学位論文要旨



No 129125
著者(漢字) 白岩,隆行
著者(英字)
著者(カナ) シライワ,タカユキ
標題(和) 損傷劣化機構の解析による構造物診断センサネットワークの開発
標題(洋)
報告番号 129125
報告番号 甲29125
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8016号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榎,学
 東京大学 教授 小関,敏彦
 東京大学 准教授 井上,純哉
 東京大学 教授 酒井,信介
 東京大学 教授 武田,展雄
内容要旨 要旨を表示する

近年、橋梁や船舶などの構造物は利便性や経済性といった社会的要求から、大型化、軽量化および複雑化しており、その使用環境がますます過酷なものになってきている。また、高度経済成長期に建造された構造物においては、経年劣化による問題がより深刻になってくることが予想されている。このような損傷の多くは、疲労や腐食等の材料の劣化現象に起因するが、複数の要因が引き起こす破壊の形態として、応力腐食割れや腐食疲労、過大荷重を含む繰返し負荷なども存在する。さらには、腐食によって発生したき裂から、疲労き裂が進展して破断に至る場合などもあり、実際の構造物で起きている破壊の形態は非常に複雑である。したがって、単一の測定手法だけで構造体の健全性を確保することは困難であり、個々の測定法の利点と欠点を理解し、それらを組み合わせて統合的なシステムを構築することで、初めて有効な信頼性評価が行える。これまでにもスマートストラクチャや構造物ヘルスモニタリング (SHM) といったモニタリング手法が提案されているが、これらを膨大な数の構造物に適用することは困難である。構造物診断に関する様々な社会的ニーズに対応するためには、より簡便に設置でき、低頻度のサンプリングによって測定できる手法もまた必要である。そこで本研究では、広範囲計測や定量的解析といったSHMの優れた利点を保ちつつ、より簡便に扱える構造物診断手法を確立することを目的に、構造物の損傷劣化診断を行う統合型センサネットワークの構築を行った。

第1章では、統合型センサネットワークを提案し、その概要を述べた。本ネットワークは、単一の計測手法ではなく、複数の手法を組み合わせることで、全体として有効な診断を行うものである。疲労のセンシングには損傷記憶スマートパッチを、大気環境の腐食性評価にはACM型腐食センサを用いることとした。この手法ではグローバルな面的計測が可能である。また測定する時間間隔は、定期検査よりは高頻度で、SHMよりは低頻度である。

第2章では、構造物の疲労および腐食環境のセンシングを行うために、損傷記憶スマートパッチの特性評価と、ACM型腐食センサのための小型計測装置の作製を行った。スマートパッチを構造物に適用した場合、センサは対象物からのひずみ伝播によって繰返し荷重を受けるため、変位制御下での疲労き裂進展特性を調べる必要である。そこで、センサ試験片(電着銅薄板)について変位制御による疲労試験を行った。そのき裂進展挙動は、荷重制御と異なり、初め一定の速度でき裂進展し、やがて進展が遅くなる傾向が見られた。このき裂進展特性は、有限要素解析により計算した応力拡大係数範囲を用いて、ひずみ比やひずみ振幅によらないひとつの関係式に整理できた。また疲労き裂進展のばらつきを確率論モデルに基づいて定量的に評価した結果、電着銅のき裂進展のばらつきが繰返し回数の推定に与える影響は十分小さいことがわかった。さらに試験結果を基に、構造物の疲労負荷回数と余寿命を推定する方法を提案し、推定のためのマップを作成した。次に、多様な力学的環境下でパッチを使用するために、センサに用いる材料と形状が測定範囲や精度に与える影響を評価した。電着ニッケルのき裂進展速度は電着銅よりも大きく、き裂進展のばらつきもまた電着銅に比べて大きかった。電着銅と電着ニッケルの変位制御試験の結果をスマートパッチの原理に適用することで、構造物の繰返し回数とひずみ振幅を同時に推定できることを示した。また電着銅試験片について、試験片形状がき裂進展に与える影響を調べた。試験片長さを大きくすること、または中央部をエッチングにより減厚することでき裂進展速度は大きくなり、試験片幅を大きくすることで試験片破断までの繰返し回数は増加した。このように形状を変えたときのき裂進展特性は、FEMによる応力拡大係数を用いることで、形状に関係なくひとつの関係式に整理できた。このことは、FEMとひとつの試験結果を組み合わせることで、様々な形状のセンサ試験片のき裂進展速度を推定できることを表している。これはセンサの測定範囲を設計する上で重要な知見である。また、疲労負荷回数と応力振幅を推定する方法として、下限界近傍のき裂進展特性を利用することを提案した。この方法では、2つの材料を用意しなくても疲労負荷回数と応力振幅を同時に推定することができる。また、ACMセンサのデータ計測には比較的大きな計測装置が必要であるという問題がある。ACMセンサを多数設置して、ネットワークを構築するためには、小型な計測装置が求められる。そこで、広いダイナミックレンジを持つ対数アンプを利用することで計測レンジの切り替えが不要な電流測定回路を作製し、小型のACMセンサ用計測装置を開発することに成功した。

