学位論文要旨



No 129141
著者(漢字) 二階堂,文也
著者(英字)
著者(カナ) ニカイドウ,フミヤ
標題(和) 内部水酸基の酸解離を考慮したシリカの溶解ダイナミクス
標題(洋)
報告番号 129141
報告番号 甲29141
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8032号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 教授 大久保,達也
 東京大学 教授 迫田,章義
 東京大学 准教授 小倉,賢
 東京大学 准教授 下嶋,敦
 東京大学 准教授 辻,佳子
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究背景

粒子集合体の構造制御は産業的に重要である.例えば燃料電池電極,光電極,二次電池電極,透明電極,化粧品,食品,インクはいわば粒子集合体であり,粒子集合体の構造が電気抵抗,物質拡散抵抗,光透過性,粘性,味などの性能を左右する.粒子を液相で合成した場合,粒子を含む液を塗布・乾燥することで粒子集合体が作製され,最終的な粒子集合体の構造は,塗布・乾燥前の液の組成や,塗布・乾燥プロセスによって変化する.塗布・乾燥前の液の組成や塗布・乾燥プロセスを調節し粒子集合体の構造を制御することは,主要な産業的課題の一つとなっており,この課題の解決に寄与すると期待される基礎的な研究が行われている.シリカやアルミナコロイド溶液を乾燥させて得られる粒子膜の構造についての研究は,そのうちの一つである.シリカ粒子の粒径を変えたり,溶液の乾燥速度を変えたりすると,粒子膜中の粒子の配列の仕方や,粒子膜に対する亀裂の入り方が変化する.また,乾燥前のシリカコロイド溶液に塩を加えたり,乾燥前のアルミナコロイド溶液のpHを変化させたりしても,乾燥後の粒子膜の構造は変化する.これは,塩濃度やpHによって粒子間相互作用(凝集・分散状態)が異なるからだと議論されている.

塗布・乾燥前,塗布・乾燥中のコロイド溶液中において,コロイド粒子間には様々な力が働き,凝集・分散状態が変化する.コロイド粒子間の相互作用は,静的には,DLVO理論で説明される.DLVO理論は,粒子間ファンデルワールス力(引力)と浸透圧斥力の競合を考えて粒子間力を議論する理論である.近年,古典的なDLVO理論では考慮されていなかった,イオンの大きさ(水和半径)やイオンに働くファンデルワールス力を考慮した理論的な研究がなされ,粒子間相互作用を正しく求めるためには,表面付近の電位分布・イオン濃度分布を正しく求めなければならないことが明らかになりつつある.イオンについてはより正確な取り扱いがなされてきているようであるが,少なくともシリカについて言えば,表面付近の電位分布・イオン濃度分布に影響を与えるであろう粒子の構造の取り扱いは,不十分かもしれない.シリカ粒子の表面電荷密度(重量電荷密度),比表面積の測定,凝集ダイナミクス,Atomic Force Microscopy,電気泳動による研究から,シリカ粒子にはミクロ孔が存在しているのではないか,あるいは,シリカ表面には "gel layer" (三次元網目状ポリケイ酸)が存在しているのではないかと提唱されてきたが,シリカの表面間力についてそのようなミクロ構造を考慮した計算は見当たらない.

一般的に,粒子が持つ電荷が粒子最表面にだけ存在する場合と,粒子内部(ミクロ孔内部など)にも存在する場合で,粒子間相互作用や粒子の電気泳動移動度は大きく異なると理論的に予測されている.塩基性水溶液中のシリカ粒子の場合,粒子が持つ電荷の担い手は酸解離したシラノール基(≡SiO-)である.≡SiO-が粒子最表面よりも内側(ミクロ孔やgel layerの内部)にも存在することを考慮してシリカ表面間力を算出するためには,内部で≡SiO-がどのように分布しているか知る必要があるが,それは知られていない.

≡SiO-は酸解離により生成されるので,≡SiO-の分布を知るためには少なくとも溶液のpHを知る必要がある.逆に,シリカコロイド溶液のpHは≡SiO-の酸解離の影響を受けるし,また,シリカの溶解によっても多かれ少なかれ影響を受ける.シリカの溶解反応はSi-O結合の加水分解反応であるが,量子化学計算により,この加水分解反応は≡SiOHよりも≡SiO-を起点にしたほうがずっと進行しやすいと予測されている.ところが,シリカの溶解について,ミクロ孔やgel layerといった最表面より内側の構造を考慮した反応速度論モデルは確立されていない.

