学位論文要旨



No 129158
著者(漢字) 互,恵子
著者(英字)
著者(カナ) タガイ,ケイコ
標題(和) 対面販売場面において非言語情報が与える心理・生理的影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 129158
報告番号 甲29158
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第8049号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 渡邊,克巳
 東京大学 教授 中邑,賢龍
 東京大学 教授 植田,一博
 東京大学 講師 近藤,武夫
 理化学研究所 ユニットリーダー 熊田,孝恒
内容要旨 要旨を表示する

対面販売場面においては、販売員と顧客の2者間で相互に言語情報と非言語情報のやり取りが行われる。これは対人コミュニケーションの形態の一つといえる。対面販売という対人コミュニケーションの過程では、販売員が顧客の要望や嗜好を聴き取り、さまざまな状況を確認した上で商品やサービスを提案する。顧客の納得が得られると対価を受け取り、商品やサービスを売る。そこでは販売員の言語情報と非言語情報の両方が重要な役割を持つ。しかし、対面販売の目的は商品とサービスを購買行動に結びつけることだけではない。その過程である販売員の応対を通して、顧客に心地よさや満足感と購買の楽しさを与えることである。販売員の応対はおもてなし(hospitality)ともいわれる。このおもてなしは感情的機能に働きかける非言語行動であり、そのポジティブな心理的効果は結果として購買行動を促進し、さらに再来店という形で固定客を作る。

対面販売の販売員の非言語行動は、顧客に対し、ポジティブな心理的効果の転移をもたらすものとして経験知や暗黙知としては知られていた。企業においても、マニュアル化されることや現場で伝承されることが多い。しかし、グローバル化が進む中、経験知や暗黙知に頼るだけでは顧客の多様な要望や嗜好に応えることや地域の販売員への浸透は難しい。サービスの品質の維持や向上、効率化が課題である。一方、サービスサイエンスとして、サービスを製品開発と同様に工学や心理学などの科学的手法を用い、学際的に研究する必要性も説かれている。目に見えない、勘と経験にもとづく人による対人サービスについても可視化し、形式知化することが重要である。

本研究では、対面販売場面における販売員の非言語行動を応対サービスのおもてなしと捉えた。そして、応対サービスの評価として、販売員の非言語情報が顧客に与える心理・生理的影響を検討するため、心理評価とともに行動観察法や視線、脳活動、内分泌系の生理的反応などの複数の指標を用いて多角的にアプローチした。こうした心理・生理的影響を検討することで、顧客が対面販売でどのように心地よさや満足感を感じ、購買意思を決定していくのかについて明らかにすることを目的とした。その際、日常の対面販売場面に近い状況での実験的検証を試みた。これまでの対人コミュニケーション研究では、複雑な要因を含む現場での実験的検証に乏しい。しかし、現実の複雑さを維持した状況での検証は、実際のコミュニケーションの目的に対して有益な情報を直接的にフィードバックすることができる。

第一の研究では、応対サービスを時間軸のプロセスで捉え、時間経過とともに出現する対面販売場面での販売員の非言語情報をエスノグラフィの行動観察法とインタビューにより複数抽出した。これまでの現場の経験知の抽出である。そこから、顧客に心理・生理的影響を及ぼす販売員の感情的要素を持つ非言語情報として、外見的要素や所作(特に手渡し動作)、肌への接触、同調行動を抽出した。これらは顧客の心地よさや販売員への信頼感、商品への興味・関心度と関係することが示唆された。

第二の研究では、販売員と顧客との出会い場面における、販売員の外見的特徴が顧客の注視に与える影響を調べるため、同一の販売員で外見や姿勢の整容を整えた場合と整えない場合を比較し、観察者である顧客の視線の停留の時間と回数を測定した。結果は、販売員の外見や姿勢を整えない場合には、販売員の身体部分への顧客の注視が増加し、印象評価も低くなった。これらの指標が販売員の姿勢や手の位置との関連が高いことが明らかとなった。販売員への顧客の視線のバイアスが商品への注視の誘導を阻害することも示唆された。販売員と顧客の対面場面では、化粧品の対面販売という文脈に合わせて、身体の姿勢や整容の外見的要素が重要な役割を果たすという、経験知の予想が裏づけられた。

