学位論文要旨



No 129165
著者(漢字) 竹原,宏明
著者(英字)
著者(カナ) タケハラ,ヒロアキ
標題(和) In vivo細胞研究のための埋め込み型マイクロ流体デバイス技術
標題(洋) Implantable microfluidic device technology for in vivo cell analysis
報告番号 129165
報告番号 甲29165
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8056号
研究科 工学系研究科
専攻 バイオエンジニアリング専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 一木,隆範
 東京大学 教授 田畑,仁
 東京大学 教授 藤井,輝夫
 東京大学 准教授 馬渡,和真
 東京大学 教授 吉田,亮
内容要旨 要旨を表示する

マイクロ流体デバイス技術はこれまで、生体分子や細胞、組織といった生体サンプルを生体外(ex vivo)で操作、計測するためのバイオ分析ツールとして主に発展してきた。しかし、細胞の生体内での本来の機能は、細胞周囲の環境や他の細胞との相互作用に大きく影響されるものが多い。そこで、マイクロ流体デバイス技術の応用範囲を生体内(in vivo)細胞の分析にまで拡張できれば、生物学、医学の発展の基盤となる新たな研究ツールを提供できるものと期待される。以上の背景の下、本論文は、マイクロ流体デバイスの分析対象を動物個体へと拡張した「埋め込み型マイクロ流体デバイス技術」を提唱し、埋め込み型デバイスに特有の設計指針の導出、要素デバイス技術の開発、及び試作デバイスによる有用性の実証についてまとめたものである。具体的には、マウスを用いる神経科学研究に利用するための埋め込み型デバイスの実現を目指して、物理的、物理化学的、ならびに生物学的観点から求められるデバイスの設計指針を明らかにし、さらに、埋め込み型デバイス特有の課題を解決するべく適正化されたデバイス製造技術とデバイス設置手術を開発し、マウス頭部に埋設可能な光学観察、試薬投与機能をもつマイクロ流体デバイス技術を試作した。その結果、神経科学分野でこれまで技術的に困難とされてきた試薬投与を伴った状態での生きたマウス脳組織の長期経過観察を達成し、埋め込み型マイクロ流体デバイス技術の有用性を示した。

本論文は全5章から構成されており、以下に本論文の構成を記す。まず、第1章では、本研究の背景及び目的について述べる。次に、第2章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスの設計指針について生体への低侵襲性、光学顕微イメージング機能、流体制御機能の3つの観点から論じた。第3章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスに特有の課題を解決するためのデバイス製造技術及び要素技術の開発についてまとめた。第4章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスを用いてin vivo細胞研究を進めるためのin vivo実験技術の開発、及び実際に開発したデバイスのin vivo細胞研究への応用についてまとめた。第5章では、本論文全体の内容を総括した。以下に本論文の各章の概要を記す。

第1章は序論であり、マイクロ流体デバイス技術の歴史的経緯と現状をまとめ、本論文の背景及び意義を述べている。これまでのマイクロ流体デバイス研究においては、生体分子、細胞、組織が分析の主な対象であり、ex vivo計測ツールとして発展してきたことを示した上で、分析対象を動物個体へと拡張することの意義を明確にした。そして、神経科学を含む生物学・医学分野でのin vivo細胞研究の現状と特に生体の光学顕微イメージングを用いる研究手法の最近の進歩を概説し、その有用性及び課題を明らかにした。最後に、マイクロ流体デバイスを軸とするバイオデバイス技術の導入がin vivo細胞研究における技術的制限を少なからず克服しうることを述べ、本論文の目的を明らかにした。

第2章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスの設計指針の導出について述べている。まず、デバイスの設計要求を生体への低侵襲性、光学顕微イメージング機能、流体制御機能の3つの観点から議論し、マウス頭部に埋設可能なデバイスの基本設計を明らかにした。具体的には、まず、動物個体への負荷を軽減するための微小化、細菌感染の回避のための滅菌処理が求められる。また、2光子顕微鏡を用いた高分解能イメージングを行うための光学特性と脳の拍動の抑制が求められる。そして、組織を損傷しない方法での実験試薬の脳組織への投与及び脳組織中の試薬濃度のコントロールが求められる。さらに、基本設計に基づき試作したデバイスの特性の評価方法について、デバイスがマウスの脳組織上に設置された状態を一体化したシステムとして考え、総合的に評価する必要性を提言した。具体的には、光学イメージング時の分解能及び脳組織中の光の減衰係数、流体操作時の脳組織への流体圧力負荷について実験ならびに数値解析により評価し、高分解能・深部観察を伴う顕微光学イメージング及び生体への低侵襲な流体制御のための設計仕様を明らかにした。

