学位論文要旨



No 129163
著者(漢字) 江頭,祏亮
著者(英字)
著者(カナ) エガシラ,ユウスケ
標題(和) 陽子線治療における線量分布計算アルゴリズムの高精度化とその臨床利用に関する研究
標題(洋)
報告番号 129163
報告番号 甲29163
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8054号
研究科 工学系研究科
専攻 バイオエンジニアリング専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 鷲津,正夫
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 教授 高木,周
 東京大学 准教授 中島,義和
 国立がん研究センター東病院 ユニット長 西尾,禎治
内容要旨 要旨を表示する

放射線は産業のみならず, 現代医療において必要不可欠である.近年, 加速された陽子を体外から照射することによって腫瘍を治療する陽子線治療が注目されつつある.高エネルギー陽子(数10-数100 MeV )は体内に入射すると, 徐々にそのエネルギーを人体に付与する.付与エネルギー, つまり細胞へのダメージは, 粒子が止まる寸前で最大になる.このピークはBraggピークと呼ばれ, 陽子線治療では, このBraggピークを利用することによって, X線治療と比較して標的に対して線量集中性の高い放射線治療を患者に提供することが可能である. 陽子線治療では, 照射パラメータの決定, 照射体積の見積もりを行うために, 実際の治療に先立って治療のリハーサル(陽子線治療計画)を行う必要がある. 臨床運用上, この陽子線治療計画のプロセスとして行われる線量分布計算は高精度かつ高速で行われなければならない.

加速された陽子が体内に入射すると, 人体を構成する原子との相互作用を起こす.この相互作用は大きく分けて, (i) 軌道電子との非弾性散乱による陽子エネルギーの損失, (ii) 原子核との弾性散乱による陽子の偏向(多重クーロン散乱), (iii) 陽子と原子核との原子核反応に大別される.モンテカルロ計算を用いた統計的手法では, 粒子の物理プロセスを追跡することによって, より高精度な計算が可能であるが,非常に多くの計算時間を要するため臨床利用としては不向きである.それゆえに, 陽子の相互作用をどのようにモデル化するかが臨床利用のために重要である.現在用いられている計算手法はペンシルビーム(PB)法 (PBA法)と呼ばれる解析的手法が主流である. PB計算では, 体内における陽子線の側方向の多重クーロン散乱(軸外項)をGauss分布として近似し, 陽子エネルギーの損失と核反応による効果(中心軸の項)を実測により決定する.ある深さにおいて, N個の陽子(位置 y, 角度θ)が含まれる密度分布Φ(y, θ)は, Fermi-Eyges理論従う.この理論において, θ2(z), θy(z), y2(z)phase spaceパラメータと呼ばれ, それぞれ粒子の角度分布, 粒子の位置分布, そして両者の共分散を意味する.PB計算の実装にあたり, PBはボーラスの表面から発生させる(phase spaceパラメータの初期化).それぞれのPBに対して, phase spaceパラメータは人体深部への輸送に伴って増加する. ある深さでの任意座標(x, y)に対する線量分布D(x, y)を計算することができる.PB計算は均質媒体中(水中)において, 高い精度を達成することが可能であるが,一方で不均質媒体中(水中で骨, 空気など存在する場合)における計算精度が低下することが広く知られている.また, 体内不均質の影響は体内のある点までのビームの直進経路によって決定する(1次元密度スケーリング). つまり, この1次元密度スケーリングによって, 側方広がりを示すGauss分布に含まれる陽子のエネルギーは一意的に決定される.このため, このGauss分布で近似された側方広がりには, 実際にはエネルギーの異なる陽子が混在するにもかかわらず,現行のPBA法ではこの粒子の混在をモデル化することは不可能である. 本研究では, 陽子線治療における解析的高精度ペンシルビーム計算法を提案し, 臨床利用に向けた実験的な検証を行うことによって, 陽子線治療計画での時間の制約下における陽子線治療計画に対する臨床技術の発展を目的とする.

本論文では, ペンシルビームの再定義計算法(PBRA計算法)を陽子線治療用に応用した[1-2].粒子の輸送はFermi-Eyges理論に従って行った. 横断面(x-y平面)に対する位相空間(x, y, θx, θy)のみならず, エネルギーを考慮した位相空間を考慮することにより, 計6パラメータ(x, y, θx, θy, z, E)を取り扱う粒子の再定義計算を行った. ビームの再定義は輸送計算のステップ(Δz)毎に行った. 人体との相互作用は従来法と同様にエネルギーの付与を実測で, 多重クーロン散乱を近似計算にて行った. 再定義計算によって, Phase spaceパラメータの1つであるy2(z)を初期化し, 制限されたサイズのペンシルビームを用いて線量分布計算を行う.PBRA計算法では, 粒子位置の位相空間のみならず, エネルギー空間を考慮している.これによって従来のペンシルビームが再現できない陽子の迂回経路を再現することができる.この方法を実装することによって, Gauss分布内に含まれる陽子のエネルギー混在の問題に対してアプローチを行った.