第3章では、前章で開発した疲労および腐食のセンシング技術を最近の無線通信技術と組み合わせることで、無線センサネットワークを構築することを目的とした。まず、損傷記憶スマートパッチのセンサ試験片表面に金属膜をスパッタし、そのスパッタ膜の電気抵抗変化からパッチのき裂長さを測定する方法を提案した。このときのき裂長さと電気抵抗の関係はDengらが提案する式により表現することができた。この関係を利用することにより、高い精度でパッチのき裂長さを推測することができた。またスパッタ膜の形状を工夫することで、き裂長さと電気抵抗の関係の線形性を高めることができる可能性が示された。またセンサネットワークを構築することを考えると、大量のセンサを用意する必要がある。そこでフォトリソグラフィ技術を用いることで、スマートパッチのセンサ試験片を大量に作製する方法を示した。続いて、ネットワークを構築するための無線技術について検討した。バッテリーの交換無しに長期間使用することや、多数設置すること、低消費電力で低コストであることなどを考慮して、微弱無線、RFID、ZigBeeの3つを候補として選択した。それぞれを用いて、スマートパッチのき裂長さ計測のための無線通信機を作製し、その特徴を比較した。微弱無線による方法では1対多の通信ができないため、ネットワーク構築には向かない。またRFIDタグを利用する方法ではバッテリーや配線を使用せずに、き裂長さ測定が行えるため長期間の計測に適している。ZigBeeを用いる方法では、長距離で無線通信することができ、1対多の通信が可能なため、無線センサネットワークの構築に適していると言える。そして、疲労、腐食、ひずみのそれぞれを同時計測するため、ACM型センサとひずみゲージについても、ZigBeeをベースとした無線測定装置を作製した。ACMセンサについては、最小0.1 nAの優れた電流分解能を持った無線計測装置の開発に成功した。さらに実験室内において、複数のセンサノードと同時に通信できることが確かめられた。これにより、疲労、腐食、ひずみの同時計測可能なセンサネットワークを構築できる見込みを示した。

第4章では、実構造物に統合型ネットワークを適用する際の諸問題について検討した。まずスマートパッチの固定方法について検討した。接着材とスポット溶接の2通りの方法でセンサ試験片を構造材に固定し、疲労試験を行った結果、溶接による固定をすれば、センサ単体の変位制御試験から得られたデータをそのまま使用できることが示された。また接着材によりスマートパッチを固定する場合、接着材の伸びによる影響で、センサ単体とは異なるき裂進展特性が現れることがわかった。この影響は修正応力拡大係数を導入することで補正することができた。また、スマートパッチの荷重方向の影響についても調べた。センサ試験片に与える荷重方向を変化させて疲労試験を行ったところ、き裂進展方向は荷重方向によらず一定であり、き裂進展速度のみが変化するという、センサとして使いやすい特徴があることがわかった。さらにスマートパッチの耐環境性能を評価するために、電着銅試験片の大気暴露試験を行った。その結果、屋外では特に異種金属に接触する環境で腐食が激しく発生するが、センサ試験片全体をカバーして防湿することで環境の影響を最小限にできることが示された。また、NaCl 溶液中で電着銅試験片の腐食疲労試験を行った結果、応力拡大係数範囲が小さな領域においては、大気中よりも小さなき裂進展速度を示すことがわかった。これは腐食生成物のくさび効果によるき裂閉口現象が原因であると推測される。最後に、統合型センサネットワークを建築物近くで使用したときの通信性能について検証した。ZigBeeを用いて構築した無線センサネットワークでは、通信距離は障害物の影響を受けるが、メッシュ型のネットワークを構築することで、広範囲の計測も行えることが示された。さらに、インターネットを利用して遠隔地から測定結果を参照できるシステムを提案し、試作した。これにより、作業員が基地局までデータを採取するために行く必要がなくなるので、広範囲の維持管理を効率的に行えるようになると期待される。

以上のようにして、構造物診断のための統合型センサネットワークを提案、開発し、特性評価することで損傷劣化診断法としての有効性を示すことができた。最近では老朽化した構造物がますます増加しており、その一方で検査作業に習熟した作業員が減少しているため、従来の定期検査では安全の確保が難しい状況になりつつある。我々の社会生活にとって構造物の信頼性を確保することは非常に重要である。今後、より安全で暮らしやすい社会を実現するため、本論文で提案したような統合型センサネットワークが、構造物診断のひとつとして利用され、さらに発展を遂げることを期待する次第である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、鉄橋等の構造物における損傷劣化を診断するための新たな手法として、構造物診断センサネットワークを提案し、そのための計測・通信技術として損傷記憶スマートパッチの開発と無線ネットワークの構築を行ったものである。論文は全5章で構成されている。