第3章では、第2章で導出された設計指針に基づき、埋め込み型マイクロ流体デバイスに特有の課題を解決するデバイス技術について述べている。まず、埋め込み型マイクロ流体デバイスのプラットフォームとなるチャンバーユニットの開発について述べた。さらに、長期にわたり飼育されるマウスにチャンバーユニットを設置、運用する過程で明らかになった課題を示し、その解決策となる要素デバイス技術を開発した。具体的には、まず、デバイス外部からの細菌や気泡が混入するリスクに対し、ハイドロゲル試薬透過膜付き埋め込み型デバイスを開発した。接合が困難とされるハイドロゲルと固体の接合プロセスを開発し、マイクロ流路構造を有するpoly(dimethylsiloxane) (PDMS)の底面に高強度ハイドロゲルであるtetra-poly(ethylene glycol) (tetra-PEG gel)膜を形成したハイドロゲル試薬透過膜付き埋め込み型デバイスを実現した。また、埋め込み型デバイスの流体制御にはシステム全体の微小化が必須であり、既存のマイクロ流体バルブ技術の適用が困難という課題があった。そこで、ポリマーの形状記憶特性で動作するマイクロ流体バルブを開発した。本バルブ技術は、一時的な昇温がポリマーの相転移の"trigger"となり形状記憶ポリマー内部に蓄えられたひずみエネルギーが放出されて駆動し、エネルギーの継続的な投入なしでバルブ動作を継続可能であるため、自由行動下のマウスに搭載するデバイスのバルブ技術として有用である。本バルブ技術を適用し、流体制御ユニット付き埋め込み型デバイスを実現した。

第4章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスを用いてin vivo細胞研究を進めるためのin vivo実験技術を開発し、実際に開発したデバイスを神経科学へ応用している。従来、神経科学の分野では計測のためにマウスに開頭手術を施すことでさえも脳組織の炎症等の悪影響をもたらす恐れが議論されてきた。これに対し、酵素処理による硬膜の除去など、デバイス設置手術時の脳組織への機械的刺激を極力低減した低侵襲デバイス設置手術法を開発することで、デバイス設置時のマウスの脳組織の炎症反応を回避し、本来の状態を維持して神経細胞の機能評価が可能になることを示した。次に、生体組織の高分解能顕微イメージングを実現するには、イメージング部位の生体組織の拍動の抑制が不可欠である。頭蓋骨に固定した埋め込み型マイクロ流体デバイスが機械的にイメージング部位の拍動を抑制することで、脳の拍動による画像のブレが生じずサブμmレベルの高分解能観察が実現し、神経細胞樹状突起上の棘状の微小構造であるスパインを観察することに成功した。そして、デバイスを用いて大脳皮質へ定量的に実験試薬を投与するためには、大脳皮質内の試薬の拡散現象を把握する必要がある。そこで、脳組織中の蛍光試薬の拡散移動を2光子顕微鏡により3次元的に測定し、デバイス-脳モデルを用いた流体数値シミュレーションにより脳組織中の試薬拡散現象を解析した。デバイスを用いた試薬導入時の脳組織中の試薬の移動挙動をよく再現するモデルの構築により、イメージング部位の脳組織中の試薬濃度の算出に加え、試薬導入の送液速度、送液時間及び試薬濃度といった実験条件の最適化が可能となった。最後に、本手法を神経科学研究へと応用し、脳組織への試薬投与を伴った1ヶ月以上の長期にわたる同一神経細胞の経過観察、並びに2光子光化学顕微鏡法によるスパインシナプス刺激後の経過観察に成功している。以上より、in vivo実験を要する神経科学への応用の実践及びその成果から、埋め込み型マイクロ流体デバイス技術のin vivo細胞研究の新たなツールとしての有用性を実証した。

第5章では、本論文により得られた結果を総括した。

以上、本論文はマイクロ流体デバイスの分析対象を動物個体へと拡張した「埋め込み型マイクロ流体デバイス技術」を開発し、生体内での細胞研究のための新たな方法論を提示する研究をまとめたものである。本論文の成果は、in vivo細胞研究を要する生物学・医学のみならず再生医療や創薬といったバイオエンジニアリングの各分野に波及効果を有する。

審査要旨 要旨を表示する

マイクロ流体デバイス技術はこれまで、生体分子や細胞、組織といった生体サンプルを生体外(ex vivo)で操作、計測するためのバイオ分析ツールとして主に発展してきた。しかし、細胞の本来の機能は生体内で他の細胞と相互作用し、調和した状態でなければ発現されないものが多い。即ち、マイクロ流体デバイス技術の応用範囲を生体内(in vivo)細胞の分析にまで拡張できれば、生物学、医学の発展の基盤となる新たな研究ツールを提供できるものと期待される。そこで、本論文は、マイクロ流体デバイスの分析対象を動物個体へと拡張した「埋め込み型マイクロ流体デバイス技術」を提唱し、試作デバイスによる有用性の実証を行うとともに、埋め込み型デバイスに特有の設計指針、要素デバイス技術の開発についてまとめている。具体的には、マウスを用いる神経科学研究に利用するための埋め込み型デバイスの実現を目指して、物理的、物理化学的、ならびに生物学的観点から求められるデバイスの設計指針を明らかにし、さらに、埋め込み型デバイス特有の課題を解決するべく適正化されたデバイス製造技術とデバイス設置手術を開発し、マウス頭部に埋設可能な光学観察、試薬投与機能をもつマイクロ流体デバイス技術を試作している。その結果、神経科学分野でこれまで技術的に困難とされてきた試薬投与を伴った状態での生きたマウス脳組織の長期経過観察を達成し、埋め込み型マイクロ流体デバイス技術の有用性を示している。

