学位論文要旨



No 129118
著者(漢字) 久世,直也
著者(英字)
著者(カナ) クセ,ナオヤ
標題(和) 2台のYbファイバー光周波数コムの位相同期とデュアルコム分光への応用
標題(洋)
報告番号 129118
報告番号 甲29118
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8009号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小林,洋平
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 准教授 井上,慎
 東京大学 准教授 秋山,英文
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景:

自然界には存在しないような空間、時間の両面において非常に高いコヒーレンスを持つ人工的な光であるレーザーが1960年に初めて実現して以来、光科学の研究は最先端レーザーの開発と共に今なお進化し続けている。特に、不確定性原理からフーリエ変換によって数学的に結ばれる時間、周波数領域のそれぞれの面におけるレーザーの発展は光科学に著しい発展をもたらした。時間領域ではフェムト秒のパルス幅を持つレーザーにより超高速時間分解や、高次高調波発生に代表される非摂動領域の非線形光学を可能とし、周波数領域ではスペクトル幅の狭いレーザー開発技術の進展に伴い、レーザー冷却や精密分光の礎を築いた。そして、時間領域と周波数領域それぞれで培われてきたレーザー技術は2000年頃に光周波数コムとして統一された。光周波数コムは時間領域では超短パルス性を持ち、周波数領域では数十万本の高安定CWレーザーとして表される。初めて実現された光周波数コムはチタンサファイアモード同期レーザーによるものであったが、現在、様々なレーザーゲイン媒質で光周波数コムの開発の研究がなされており、それぞれ独自の特徴をもつ光周波数コムが開発されている。また、新規の光周波数コムの開発の進展に伴い、その応用領域は原子や分子の分光から天文応用まで超精密をキーワードに広がり続けている。本研究でも新規光周波数コムの開発と応用分野拡大を目指して、2台の光周波数コムを高精度に位相同期する技術開拓の研究を行い、デュアルコム分光に応用した。

研究成果

Ybファイバー光周波数コムの開発:

本研究で最初に行った研究はYbファイバー光周波数コムの開発である。超短パルスモード同期レーザーの出力は周波数領域で考えると図1のように繰り返し周波数をモード間隔とした数十万本のモードからなる。これらのモードはオフセット周波数に繰り返し周波数の整数倍の足し合わせとして表される。オフセット周波数、繰り返し周波数を制御することで、全てのモードを完全に制御したものが光周波数コムと呼ばれる。光周波数コムを開発するには最初に超短パルスモード同期レーザーを開発する必要がある。本研究で注目した光周波数コムはYbファイバーをゲイン媒質とするYbファイバー光周波数コムである。Ybファイバーモード同期レーザーはレーザーの構成要素の大部分がファイバーから成るため長時間動作が可能となり、またファイバーベースのレーザーとしては最短パルスを実現でき、さらに高出力システムの開発が可能という長所を持つ。ただ、Ybファイバーモード同期レーザーが超短パルスになる理由は不明であり、超短パルスを発生するレーザー構成に関して2次分散、3次分散両方を補償する複雑な構成なものと、2次分散を補償するだけのシンプルな構成のものがあり、それぞれ同等のパルス幅を実現していた。本研究では2次分散を補償するだけのシンプルな構成で超短パルスを実現できる理由を明らかにするため、レーザー内のパルス状態を実験、数値計算の両面から詳細に調べ、非線形効果の自己位相変調が3次分散を補償していることを明らかにした。また自己位相変調により3次分散を補償する際にはパルス時間波形の非対称性が重要であると考察した。超短パルス発生メカニズムを明らかにした後、繰り返し周波数、オフセット周波数を制御した光周波数コムの開発を行った。今までに実現していたYbファイバー光周波数コムは可飽和吸収体を用いたモード同期によるYbファイバーモード同期レーザーを用いており、超短パルスモード同期ファイバーレーザーで一般的な非線形偏光回転モード同期によるYbファイバー光周波数コムの報告例はなく、そのようなモード同期レーザーの周波数制御を実現することは重要である。それには低位相雑音のオフセット周波数を実現できるかが鍵であり、モード同期レーザー、スペクトルを広げるためのPhotonic crystal fiberの最適化を進めることで高精度に制御可能な低位相雑音のオフセット周波数を実現できることを示し、非線形偏光回転モード同期Ybファイバー光周波数コムを初めて実現した。

注入同期による2台のYbファイバー光周波数コムの位相同期:

