学位論文要旨



No 129145
著者(漢字) 大山,裕美
著者(英字)
著者(カナ) オオヤマ,ヒロミ
標題(和) 新規ヘテロ[7]ヘリセン誘導体の合成・物性・分子配列に関する研究
標題(洋) Studies on Synthesis, Properties, and Molecular Arrangements of Novel Hetero[7]helicene Derivatives
報告番号 129145
報告番号 甲29145
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8036号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 西林,仁昭
 東京大学 准教授 新谷,亮
 京都大学 准教授 若宮,淳志
 中央大学 准教授 山下,誠
内容要旨 要旨を表示する

目的と概要

クロスカップリング反応や分子内環化反応などの合成手法の目覚ましい発展により,さまざまなπ共役系化合物の効率的な合成が可能になりつつある.また,新規な骨格の合成に加えて,置換基の導入やヘテロ原子の組み込みといった化学修飾によって導電性や発光特性などの機能を制御する研究が盛んに行われている.特に近年,π共役系分子にキラリティを付与した,キロプティカル分野が注目を集めている.

キラルなπ共役系炭化水素骨格の代表的な系としてヘリセン類がある.捩じれたキラルπ共役系という特徴から,ヘリセン類は,燐光,円二色性,円偏光発光特性,非線形光学応答といった光学特性が期待される.また,ヘリセン類の光学特性は異方性を持つ集合状態を形成することにより,向上が見込まれることが報告されている.しかし,ヘリセン類は合成上の制約が多く,異方的な集合状態を形成する誘導体の報告例も極めて少ない.

本論文では,これらの課題を,新たなヘリセン類の合成経路の開発および分子配列に関する知見を得ることにより解決した.本論文では特に,典型元素縮環構造を含むヘリセン類の新規合成経路,および分子配列について記す.まず,発光性ヘリセン類の開発を目指し,炭素またはケイ素原子を含む新規ヘリセン類の合成経路の検討を行い,その光学特性について明らかにした.次に,リン原子を含むヘリセン類について分子集合の制御を検討した.

1. 発光性ヘリセンの合成と物性

1-1. 発光性ヘリセンの分子設計

ヘリセンのようなキラルな発光団には,円偏光発光(circularly-polarized luminescence, CPL)が期待できる.CPL は,三次元ディスプレイや電子ペーパーにおける立体画像表示や高度セキュリティー技術としての応用が期待されている.CPL 材料に求められる性質としては,発光量子収率と非対称因子g値がある.非対称因子は,右円偏光と左円偏光の発光の強度差を規格化した値として定義される.しかし,高い非対称因子を発現させるための分子設計の指針は確立されておらず,構造と物性の相関に関する知見は将来の基礎として重要である.また,捩じれたπ共役系は,軌道の対称性が低いことから,燐光を発しやすいという特徴も有する.燐光は,エネルギー効率の観点から発光材料として望ましい特性であり,興味が持たれる.本研究では,CPL および燐光の二つの光機能を有すヘリセン誘導体の創出を行った.すなわち,g値の向上を見込み遷移双極子が小さく,そして高い量子収率を持ち燐光を発するヘリセン誘導体の創出を目指した.導入する部位としては,そのような観点から炭素原子とケイ素原子を選択した.

1-2. 発光性ヘリセンの合成

出発原料として2,2',6,6'-テトラブロモビフェニルを用い,ジリチオ化の後,炭素原子もしくはケイ素原子を含む求電子剤で捕捉することにより,典型元素を含む縮環構造を構築した.次にトリメチルシリル基で保護したエチニルフェニル基を,根岸クロスカップリング反応を用いることで導入し,その後脱保護することでアセチレン部位を持つ前駆体を得た.塩化白金触媒下,2つのアセチレン部位の環化を行い,炭素もしくはケイ素を組み込んだ[7]ヘリセン類をそれぞれ得ることに成功した.炭素を組み込んだヘリセンはさらに誘導化が可能であり,それぞれメチレン,およびジフェニルメチレン部位に誘導することができた.なおそれぞれの光学活性体はキラル分取カラムにより得た.また,X 線構造解析によりその構造を明らかにした.

