学位論文要旨



No 129130
著者(漢字) 北川,裕一
著者(英字)
著者(カナ) キタガワ,ユウイチ
標題(和) ポルフィリン類縁体で構成されるJ会合体の光物性
標題(洋)
報告番号 129130
報告番号 甲29130
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8021号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,和之
 東京大学 教授 瀬川,浩司
 東京大学 教授 立間,徹
 東京大学 准教授 馬渡,和真
 東京大学 教授 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

近年、医薬品を中心に、キラル化合物の重要性が増大している。そのため、不斉合成は重要な科学技術の一つとして更なる発展が求められている。一方、地球上の生命を構成しているアミノ酸は、ほぼ全てL体であり(生命のホモキラリティー)、これは生命の起源に関わる未解決の難問である。この原因の解明は、生命の起源に関連して興味深いだけでなく、不斉合成法の開発にも繋がるため非常に重要である。本研究では、生命のホモキラリティー起源の手掛かりを得ることと、新規不斉合成法の探索を目的とし、ポルフィリン類縁体で構成されるJ会合体の光物性について検討を行った。本論文は、以下の内容を全6章にまとめた。

第1章では、キラルサイエンス・テクノロジーの一般的な重要性とそれらにおけるポルフィリン類縁体で構成されるキラルJ会合体の位置付けについてまとめ、最後に本研究の意義について言及した。

第2章では、本研究で用いた分光測定法と、解析・議論で必要とされるポルフィリン類縁体の電子状態やJ会合体におけるユニット間相互作用などの基礎理論についてまとめた。

第3章では、水溶性ポルフィリンJ会合体の光物性についてまとめた。

最初に、水溶性ポルフィリンのJ会合に伴う励起エネルギー変化の定量的解析が述べられている。水溶性ポルフィリン、H4TPPS4のJ会合体について、励起子物性を解明することはキラル構造解析の観点から重要であるが、これまで定量的に評価されていなかった。そこで本研究では、励起子相互作用に基づいてJ-bandを定量的に解析するとともに、最低励起一重項(S1)状態と最低励起三重項(T1)状態の違いを発光測定により評価した。電子吸収スペクトル測定により、J会合体形成に伴う励起一重項状態の大きな低エネルギーシフトが観測された。スルホ基を一つ有するH4TPPS1の二量体について、密度汎関数法により構造最適化計算を行った。その結果、安定なユニット間配置が3つ存在すること(左捻れ・平行・右捻れ構造)が明らかとなった。J-bandを定量的に評価するために、平行配置から構成される直線状J会合体を用いて、励起エネルギーと会合数の関係を調べた。会合数が10以上では、会合数が増加しても、励起状態エネルギー変化は小さかった。そこで、10量体についてSoret帯領域の電子吸収スペクトルを計算し、実測の再現に成功した。また、J会合体を形成すると、S1状態のエネルギーを反映する蛍光ピークは大きな長波長シフトをするのに対し、T1状態のエネルギーを反映する燐光ピークはほとんど変化しなかった。これは、スピン禁制であるT1状態への遷移の遷移電気双極子モーメントが小さいことで説明された。これよりJ会合体では、励起子相互作用がスピン状態に依存するため、蛍光性のS1状態と燐光性のT1状態が近づくことが明らかとなった。

次に、円偏光二色性(CD)スペクトル解析に基づいた水溶性ポルフィリンキラルJ会合体の構造解析が述べられている。水溶性ポルフィリン、H4TPPS3の希薄溶液をロータリーエバポレーターで濃縮すると、回転方向に依存してエナンチオ選択的にキラルJ会合体を合成できることが報告されている。この現象は、(1)不斉触媒を用いない新規不斉合成法として期待できること、(2)コリオリ力による渦運動は生命のホモキラリティー起源の候補であること等の観点から注目を集めている。しかし、キラルJ会合体の構造は未解明であり、流体運動との関係も明らかとされていなかった。そこで本研究では、分光学的・形態学的特徴を再現できるキラルJ会合体の構造構築を試みた。

平行配置で構成される直線状のm量体が、互いに捻れながらn個つながったJ会合体([(H4TPPS3)m]n)が、実測の分光学的・形態学的特徴を再現できることを初めて提案した。このJ会合体は、m = 5±1、n ≧ 18の時に、直径25.2±6.3 nmの螺旋構造を形成する。これは、既報において小角X線散乱や原子間力顕微鏡の測定で得られている形態学的特徴を良く再現した。このJ会合体の一部である [(H4TPPS3)4]4について計算された電子吸収、CDスペクトルは、実測を良く再現した。これより、分光学的特徴と形態学的特徴を説明できるキラル構造を提案した。提案されたキラル構造の螺旋の向きは、シミュレーションにより評価したロータリーエバポレーターの回転により生じるフラスコ内流体運動の螺旋の向きと一致しており、流体運動の螺旋の向きとそれに誘起される超分子キラル構造間に相関があることを初めて提案した。