第三の研究では、販売員の所作である手渡し動作を顧客が観察した際の脳活動について、機能的核磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging:fMRI)および近赤外線分析法(near infrared spectroscopy:NIRS)を用いて測定した。化粧品の手渡し動作の観察時には、片手よりも両手の動作を観察した方が下前頭回において大きい活動がfMRI信号およびNIRS信号に反映される酸素化ヘモグロビン濃度により示唆された。販売員の動作の印象評価は片手よりも両手の方が高い評価になる傾向が見られた。商品への興味度も高くなった。丁寧さの印象評価とfMRI信号との相関分析からは頭頂ミラーニューロン・システムとの関連性も示唆された。丁寧さという動作の感情価の処理に対し、前頭―頭頂ミラーニューロン・システムがかかわる可能性が示唆された。日本人以外の実験参加者による予備的な実験では、脳機能計測と心理評価のどちらも日本人とはやや異なるパターンが観察された。手渡し動作における丁寧さに対応する脳活動が観測できることが示されたとともに、脳活動に文化的背景が反映される可能性も示唆された。

第四の研究では、販売員による化粧品を用いた顧客の肌への他者接触について、顧客による自己接触との比較から、両者による化粧品を想起した時の脳活動をfMRIで測定した。その結果、販売員による他者接触の化粧品の想起時には腹側運動前野、自己接触の化粧品では下頭頂小葉での活動が見られた。前者は前頭ミラーニューロン・システム、後者は頭頂ミラーニューロン・システムとされる部位である。記憶の鮮明さの評価は、他者接触の方が顧客により自己接触した化粧品よりも高かった。次に、他者接触に対する化粧品の支払い意思価格の決定時には、前頭前野の内側部や腹外側部、下頭頂小葉の活動が見られた。その支払い意思価格と相関する脳部位は前頭前野の内側部や眼窩野近傍の腹外側部、背外側部であった。自己接触との比較より、他者接触による化粧品の支払い意思決定の処理には、自己と他者のメンタライジング(心象化)にかかわる前頭前野の内側部や背外側部、多感覚の情報が統合された眼窩野が関係することが示唆された。これらはブランドの価値決定にもかかわるとされる部位でもある。以上より、他者との社会的関与を直接与える他者接触という非言語情報は、自己接触と比較して脳反応に違いがあることが示された。その違いは、それらの関与を受けた商品に対する記憶の想起度や支払い意思価格という心理プロセスに反映されたと思われる。

第五の研究では、対面販売場面において重要な文脈である一連のコンサルテーション場面について、行動分析とともに自律神経系や内分泌系、免疫系の各生理指標を用いて心理的反応との関連を検討した。その結果、コンサルタントの相談者に対する笑顔の同調が相談者のうなずきやアイコンタクト、受容感や心地よさと関連することが示された。一方で、コンサルタントの愛想笑いやほめ言葉は、相談者の過度なうなずきや唾液中コルチゾールの増加を引き起こし、心理的ストレスを与えることが示唆された。販売員の同調行動が顧客にポジティブな心理的効果を与える反面、過度な非言語情報と言語情報が顧客に心理的負荷を与えることを確認できた。

本研究から、対面販売場面における販売員の非言語情報は店頭の文脈や文化背景、他者という社会性、触覚の内在性感覚により、顧客の心理・生理的反応に影響を与えることが示された。対面販売場面における販売員の整容、所作、接触、同調という非言語情報は顧客に心地よさと満足感を与え、購買意思の決定につながる、おもてなしの応対サービスであるという経験知をデータで裏づけた。また、それらの非言語行動の最適な方法も示された。これらの知見をもとに、販売員の応対サービスの枠組みが具体化し、販売員は行動指針として実行することが可能となった。今後、本研究の知見及び実験実施にともなう方法論は、対面販売以外のさまざまな対人場面における人によるサービスや非言語情報の役割を検討する際に有効であると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

