学位論文要旨



No 129132
著者(漢字) 丹羽,秀治
著者(英字)
著者(カナ) ニワ,ヒデハル
標題(和) 軟X線放射光分光による炭素由来酸素還元触媒の電子状態解析
標題(洋) Electronic structure of carbon-based oxygen reduction catalysts studied by soft X-ray spectroscopy
報告番号 129132
報告番号 甲29132
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8023号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 堂免,一成
 東京大学 教授 大坂,武男
 東京大学 教授 内本,喜晴
 東京大学 准教授 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、固体高分子形燃料電池正極用炭素由来酸素還元触媒の電子状態の放射光解析に関して述べたものである。固体高分子形燃料電池の正極における酸素還元反応は反応速度が遅いため白金触媒が用いられているが、希少で高価な白金に代わる触媒の開発が急務である。白金代替触媒として、炭素材料から合成される炭素由来酸素還元触媒が近年数多く報告され、注目されている。これらの炭素由来触媒は資源量が豊富で、比較的安価という特徴があるが、白金系触媒と比べて活性が低いという問題がある。白金の性能に匹敵する炭素由来触媒を開発するには、触媒設計の指針となる酸素還元反応活性点を解明することが重要である。本研究では、軟X線吸収分光及びX線光電子分光により、金属フタロシアニン由来酸素還元触媒粉末の電子状態を分析し、酸素還元活性に対する各元素の役割を明らかにしている。さらに実触媒としての機能発現メカニズムを評価するためには、酸素を吸着させた状態や、電位を制御した状態など、酸素還元反応の各過程における触媒の電子状態を直接観察し、反応活性点を議論する必要がある。そこで軟X線領域であっても大気圧環境下で燃料電池触媒の電子状態を観測することができるin situ軟X線発光分光システムを新しく開発し、酸素吸着課程における電子状態変化を観測し活性点と酸素吸着状態の議論を行なっている。さらに燃料電池として発電中の炭素由来触媒の電子状態が観測できるようにoperando軟X線発光分光システムを開発し、発電中の炭素由来触媒の電子状態観測を行なっている。

第1章では、本研究の背景を述べている。固体高分子形燃料電池の原理と、正極に用いられている酸素還元反応触媒の問題点を例示し、白金代替正極触媒の開発とその酸素還元反応活性点の同定の重要性を述べている。

第2章では、本研究で用いた実験手法及びその原理について述べている。炭素由来酸素還元触媒の電子状態解析は、放射光を用いたX線光電子分光、軟X線吸収分光、及び軟X線発光分光により行った。

第3章では、炭素由来触媒に含まれる元素の化学状態と酸素還元活性の相関について述べている。コバルトフタロシアニン(CoPc)とフェノール樹脂(PhRs)を混合し、窒素ガス雰囲気中1000℃で熱処理してCoPc由来触媒と前駆体に遷移金属を含まないメタルフリー触媒を合成し、硬X線光電子分光測定および軟X線吸収分光測定により触媒に含まれる化学状態を観測した。各炭素由来触媒のN 1s 光電子分光測スペクトルのピーク分離を行ったところ、低結合エネルギー側から順に、ピリジン型窒素、ピロール型窒素、グラファイト置換型窒素、窒素酸化物の4つの成分が含まれていることがわかった。酸素還元活性の高いCoPc由来触媒では、グラファイト置換型窒素の相対存在量が最も多いが、活性の低いメタルフリー触媒ではグラファイト置換型窒素の相対存在量は低いため、グラファイト置換型窒素が酸素還元活性と相関があることが見出された。N 1s 軟X線吸収分光測定でも同様に、酸素還元活性の高い試料においてグラファイト置換型窒素のピーク強度が顕著であった。これらの測定結果は、ジグザグエッジにグラファイト置換型窒素が存在すると、エッジ炭素の酸素還元活性が増大するという第一原理計算の報告と非常によい一致を示した。また、Co 2p 光電子分光測定により、酸洗い前後のCoPc由来触媒に含まれる遷移金属を調べた。酸洗い後の残存コバルトの9割程度が酸素還元活性に寄与しないと考えられている0価の金属状態であり、酸洗い前後で酸素還元活性は変化しなかったことから、1000℃の高温焼成試料ではコバルトは酸素還元反応活性点では無いことが示唆された。