次に、水溶性ポルフィリンキラルJ会合体を用いたMChDの観測とその解析が述べられている。CDと磁気円偏光二色性(MCD)のクロス効果によって生じるMChDは、非偏光の吸光度が磁場の向きによって変化する興味深い現象である。この現象はエナンチオマー間で反転するため、MChDは生命のホモキラリティー起源の候補として注目されている。しかし、生命を構成する有機化合物のMChDは実証されていなかった。そこで本研究では、有機化合物におけるMChD観測の可能性を検討するため、強いCDを有するH4TPPS4キラルJ会合体について観測を試みた。

強いCD、MCDが観測されるJ-band領域において、吸光度の磁場方向依存性が観測された(490 nm付近)。その符号はCD信号の符号反転に伴い逆転した。これより、この吸光度の磁場方向依存性は、有機化合物における初めてのMChD信号と帰属された。次に得られたスペクトルを量子化学的に解析した。これまでにMChDスペクトルのシミュレーション例はなかったが、本研究では、評価が困難である遷移磁気双極子モーメント、遷移電気四重極子モーメントを励起子理論に基づき、遷移電気双極子モーメントで近似することで、MChD信号を評価した。計算されたMChDスペクトルは実測を再現し、励起子キラリティーに基づくMChDスペクトルの評価方法を確立した。

第4章では、光合成アンテナのMChDについてまとめた。

H4TPPS4キラルJ会合体のMChDは、芳香族化合物会合体における一般的なπ電子特性に由来している。他の芳香族化合物会合体のMChDを観測することは、励起子キラリティーに基づくMChDを確証するためだけでなく、不斉合成法や磁気光学デバイス等の開発の観点からも重要である。そこで本研究では、緑色光合成細菌の光合成アンテナのモデル化合物と緑色光合成細菌について、MChDを測定した。

光合成アンテナのモデル化合物である亜鉛クロリンJ会合体についてMChD測定を試みた。強いCD、MCDが観測されるJ-band領域について、吸光度の磁場方向依存性を測定したところ、正のMChD信号を観測することに成功した。これは二例目のπ-π*遷移に由来したMChD観測であり、これより芳香族化合物会合体においてMChD効果が発現しやすいことが示された。

次に、光合成アンテナを含む緑色光合成細菌についてMChD測定を行った。得られた信号のピーク位置は、CDとMCDの積のピーク位置と一致しており、本観測は生物における初めてのMChD観測であることが示唆された。

第5章では、ポルフィリン類縁体で構成されるJ会合体の特異的な光学挙動についてまとめた。自然の弱い外場がこのキラルJ会合体の形成に影響を及ぼすかについてCD時間変化や合成場所依存性を測定することにより検討した。また、キラルJ会合体が外部磁場によって配向すると、CDスペクトルが大きく変化することも見出した。この磁場配向とCD測定を組み合わせることで、キラルJ会合体の構造解析法を提案した。

第6章では、本論文の結論が述べられている。

J会合体の形成により、蛍光性のS1状態と燐光性のT1状態のエネルギー差が小さくなることを明らかとした。この知見は、有機電界発光への応用が期待されている遅延蛍光の発現や、光線力学的療法に実用される一重項酸素の生成効率増大等の分子光機能を向上するための方法として有用と考えられる。

水溶性ポルフィリンキラルJ会合体の構造を決定した。これより、機械的な回転で生じる流体運動の螺旋の向きと、その流体運動により誘起されるキラルJ会合体の螺旋の向きが一致することが明らかとなった。これは流体運動により分子キラリティーを誘起するための重要な手掛かりであり、これを発展させることで、不斉触媒を用いない新規不斉合成法の開発や、渦運動と生命のホモキラリティー起源の関係解明等が期待できる。

本研究で観測に成功したMChDは、芳香族化合物会合体の一般的なπ電子特性に由来しており、様々な生体分子にも適用できることから、MChDと生命のホモキラリティー起源の関係を調べる際に非常に重要である。また、π-π*遷移の利点を利用し、新規不斉合成法や磁気光学デバイスとしてMChDが発展することも期待できる。

これより、本研究で得られた知見は、生命の起源解明や光機能性材料創出等の分野において有用と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

