学位論文要旨



No 129170
著者(漢字) 岡見,翠
著者(英字)
著者(カナ) オカミ,ミドリ
標題(和) 畑栽培におけるイネ品種の葉面生長に関する作物生態学的研究
標題(洋)
報告番号 129170
報告番号 甲29170
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3875号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 山岸,順子
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 二宮,正士
 東京大学 教授 根本,圭介
 東京大学 准教授 鴨下,顕彦
内容要旨 要旨を表示する

全世界の淡水資源のうち、約30%は灌漑水田稲作に利用されている。しかし近年、地下水層の枯渇や地下水位の低下、都市化・工業化に伴う都市部での水資源の需要の拡大により、稲作に利用可能な水資源が逼迫している。このため、より少ない水資源でより多くの収量を上げる節水稲作技術の確立が喫緊の課題となっている。イネの畑栽培は、現在報告されている節水稲作技術の中でも極めて有望であり、代掻きを行わず湛水も全くしないために、灌漑水田稲作と比較して50%以上の灌漑用水を節約できる。他方で、化学肥料と補助灌漑の投入によって集約的な栽培を行った場合、高収量の達成が期待できる。

一般に、生産性の低い栽培環境では、葉面生長が、日射吸収を通じてイネの収量に影響を及ぼすことが多い。しかしながら、集約的なイネの畑栽培においては、葉面生長の意義および葉面生長に優れる品種の特性に関する知見がほとんどない。そこで本研究では、イネの畑栽培において、今後の品種育成に向けた基礎的知見を得るため、以下のような作物生態学的解析を行った。まず、栽植方法と水管理に着目して、畑条件で問題となる栽培・環境要因の絞り込みを行った。次に、畑条件における収量と葉面生長の遺伝的変異を精査し、生産性に対する葉面生長の意義を確認した。その上で、葉面生長の遺伝的変異に寄与する生理形態的要因を検討し、葉面生長を高めるために有効な形質を明らかにすることを目指した。

1.畑条件下の多収性品種の収量形成:湛水条件との比較

近年、集約的なイネの畑栽培(直播+非湛水条件)では、多収性水稲品種の導入により、灌漑水田栽培並みの高収量を達成できることが明らかとなってきた。しかし、収量は概して不安定で、地域・年次間差異が大きいことが報告されているが、その理由は分かっていない。そこで始めに、多収性水稲品種タカナリを供試して2年間の圃場試験を行い、栽植方法(移植、直播)と水管理(湛水条件、非湛水・湿潤条件、非湛水・弱乾燥条件)の違いが、収量と葉面生長に及ぼす影響を検討した。

その結果、湛水条件では、栽植方法に関わらず、安定して高収量を達成できた(851~1036 g m-2、精籾乾物重)。しかし、非湛水条件では、土壌水分を高く管理した場合でも、湛水条件と比較して14~21%有意に減収する場合があった。よって、タカナリの収量に対しては、栽植方法よりも水管理の方が大きな影響を及ぼすと考えられた。さらに、生長解析によって、非湛水条件では湛水条件よりも栄養生長期の個体群生長速度が低いこと、および、それが葉面積指数の低さによることが示された。これらから、非湛水条件においては、たとえ軽微であっても土壌乾燥が葉面生長を抑制し、それが収量に影響することが示された。

2.畑条件に対するイネ品種の葉面生長反応とその意義

集約的なイネの畑栽培において高収量を達成するためには、栄養生長期の葉面生長の確保が重要であると推察された。畑条件への適応性には遺伝的変異があることが報告されているため、9品種を供試して2年間の圃場試験を行い、水田条件と畑条件における収量と葉面生長を比較した。

その結果、収量と完熟期における地上部乾物重には品種と水環境の交互作用効果が認められた。すなわち、LemontやIRAT109は水田条件よりも畑条件で収量と地上部乾物重が高かった。一方、タカナリやIR72、IR55423-01、Vandanaは水田条件では収量と地上部乾物重が高かったが、畑条件では最大で20~40%減収した。さらに、品種と水環境の交互作用効果は栄養生長期の葉面積指数にも認められ、IRAT109やゆめのはたもちは水田条件よりも畑条件で葉面積指数が高かったが、タカナリやIR72は畑条件で低かった。そして、畑条件では、栄養生長期の葉面積指数が高い品種ほど、収量の安定性に優れることが示された。これらから、集約的なイネの畑栽培において多収性水稲品種を用いて安定多収を達成するためには、遺伝的改良によって葉面生長を高めることが有効であると考えられた。

3.畑条件下のイネ品種の茎数と茎あたり葉面積の関係

葉面生長は茎数と茎あたり葉面積によって決まる。そこで、そのバランスに着目して畑条件における葉面生長の特徴を整理し、葉面積指数の増加のために重要となる形態的要因を明らかにすることを目的とした。そこで、まず、水田および畑において2年間の圃場試験を行い、9品種の茎数および茎あたり葉面積を経時的に調査した。次に、世界のイネ・コアコレクション(農業生物資源研究所・ジーンバンク)を含む91品種を供試して、水田と畑で圃場試験を行い、栄養生長期の葉面積指数と形態形質との関係を検証した。

その結果、茎数と茎あたり葉面積の間にはアロメトリー関係が成り立ち、両者のバランスが草型の遺伝的変異をもたらしていることが明らかとなった。畑条件では、概して茎数が多くなりやすいため、葉面積指数は茎あたり葉面積と正の相関関係にあった。両者の相関関係は、91品種を用いた場合にも、畑条件においてのみ同様に認められた。これらから、畑条件において葉面積指数を高めるためには、個葉葉面積や茎あたり葉面積の大きい品種の選択が有効であると考えられた。熱帯ジャポニカ品種は、インディカ品種や温帯ジャポニカ品種と比べて、表層土壌が頻繁に乾燥する条件でも、茎あたり葉面積の維持に優れたため、集約的なイネの畑栽培において遺伝資源として有用であると考えられた。