第4章では、鉄フタロシアニン(FePc)由来触媒の炭素の電子状態と酸素還元活性の相関について述べている。酸素還元活性におけるエッジ炭素の役割を明らかにするため、FePcとPhRsを原料として、不活性ガス雰囲気下で異なる熱処理温度によりFePc由来触媒を合成した。これまでの観察手法ではエッジ炭素の区別は難しかったが、化学状態選択制に優れるC 1s 軟X線吸収分光測定を用いることで詳細にエッジ炭素について議論している。FePc由来触媒のC 1s XASスペクトルにて観察されたπ*ピークの低エネルギー側ショルダーピーク(283.6 eV)は理論計算によると2水素終端炭素を含むジグザグエッジ炭素由来である。このピークの強度はFePc由来触媒の酸素還元活性とよく対応していた。第3章の結果とあわせて考えると、FePc由来触媒の酸素還元活性点はグラファイト置換型窒素を含むジグザグエッジであることが示唆された。

第5章では、酸素雰囲気下の炭素由来触媒の遷移金属の電子状態について述べている。酸素吸着過程における電子状態変化を軟X線発光分光(XES)によって調べた。第4章で用いたFePc由来酸素還元触媒に加え、CoPcとPhRsを原料とするCoPc由来触媒も合成した。酸素吸着による電子状態変化を観測するため、SiN真空隔離膜を用いて大気圧雰囲気下での試料の測定が可能なin situセルを設計、製作した。酸素還元活性を評価する回転リングディスク電極測定時と同一の条件でナフィオンと混合した試料をSiN膜の大気側にドロップキャスト法にて薄く塗布した。1 atmのAr及びO2雰囲気下、室温にてFe 2p、Co 2p XES測定を行った。高い酸素還元活性を示したFePc由来600℃焼成試料(Fe600)のFe 2p XESスペクトル形状は前駆体FePcのものと大きく異なっており、熱処理により発達したグラファイト構造の中にFe原子が2又は4つのN原子に配位したFe-Nxサイトとして取り込まれていることが示唆された。酸素雰囲気下ではFe600のdd励起強度は大きく減少し、グラファイト構造内のFe-Nxサイトで酸素吸着が起こり、Feのd軌道から酸素分子のπ*軌道への電荷移動が起こっていることが明らかになった。一方、CoPc由来650℃焼成試料(Co650)のCo 2p XESは、酸素雰囲気下でCoの価電子帯状態密度の変化が観測されたが、コバルト原子から酸素分子への明瞭な電荷移動は観測されなかった。前駆体のFePc分子の酸素吸着はO-O結合が弱くなるside-on配位で起こり、Fe金属から酸素分子への電荷移動が生じると言われており、一方、CoPc分子の酸素吸着はend-on配位で起こり、Co金属から酸素分子への電荷移動は生じない。よって、前駆体の場合と同様に考えると、Fe600のFe-Nxサイトに吸着した酸素分子のO-O間結合は、Co600のCo-Nxサイトに吸着した酸素分子のO-O間結合よりも電荷移動の分だけ弱くなっていると考えられ、酸素吸着状態の違いが両者の酸素還元活性の違いと関連していることが示唆された。一方、FePc由来800℃焼成試料(Fe800)のFe 2p XESとCoPc由来600℃焼成試料(Co600)のCo 2p XESでは、酸素雰囲気下でもXESスペクトル形状は変化しなかったことから、これらの触媒に含まれるFeやCoは酸素吸着には寄与しないと考えられた。しかしながら、Fe800とCo800のいずれも酸素還元活性を有しているため、これらの触媒ではグラファイト置換型窒素ドープされたエッジ炭素などの軽元素が酸素吸着サイトであることが示唆された。

