学位論文要旨



No 129164
著者(漢字) 加藤,啓
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ケイ
標題(和) チップ電気泳動法を用いたエキソソームの1粒子計測に関する研究
標題(洋)
報告番号 129164
報告番号 甲29164
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8055号
研究科 工学系研究科
専攻 バイオエンジニアリング専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 一木,隆範
 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 教授 高井,まどか
 東京大学 准教授 馬渡,和真
 東京大学 准教授 加藤,大
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

細胞は性状やサイズの異なる様々な細胞外小胞体 (extracellular vesicles)を分泌しており、このうち、エンドソーム由来で直径100 nm以下に分布を有するとされるナノベシクルがエキソソ-ムである。近年、このエキソソームが細胞間コミュニケーションにおいて重要な役割を果たしている可能性が指摘され、また、がん等の疾患の新規バイオマーカーとして大きな注目を集めている。しかし、現在エキソソームのような不均一なナノ粒子の集団を分離・計測する技術の精度や信頼性が課題となっており、エキソソーム分析のための手法の確立が必要とされているのが現状である。そこで本論文では、従来技術でカバーできなかったエキソソームのようなメゾスコピックな大きさのバイオナノ粒子に対して、バイオデバイス技術の応用を試み、エキソソームの1粒子分析という手法を提案した。具体的には、オンチップ粒子電気泳動を応用したエキソソームの1粒子計測によって、バイオデバイス技術がバイオナノ粒子の分析に有用であることを実証するとともに、エキソソーム診断の可能性を明らかにすることを目指した。

2章 ナノリポソームの1粒子電気泳動計測

本章では、エキソソーム計測のための前段階として、エキソソームのモデル粒子を用い、チップ電気泳動法がナノバイオ粒子の1粒子計測に有効であること実証するとともに、ナノ計測に特有の現象や課題の検討を行った。

まず、エキソソームのモデル粒子としてアニオン性のリポソームを調製し、蛍光イメージングのために内部に蛍光物質を内封させた。ゼータ電位は負電荷脂質PSの割合によって制御し、粒子の変形等の影響がなく安定して電気泳動可能な脂質割合を選択した。粒子径は2ステップのフィルタリングで制御し、精製したGUVのみメンブレン(孔径: 50-1000 nm)を通すことによって、単分散かつ分散の小さいリポソームを作製した。

測定システムは主に、μCEチップ、白金電極、直流電源レーザー光源、倒立顕微鏡、EM-CCDカメラで構成し、マイクロキャピラリー内に導入した蛍光リポソームをレーザーで励起し、その蛍光をEM-CCDカメラで検出することで、蛍光イメージングでの電気泳動計測を可能とした。

ナノリポソーム (メンブレン径: 50 nm)のゼータ電位計測を行った結果、本チップ電気泳動システムによる1粒子計測は、レーザードップラー法と比較して正確なゼータ電位分布を取得できることが示された。また、ナノリポソームのゼータ電位の標準偏差は、粒子径の大きなリポソーム(メンブレン径: 100-1000 nm)よりも2倍以上が大きくなる現象を明らかにした。さらに、このゼータ電位のばらつきの原因を詳細に検討し、最も大きな要因をリポソーム脂質膜に含まれる負電荷脂質分子PSの統計的ゆらぎの影響によって説明するとともに、ゼータ電位の相対標準偏差を、リポソームの直径d、PSのモル組成比XPS、脂質分子の面密度σ、統計的ゆらぎ以外の誤差EMξを用いて定式化した。実際この式を用いて、直径dの関数で実験値にフィッティングした場合と、PS比XPSの関数で実験値にフィッティングした場合を比較すると、両者のσ及びEMξはよく一致し、かつ面密度σは文献値とも近い値が得られ、導出した式の妥当性が示された。

以上のように、2章では、チップ電気泳動法がナノバイオ粒子の分析に有効であることを示すとともに、ナノ領域の計測においては、分子数が極端に少なくなることに起因する統計的ゆらぎの顕在化という現象・課題が生じ得るという重要な知見を明らかにした。

3章 エキソソームの1粒子電気泳動計測

本章では、実際のエキソソームの電気的性状を明らかにするために、チップ電気泳動システムを応用して正常細胞及びがん細胞胞由来のエキソソームの1粒子電気泳動計測を行い、エキソソームの表面性状について検討を行った。

エキソソームサンプルは細胞の培養上清から分画超遠心法により精製した。細胞サンプルは、ヒト乳腺上皮細胞MCF10A、2種類のヒト乳がん細胞乳がん細胞MDA-MB-231 (MM231)及びMDA-MB-231-D3H2LN (MM231LN)、ヒト前立腺上皮細胞PNT2、2種類のヒト前立腺がん細胞PC-3及びPC-3 MLの全6種類を用いた。測定システムは、レーザー暗視野顕微イメージングとμCEチップ電気泳動法を組み合わせ、エキソソームの1粒子計測を可能に構成した。