まず, PB計算法のアルゴリズムとしての妥当性を検証するために, 計算グリッドサイズを変化させることによるPBの広がりを評価した。初期残余飛程200 mm, のペンシルビームを水中に照射する系に対して計算を行った。また, PBRA計算法に対する側方分割数の評価を行った. 初期ビームサイズ(Gauss分布の標準偏差)4.25 mmのビームに対して, 側方の分割数を変化させることで陽子フルエンスの計算を行った.分割ビームの間隔を1.0 mmとした場合, 収束値に対するフルエンスの相対誤差は+0.15%となった.

次に, ペンシルビームを分割することによる単純な不均質媒体に対する陽子線線量分布への影響の評価を行った. 続いて, PBRA計算法による計算結果とファントム測定の結果の比較による精度向上の評価を行った.本研究では, 1度の照射で二次元的な線量分布をモニタ可能な2D-ARRAY(PTW, Freiburg, Germany)と呼ばれる空気解放型2次元電離箱を陽子線測定器として採用した.測定器そのものの再現性は0.2%であり,線量の依存性はなかった.評価における計算結果は検出器サイズ(5 mm x 5 mm)で重畳積分を行うことで測定結果と比較した.また,放射線治療計画はCT画像を元に作成され,線量分布計算の最小単位もCT画像のピクセル値であることから, 線量計算時のグリッドサイズは2.0 mmとした.

ポリエチレンを積み上げることで作成した不均質スラブファントムに対して, 2D-ARRAYを用いることであるスライスでの二次元線量分布を測定した.併せてこの体系において, PB計算を行った.PB計算では, 分割数を0, 1, 2回と変化させることで, PB分割による不均質媒体に対する線量分布への影響を調べた.測定によって得られた側方線量分布には, Braggピークとその奥に特異的な線量低下/増加が見られた.PB計算では, PBの分割回数が増加するに従って測定値との相違は小さくなった.また,分割数を2回として計算する際に2回目の分割深さの位置を変化させたところ, 2回目に分割する深さが不均質媒体に近づくと, 計算値と測定値の相違が小さくなることが明らかになった.体内において不均質媒体は複雑に入り組んでおり, 不均質スラブファントムのように不均質媒体位置は明確ではない.そのため, 実際の人体内でPBRA計算法を実装する場合, 各輸送計算でビームを再定義することが妥当であると考えられる.

続いて, PBRA計算法による計算結果とファントム測定の結果の比較による精度向上の評価を行った. PBRA法の精度向上の評価には, 不均質スラブファントムに加えてRANDOファントムと呼ばれる人体の構成を模擬した模擬人体ファントム(頭頚部のみ)を使用した. ファントムはZ=1-6のスライスから成り, 各深さにおいて2D-ARRAYを用いて線量分布測定を行った. 測定結果と計算結果(PBA法, PBRA法)を比較することによってPBRA法を評価した.線量分布プロファイルを比較すると, PBRA法は特にビームの終端でPBA法の計算結果を上回った. さらに二次元線量分布を評価するために, Gamma解析(測定点を合格率(pass rate)によって評価)によって2つの計算手法を評価した.スライスZ=1からZ=3までは両者のpass rateは90%を超えたが,PBA法では, ビームの不規則な迂回経路を再現不可能であることから, Z=4, Z=5においてpass rateはそれぞれ46 %, 14 %となった.一方で, PBRA法のZ=4, Z=5におけるpass rateはそれぞれ89 %, 67 % とPBA法の結果を上回った. このスライスでは, PBRA計算法は測定値に対して過小評価となったが, これは(i) CT値をWEL変換する際の変換誤差, (ii)ファントムのセットアップに対する位置誤差, (iii) PBRA計算法そのものの精度限界に依存すると考えられる. さらに, Graphic Processing Unit (GPU)を用いたPBRA法の高速化を行った結果, PBRA計算法に対する計算時間はCPU使用時の4.6倍 (59.1 sec)に高速化された.

また, 臨床利用を目指して陽子線治療計画システムを開発した.システムの操作性は従来のシステムを元に設計したが,従来法であるPBA法とGPU処理に基づくPBRA法を共に線量分布計算モデルとして実装していることを特徴とする.これによって, 計算モデルの違いによる陽子線線量分布の違いを症例毎に調べることが可能であり, PB再定義計算法の臨床的メリットを明らかにした上で, GPU計算に基づくPB再定義計算法の陽子線治療における臨床利用を目指すと共に治療計画技術の発展を目指す.