光周波数コムの応用は新規光周波数コム開発と共に進んできた。今後、新規光周波数コムとして超広帯域光周波数コムや高繰り返し光周波数コムの実現が期待される。特に高繰り返し光周波数コムは天文応用の際には重要な役割を果たす。しかし、超広帯域光周波数コムは1台のモード同期レーザーではレーザーのスペクトル幅が限定されるため難しく、高繰り返し光周波数コムは直接的にオフセット周波数の制御することが難しい。そこで期待されることがオフセット周波数、繰り返し周波数の制御された光周波数コムを1台用意し、その光周波数コムに対して、周波数制御したいモード同期レーザーを同期させる方法である(図2)。2台のモード同期レーザーを同期させるためにはオフセット周波数、繰り返し周波数を同期させる必要がある。この2つのパラメータを能動的に同期させることも可能だが、受動的な同期が可能であれば簡便さの点から受動同期の方が望ましい。そこで本研究では2台のモード同期レーザー間のオフセット周波数、繰り返し周波数の受動同期が可能かどうかを調べた。受動同期を実現する手段として注入同期に注目した。注入同期では1つのレーザーの出力を別のレーザーに注入する。注入同期は縦シングルモードCWレーザーの受動周波数同期によく用いられる方法であり、レーザースペクトルに重なりのない2台のモード同期レーザーにも応用され、その際には繰り返し周波数が受動同期することが報告されている。本研究ではレーザースペクトルが重なる2台のモード同期レーザーに対して注入同期を行った。その結果2台のモード同期レーザーの共振器長差が非常に近い時にはオフセット周波数、繰り返し周波数の両方が受動同期することを示した。しかし、オフセット周波数、繰り返し周波数の両方が受動同期する条件は厳しく長時間動作させるには不向きなことが分かった。しかし、繰り返し周波数だけの受動同期なら長時間動作させることが可能であったので、繰り返し周波数は受動、オフセット周波数は能動的に同期させることにより2台のモード同期レーザーを長時間同期させることができた。将来的には図2のように実際に異なるレーザースペクトルを持つ光周波数コムの同期や、繰り返し周波数の異なる光周波数コムの同期への展開が期待される。

デュアルコム分光のための位相同期法と分光応用実験:

繰り返し周波数が少し異なる2台の光周波数コムを用いる分光法はデュアルコム分光と呼ばれ最近注目を集めている。繰り返し周波数が少し異なるという特徴は周波数領域ではモード間隔の差として現れる。2台の光周波数コムの隣接するモード周波数差は繰り返し周波数差に対応する。このような2台の光周波数コムの干渉を測定すると、隣接するモードのヘテロダインビート信号がRF周波数領域で観測される(図3)。光周波数領域からRF周波数領域に周波数を下方変換することでデュアルコム分光は高分解能を可能とする。さらにデュアルコム分光は広帯域、高速データ取得という利点を持ち、広帯域、精密分光を実現する1つの手段として期待される。しかし高分解能デュアルコム分光を実現するために2台の光周波数コムの高精度な位相同期が要求される。その手段として主なものに、高フィネス超安定共振器に同期した超安定なCWレーザーを同期源として利用する方法があるが、高フィネス超安定共振器の開発は障壁が高く、デュアルコム分光の普及の大きな障害となっている。そこで本研究では超安定CWレーザーを必要とせず2台の光周波数コムを位相同期する方法を提案した(図4)。本研究の方法ではCWレーザーを同期源として用いるのではなく、2台の光周波数コムのモードビートを取り出すための仲介手段として用いる。さらにCWレーザーのノイズはコモンモードキャンセル過程でキャンセルされるので安定なCWレーザーを必要としない。オフセット周波数、繰り返し周波数を同期する代わりに、異なる波長領域において2台の光周波数コムのモードビートを抽出し、それらを安定なRF周波数源に位相同期することで2台の光周波数コムを高精度に位相同期した。本研究の方法で位相同期した2台の光周波数コムを用いて準安定Heをサンプルとしてデュアルコム分光により吸収分光を行うと、デュアルコムの原理通り、光周波数からRF周波数に下方変換された綺麗なコム構造を観測できた。さらに本研究ではデュアルコム分光をFBG(Fiber Bragg Grating)歪センサーに応用した。FBG歪センサーで重要なことは小さな変化を捉えること(感度)、小さな変化だけでなく大きな変化も捉えること(ダイナミックレンジ)、そして複数のFBGを同時に用いること(多点化)である。高感度、広ダイナミックレンジ、多点が可能となると地震、火山発生メカニズムの研究につながると期待されている。従来高感度なFBG歪センサーを実現するために安定なCWレーザーが光源として用いられてきたが、この方法では広ダイナミックレンジ、多点化は難しい。一方デュアルコム分光は光周波数コムに対してCWレーザーを何万本も同期したCWレーザーと考えることができ、高感度、広ダイナミックレンジ、多点化の有力な手段となる。実際にデュアルコム分光をFBG歪センサーに応用するとCWレーザーでは不可能なほどの広ダイナミックレンジが可能となり、多点化も十分可能であることを示した。感度の点においては想定される応用に十分な感度を得ることができた。