第1章は序論であり、現在使用されている構造物診断の方法として定期検査と構造物ヘルスモニタリングについて示し、新たに提案した構造物診断センサネットワークの位置付けを明確にしている。特に疲労や腐食等の長期にわたって進行する損傷劣化のセンシング手法について詳細に紹介し、それらの問題点を克服する手法として、疲労のセンシングには損傷記憶スマートパッチを、大気環境の腐食性評価にはACM型腐食センサを用いることを提案している。

第2章は、損傷劣化のセンシング技術の開発について述べたものであり、スマートパッチのき裂進展特性の評価と、ACMセンサのための小型計測装置の作製を行っている。変位制御下におけるスマートパッチのき裂進展挙動は、荷重制御と異なり、有限要素解析により計算した応力拡大係数範囲を用いて、ひずみ比やひずみ振幅によらないひとつの関係式に整理できることを示している。さらに得られたき裂進展特性に基づいて、構造物の余寿命を評価する方法を提案している。またセンサの材料と形状がき裂進展特性に与える影響について調べており、電着銅と電着ニッケルの変位制御疲労試験の結果を用いることで構造物の繰返し回数と応力振幅を同時に推定できると結論している。腐食のセンシングについては、ACMセンサを分散して設置することを提案し、それを実現するための小型計測装置の作製方法から計測法に至るまでを詳細に述べている。

第3章は、無線センサネットワークの構築について述べたものである。まずスマートパッチのき裂長さを電気的に計測する手法として、スパッタ膜の電気抵抗変化を利用することを提案している。試験片上にスパッタした金属膜には小さな割れが発生するために、その電気抵抗変化は有限要素解析による予測とは異なる傾向を示すが、Dengらが提案した式を適用することでその影響を補正できることが示されている。またフォトリソグラフィ技術を利用して、スパッタ膜付きのスマートパッチを大量に再現性良く製造する方法について記述している。次に、ネットワークを構築するための無線技術について検討している。提案したセンサネットワークでは、サンプリング間隔が数分から数日間と比較的長いため、低消費電力と低コストを実現するために、既存の無線センサ用プラットフォームを使用せずに、微弱無線、RFIDおよびZigBeeの3つの無線規格を利用して、スマートパッチやACMセンサの計測結果を無線送受信する装置を独自に開発している。RFIDを利用する方法では通信距離が短いが、電源不要でセンサノード1個あたりのコストが非常に安価となることを示している。またZigBeeを用いても比較的長期間にわたって連続的に使用でき、長距離通信やメッシュ型ネットワークを実現できる点で優れていると結論している。

第4章では、提案したセンサネットワークを実構造物に適用する際の様々な問題について検討している。まずスマートパッチの固定方法として、接着材とスポット溶接の2通りの方法について検討しており、溶接固定ではセンサ単体の変位制御試験から得られたデータをそのまま使用できることが示されている。また接着材固定の場合、接着材の伸びによる影響でセンサ単体とは異なるき裂進展特性が現れるが、修正応力拡大係数を導入することでその影響は補正でき、実際に鋼製の丸棒材の応力履歴を推定することに成功している。またスマートパッチにおける荷重方向の影響を実験と数値解析によって評価しており、き裂進展方向は荷重方向によらず一定であり、き裂進展速度のみが変化することが示されている。さらにスマートパッチの耐環境性能を評価するために、NaCl 溶液中で電着銅試験片の腐食疲労試験が行われており、腐食環境下で電着銅のき裂進展速度が低下することを明らかにしている。最後に、提案したセンサネットワークをインターネットに接続することで、疲労と腐食の状態を遠隔地からモニタリングするシステムを提案し、その計測に成功している。

第6章は結論であり、本論文の成果についてまとめを行っている。提案したセンサネットワークが構造物の疲労と腐食環境をモニタリングする手法のひとつとして有効であると述べるとともに、今後の展開についても記述している。

以上、本論文は構造物診断の新しい方法としてスマートパッチとACMセンサをベースとしたセンサネットワークを提案しており、そのセンサ特性を明らかにしている。本論文で提案した方法では配線も必要なく、簡単に設置できるので、幅広い構造物の疲労と腐食の評価に対して有効であると考えられる。ここで得られた結果を利用することにより、構造物の損傷劣化が広く行われるようになることが期待され、マテリアル工学の発展への寄与が大きいと判断できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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