1-3. 発光性ヘリセンの光学特性

得られた化合物に関して,紫外可視吸収スペクトルおよび発光スペクトルを測定した.炭化水素のみで構成された[7]ヘリセンは,ほとんど発光性を示さない一方で,今回得られたヘリセン誘導体の溶液中の発光量子収率は,23-40% と高い値を示した.このことから,ヘリセン骨格内に5 員環部位が導入されたことで発光性が示されたと考えられる.また,固体中では,炭素を組み込んだヘリセン類がほぼほとんど発光性を示さなかったのに対し,ケイ素で架橋されたヘリセンは発光性を示し,その量子収率は17% と高い値を示した.

円偏光発光特性に関しても測定を行い,どの化合物も0.0030程度のg 値を示すことを明らかにした.これは有機低分子としては比較的高い値である.また,燐光性を調べたところ,いずれの化合物も600 nm 程度の発光が観測された.さらに,興味深いことに,いずれの化合物も高次の励起状態からの燐光も観測された.

2. 異方性をもつヘリセンの合成と結晶構造

双極子-双極子相互作用を利用し,ヘリセンの一次元的な集合状態の構築を目指した.ヘリセン骨格内に双極子部位を発現させるため,リン原子の導入を行った.

2-1. 異方性をもつヘリセンの合成と光学特性

出発原料の4, 4'-ビフェナントレン-3, 3'-ジオ-ルのヒドロキシ基をトリフラ-ト基に変換し,パラジウム触媒をもちいた炭素-リン結合生成反応でリン原子を導入した.リン原子上を還元した後,パラジウム触媒による分子内炭素-リン結合生成形成で環化体を得た.このようにして得られたホスホ-ルが縮環したヘリセン誘導体に,過酸化水素,およびロ-ソン試薬を作用させることにより,ホスホ-ルオキシド (PO),もしくはホスホ-ルスルフィド (PS) 部位を含むヘリセンを得た.

2-2. 異方性をもつヘリセンの結晶構造

得られたPOおよびPSに関して,単結晶X 線回折により固体中における集合構造の解析を行った.その結果,(P)-PO,(P)-PS,及びrac-PSが固体中では,一次元のカラム状集合構造を形成していることが分かった.このような構造を形成する駆動力は,P=E (E = O, S) 部位の双極子や,フェニル基が関与するCH-π相互作用であった.(P)-PO結晶におけるそれぞれのカラム中では,(P)-POは双極子の方向を一方向にそろえているが,隣り合うカラム同士の双極子は互いに逆を向いており,結晶全体としては双極子が打ち消される構造であった.一方で,rac-PS も類似のカラム構造の集合を形成していたが,隣り合うカラムはそれぞれ逆のエナンチオマ-のみで構成されていた.すなわち,結晶全体としてはP体とM体がそれぞれ決まった方向のみを向く構造であった.

まとめと展望

本論文において,種々の典型元素が導入したヘリセン類の合成経路の開拓に成功した.発光性へリセンの創出を目的とした炭素またはケイ素原子が導入されたヘリセン類は,良好な量子収率を示し有機低分子の中で比較的高いg 値を示すことが分かった.さらには燐光および高次励起状態からの燐光についても観測された.また,リン原子を導入したヘリセンについては,双極子の効果とリン原子周りの立体が鍵となり一次元集合構造を形成することが分かった.

これらの研究から得られた知見を元に,今後はヘリセン類を基盤としたキロプティカル材料の発展が期待できる.すなわち本論文で開拓した合成経路は,他の様々なヘテロ原子の導入や非対称構造のヘリセンの構築等にも応用可能と考えられるため,様々な構造や物性を有するヘリセン誘導体の創出が可能と期待できる.そこで本研究で得られた発光特性や分子集合に関する分子設計指針に基づいて合成研究を行うことで,機能性ヘリセンの化学を拡張できると考えられる.このようにしてキロプティクス分野におけるヘリセンというプラットフォ-ムの可能性をさらに深く探索することで,その発展の基礎を与えることができると期待できる.