対面販売の販売員の行動は、顧客に対して様々な心理的効果をもたらすことが、経験知や暗黙知としては知られている。現場においては、マニュアル化されることや個別の伝承として伝えられることが多い。しかし、経験知や暗黙知に頼るだけでは顧客の多様な要望や嗜好に応えることや地域の販売員への浸透は難しく、サービスの品質の維持や向上、効率化が課題となっている。本論文は、対面販売場面において非言語情報(外見や所作、接触等の非言語行動など)が、受け手の中枢神経系や自律神経系、内分泌系の反応や視線行動に与える影響を、日常場面を想定した状況で実験的に調べ、それらに基づき非言語情報が受け手に与える効果について考察を加えたものである。

第一章では、対面販売場面における言語情報と非言語情報のやり取りに基づく経験知の例や先行研究を紹介し、近年のサービスサイエンスの文脈で、勘と経験でなされてきた人的サービスの実証的な研究の必要性と、心理・生理的反応を計測することによる多角的アプローチの重要性を述べている。

第二章では、エスノグラフィの手法を用いた行動観察によって、現場の経験知を抽出することを試みている。その結果、非言語情報のうち、外見的要素や手の所作、肌への接触、同調行動等の項目が重要であることを見いだし、本論文のターゲットを絞り込んでいる。

第三章では、販売員の外見的特徴が顧客に与える影響について、顧客の視線を計測する事で検討し、販売員の外見や姿勢と、印象評価や商品への視線結誘導との関係が示されている。

第四章では、手渡し動作を観察した際に、片手動作に比べ両手動作の方が下前頭回の活動が大きくなることを、機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)と近赤外線分析法(NIRS)の両方の測定で示している。さらに、動作の印象評価(特に丁寧さ)や商品への興味度とfMRI信号との相関分析から、頭頂野の活動との関連性も示唆された。加えて、文化的背景の異なる被験者を用いた比較も予備的に行われており、動作の解釈に文化的背景が反映されうることも示唆されている。

第五章では、販売員による製品を介した顧客の肌への接触と、顧客自身による接触をfMRI測定により比較する実験を報告している。他者接触の想起時には腹側運動前野、自己接触では下頭頂葉での活動が見られた。記憶の鮮明さの評価に関しては、他者接触の方が自己接触した製品よりも高く、また、他者接触した製品の支払い意思価格の決定時には、前頭前野の内側部や腹外側部、下頭小葉の活動などが見られている。この結果から、他者接触は自己接触との違いが、商品の想起度や支払い意思価格という心理プロセスに反映される可能性に関して考察している。

第六章では、対面販売における一連の時系列に沿ったコンサルテーション場面について、自律神経系や内分泌系、免疫系の生理指標を用いて検討している。コンサルタントの相談者に対する笑顔の同調が相談者のアイコンタクトやうなずき、受容感や心地よさと関連することを明らかにしている。その一方、愛想笑いやほめ言葉が、相談者の過度なうなずきや唾液中コルチゾールの増加に反映されるような心理的ストレスとなることも示唆されている。この結果は、同調行動がポジティブな心理的効果を与える反面、過度な同調的コミュニケーションが心理的負荷を与えることを確認するものとなっている。

第七章では、前章までの知見を総括し、言語的な評価手法に加えて、生理計測による非言語的な情報の評価を、現実の対面販売場面で活用する方向性に関する考察を加えて、論文全体のまとめとしている。

本論文は、対面販売場面における販売員の非言語情報が、文脈や文化背景、触覚の内在性感覚を通じて、顧客の心理・生理的反応に影響を与えることを実証的に示し、対面販売場面における販売員の経験知を裏づけている。また、販売員の非言語情報が顧客に与える心理・生理的影響を検討するため、心理評価とともに行動観察法や視線、脳活動、内分泌系の生理的反応などの複数の指標を用いて多角的に明らかにし、その上で、日常の対面販売場面に近い状況での実験的検証を試みることによって、現実の複雑さを維持した状況での検証を行っている。本論文の中で示されている知見及び実験実施の方法論は、対面販売以外のさまざまな対人場面における非言語情報の役割や人によるサービスを検討する際に有効に活用されうるとともに、複雑な状況における心理・生理反応の計測における多角的アプローチの重要性を示すものとして、学術的な価値を持つだけではなく、現場への有益なフィードバックにもなりうる点で評価できる。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク