学位論文要旨



No 129160
著者(漢字) 冨澤,泰
著者(英字)
著者(カナ) トミザワ,ヤスシ
標題(和) マルチプローブアレイデバイスの実用化に向けたプローブ先端ナノトライボロジー現象に関する研究
標題(洋)
報告番号 129160
報告番号 甲29160
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8051号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 年吉,洋
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 教授 川勝,英樹
 東京大学 准教授 高橋,琢二
 東京大学 准教授 三田,アニエス
 東京大学 教授 橋口,原
内容要旨 要旨を表示する

論文の各章における議論の内容の要旨を以下に総括する。

第1章 序論

(背景)

昨今、ユビキタス社会の根幹を支える半導体回路の配線微細化や、ハードディスクドライブの記録密度向上に関して、技術的限界が叫ばれている。この限界を打破する技術として、ナノスケールの微細先端を有するプローブをアレイ化したマルチプローブアレイデバイスを用い、各プローブ先端の摺動接点から微小電流を印加することで光学リソグラフィを凌駕する微小パターンの描画を行ったり、超高密度に情報を記録再生したりする技術が盛んに研究されている。これらの技術の実用化を考えた場合、描画パターンや記録ビットの均一性を保証するために個々のプローブ先端における電気的接触抵抗を低減させるとともに、デバイスの長寿命化のためにプローブ先端の耐摩耗性向上が必要になる。また、プローブ先端の精密位置決めのためには摩擦力の安定化も望まれる。しかしこれらの機能要求は、プローブ先端の摺動系を構成する諸々の因子の影響を介して、互いにトレードオフの関係にある。

互いに二律背反するこれらの要求を両立し得る最適設計の実現のためには、電流が通過するプローブ先端のナノスケール接触面における接触抵抗、摩耗、摩擦力等の各種トライボロジー現象を的確に測定・評価・把握することが必須となる。しかし、従来のナノトライボロジーに関する研究は、清浄・平坦な理想化された系を前提として扱ったものがほとんどであり、デバイスの設計最適化に実践的に適用することを想定したものではなかった。このことが、マルチプローブアレイデバイスの実用化を遅らせる原因の一つとなっていた。

(目的)

こうした背景から本研究では、上記の課題解決を目的として、はじめに、マルチプローブアレイデバイスにおける摺動系の設計最適化の鍵となる、プローブ先端のナノトライボロジー現象を記述するキーファクターを特定し、次に、これらのキーファクターを念頭に置いた各種トライボロジー的機能要求を両立させるための具体的アプローチについて、その実現性の検証を目的とした実験的検討を行う、という2段階のアプローチに基づく取り組みを実施した。そしてこれら検討により得られた知見を元に、マルチプローブアレイデバイスの実用化に向けた、トライボロジー的観点で最適な系のありかたを模索した。

本研究は、マルチプローブアレイデバイスの実用化、ひいてはユビキタス社会の今後の継続的な発展に道を開くものであり、さらには、ナノスケール摺動面において電気的導通を要するMEMS(Micro Electro Mechanical Systems)デバイス全般に対して、その設計の一助となる汎用的指針を提供するものである。

第2章 ナノトライボロジー現象キーファクターの探求

(方法)

摺動系に介在する諸々の因子の中から、『接触抵抗』『摩擦力』『摩耗』の各種プローブ先端ナノトライボロジー現象を記述するキーファクターを特定することを目的とした実験的な検討を行った。具体的には、理想化された系ではなく実際のデバイスに近い材料系、摺動条件を想定した上で、プローブ顕微鏡を用いた実験的アプローチにより、各種ナノトライボロジー現象に影響を及ぼす各種の因子の働きを定量的に評価し、プローブの非摺動接点、摺動接点のそれぞれにおいて生じる物理現象の把握を行った。

(結果)