第6章では、燃料電池発電中のカソード触媒に含まれる遷移金属の電子状態について述べている。燃料電池動作条件下における膜電極接合体(MEA)カソード触媒層電子状態変化を軟X線発光分光法により観測するoperando XESシステムを新たに開発した。MEAはアノード触媒にはPtRu/Cを、カソード触媒には多段焼成FePc由来触媒を塗布したものを用いた。アノードに水素、カソードに窒素または酸素を導入し、開放端電位近傍(+1.0 V)および発電環境下(+0.4 V)に電位制御したMEAに対し、カソード触媒層に含まれる鉄の電子状態を高エネルギー分解能(~0.2 eV)で観測した結果、酸素導入に伴う鉄種の変化を見出した。一方、発電に伴う電子状態変化はほとんど見られなかった。よって、この多段焼成FePc由来触媒の鉄サイトが酸素還元反応活性点である場合は、生成物及び反応中間体の脱離律速であることが示唆された。また、軽元素が酸素還元反応活性点であり鉄サイトでは酸素吸着のみが起こり、その後の酸素還元反応が進行しない可能性もあるため、今後軽元素のoperando XES測定を行う必要性が示された。

第7章では、本論文のまとめと今後の展開を述べている。

以上のように、本論文は、金属フタロシアニン由来酸素還元触媒の放射光解析により酸素還元活性点について議論したものである。特に、軟X線を用いた発光分光法により、ガス雰囲気下における触媒のin situ電子状態観測、及び燃料電池動作中のoperando電子状態観測を実現したことは、電気化学触媒に含まれる3d遷移金属と軽元素を同一の装置、条件で観測が可能になったことを意味しており、触媒反応中の電子状態の新たな観測手法となる画期的な成果であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、固体高分子形燃料電池正極用炭素由来酸素還元触媒の電子状態の放射光解析に関して述べたものである。固体高分子形燃料電池の正極における酸素還元触媒として現在は希少で高価な白金が用いられている。白金代替触媒として、炭素材料から合成される炭素由来酸素還元触媒が近年数多く報告され注目されているが、白金系触媒と比べて活性が低いという問題がある。そのため、触媒設計の指針を得るため酸素還元反応活性点を解明することが重要である。本研究では、軟X線吸収分光及びX線光電子分光により、金属フタロシアニン由来酸素還元触媒粉末の電子状態を分析し、酸素還元活性に対する各元素の役割を明らかにしている。さらに実触媒としての機能発現メカニズムを評価するために、軟X線領域であっても大気圧環境下で燃料電池触媒の電子状態を観測することができるin situ軟X線発光分光システムを新しく開発し、酸素吸着課程における電子状態変化を観測している。さらに燃料電池として発電中の炭素由来触媒の電子状態が観測できるようにoperando軟X線発光分光システムを開発し、発電中の炭素由来触媒の電子状態観測を行なっている。

第1章では、本研究の背景を述べている。固体高分子形燃料電池の原理と、正極に用いられている酸素還元反応触媒の問題点を例示し、白金代替正極触媒の開発とその酸素還元反応活性点の同定の重要性を述べている。

第2章では、本研究で用いた実験手法及びその原理について述べている。炭素由来酸素還元触媒の電子状態解析は、放射光を用いたX線光電子分光、軟X線吸収分光、及び軟X線発光分光により行った。

第3章では、炭素由来触媒に含まれる元素の化学状態と酸素還元活性の相関について述べている。CoPc由来触媒のN 1s 光電子分光測スペクトルから、酸素還元活性の高いCoPc由来触媒では、グラファイト置換型窒素の相対存在量が最も多く、グラファイト置換型窒素が酸素還元活性と相関があることが見出された。N 1s 軟X線吸収分光測定でも同様に、酸素還元活性の高い試料においてグラファイト置換型窒素のピーク強度が顕著であった。これらの測定結果は、ジグザグエッジにグラファイト置換型窒素が存在すると、エッジ炭素の酸素還元活性が増大するという第一原理計算の報告と非常によい一致を示した。また、Co 2p 光電子分光測定により、1000℃の高温焼成試料ではコバルトは酸素還元反応活性点では無いことが示唆された。