上記6種類の培養細胞由来のエキソソームの1粒子のゼータ電位を測定した結果、がん細胞由来のエキソソームのゼータ電位分布は、正常細胞由来のエキソソームのゼータ電位分布に比べて負にシフトすることを示した。この結果は、由来細胞のゼータ電位の変化と同傾向であり、エキソソームと由来細胞のゼータ電位には強い相関があることが明らかにされた(相関係数=0.92)。さらに、エキソソーム表面が由来細胞表面の性状を反映する原因について考察し、細胞のがん化による糖鎖のシアル酸の変化を、エキソソームも反映している可能性に言及した。この仮説を実験的に検証するため、前立腺上皮細胞由来のエキソソームと前立腺がん細胞由来のエキソソームについて、シアル酸切断酵素(シアリダーゼ)で表面処理して1粒子ゼータ電位計測を行った。その結果、処理後はゼータ電位が正にシフトし、さらに立腺上皮細胞由来と前立腺がん細胞由来のエキソソームの電位差は小さくなることを示が示された。すなわち、エキソソームの由来細胞によるゼータ電位の差は糖鎖のシアル酸の発現量を反映していると考えられ、仮説の妥当性が確認された。

以上のように3章では、チップ電気泳動法を応用してエキソソームの1粒子電気泳動計測を行い、エキソソーム表面の電気的性状について明らかにするとともに、エキソソームが由来細胞の表面性状を反映していることを実験的に示した。

4章 エキソソーム表面の免疫反応性評価への応用

本章では、簡便かつ高感度なエキソソームの膜タンパク質分析方法の構築を目的として、オンチップ免疫電気泳動法によってエキソソーム表面の免疫反応性を評価し、エキソソーム診断の可能性を検討した。

まず、抗体標識によってエキソソームの平均ゼータ電位が変化するか確認した。CD10抗原の発現量が異なる乳性上皮細胞MCF10A及び乳がん細胞MM231、また、HER2抗原の発現量が異なる乳がん細胞SK-BR-3及びMM453を利用して、これらの培養上清からエキソソームを精製した。PALS法によりこれらエキソソームの平均ゼータ電位を計測した結果、由来細胞の抗原の発現量に応じてエキソソームの平均ゼータ電位が変化することが示された。この結果は、エキソソーム表面にCD10抗体やHer2抗体が特異的に結合して、ゼータ電位の変化を引き起こしたものと考えられ、エキソソームの免疫反応の有無を、ゼータ電位を指標として判定できることが示された。

続いてオンチップ免疫電気泳動によってエキソソーム1粒子の免疫反応性が評価できるか検討した。乳がん細胞MM231由来のエキソソームに、エキソソームマーカーであるCD63抗体を作用させて、チップ電気泳動法による1粒子ゼータ電位測定を行った結果、ゼータ電位ヒストグラムのピークは正の方向へシフトした。この結果は、オンチップ免疫電気泳動によって、エキソソーム1粒子レベルの免疫反応性を高感度に判定できることを示すものである。

さらに、担がんマウスの血中エキソソームのオンチップ免疫電気泳動を行い、エキソソーム診断への応用可能性を検討した。ヒト乳がん細胞MM231LNをヌードマウス(♀)に移植し、移植後30日目に採血した血漿から、分画超遠心法にて血中エキソソームを精製した。ヒト細胞由来のエキソソームマーカー(マウス細胞由来のエキソソームには作用しない)であるCD63抗体、MM231LN細胞のマーカーであるCD44抗体を血中エキソソームに作用させ、免疫電気泳動実験を行った結果、ヒト乳がん細胞MM231LN由来のエキソソーム表面の免疫反応によって、ピークが分離したゼータ電位のヒストグラムが得られた。この結果は、本章で提案した手法によって、血漿中に少量含まれるがん細胞由来エキソソームの1粒子免疫性を高感度に判定できることを意味するものである。

以上のように4章では、ゼータ電位を指標としてエキソソーム表面の免疫性反応を評価できることを示した。また、オンチップ免疫電気泳動法は、1粒子レベルの免疫反応を評価可能なため、サンプル中のわずかながん等の疾患エキソソームも検出可能であり、エキソソーム診断へも応用できる可能性を示した。

