状態を効率よく利用して演算を実装するための方法についても研究を行っている。

本論文は以下の12章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、導入として本研究の背景について大まかに述べ、その上で本研究の概略を述べている。

第2章では、本論文を串刺しにして全体を見通す形で、一方向量子情報処理についてその概略と歴史をより詳しく述べている。その中で論文提出者が過去に行った研究や本論文に至った経緯についても言及している。

第3章では、後続の章で必要となる量子光学の理論について述べている。

第4章では、まず量子状態と量子状態操作の表記方法について述べている。続けて、量子状態操作の分類や、具体的な量子状態操作を表す演算子について述べている。最後に、与えられた量子状態がエンタングルした状態であることを示すための十分条件について言及している。

第5章では、まず量子テレポーテーションについて述べており、その量子情報処理への応用として一方向量子情報処理を導入している。

第6章では、一方向量子情報処理の手続きに従って、各構成要素の理論について述べている。まずクラスター状態の定義を述べた後、量子状態操作の対象となる入力状態とクラスター状態を結合する手法について述べている。さらにクラスター状態を変形する手法について述べた後、一方向量子情報処理のユニバーサリティーについて述べている。最後に一方向量子情報処理の入出力関係を表記する上で有用なデルタ表記について述べている。

第7章では、後続の章における実証実験でリソースとして利用されるクラスター状態の生成実験について述べている。2モードから4モードまでの線形クラスター状態の生成を行っており、いずれの場合でも十分な相関を持つ状態が得られていることが示されている。

第8章では、一方向量子情報処理の枠組みにおける制御Zゲートの実証実験について述べている。そのゲートの検証としては、まず共役な物理量の伝搬の正当性が示されている。また、分離した状態を入力した際に出力で量子エンタングルメントを観測しており、このゲートが非古典的な領域で動作していることが示されている。

第9章では、遠方に位置している2者それぞれが所有している量子状態を、最小のリソースでエンタングルさせるという最適非局所ゲートの実証実験について述べている。

第10章では、相互作用ゲインが可変なエンタングリングゲートの実証実験について述べている。第8章及び第9章における実証実験では、実装されているゲートが固定であったのに対し、本章で述べられている実証実験では、クラスター状態に対する測定の基底を変更することにより、2つの入力となる量子状態をエンタングルさせるかさせないか、あるいはどの程度エンタングルさせるかといった制御が可能な可変のゲートとなっている。出力状態の検証では、実際に測定基底に合わせてエンタングルメントの度合いの変化が観測されている。

第11章では、多段階一方向量子情報処理の実現に向けた、時系列の手法によるクラスター状態生成方法の提案を受け、その利用方法について述べられている。当初の方法では、生成されたクラスター状態の2分の1を廃棄したうえで演算を実装することが提案されていたが、時系列の手法と量子テレポーテーションの繰り返しの等価性を示すことで、クラスター状態の2分の1を廃棄することなく演算を実装できることが示されている。

第12章では、本研究をまとめ、今後の展望を述べている。

以上のように、本研究では2入力に対する一方向量子情報処理の例として3種類の実証実験を行った。いずれのゲートにおいても、将来における大規模一方向量子情報処理回路の一部分として組み込むことができる構成となっている。また、論文提出者が過去に行った実証実験と合わせて、多量子系に対する任意のガウス型操作を構成するための要素が実現されたことになる。さらに、将来における時系列の手法の実証実験に向けて、生成されたクラスター状態の効率の良い利用方法が発見された。本研究の成果は、多段階・多入力の一方向量子情報処理を実現する上で重要な意義があるものと認められる。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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