はじめに、『接触抵抗値』のキーファクターの特定に向けた取り組みを実施した。その結果、非摺動接点においては、物質表面付着物など阻害要因や、接触面における塑性変形の発生により、接触抵抗と接触荷重の関係はHolmらの唱える古典理論から乖離するものの、摺動接触においては、プローブおよび媒体の摩耗によってこうした阻害要因の影響が小さくなり、むしろ接触抵抗挙動は、キーファクターである表面酸化膜厚のみによってシンプルにほぼ決定される傾向に近づくことを示した。具体的には、表面を酸化膜で覆われた媒体に対するプローブ摺動接触時の接触抵抗値は、摩耗により薄くなった酸化膜の最薄部を流れるトンネル電流と、膜のオーミックな抵抗が重ねあわさった複雑な挙動を示すことを明らかにした。一方で、真実接触面積の増大は、接触抵抗値の低減に直接的には寄与せず、むしろ接触荷重一定の条件下においては、面積増大は接触面圧力の低下につながるため、逆に接触抵抗値の増大要因となり得ることを示した。

次に、『摩擦力』『プローブ摩耗』に関するキーファクターの特定に向けた取り組みを実施した。その結果、キーファクターである表面酸化膜厚の大小により、摩擦摩耗現象のモードが変化することを示した。具体的には酸化膜が極端に薄い場合、材料の原子間相互作用による凝着力の影響が顕在化するのに対し、酸化膜が1~3 nmより厚い場合は上述した凝着力の働きが抑制されるため、プローブの摩耗低減、及び摩擦力の安定化に対しては有利に働くことが明らかになった。また、表面酸化膜が1~3 nmより厚い系においては、凝着摩耗の傾向が弱まり、代わってアブレッシブ摩耗の傾向が強まるため、プローブの硬度の増大がプローブ摩耗抑制に対し有効になることが分かった。更に、表面粗さが摩擦力に対してある程度の影響を有し、その影響は表面酸化膜の薄い貴金属媒体のほうが強いことから、表面粗さによって、凝着力の働く真実接触面積の大小が変化している可能性を示唆した。

第3章 ナノトライボロジー特性改善に向けた検討

(方法)

上記の検討により特定されたキーファクターを念頭に置いた上で、各種ナノトライボロジー的機能要求を両立させるための具体的な解決策である、『一般的な鋭利先端プローブを用いた系における材料選択と設計の最適化』『プローブへの耐摩耗構造の導入』『プローブ先端への微小振動印加』の3つのアプローチに着目し、個別にそれらの改善効果確認及び実現性検討を行った。

(結果)

はじめに、一般的な鋭利先端プローブを用いた系における材料選択と設計の最適化によるアプローチの有効性を検証した。第2章での検討により特定されたキーファクターを念頭に置いた上で、『接触抵抗低減』『摩擦力安定化』『耐摩耗性向上』の各種トライボロジー機能要求の両立にとって最適な材料選択手法および設計手法の具体策として、極薄の導電性酸化膜で被覆された貴金属摺動媒体を用い、更に媒体の表面粗さおよび硬度を適宜最適化するというアプローチを提案した。そして、上記のアプローチに沿って選択したRu膜上RuO膜媒体を用いてプローブの長距離摺動試験を実施し、選択された膜が0.3 mの摺動距離にわたって平均106 Ω以下の良好な接触抵抗を維持できることを実証した。一方で、上述した系における導電性酸化膜の材料選定においては、媒体側酸化膜から発生した摩耗粉のプローブへの再付着現象を考慮が必要であることを、Pt膜上ITO膜を用いたプローブ距離摺動試験により明らかにした。

次に、プローブへの耐摩耗構造の導入によるアプローチの有効性を検証した。プローブ耐摩耗構造の導入時における摺動現象を理解するために、媒体の表面粗さや材料硬度を考慮したモデルを考案し、これを元にプローブおよび摺動対象媒体の材料選択指針、および系の設計指針を示した。そして、上記の材料選択指針、設計指針がある程度満たされた系において、50 mmの連続摺動接触における良好な通電の維持を実証し、これにより耐摩耗構造の導入が、『接触抵抗低減』と『耐摩耗性向上』とのトレードオフ関係改善に対して有効であることを示した。