5章 結論

本論文では、バイオデバイス技術をバイオナノ粒子計測に展開し、チップ電気泳動法を応用したエキソソームの1粒子計測という新規なエキソソーム分析法を提案した。そして、バイオデバイス技術が、エキソソームのようなナノバイオ粒子の分析に有効であることを実証し、エキソソーム診断にも応用できる可能性を示した。これらの成果は、バイオナノ粒子の分析法の新しい方向性を示し、生命現象におけるエキソソームの役割の解明や、エキソソームを利用した診断・治療の実現といった医学・生命科学の更なる発展に貢献するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

細胞は性状やサイズの異なる様々な小胞体を分泌している。これらの内、エキソソ-ムはエンドソーム由来で100 nm以下に直径が分布するナノベシクルである。近年、このエキソソームが細胞間コミュニケーションにおいて重要な役割を果たしている可能性が指摘され、また、がん等の疾患のバイオマーカーになりうるとの報告が相次ぐなど、生物学、医学の分野において重要な研究対象となっている。しかしながら、エキソソームのような不均一なナノ粒子の集団を分離・計測するために有効な分析方法、装置の不在が顕在化しており、エキソソーム分析法の確立が、エキソソーム研究の大きな課題となっている。そこで本論文では、従来技術でカバーできなかったエキソソームのようなメゾスコピックな大きさのバイオナノ粒子に対して、バイオデバイス技術を応用展開し、エキソソームの1粒子分析手法を提案し、その疾患診断への応用を目指している。具体的には、マイクロキャピラリーチップ粒子電気泳動を応用したエキソソームの1粒子計測によって、個々のエキソソームの免疫反応性評価の可能性を明らかにしている。本論文は全5章からなる。

第1章では、研究の背景と目的、ならびに論文の構成を示している。エキソソームに代表される細胞外小胞体の医学および生物学における研究の歴史的背景と現状を概説した上で、エキソソーム分析のための手法、ツールが現在確立されていないという重要な課題を明らかにしている。この課題解決のため、エキソソームを分析対象としてマイクロ流体デバイス技術を応用した計測方法を開発することの意義を述べている。

第2章では、提案するマイクロキャピラリーチップ電気泳動システムの概要について述べた後に、エキソソーム計測のための前段階として、エキソソームのモデル粒子を用い、チップ電気泳動法がナノバイオ粒子の1粒子計測に有効であることを述べている。さらに、ナノ領域の大きさを有する小胞体の計測においては、小胞体を形成する分子数が極端に少なくなることに起因する統計的ゆらぎがゼータ電位測定においても顕在化するという事実を実験的に初めて明らかにしている。

第3章では、チップ電気泳動システムを応用して正常細胞及びがん細胞胞由来のエキソソームの1粒子電気泳動計測を行い、エキソソーム表面の電気的性状を評価するとともに、由来細胞の表面性状との相関も明らかにしている。特に、がん細胞由来のエキソソームのゼータ電位が正常細胞由来のエキソソームのゼータ電位に比べて負にシフトすることを示し、この原因について、由来細胞表面の生物学的性状、すなわちがん化に伴う糖鎖の発現量の変化がエキソソーム表面においても継承される可能性についても実験で示している。

第4章では、簡便かつ高感度なエキソソームの膜タンパク質分析方法として、オンチップ免疫電気泳動法によるエキソソーム表面の免疫反応性評価法について述べている。乳がん細胞由来のエキソソームに、エキソソームマーカーであるCD63抗体を作用させて、エキソソームの免疫電気泳動計測を行った結果、エキソソーム表面の膜タンパク質の免疫反応性を、ゼータ電位を指標にして評価できることを明らかにしている。さらに、エキソソーム診断の可能性を検討するために、乳がん細胞を移植したマウスの血漿由来のエキソソームの免疫電気泳動法を行った結果、担がんマウス血漿中にわずかに含まれる乳がん細胞由来のエキソソームが検出できたことが示されている。

第5章は以上の総括であり、さらに、バイオデバイス技術を応用したエキソソーム分析法の今後の展望について述べている。

以上のように、本論文は、バイオデバイス技術を応用してエキソソームの電気泳動度を1粒子レベルで計測するための方法論を提案し、実際に培養細胞および血液由来のエキソソームの評価実験を通して、その有用性を実証したものである。本論文で創出された新しい方法論は、生体由来ナノ粒子であるエキソソームに限らず、ドラッグデリバリーシステムで利用されるナノミセルなど人工的なナノ粒子など広い範囲のナノベシクルを対象として、その機能を精密に評価する上で大変有用であり、これらの生物学的な意味の理解に貢献するのみならず、近い将来、早期診断、治療などの医学分野におけるナノベシクル応用を進める際の技術的基盤を与えるものである。本論文におけるこれらの成果は、バイオエンジニアリングの観点から有用性が高く、学術的にも価値が高いと判断される。

よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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