学位論文要旨



No 129127
著者(漢字) 平井,大介
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,ダイスケ
標題(和) カーボンナノチューブの交流応答特性の理論的研究
標題(洋) Theoretical Study of AC Response of Carbon Nanotubes
報告番号 129127
報告番号 甲29127
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8018号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 准教授 長汐,晃輔
 東京大学 講師 澁田,靖
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 常行,真司
 東京工業大学 准教授 多田,朋史
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

金属カーボンナノチューブ(CNT)は、109A/cm2という非常に大きな許容電流密度と105cm2/Vsというテラヘルツクラスの高周波信号に十分応答可能な高いキャリア移動度を有する。このため、金属CNTは次世代高周波電子デバイス素子の候補として有力視されているが、高周波信号の下での金属CNTの交流応答特性は十分に理解されていない。先行理論研究では、無欠陥の金属CNTの交流伝導特性の解析が行われ、サブテラヘルツ周波数に対して電流-電圧位相差が誘導性を示すことが予想された[1]。また、現象論的な解析ではあるが、金属電極との接触が交流伝導に及ぼす影響が解析され、金属電極とCNTの接触が弱くなると直流コンダクタンスが減少し、その減少に伴い位相差が誘導性から容量性へと転移することが示された[2]。

このように、金属CNTの交流応答の重要な特性が明らかにされてきたが、金属CNTの合成の段階で少なからず含まれる欠陥・不純物が交流応答に与える影響は、その重要性にも関わらず未解明であった。金属CNTの直流コンダクタンスがたった一つの欠陥・不純物の存在によって大きく減少することを考慮すると、交流応答も同様に強く影響を受けることが予想される。そこで本研究では、欠陥・不純物による電子散乱が金属CNTの交流応答に及ぼす影響を理論解析によって明らかにすることを目的とした。また、この研究で得られた知見を基に、金属CNTを活用した次世代超高速動作電子デバイスの設計に理論的指針を与えることを目指した。

2. 計算方法とモデル

本研究の基盤となる理論は、電極を含む開放系の物理量を計算することができる非平衡グリーン関数法である。金属CNTのハミルトニアンは最近接原子間のホッピングのみを考慮した強束縛モデルで与えた。本研究で対象とする二端子系は、左右のリード線領域と中心領域の3つの領域から構成され、欠陥・不純物の影響は中心領域のみに導入した。アドミッタンスの計算は、リード線領域の状態密度が電子エネルギーによらず一定であるとみなすワイドバンド極限近似の範囲内で行った。なお、高精度な電子状態計算が必要とされる場合には、密度汎関数法に基づく第一原理電子状態計算汎用プログラムSIESTA[3]を用いた。

金属CNTのような非常に大きな移動度を有する物質では、サブテラヘルツレベルの周波数は低周波数とみなすことができ、アドミッタンスをY(ν)=GDC+iEhνと表すことができる。ここでGDCは直流コンダクタンス、Eはエミッタンス、hはプランク定数、νは交流電圧の周波数である。エミッタンスは電流-電圧位相差に対応し、エミッタンスが正の場合は誘導性、負の場合は容量性を示す。本研究では特に、直流コンダクタンスとエミッタンスの振る舞いを詳細に調べた。

3. 研究成果

(a) ナノマテリアルの交流応答計算プログラムコードの開発

本研究ではまず、ナノマテリアルの交流応答特性を計算するためのプログラムコードを作成した。なお、高精度な電子状態計算が求められる場合もあったため、非平衡グリーン関数法と密度汎関数法を組み合わせた第一原理交流応答計算プログラムコードの開発も行った。

(b) 原子空孔欠陥を一つ含む金属CNTの交流応答特性

原子空孔欠陥を一つだけ含む金属CNTの交流応答計算を行った。原子空孔欠陥一つが中心領域の中央に導入されると、空孔準位による電子散乱によって、その準位周辺における直流コンダクタンスの値は小さくなる。一方、エミッタンスは空孔準位周辺で容量性応答を示すことが分かった。無欠陥のCNTのエミッタンスは誘導性応答を示すことから、この容量性応答は電子散乱によって引き起こされるものであると理解することができる。また、交流特性のCNTの直径依存性についても解析を行い、直径が大きなCNTほど空孔準位周辺で大きな容量性応答を示すことが分かった。電子散乱に寄与する空孔準位周辺の状態密度が直径に比例して大きくなることが、この直径依存性の起源である。

欠陥が中心領域の中央からずれた場合、直流コンダクタンスの振る舞いは変化しない。これは、本研究では、中心領域とリード線領域に同じ金属CNTを用いているため、これらの間の接触抵抗がないからである。一方、エミッタンスは欠陥の位置に依存した振る舞いを示すことが明らかとなった。さらに、欠陥の位置が中心領域の中央からずれることで系のパリティー対称性が破れ、左右のリード線領域から流れこむ交流電流に差が現れることが、欠陥の位置に依存するエミッタンスの振る舞いの起源であることも明らかにした。

上述の解析は強束縛近似に基づくものだが、より高精度の電子状態計算では、欠陥周辺のπ軌道で構成される上述の空孔準位の他に、欠陥周辺のσ軌道から構成されるダングリングボンド状態による電子散乱が生じる。このダングリングボンド状態においても容量性応答ピークが確認された。さらに、この容量性ピーク近傍には誘導性ピークも現れることが分かった。この誘導性ピークは空孔状態周辺では確認できない。単純なモデルに基づく解析によって、このサテライト誘導性ピークが、容量性ピークの鋭さ、つまり、コンダクタンスくぼみの鋭さと深く関係していることを明らかにした。

(c) 原子空孔欠陥が2つある場合の金属CNTの交流応答特性

2つ以上の欠陥が金属CNTにある場合には、欠陥の間で起こる電子波の量子干渉効果が重要な役割を担う。そこで、2つの原子空孔欠陥を含む金属CNTの交流応答特性の解析を行った。その結果、共鳴トンネル、共鳴散乱が生じるフェルミ準位において、エミッタンスはそれぞれ誘導性、容量性ピークを示すことが分かった。さらに、非常に鋭い誘導性ピークの近傍には容量性ピークが現れることを見出した。単純なモデルを用いた解析の結果、誘導性ピークが鋭くなるほど、その近傍に容量性ピークが強く現れることを明らかにした。この解析と(b)における解析から、コンダクタンスピークやくぼみの鋭さがエミッタンスの振る舞いを解釈する上で重要であると結論づけられる。

(d) 無秩序ポテンシャル下における金属CNTの交流応答特性

実験的に合成されたCNTでは、欠陥・不純物、格子歪み、周辺環境との相互作用などによる無秩序なポテンシャルが生じている。このため、工学的応用に向けては、この無秩序ポテンシャルの影響を理解することが重要な鍵となる。そこで、この点について解析を行った。

直流コンダクタンスは、無秩序ポテンシャルによる電子散乱のため、CNT長とともに減少する。一方、エミッタンスは無秩序ポテンシャルの大きさに依存して異なる振る舞いを示すことが分かった。無秩序ポテンシャルが弱い場合には、エミッタンスはCNT長とともに増加する。これは長さに比例する力学インダクタンスの影響である。一方、無秩序ポテンシャルが強い場合には、CNT長とともにエミッタンスは増加するが、弱局在領域に入ると電子散乱の影響でエミッタンスが減少を示し、容量性応答へ転移することが明らかとなった。以上から、CNT長に比例する力学的インダクタンス、つまり、誘導性応答と電子散乱に由来する容量性応答の競合がエミッタンスの振る舞いを決定していると結論付けられる。

(e) 金属CNTの交流応答への不純物散乱効果

金属CNTの特異な構造の帰結として、格子定数より広がった長距離ポテンシャルによる電子散乱は抑制されることが先行理論研究で示されている。この点を念頭に、不純物散乱の交流応答への影響を、不純物ポテンシャルが短距離の場合と長距離の場合の両方について理論的に調べた。

解析の結果、短距離ポテンシャルと長距離ポテンシャルはエミッタンスに質的に異なる影響を与えることが分かった。まず、短距離ポテンシャルが存在する場合、CNT長が短い時にはエミッタンスはCNT長と共に線形に増加するのに対し、CNT長が長くなると線形な振る舞いからずれ、次第に値が小さくなることが分かった。これは電子散乱の影響にほかならない。一方、長距離ポテンシャルが存在する場合には、エミッタンスは1マイクロメートルまでの範囲でCNT長と共に線形に増加することが分かった。さらに、ポテンシャルが強くなるとエミッタンスは増加することを見出した。これは、長距離ポテンシャルが存在する場合、直流コンダクタンスは減少しないものの、実際に散乱は受けているため、ポテンシャルが強いほど電子がCNTを通過するのに時間を要することに起因する。そして、力学インダクタンスは電子の滞在時間に比例することから、上記の振る舞いを理解できる。

4. 総括

本研究では、金属CNTの交流応答への欠陥・不純物効果の理論解析を行った。その結果、欠陥・不純物による電子散乱が容量性応答を引き起こすこと、コンダクタンスのピーク・くぼみの鋭さがエミッタンスの振る舞いを理解する上で重要であること、力学インダクタンスによる誘導性応答と電子散乱による容量性応答の競合がエミッタンスの振る舞いを決定すること、そして、ポテンシャルの到達距離によってエミッタンスの振る舞いが顕著に異なることを明らかにした。金属CNTの交流応答に関する実験的研究はまだ少ないが、本研究で得られた知見は測定結果を理解する上で、また次世代高周波電子デバイス素子を設計する上で、有用なものとなることが期待される。

[1] T. Yamamoto et al., Phys. Rev. B 81, 115448 (2010).[2] T. Yamamoto et al., Phys. Rev. B 82, 205404 (2010).[3] http://icmab.cat/leem/siesta/
審査要旨 要旨を表示する