更に、プローブ先端への微小振動印加の導入によるアプローチの有効性を検証した。超高真空透過型電子顕微鏡下AFM(Atomic Force Microscopy)装置を用いた実験により、微小振動印加時のナノプローブ摺動その場観察、および先端接触電流値の同時計測に世界で初めて成功した。この計測系を利用した評価により、摺動接触時のプローブ先端への微小振動印加によって、プローブの飛び跳ねを発生させずに接触抵抗値を一定値以下に維持しつつ、同時にプローブ摩耗量を低減できることを確認し、トレードオフ関係改善への有効性を示した。

第4章 結論

(結論)

以上の検討により得られた知見に基づく結論として、マルチプローブアレイデバイスの実用化に向けた、ナノトライボロジー的観点に基づく最適な摺動系のありかたを世界で初めて明示するに至った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「マルチプローブアレイデバイスの実用化に向けたプローブ先端ナノトライボロジー現象に関する研究」と題し、シリコンマイクロマシニング技術で製作した原子間力顕微鏡やトンネル電流顕微鏡等をデータストレージに応用する際に問題となる尖鋭プローブ先端におけるトライボロジー現象を、接触抵抗低減、耐摩耗性向上、摩擦力安定化の3つの観点から実験的、理論的に検証し考察を加えたものであり、当該分野の課題と解決方策、ナノトライボロジー現象の観察のための実験系の構築、測定結果、および、ナノトライボロジー現象における重要要因の抽出と、諸特性改善方策の提案に関して全4章で構成されている。

第1章は「序論」であり、本研究の背景技術について述べている。情報化社会の進展に伴い、計算機に必要とされる記憶媒体・データストレージの容量増大に対する期待が高まっていることと、その要求に対して、原子間力顕微鏡等のプローブ型顕微鏡構造を多数配列したマルチプローブアレイデバイスを用いることで、誘電体材料、相変化材料、抵抗変化材料等にビット情報を書き込み、かつ、読み出す方式のデータストレージが有効であることを示している。また、当該分野の検討課題としてトライボロジーの観点からプローブ先端における物理化学現象に考察を加え、とくに接触電気抵抗の低減、プローブの耐摩耗性の向上、摩擦力の安定化の3点を重要課題として取り上げ、これらの課題を達成するための方策を含めて、本論文の目的と研究の意義、論文構成について説明している。

第2章は「ナノトライボロジー現象キーファクターの探求」であり、プローブ顕微鏡を用いた実験的評価手法により、プローブ先端の摺動接点におけるナノトライボロジー現象に関する各種の重要因子の抽出方法を記述している。またその結果として、接触抵抗値は記憶媒体表面酸化膜を介したトンネル電流とオーミック抵抗の重ね合わせで記述できることと、摩擦力および摩耗は表面酸化膜の有無による原子間相互作用に起因する凝着力を用いて説明できることを示している。

第3章は「ナノトライボロジー特性改善に向けた検討」であり、第2章の結論を受けて、接触抵抗の低減、耐摩耗性の向上、摩擦力の安定化の3項目を同時に実現するための方策を提示している。すなわち第一に、極薄の導電性酸化膜で被覆された貴金属摺動媒体が最適な材料系であり、これをRu上のRuO膜の摺動試験により実証している。第二に、尖鋭プローブに代わってバルク素材の側壁が耐摩耗構造プローブとして有用であることを示し、最適な材料の組合せの選択指針と構造の設計指針を提示している。また第三に、超高真空の透過型電子顕微鏡装置内で原子間力顕微鏡のその場観察を実施し、微小振動印加条件下でプローブの跳びを発生せずに接触抵抗値を低減し、同時にプローブ摩耗量を低減できることを実験的に示している。

第4章は「結論」であり、マルチプローブアレイデバイスをデータストレージに実用化するため最適な摺動系のありかたを提示する観点から、本論文で示した成果を総括している。

以上これを要するに、本論文は導電性シリコン製ナノプローブ先端の摺動接点におけるトライボロジーを研究対象として、電気的接触抵抗、摩擦力、プローブ先端の摩耗現象を実験的に明らかにするとともに、これらの現象に関して機械工学、材料工学、電気工学、および、応用物理工学等の学術的観点から理論的な考察を深めることでマルチプローブアレイデバイスの実現に向けた設計指針を提示したものであり、先端学際工学に貢献するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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