以上のように,シリカコロイド溶液は,粒子集合体の構造形成と関連の深い基礎的研究の題材として広く利用されている.シリカの表面間力をより正しく予測するためには,≡SiO-が粒子最表面よりも内側でどのように分布しているか知る必要がある.また,pHを通して表面間力に影響を与える可能性のある,シリカの溶解(速度)を予測するためにも,≡SiO-の分布が必要である.ここで,熟慮の末,Poisson-Boltzmann方程式の解,チャージバランス,マスバランス,化学平衡の式をうまく組み合わせて使えば,シリカの溶解量と溶液pHの測定値から≡SiO-の分布を見積もることができる,という発想に至った.

このような背景の下,本研究では≡SiO-の分布を見積もり,シリカの溶解速度について議論した.また,数理モデルの応用展開として,溶液の乾燥過程におけるpHや粒子表面電位の変化を予測し,溶液を乾燥させてできたシリカ粒子膜の構造と比較した.

2. 内部水酸基の酸解離を考慮したシリカの溶解ダイナミクス

まず,塩基性水溶液中におけるシリカの溶解量,溶液pH,シリカ粒子の電気泳動移動度を測定した.シラノール基密度の大きく異なる試料を用いるべく,シリカとして熱処理していないストーバーシリカと,熱処理したストーバーシリカを用いた.加える塩の種類,塩濃度も変化させた.

量子化学計算による既往の検討を参考にシリカの溶解速度式を導出した.この速度式によると,シリカの溶解速度は酸解離したシラノール基(≡SiO-)の数に比例する.チャージバランス,マスバランス,化学平衡の式を使って,シリカの溶解量,溶液pHの実験データから,シリカ粒子内部および最表面に存在する≡SiO-の数[≡SiO-]を求めた.さらに,Poisson-Boltzmann方程式の解,チャージバランス,マスバランス,化学平衡の式を使って,[≡SiO-]からシリカ粒子内部(gel layer内部)および最表面の電位ψ(in), ψ(top)を求め,≡SiO-が分布する層(酸解離層)の厚みdを求めた.ψ(in), ψ(top), dの妥当性を電気泳動移動度から確認した.得られたdの値から,シリカの溶解に有効なのは最表面近傍の≡SiO-だけであり,内部の≡SiO-は直接は溶解反応に関与しないこと,しかしながら,最表面近傍の≡SiO-の数は内部シラノール基の酸解離によって変化するので,内部のシラノール基の酸解離を無視することはできないことが,実験とモデルを用いた議論により初めて示唆された.

3. 応用展開:溶液の乾燥過程

本研究の数理モデルを応用して溶液の乾燥過程におけるpHや粒子表面電位の変化を予測し,溶液を乾燥させてできたシリカ粒子膜の構造と比較した.乾燥過程におけるpHが高いと予測された条件ほど粒子膜に亀裂が入りにくかった.これはpHが高いとシリカ粒子が凝集しやすく,粒子膜のパッキングが悪く,毛管力が働きにくいためであると考えられる.乾燥過程におけるpHや電位の挙動は複雑であり,さらに,その挙動の条件依存性も複雑であり得ることがわかった.

4. 今後の展開

溶液内ではイオン強度,pH,チャージバランス,マスバランス,化学平衡,電位分布,溶解反応が絡み合っている.溶解速度や乾燥過程における状態の変化など,複雑な現象を言葉だけで定性的に理解・予測するのは困難であり,本研究のような数理モデルが現象の理解・予測に役立つと期待される.

審査要旨 要旨を表示する

「内部水酸基の酸解離を考慮したシリカの溶解ダイナミクス」と題した本論文は,水中におけるシリカの溶解ダイナミクスについての研究結果をまとめたものであり,全4章から構成される.内部シラノール基の酸解離を考慮したシリカ溶解の数理モデルをベースに実験データを吟味し,モデルと実験の両面からシリカの溶解ダイナミクスについて議論している.