金属カーボンナノチューブ(CNT)は、大きな許容電流密度とテラヘルツ高周波信号に十分応答可能な高いキャリア移動度を有するため、次世代高周波電子デバイス素子の候補として有力視されている。しかし、高周波信号の下での金属CNTの交流応答特性は十分に理解されていない。この点に関する先行理論研究はあるものの、無欠陥の金属CNTを対象としており、金属CNTの合成の段階で少なからず含まれる欠陥・不純物が交流応答に与える影響は、その重要性にも関わらず未解明であった。本論文は、このような欠陥・不純物の影響に焦点を当てて金属CNTの交流応答特性、特にエミッタンスの振舞いを理論計算によって解明することを目指したものである。本論文は10章からなる。

第1章は緒言であり、量子輸送特性に関するこれまでの実験的・理論的研究を、CNT以外の系も含めて概観している。直流伝導特性に比べて交流応答特性の研究は少ないこと、CNTの交流応答特性に関する先行理論研究では無欠陥のCNTのみ扱っていて欠陥・不純物の影響についてはまだ研究されていないこと等を指摘して、本研究の目的を明確にした。

第2章から第4章までは、本研究で用いられている計算手法を述べている。第2章では、伝導特性を計算する手法である非平衡グリーン関数(NEGF)法について、まず直流伝導特性に対する方法論を概説した後、交流応答特性の表式を、変位電流の扱いや本研究で用いるワイドバンド極限近似も含めて述べている。第3章では、密度汎関数(DFT)法について概説している。第4章では、DFT法とNEGF法とを組み合わせて伝導特性を計算する手法の概略を述べている。なお、本研究では第2章及び第4章で概説した方法論に基づく計算プログラムの開発も行っている。また、第6章以外の計算では第2章の方法論を強束縛法と組み合わせた方法を用い、第6章の計算では第4章の方法論を用いている。

第5章と第6章では、原子空孔欠陥を一つだけ含む金属CNTの交流応答特性の計算結果を述べている。第5章では、無欠陥のCNTのエミッタンスが誘導性応答を示すのに対し、原子空孔欠陥が導入されると空孔準位周辺で容量性応答を示すことを見出した。また、直径が大きなCNTほど空孔準位周辺で大きな容量性応答を示すことを見出した。さらに、欠陥位置が中心領域の中央からずれている場合、直流コンダクタンスの振舞いは変化しないのに対し、エミッタンスは欠陥位置に依存した振舞いを示すことを明らかにした。第6章では、欠陥周辺のσ軌道から構成されるダングリングボンド準位と5章で解析した空孔準位とで交流応答の振舞いを比較した。ダングリングボンド準位の場合には、容量性応答ピークとともに、その近傍に誘導性ピークも現れることがわかった。この誘導性ピークは空孔準位周辺では確認できない。単純なモデルに基づく解析によって、このサテライト誘導性ピークの挙動が容量性ピークの鋭さと深く関係していることを明らかにした。

第7章では、欠陥が2個ある場合について解析している。この場合、欠陥の間で起こる電子波の量子干渉効果のため、共鳴トンネルや共鳴散乱が生じる。解析の結果、エミッタンスは共鳴トンネルや共鳴散乱が生じる場合にそれぞれ誘導性、容量性ピークを示すこと、および、非常に鋭い誘導性ピークの近傍には容量性ピークが現れることを見出した。そして、単純なモデルを用いた解析の結果、誘導性ピークが鋭くなるほど、その近傍に容量性ピークが強く現れることを明らかにした。

第8章では、欠陥・不純物、格子歪み、周辺環境との相互作用などによって生じる無秩序なポテンシャルの影響を解析している。直流コンダクタンスが無秩序ポテンシャルによる電子散乱のためCNT長とともに減少するのに対し、エミッタンスは無秩序ポテンシャルの大きさに依存して異なる振る舞いを示すことがわかった。すなわち、無秩序ポテンシャルが弱い場合にはエミッタンスがCNT長とともに増加するのに対し、無秩序ポテンシャルが強い場合には、エミッタンスはCNT長とともにまず増加した後、弱局在領域に入ると減少し、容量性応答へ転移することが明らかとなった。

第9章では、不純物ポテンシャルの到達距離による交流応答の振舞いの変化を解析している。金属CNTの場合、格子定数より広がった長距離ポテンシャルによる電子散乱は抑制されることが先行理論研究で示されている。このことに対応して、到達距離による交流応答の振舞いの違いが見られた。短距離ポテンシャルが存在する場合、エミッタンスはCNT長と共にはじめは線形に増加し、その後線形な振る舞いからずれ、次第に値が小さくなる。これに対し、長距離ポテンシャルが存在する場合には、CNT長によらずエミッタンスはCNT長と共に線形に増加することがわかった。さらに、ポテンシャルが強くなるとエミッタンスは増加することを見出した。

第10章は総括である。

以上のように、本論文は、金属CNTの交流応答特性における欠陥・不純物の影響を理論計算により解析した。無欠陥の場合と空孔がある場合との違い、空孔準位とダングリングボンド準位における違い、共鳴トンネル準位と共鳴散乱準位における違い、無秩序ポテンシャルの強弱による違い、不純物ポテンシャルの到達距離による違いといった様々な面から交流応答特性の振舞いを明らかにし、ナノスケール電気特性を理解する上で有用な知見を得た。よって本論文のナノスケール電子物性学、計算マテリアル工学への寄与は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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