学位論文要旨



No 129148
著者(漢字) 宮崎,貴匡
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,タカマサ
標題(和) メタロセニルジホスフィン部位を有する遷移金属錯体を用いた分子変換反応の開発
標題(洋) Development of Molecular Transformations Using Transition-Metal Complexes with Metallocenyldiphosphine Moieties
報告番号 129148
報告番号 甲29148
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8039号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 西林,仁昭
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 北條,博彦
 東京大学 准教授 新谷,亮
 中央大学 教授 石井,洋一
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

近年、有機合成化学の分野において、異なる複数の金属を分子内に有する多核錯体を用いた反応の研究が行われる様になってきている。単核錯体を用いた場合とは異なり、多核金属錯体を用いた反応系では、分子内に存在する複数の金属原子間での電子授受や基質分子の協同的な活性化を通して、単核錯体を用いた場合には不可能であった特異な反応の実現が期待できる。しかしながら、それら多核錯体固有の協同効果を分子変換反応へ応用することに成功した例は未だ少ない。さらに単核錯体とは異なり、多核錯体は合理的な合成法の確立が十分なされておらず、配位子の微細な調整等による反応性の制御が困難であった。以上の背景を踏まえて、メタロセニルジホスフィンを配位子に有する多核錯体を新たに分子設計した。この多核錯体ではメタロセン骨格の中心金属を代替あるいは置換基導入等により、その反応性を容易に制御できる。特に本研究では、安定な酸化還元特性を有するフェロセン及び中心金属上に基質分子の活性点を有する4族メタロセンに着目し、金属間での電子授受を期待したフェロセニルジホスフィン部位を有する異種二核錯体及び基質分子の協同的な活性化を期待した4族メタロセニルジホスフィンを配位子に有する異種二核錯体をそれぞれ分子設計した。そして、それら異種二核錯体の特性を活かした分子変換反応の開発に取り組んだ(Figure 1)。

2. フェロセニルジホスフィン部位を有するモリブデン窒素錯体の分子設計・合成及び窒素分子の特異な変換反応への応用

2-1. 光照射によって特異的に進行する窒素-窒素三重結合切断を鍵とする窒素分子のアンモニアへの変換反応

中性窒素架橋錯体 (1) にトルエン中室温で可視光照射を行ったところ、架橋窒素分子の窒素-窒素三重結合の切断が進行し、対応するニトリド錯体 (2) が56%NMR収率で得られた (Scheme 1)。錯体1を暗所下70°Cに加熱した場合には錯体2は全く生成せず、配位子の乖離が確認されたのみであった。これらの結果は本反応が光を用いた場合に特異的に進行する反応であることを示している。

錯体2に対して化学量論量のプロトン源LutHBArF4及び還元剤Cp*2Coを暗所下、トルエン中室温で反応させたところアンモニアが37%収率で得られた(Scheme 2)。以上の結果は架橋窒素分子の窒素-窒素三重結合が切断されて生成するニトリド錯体2を経由してアンモニアが生成したことを示している。以上の様に、光照射による窒素-窒素三重結合切断を鍵とする窒素分子のアンモニアへの変換反応開発に初めて成功した。

2-2. 窒素分子の窒素-窒素三重結合切断反応における可逆性の観測

ニトリド錯体2と1当量の1電子酸化剤FcBArF4とをTHF中室温で反応させたところ、ジカチオン性窒素架橋錯体3が44%NMR収率で得られた(Scheme 3)。この結果は可視光照射によって一旦は切断された窒素分子の窒素-窒素三重結合が再生したことを意味する。錯体3の還元によって中性窒素架橋錯体1の再生が可能であることを鑑みると、本反応系では2つのモリブデン部位に架橋した窒素分子の窒素-窒素三重結合の開裂と再生が可逆的に進行しているといえる(Scheme 4)。以上の様に、窒素分子の金属錯体上での強固な窒素-窒素三重結合切断及び再生プロセスが、常温常圧という穏和な反応条件下で可逆的に進行することを錯体化学的に捉えることに初めて成功した。

3. ジルコノセニルジホスフィン部位を有する6族金属錯体の分子設計及び合成

フェロセンとは対照的に、4族メタロセンはその中心金属上に反応活性部位を有するため、4族メタロセン部分を分子内に組み込んだ二核錯体では反応基質の協同的な活性化が期待できる。そこで窒素分子と水素分子の同時活性化による窒素分子と水素分子からの触媒的アンモニア生成法開発を目指して、4族メタロセニルジホスフィン部位を有する6族金属錯体の分子設計及び合成について検討した(Scheme 5)。残念ながら対応する窒素錯体の合成には至らなかったものの、4族及び6族金属の2つの前周期金属からなる反応場を有する一連の異種二核錯体(4)-(7)の合成に成功した。