近年、医薬品を中心に、キラル化合物の重要性が増大している。そのため、不斉合成は重要な科学技術の一つとして更なる発展が求められている。一方、地球上の生命を構成しているアミノ酸は、ほぼ全てL体であり(生命のホモキラリティー)、これは生命の起源に関わる未解決の難問である。この原因の解明は、生命の起源に関連して興味深いだけでなく、不斉合成法開発にも繋がるため非常に重要である。本研究では、生命のホモキラリティー起源の手掛かりを得ること、新規不斉合成法探索を目的とし、ポルフィリン類縁体で構成されるJ会合体の光物性について検討を行った。本論文は、以下の内容を全6章にまとめた。

第1章では、キラルサイエンス・テクノロジーの一般的な重要性とそれらにおけるポルフィリン類縁体で構成されるキラルJ会合体の位置付けについてまとめ、最後に本研究の意義について言及した。

第2章では、本研究で用いた分光測定法と、解析・議論で必要とされるポルフィリン類縁体の電子状態やJ会合体におけるユニット間相互作用などの基礎理論についてまとめた。

第3章では、水溶性ポルフィリンJ会合体の各種分光測定結果とその解析結果をまとめた。

水溶性ポルフィリン、H4TPPS4のJ会合体について、励起子物性を解明することはキラル構造解析の観点から重要であるが、これまで定量的に評価されていなかった。DFT計算から、3つの安定なポルフィリンユニット間配置(左捻れ・平行・右捻れ構造)が存在することを明らかとし、平行配置から構成される直線状J会合体を用いることで、実測の電子吸収スペクトルの再現に成功した。また、発光測定により、励起子相互作用がスピン状態に依存するために、蛍光性の最低励起一重項状態と燐光性の最低励起三重項状態が近づくことを明らかとした。この知見は、有機電界発光への応用が期待されている遅延蛍光や、光線力学的療法に実用される一重項酸素の生成効率増大等の分子光機能向上に有用であることを提案した。

水溶性ポルフィリン、H4TPPS3の希薄溶液をロータリーエバポレーターで濃縮することによる回転方向に依存したエナンチオ選択的キラルJ会合体合成が報告されており、この現象は生命のホモキラリティー起源、新規不斉合成法の観点から注目を集めている。しかし、キラルJ会合体の構造は未解明であり、流体運動との関係も明らかとされていなかった。実測の円偏光二色性(CD)や形態学的特徴を再現できる構造として、平行配置から構成される直線状のm量体が、互いに捻じれながらn個つながったJ会合体([(H4TPPS3)m]n)を提案した。このキラル構造の螺旋の向きは、シミュレーションにより評価したロータリーエバポレーターの回転で生じるフラスコ内流体運動の螺旋の向きと一致しており、流体運動とそれに誘起される超分子キラル構造間に相関があることを初めて提案した。

CDと磁気円偏光二色性(MCD)のクロス効果によって生じるMChDは、非偏光の吸光度が磁場の向きによって変化する興味深い現象である。この現象はエナンチオマー間で反転するため、MChDは生命のホモキラリティー起源の候補としても注目されている。しかし、生命を構成する有機化合物のMChDはこれまで実証されていなかった。芳香族化合物会合体のπ電子特性(励起子キラリティー、大きなπ電子軌道角運動量)を利用する新しいコンセプトに基づき、H4TPPS4キラルJ会合体を用いて有機化合物のMChD観測に初めて成功した。さらに、励起子キラリティーに基づいて行列要素を評価することで、実測のMChDスペクトルをシミュレーションすることに初めて成功した。

第4章では、光合成アンテナのMChD測定結果についてまとめた。H4TPPS4キラルJ会合体のMChDは、芳香族化合物会合体における一般的なπ電子特性に由来している。本コンセプトが確からしいことを示すために、他の芳香族化合物会合体のMChDを観測することは重要である。光合成アンテナのモデル化合物である亜鉛クロリンJ会合体を用いて、二例目のπ-π*遷移に由来したMChD観測に成功した。さらに、光合成アンテナを含む緑色光合成細菌についてMChD測定を行った。得られた信号のピーク位置は、CDとMCDの積のピーク位置と一致しており、本観測は生物における初めてのMChD観測であることが示唆された。

第5章では、ポルフィリン類縁体で構成されるJ会合体の特異的な光学挙動についてまとめた。自然の弱い外場がキラルJ会合体形成に及ぼす影響について、CD時間変化測定や合成する場所依存性により検討した。また、ある種類のキラルJ会合体は外部磁場によって配向し、配向に伴いCDスペクトルが変化することを見出した。磁場配向とCD測定を組み合わせたキラルJ会合体の構造解析法を提案した。

第6章では、本論文の総括を述べている。

以上のように本論文は、生命の起源解明や光機能性材料創出等の分野において有用な知見を提供しており、キラル科学の進展に大いに寄与するものと考えられる。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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