図1 光周波数コム

図2 2台の光周波数コムの同期による超広帯域光周波数コム(左)と高繰り返し光周波数コム(右)の実現概要図

図3 デュアルコム分光の原理図

図4 デュアルコム分光のための2台の光周波数コムの位相同期法

審査要旨 要旨を表示する

1960年のレーザーの発明以来、光科学の発展は最先端レーザーの開発とともに進んでいる。単色性を追求した連続波(cw)レーザーを用いた分光と超短パルス性を追求した分光は独立して歩んできた。しかし2000年の光周波数コムの出現により事態は一変した。精密制御されたフェムト秒パルス列のスペクトルには数十万本の狭帯域cwレーザーが規則正しく並んだ構造になっており、超広帯域にわたって精密分光に利用できる可能性が出てきたのである。この光周波数コムは固体レーザーであるチタンサファイアレーザーにより構成されていたが、より長期安定性の優れたファイバーレーザーによる光周波数コムの実現が求められていた。

光周波数コムはcwレーザー数十万本が詰まっていると言っても、実際には縦モード間隔が狭いために分光器で一本ずつ取り出すことができない。縦モードをうまく分離して分光するために考え出されたのがデュアルコム分光という手法である。これはわずかに繰り返し周波数が異なる二つの光周波数コム同士のビートを取ることにより、光周波数をRF周波数にダウンコンバートする手法であり、フーリエ分光を応用したものである。そのためには2つの光周波数コムを光位相の精度で制御する必要があり、非常に複雑で精緻なシステムを構築する必要があった。

以上のような背景のもと、本論文ではYbをドープしたファイバーレーザーによる光周波数コムを開発し、新しい方法による簡便なデュアルコム分光法を提案・実践する。さらには歪みセンサーや原子の飽和分光への応用を開拓することを目的としている。

本論文は、7章から構成されている。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、序論として本研究の背景目的、及び構成について述べている。

第2章では、超短パルスレーザーと光周波数コムについての関係や制御法について説明している。

第3章では、光ファイバーコムを作る際に関連する光ファイバー中の非線形効果や光伝搬についての理論的考察を記述している。非線形シュレーディンガー方程式からどのように伝搬や非線形性の数値計算に結びつけるかについて説明している。

第4章では、Ybファイバー光周波数コムの開発について述べている。まずは非線形偏波回転モード同期によるファイバー発振器において30fs程度超短パルス発生を実現している。なぜファイバー発振器でこのような超短パルスが発生するのかについて、実験および理論的に考察を行った結果、ファイバー中のパルス波形が非対称になると物質による3次の分散を打ち消すように非線形分散が生じることを初めて明らかにした。また、この発振器から始まるレーザーシステムを構築し、フィードバックを行うことにより光周波数コムの構築を行った。

第5章では、第4章で作成した光周波数コムを他の発振器に注入することによりコムの複製を目的とした実験について述べている。cwレーザーの注入同期では縦モード光周波数のみが同期すれば良い。コムの場合、繰り返し周波数とオフセット周波数の2つの自由度があるために注入同期が掛かるかどうかは自明ではなかったが、本章の実験によりこれが実現することが示された。

第6章ではまず、デュアルコム分光の実現法として、2台のフリーランcwレーザーを使う方法を提案し、実現している。二つの光周波数コムの位相同期をかけるためにはそれまで超高安定なcwレーザーにそれぞれのコムを同期する方法が採られていたが、本実験では揺らぎの大きいcwレーザーとそれぞれのコムとのビートを取り、さらにこれら二つのビートの差を取ることにより共通参照であるcwレーザーの揺らぎの影響をキャンセルする方法である。本方法がうまく実現することを示したのちに、分光への応用として準安定状態のHeの吸収分光のデモンストレーションを行った。また、飽和吸収分光の手法をデュアルコム分光に適用することにより、準安定Heの遷移をコムを用いて高分解かつ広帯域に分光ができることを示した。さらに、ファイバーブラッグ回折格子の透過特性をコム分解で調べることにより、超精密でありなおかつ超広帯域のファイバー歪センサーへの応用が可能であることを示した。

第8章では本研究のまとめを行い、今後の課題・展望について述べた。

以上のように、それまで解明されていなかったモード同期Ybファイバー発振器から何故超短パルスが発生するかを考察したうえで、高精度光周波数コムの開発を行った。次に、光周波数コムの注入同期によりコムを複製する方法の提案・実行を行った。また、新しいデュアルコム分光法を提唱し、飽和吸収分光や高精度ファイバーセンサーへの応用を行うことでその実用性を実証した。

これらの研究は、光周波数コムを分光応用するうえでの課題であった安定性や実用性を高めるだけではなく、新しい分光法の提案や応用を実際に切り拓いている。そのため本研究の成果は今後の物理工学の発展に大きく寄与することが期待される。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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