4. ジルコノセニルジホスフィン部位を有する8族金属錯体の分子設計・合成並びにアミンボラン化合物の触媒的脱水素反応への応用

金属が極性の大きく異なる前周期金属と後周期金属とからなる異種金属二核錯体が作り出す反応場上では、各々の金属による反応基質の極性が異なる部位の同時活性化が期待できる。そこで4族メタロセニルジホスフィンと8族金属錯体を組み合わせた異種金属二核錯体を新規に分子設計・合成し、その反応性について検討を行った。

5 mol%の錯体 (8a) 存在下ジメチルアミンボランHMe2NBH3をトルエン中50°Cで加熱したところ、脱水素反応がほぼ定量的に進行した(Scheme 6)。8aのジルコニウムをハフニウムに変えた類縁体 (8b) や、ルテニウムを鉄に変えた類縁体 (8c) も同様に触媒活性は示したものの、その活性はいずれも低い値に留まった。一方で錯体8a の部分構造であるルテニウム単核錯体[Cp*RuH(depe)]は錯体8a と比較して触媒活性が大幅に低下し、ジルコニウム単核錯体[(η5-C5Me4H)2ZrH2]は全く触媒活性を示さなかった。以上の結果は、本触媒系において4族金属部位及び8族金属部位の両方が反応に関与し、それらの部位の協同的な働きが触媒反応の鍵であることを強く示唆している。

以上の様に、本研究では4 族メタロセニルジホスフィン部位を有する8族金属錯体を用いたアミンボラン化合物の触媒的脱水素反応の開発に成功した。本反応系は均一系多核錯体をアミンボランの脱水素触媒として応用することに成功した初めての例である。

5. ジルコノセニルジホスフィン部位を有するルテニウム錯体の分子設計・合成並びにプロパルギルアルコールの触媒的プロパルギル位置換反応への応用

前節と同様に、4族メタロセニルジホスフィン部位を有する異種二核錯体が作り出す反応場を応用した触媒反応の開発を検討した。

10 mol%の錯体 (9) 及びNaBArF4存在下、プロパルギルアルコールをエタノール中60°Cで加熱したところ、対応するプロパルギル位置換生成物が収率57%で得られた(Scheme 7)。一方で10 mol%のアレニリデン錯体(10) 存在下プロパルギルアルコールをエタノール中60℃で加熱したところ対応するプロパルギル位置換生成物が収率53%で得られた。この結果は、ルテニウムアレニリデン錯体の生成が本触媒系における鍵段階であることを示している。

フェロセニルジホスフィン配位子を有する類縁体[Cp*RuCl(depf)]BArF4 (11) を触媒として用いた場合、対応するルテニウムアレニリデン錯体の生成は確認できたが、プロパルギル位置換反応は全く進行しなかった。この結果は、本反応の進行にジルコノセン部位が不可欠であることを示している。さらに、錯体9の部分構造である単核ルテニウム錯体[Cp*RuCl(dppe)]や単核ジルコニウム錯体[(η5-C5H4PEt2)2ZrCl2]は全く触媒活性を示さなかった。これらの結果はジルコノセン部位及びルテニウム部位の両方が触媒反応の進行に必要であることを強く示唆している。

以上の様に、本研究では4族メタロセニルジホスフィン部位を有するルテニウム錯体を用いた場合に特異的に進行する触媒的プロパルギル位置換反応の開発に成功した。

6. まとめ

本研究ではメタロセンが示す多様な反応性に着目し、メタロセン部位をメタロセニルジホスフィン配位子として導入した多核金属錯体の分子設計及び合成を行った。メタロセニルジホスフィンと異種金属とを組み合わせた異種金属二核錯体の反応性について詳細な検討を行い、窒素分子の特異な変換反応開発や異種錯体の特徴を生かした触媒的分子変換反応の開発に成功した。異種金属部位の協同効果を特異な分子変換反応へ応用することに成功した例は未だ非常に少なく、本研究の成果は今後の多核錯体を用いた反応開発における分子設計の重要な指針を与えるものと確信している。

Figure 1

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 4

Scheme 5

Scheme 6

Scheme 7

審査要旨 要旨を表示する

本学位論文は、メタロセニルジホスフィン部位を有する遷移金属錯体を用いた分子変換反応の開発に関する研究を検討し、その研究成果についてまとめたものであり、全部で六章から構成されている。