審査要旨 要旨を表示する

学位論文研究において、「新規へテロ[7]ヘリセン誘導体の合成・物性・分子配列に関する研究」を行った.

第一章では,当該分野を概観し論文の総括を述べている.まず有機材料研究の現状と可能性について論じ,とりわけπ共役系分子の研究の意義について述べている.特にキラリティを有するπ共役系材料について言及しており,キラリティとπ共役系の両方の性質を併せ持つ材料骨格が持つ可能性について述べている.中でも最も有望な骨格の一つとして芳香族環がオルト位で縮環したヘリセンに注目しており,その研究の歴史について述べるとともに今後の研究における課題や問題点について明らかにすることで本研究の背景としている.

第二章では,ヘリセンの円偏光発光材料への応用のために必要な要件として高い発光効率と大きな分子のねじれを挙げ,その重要性について論じている.ヘリセン誘導体は一般に三重項状態の生成が優先され発光効率は低いため,これまで発光材料への応用は難しいと考えられていた.そこで高発光性ヘリセン誘導体の実現のためにシロールまたはシクロペンタジエン骨格に注目し,また,大きな分子のねじれを実現するために[7]ヘリセン骨格の利用を提唱した.しかし提唱された新規[7]ヘリセン誘導体は既存の手法では得られないため,効率的な合成手法としてアルキンの環化を鍵ステップとする経路を考案,検討し,確立することができた.本章では得られた新規[7]ヘリセン誘導体の光物性についても検討されており,シロールまたはシクロペンタジエン部位を含ませる分子設計によって溶液中で非常に高い発光特性が得られることが分かった.また,シロール部位を有する誘導体に関しては固体中でも高い量子収率を維持することが分かり,応用上極めて重要な結果であると言える.さらに得られた誘導体に関して円偏光発光特性についても検討され,有機低分子の最高値に匹敵する非常に高い非対称因子を示すことが明らかとなっており,本研究の分子設計の有効性を実証する結果である.本章では他にも円二色性や燐光特性等の基礎的な光学特性についても議論されており,ヘリセンの発光材料への応用に関する重要な知見を得た.

第三章では,ヘリセン類の光学特性の向上のための手法として一次元的な集合構造の構築について言及し,その方法論について述べている.これまでヘリセン類が一次元的な集合構造を取ることで光学特性が向上することが知られているが,その手法は極めて限られており,方法論の発展が望まれている.そこで本研究ではヘリセンの一次元的な集積構造の構築のための新たな方法として,ヘリセン骨格に双極子を持つ部位を導入する手法を提案し,検討している.ヘリセン骨格としては[7]ヘリセンを選択し,π共役系分子の集積構造の形成に関わる部位としてホスホールオキシドとホスホールスルフィドを選択している.本章で提唱された[7]ヘリセン誘導体はパラジウム触媒を用いた炭素-リン結合生成反応を鍵ステップとする合成によって得られ,それぞれ光学活性体及びラセミ体について単結晶構造解析を行っている.その結果,得られた各結晶について双極子の寄与により一次元的な集合構造が確認され,分子設計の有効性の実証に至っている.

第四章では,これらの総括およびこれらを踏まえこの研究におけるさらなる発展の可能性を提唱している.発光性誘導体として本研究では対称系のみを検討していたが,今回得られた合成手法は非対称系やより大きなヘリセンなど様々な系に応用可能であり,発展性のある今後の展望を与えている.一次元集合構造の分子設計についても拡張をすることができ,発光性の一次元集合を形成するヘリセン誘導体の実現のような展望がもたらされている.

以上の成果は,従来のヘリセン類の光学特性の限界を打ち破る意義深いものであり,今後のヘリセンの光学材料への発展可能性を強く示唆する結果であった.

本研究はこれまで難しかった高効率発光性ヘリセン誘導体の分子設計の確立,付加価値の高い新規ヘリセン誘導体の効率的な合成ルートの構築,固体中でのヘリセンの一次元的集合構造の制御という,円偏光発光材料の応用を目指す上で極めて重要な知見を得た点において学術的に重要であり,高く評価できる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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