本論文は全5章から構成されている。

第1章は序論であり、マイクロ流体デバイス技術の歴史的経緯と現状をまとめ、本論文の背景及び意義を述べている。これまでのマイクロ流体デバイス研究においては、生体分子、細胞、組織が分析の主な対象であり、ex vivo計測ツールとして発展してきたことを示した上で、分析対象を動物個体へと拡張することの意義を明確にしている。そして、神経科学を含む生物学・医学分野でのin vivo細胞研究の現状と特に生体の光学顕微イメージングを用いる研究手法の最近の進歩を概説し、その有用性及び課題を明らかにしている。最後に、マイクロ流体デバイスを軸とするバイオデバイス技術の導入がin vivo細胞研究における技術的制限を少なからず克服しうることを述べ、本論文の目的を明らかにしている。

第2章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスの設計指針の導出について述べている。まず、デバイスの設計要求を生体への低侵襲性、光学顕微イメージング機能、流体制御機能の3つの観点から議論し、マウス頭部に埋設可能なデバイスの基本設計を明らかにしている。さらに、デバイス特性の評価方法について、デバイスがマウスの脳組織上に設置された状態を一体化したシステムとして考え、総合的に評価する必要性を提言している。具体的には、光学イメージング時の分解能及び脳組織中の光の減衰係数、流体操作時の脳組織への流体圧力負荷について実験ならびに数値解析により評価し、高分解能・深部観察を伴う顕微光学イメージング及び生体への低侵襲な流体制御のための設計仕様を明らかにしている。

第3章では、第2章で導出された設計指針に基づき、埋め込み型マイクロ流体デバイスに特有の課題を解決するデバイス技術について述べている。まず、埋め込み型マイクロ流体デバイスのプラットフォームとなるチャンバーユニットの開発について述べている。さらに、長期にわたり飼育されるマウスにチャンバーユニットを設置、運用する過程で明らかになった課題を示し、その解決策となる要素デバイス技術を開発している。具体的には、デバイス外部からの細菌や気泡が混入するリスクに対し、ハイドロゲル試薬透過膜付き埋め込み型デバイスを開発している。また、埋め込み型デバイスの流体制御にはシステム全体の微小化が必須であり、既存のマイクロ流体バルブ技術の適用が困難という課題があった。そこで、ポリマーの形状記憶特性で動作するマイクロ流体バルブを開発し、自由行動下のマウスに搭載可能な流体制御ユニット付き埋め込み型デバイスを実現している。

第4章では、埋め込み型マイクロ流体デバイスを用いてin vivo細胞研究を進めるためのin vivo実験技術を開発し、実際に開発したデバイスを神経科学へ応用している。従来、神経科学の分野では計測のためにマウスに開頭手術を施すことでさえも脳組織の炎症等の悪影響をもたらす恐れが議論されてきた。これに対し、酵素処理による硬膜の除去など、デバイス設置手術時の脳組織への機械的刺激を極力低減した低侵襲デバイス設置手術法を開発することで、デバイス設置時のマウスの脳組織の炎症反応を回避し、本来の状態を維持して神経細胞の機能評価が可能になることを示している。最後に、本手法を神経科学研究へと応用し、脳組織への試薬投与を伴った1ヶ月以上の長期にわたる同一神経細胞の経過観察、並びに2光子光化学顕微鏡法によるスパインシナプス刺激後の経過観察に成功している。以上より、in vivo実験を要する神経科学への応用の実践及びその成果から、埋め込み型マイクロ流体デバイス技術のin vivo細胞研究の新たなツールとしての有用性を実証している。

第5章では、本論文により得られた結果を総括している。

以上、本論文はマイクロ流体デバイスの分析対象を動物個体へと拡張した「埋め込み型マイクロ流体デバイス技術」を開発し、生体内での細胞研究のための新たな方法論を提示する研究をまとめたものである。本論文の成果は、in vivo細胞研究を要する生物学・医学のみならず再生医療や創薬といったバイオエンジニアリングの各分野に波及効果を有しており、バイオエンジニアリングの観点から有用性が高く、学術的にも価値が高いと判断される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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