第1章では研究背景を述べている.塗布・乾燥による粒子集合体の構造制御は産業的に重要であり,水中にシリカ粒子が分散した系をモデルとして様々な研究がなされてきたことを述べている.既往の研究でシリカ粒子にはミクロ孔が存在しているのではないか,あるいは,シリカ表面には gel layer (三次元網目状ポリケイ酸)が存在しているのではないかと提唱されてきたが,そのようなミクロ構造を考慮したシリカ溶解の数理モデルは確立されていないことが,本研究の動機であると説明している.

第2章では,内部シラノール基の酸解離を考慮したシリカの溶解ダイナミクスについて述べており,本論文の中核をなしている.シリカ粒子の表面電荷密度(重量電荷密度),比表面積の測定,凝集ダイナミクス,Atomic Force Microscopy,電気泳動による既往の研究について丁寧に紹介し,シリカ粒子にはミクロ孔が存在しているのではないか,あるいは,シリカ表面には gel layer (三次元網目状ポリケイ酸)が存在しているのではないかと提唱されてきたことを詳しく説明している.一方で,シリカの溶解についての既往の研究を紹介し,ミクロ孔やgel layerといったミクロ構造を考慮したシリカ溶解の数理モデルは確立されていないことを述べている.

これらの背景を踏まえ,シリカの溶解量,溶液pH,シリカ粒子の電気泳動移動度を測定し,これらはシリカに対する熱処理の有無や,塩濃度,塩の種類によって大きく変化することを実験的に示し,数理モデルを使って実験データを解析し,シリカの溶解ダイナミクスを議論している.議論は「内部シラノール基の酸解離」と「シリカの溶解速度」の2つに大別されている.まず,内部シラノール基酸解離についての議論として,チャージバランス,マスバランス,化学平衡,表面電位の式を使って実験データを解析し,すべての酸解離したシラノール基が粒子最表面だけに存在すると仮定するのは不合理であること,すなわち,酸解離したシラノール基は粒子内部に,何らかの厚みを持った層状に,分布していることを示している.ポアソンボルツマン方程式の解,チャージバランス,マスバランス,化学平衡の式を使って実験データを解析し,酸解離したシラノール基が分布する「酸解離層」の厚み,粒子内部の電位,粒子最表面の電位を算出している.さらに,理論式を用いて電気泳動移動度を予測し,電気泳動移動度の測定値と良好に一致することを示している.

次に,シリカ溶解速度についての議論として,粒子最表面からの拡散は溶解の律速段階ではないこと,すなわち,溶解が反応律速であることを示している.既往の量子化学計算による検討を踏まえて溶解の反応速度式を導出している.その反応速度式を使って実験データを解析し,溶解の反応速度定数を求め,酸解離層の厚みと合わせて議論している.シリカの溶解に直接有効なのは最表面近傍の酸解離したシラノール基だけだが,内部シラノール基の酸解離によって最表面近傍の酸解離したシラノール基の数が変化することを示している.

第3章では,第2章の数理モデルの応用展開として,溶液の乾燥過程におけるpHや粒子表面電位の変化を予測し,溶液を乾燥させてできたシリカ粒子膜の構造と比較し,提言を行っている.乾燥過程におけるpHが高いと予測された条件ほど粒子膜に亀裂が入りにくく,これはpHが高いとシリカ粒子が凝集しやすく,粒子膜のパッキングが悪く,毛管力が働きにくいためであると議論している.乾燥過程におけるpHや電位の挙動は複雑であることを示している.

第4章では,研究結果をまとめ,溶液内ではイオン強度,pH,チャージバランス,マスバランス,化学平衡,電位分布,溶解反応が絡み合っており,溶解速度や乾燥過程における状態の変化など,複雑な現象を言葉だけで定性的に理解・予測するのは困難であり,本研究のような数理モデルが現象の理解・予測に役立つと期待されると述べている.

シリカの溶解に対する内部シラノール基の酸解離の影響について,本研究のようにモデル・実験の両面から明らかにした例はなく,シリカの溶解とその周辺の研究分野への寄与は大きい.また,本研究のモデリングで用いられている考え方は材料によらず,化学工学及び化学システム工学への寄与も大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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