第一章では、複数の金属からなる反応系における特異な反応性の発現に着目し、特にメタロセン骨格を分子内に有する多核錯体の反応性について概観している。近年、有機合成化学の分野において、異なる複数の金属を分子内に有する多核錯体を用いた反応の研究が行われる様になってきている。単核錯体を用いた場合とは異なり、多核金属錯体を用いた反応系では、分子内に存在する複数の金属原子間での電子授受や基質分子の協同的な活性化を通して、単核錯体を用いた場合には不可能であった特異な反応の実現が期待できる。しかしながら、それら多核錯体固有の協同効果を分子変換反応へ応用することに成功した例は未だ少ない。さらに単核錯体とは異なり、多核錯体は合理的な合成法の確立が十分なされておらず、配位子の微細な調整等による反応性の制御が困難であった。以上の背景を踏まえて、メタロセニルジホスフィンを配位子に有する多核錯体を新たに分子設計した。この多核錯体ではメタロセン骨格の中心金属を代替あるいは置換基導入等により、その反応性を容易に制御できる。特に本研究では、安定な酸化還元特性を有するフェロセン及び中心金属上に基質分子の活性点を有する4族メタロセンに着目し、金属間での電子授受を期待したフェロセニルジホスフィン部位を有する異種二核錯体及び基質分子の協同的な活性化を期待した4族メタロセニルジホスフィンを配位子に有する異種二核錯体をそれぞれ分子設計した。そして、それら異種二核錯体の特性を活かした分子変換反応の開発に取り組んだ。

第二章では、フェロセニルジホスフィンを配位子に有するモリブデン窒素錯体を用いた、可視光照射による窒素-窒素間結合切断を鍵とする窒素分子のアンモニアへの変換反応の開発ならびに可逆的な配位窒素分子の窒素-窒素間結合切断及び再成反応を観測した研究成果について述べている。前者の反応は、窒素分子のアンモニア変換反応に可視光を利用する新たな手法を提示するものである。可視光を用いることにより、窒素分子のアンモニア変換に必要な反応段階数が従来と比較して大幅に減少しており、効率的なアンモニア生成反応開発につながる重要な知見を与えたものであるといえる。一方で後者の反応は、配位窒素分子の窒素-窒素間結合切断及び再成がモリブデンの均一活性点上で進行することを錯体化学的に捉えた初めての例である。分子内のフェロセン部位の酸化によって誘起されるモリブデンから鉄への1電子移動反応に伴うニトリジル錯体の生成が本反応の鍵となっている。すなわち本反応では、鉄及び隣接するモリブデン間での電子授受が、既存のモリブデン窒素錯体では不可能であった窒素分子の可逆的な窒素-窒素間結合切断及び再成という特異な反応を可能にした。

第三章では、4族メタロセニルジホスフィンを配位子に有する6族金属錯体の合成に成功した研究成果について述べている。基質の協同的な活性化が期待できる、4族及び6族金属からなる配位不飽和な反応場を有する一連の異種二核錯体の合成に成功した。

第四章では、4族メタロセニルジホスフィンを配位子に有する8族金属錯体を触媒として用いたアミンボラン化合物の触媒的脱水素反応に成功した研究成果について述べている。本反応系において触媒中の4族金属及び8族金属によるアミンボランの協同的な活性化が触媒反応の鍵であることを明らかにした。本反応は均一系多核錯体をアミンボラン化合物の脱水素反応へ応用することに成功した初めての例であるとともに、異種金属による基質分子の協同的な活性化を触媒的分子変換反応へ応用することに成功した数少ない例である。

第五章では、4族メタロセニルジホスフィンを配位子に有するルテニウム錯体を触媒として用いたプロパルギルアルコールの触媒的プロパルギル位置換反応に成功した研究成果について述べている。本反応系において、4族メタロセニルジホスフィン部位の塩素配位子の隣接するルテニウムへの架橋が触媒反応の鍵であることを明らかにした。本反応は4族メタロセニルジホスフィンを配位子に有する多核錯体の触媒的分子変換反応に対する有用性を提示したものである。

第六章では本論文の総括と今後の展望について述べている。

以上本論文では、メタロセニルジホスフィン部位を有する遷移金属錯体を用いた窒素分子の特異な変換反応ならびに複数の有用な触媒反応の開発に成功した。本研究は多核錯体固有の協同効果を分子変換反応へ巧みに応用することに成功した数少ない例であり、関連する研究分野の発展に大きく寄与する成果である。さらに本研究において合成に成功した一連の多核錯体の反応性は、メタロセン骨格の中心金属代替や置換基導入により容易に制御可能であり、今後の多核錯体を用いた分子変換反応における分子設計の重要な指針を与えたものであるといえる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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