第4章では、鉄フタロシアニン(FePc)由来触媒の炭素の電子状態と酸素還元活性の相関について述べている。化学状態選択制に優れるC 1s 軟X線吸収分光測定を用いることで詳細にエッジ炭素について議論している。FePc由来触媒のC 1s XASスペクトルにて観察されたπ*ピークの低エネルギー側ショルダーピーク(283.6 eV)は理論計算によると2水素終端炭素を含むジグザグエッジ炭素由来である。このピークの強度はFePc由来触媒の酸素還元活性とよく対応しており、FePc由来触媒の酸素還元活性点はグラファイト置換型窒素を含むジグザグエッジであることが示唆された。

第5章では、酸素雰囲気下の炭素由来触媒の遷移金属の電子状態について述べている。酸素吸着過程における電子状態変化を軟X線発光分光(XES)によって調べた。大気圧雰囲気下での試料の測定が可能なin situセルを設計、製作し、in situ Fe 2p、Co 2p XES測定を行った。高い酸素還元活性を示したFePc由来600℃焼成試料(Fe600)のFe 2p XESスペクトル形状変化から、グラファイト構造内のFe-Nxサイトで酸素吸着が起こり、Feのd軌道から酸素分子のπ*軌道への電荷移動が起こっていることが明らかになった。一方、CoPc由来650℃焼成試料(Co650)のCo 2p XESは、酸素雰囲気下でCoの価電子帯状態密度の変化が観測されたが、コバルト原子から酸素分子への明瞭な電荷移動は観測されなかった。Fe600のFe-Nxサイトに吸着した酸素分子のO-O間結合は、Co600のCo-Nxサイトに吸着した酸素分子のO-O間結合よりも電荷移動の分だけ弱くなっていると考えられ、酸素吸着状態の違いが両者の酸素還元活性の違いと関連していることが示唆された。一方、FePc由来800℃焼成試料(Fe800)のFe 2p XESとCoPc由来600℃焼成試料(Co600)のCo 2p XESでは、酸素雰囲気下でもXESスペクトル形状は変化しなかったことから、FeやCoは酸素吸着には寄与しないと考えられた。

第6章では、燃料電池発電中のカソード触媒に含まれる遷移金属の電子状態について述べている。燃料電池動作条件下における膜電極接合体(MEA)カソード触媒層電子状態変化を軟X線発光分光法により観測するoperando XESシステムを新たに開発した。MEAはアノード触媒にはPtRu/Cを、カソード触媒には多段焼成FePc由来触媒を塗布したものを用いた。アノードに水素、カソードに窒素または酸素を導入し、開放端電位近傍(+1.0 V)および発電環境下(+0.4 V)に電位制御したMEAに対し、カソード触媒層に含まれる鉄の電子状態を観測した結果、酸素導入に伴う鉄種の変化を見出した。一方、発電に伴う電子状態変化はほとんど見られなかった。よって、この多段焼成FePc由来触媒の鉄サイトが酸素還元反応活性点である場合は、生成物及び反応中間体の脱離律速であることが示唆された。

第7章では、本論文のまとめと今後の展開を述べている。

以上のように、本論文は、金属フタロシアニン由来酸素還元触媒の放射光解析により酸素還元活性点について議論したものである。特に、軟X線を用いた発光分光法により、ガス雰囲気下における触媒のin situ電子状態観測、及び燃料電池動作中のoperando電子状態観測を実現したことは、電気化学触媒に含まれる3d遷移金属と軽元素を同一の装置、条件で観測が可能になったことを意味しており、触媒反応中の電子状態の新たな観測手法となる画期的な成果であるといえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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