もし将来的にリアルタイムに(計算時間が無視できる程短い)線量分布計算が行えたりするようなシステムがハードウェア, ソフトウェア的に実現可能であれば, 陽子線治療計画のプロセスは大きく変わることが考えられる. また,陽子線治療における照射法は, 散乱体法だけではなくペンシルビームスキャニング照射法(PBS照射法)による照射法が広まりつつある.PBS照射法における線量分布計算では, 線量分布の最適化計算におけるiterationのプロセスとして, 数十回の線量分布計算が必要となる.そのため, 高速な線量分布計算法はもちろん計算精度の優れた解析的線量分布計算法が必要とされる.このような観点において, GPU処理に基づくPB再定義計算法はリアルタイム線量分布計算とPBS照射法の線量分布計算に対しての拡張性を持つ計算手法であるといえる.提案手法がこれらへの応用されることによって, 陽子線治療の更なる臨床的意義の証明と普及の後押しとなり, 世界中のがん患者に対して福音となることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は陽子線治療における線量分布計算アルゴリズムの高精度化とその臨床利用の研究に関するものである.陽子線の特徴を生かしたより高精度な陽子線治療を患者に提供するため, 現在実臨床で用いられている線量分布計算法であるペンシルビーム計算法の精度上の課題が検討され, 実臨床で利用可能な陽子線治療計画システムの構築の必要性が熟慮されている.さらにその理念に基づき, シミュレーションシステムの実臨床での利用を可能にする,高速高精度ペンシルビーム計算アルゴリズムの研究開発を行ったものである.

第一章は序論で, 医療における放射線の重要性, また陽子線治療の歴史や陽子線治療の放射線治療における位置づけの説明を行っている.

第二章は陽子線治療における物理と臨床について述べている.陽子と人体とのクーロン相互作用による陽子エネルギーの付与や, 陽子の進行方向の偏向といった物理現象を説明している.また,陽子線治療システムは加速器システム, ビーム輸送システム, 治療計画システムから成ることを踏まえて, 治療計画システムにおける線量分布計算の重要性を計算精度と計算時間の観点から説明している.

第三章は陽子線治療の治療計画システムにおける線量分布計算の方法について体系的に説明している.モンテカルロ計算法は, 物理の素過程を粒子毎に追跡するという点で高精度な計算が可能であるが,1つの症例に対して数時間にも及ぶ計算時間を要するため, 時間の制約上, 臨床利用が困難であるという問題点がある.その状況下において, 解析的計算手法であるペンシルビーム計算法(PBA法)についての計算アルゴリズムについて述べるとともに, 臨床でのPBA法の有用性を論じている.PBA法は測定値をベースとした近似計算法であり, ビームの進行方向に対して側方向の位相空間の変化を考慮し, 側方の多重クーロン散乱に対する効果を, ガウス分布近似によって計算を行うといった特徴がある.一方で, 陽子線治療計画におけるPBA法の近似限界を, 人体の不均質媒体中での計算精度の観点から示しており, 不均質媒体中での線量分布計算精度の向上の必要性が述べられている.そのため,本研究の目的は陽子線治療における治療計画の技術発展を目指した高精度線量分布計算アルゴリズムの開発であることとしている.

第四章では論文の根幹でもあるペンシルビームの再定義計算法(PBRA法)の概念や実装について論じられている.PBRA計算法の最大の特徴は, 側方向の位相空間の変化に加えて, エネルギーの位相空間の変化を考慮した六次元の位相変化を評価することによって輸送計算毎にPBを再定義することが可能である点である.このPBRA計算法における物理的特性によって, 再定義によって再発生したPBは, 従来のPBの軌跡が考慮することのできないビームの軌跡を描くことが可能であることを示している.

また, PBRA計算法のアルゴリズムとしての妥当性を確認した上で, PBを分割することによる不均質媒体に対する線量分布への影響の評価を行っている.この評価では, 人体の不均質を模擬した異なる2つのファントムを作成し, PBの深さ毎の分割数が増加するにつれ計算値と測定値の相違が小さくなることを確認し, 更に不均質媒体の直上でPBを分けることによって精度が向上することを示している.

続いて, PBRA計算法による計算結果とファントム測定の結果の比較による精度向上に対する評価を行っている.この評価では, 上記の不均質スラブファントムに加えて, より人体の構造に近い模擬人体ファントムを用いており, PBRA計算法がPBA法に対して, より人体に近い体系に対して計算精度が向上することを示している.

第五章は, 前章までに得られた知見を基に, PBRA計算法の計算精度に影響する様々な項目について詳細な考察がなされている. 更に, アルゴリズムの高速化と, 高速PBRA計算法を搭載した陽子線治療計画システムの開発を行っている.

第六章は, 本論文で提案された陽子線治療におけるPBRA計算法の今後の展開と共に結論が述べられており, 今後の発展を期待させ,非常に貴重かつ重要な見解であるといえる.

以上のように本論文は, 陽子線治療計画システムに関して実臨床で利用可能な高速・高精度であるPBRA計算法を提案したものである.また, 提案した線量分布計算アルゴリズムを搭載した陽子線治療計画システムを構築することで, 人体における不均質媒体に対して計算精度を向上させた陽子線治療計画が可能となることが示唆されている.本論文で考案しているPBRA計算法を搭載した陽子線治療計画システムの実用が臨床における治療計画技術の発展に多大に寄与することが期待でき, 工学、バイオエンジニアリングでの研究成果が国民生活へ貢献可能であることを示した非常に意義のある論文であると言える.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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