4.畑条件下のイネ品種の分げつ発育に関与する生理的要因

集約的なイネの畑栽培において、土壌水分に対する葉面生長の反応は、表層土壌の乾燥に対する反応と、潅水に対する反応から成る。それらの反応を分けて精査するため、降雨遮断ハウスと潅水チューブを用いて土壌水分を精密に管理した条件で、2年間の圃場試験を行った。播種後60日を境として、(1)湿潤→湿潤(WW区)と(2)乾燥→湿潤(DW区)の2つの潅水処理を設け、土壌乾燥とその後の潅水に対する葉面生長反応を、半矮性・多げつ型のインディカ水稲品種(IR72ないしIR64)、少けつ型の熱帯ジャポニカ水稲系統(IR65564-44-51)およびIR64染色体断片挿入系統1系統(YTH323)とで比較した。

播種後60日まで、全ての系統において、DW区の葉面積指数はWW区のそれよりも低かった。しかし、その後DW区では、潅水によって著しい回復が認められた。IR72、IR64およびYTH323では、潅水により、既存の茎の生長よりも新たな分げつの発生に多くの乾物が分配され、特に低位節の3次分げつと上位節の2次分げつが増加した。他方で、IR65564-44-51では、潅水により、既に出現していた茎の生長が全体的に促進された。以上より、畑条件においては、土壌乾燥後の潅水によって、インディカ水稲品種では茎数増加に、熱帯ジャポニカ水稲品種では各茎の生長に、非構造性炭水化物や新規の同化産物が優先的に分配されることで、葉面生長が促進されることが示された。熱帯ジャポニカ品種で見られた各茎への優先的な同化産物の分配は、個葉葉面積および茎あたり葉面積の維持あるいは増加に寄与することから、土壌水分が変動しやすい畑栽培では適応的な反応であると考えられた。

5.草型の異なる染色体断片挿入系統の畑条件下の葉面生長

遺伝的改良による個葉葉面積の拡大が、畑条件におけるインディカ改良水稲品種の葉面生長の改善に寄与するか否かを検証するため、IR64を遺伝的背景としてNew Plant Type由来の染色体断片を交雑導入したIR64染色体断片挿入系統(Fujita et al., 2009)を供試した。本研究では、2回の選抜の後、IR64よりも個葉が大きく少けつ性を示す1系統(YTH323)に絞って試験を行った。まず、ポット試験を行い、幼苗期および分げつ期における様々な土壌乾燥条件の下で、IR64とYTH323の葉面生長を比較した。次に、水田と畑で3年間の圃場試験を行い、IR64とYTH323の栄養生長期の葉面生長と収量とを比較した。

YTH323は、IR64と比較して、出葉間隔が長く、個葉葉面積が大きく、茎数が少なかった。ポット試験では、YTH323は、いずれの土壌乾燥条件においても、IR64よりも各茎の生長に優れ、そのため、葉面生長が高かった。圃場試験でも、YTH323は、畑条件において、IR64よりも栄養生長期の葉面生長に優れ、収量を高く維持した。以上のように、個葉葉面積および茎あたり葉面積の増加は、葉面生長の確保に寄与し、集約的なイネの畑栽培において重要な形質の一つであることが確認できた。

以上、本研究では、主に圃場試験を通じて、畑栽培におけるイネ品種の葉面生長に関する作物生態学的解析を行った。その結果、集約的なイネの畑栽培において安定多収を達成するためには、(1)栄養生長期の葉面生長を高める必要があること、(2)葉面生長を高める方策として、遺伝的改良による個葉葉面積の拡大が有効であること、さらに、収量ポテンシャルの高いインディカ改良水稲品種の遺伝的改良にあたり、(3)熱帯ジャポニカ品種が供与親として有望であることを明らかにした。本研究によって得られた新たな知見は、水資源の節約と安定多収の両立を目指す、今後の節水稲作技術の確立に資するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

全世界の淡水資源のうち約30%は灌漑水田稲作に利用されているが、近年、水資源の枯渇が問題となり、稲作に利用可能な水資源が逼迫している。このため、節水稲作技術の確立が喫緊の課題であり、中でもイネの畑栽培が注目されている。集約的な畑栽培は高収量を達成できるが、収量は概して不安定で、地域・年次間差異が大きいことが知られている。その中で、本研究は光合成を行い生長量を決める葉の面積の確保に焦点を当て、栄養生長期の葉面生長を高めるための作物生態学的研究を行った。

最初に、多収性水稲品種タカナリを供試して圃場試験を行い、栽植方法(移植、直播)と水管理(湛水条件、非湛水・湿潤条件、非湛水・弱乾燥条件)の違いが、収量と葉面生長に及ぼす影響を検討した。その結果、湛水条件では、栽植方法に関わらず安定して高収量を達成できるが、非湛水条件では、土壌水分を高く管理した場合でも湛水条件と比較して14~21%有意に減収する場合があった。さらに、生長解析によって非湛水条件では湛水条件よりも栄養生長期の個体群生長速度が低いこと、および、それが葉面積指数の低さによることが示された。これらから、畑栽培では栽植方法よりも水管理が収量に大きな影響を及ぼすこと、および非湛水条件においては、たとえ軽微であっても土壌乾燥が葉面生長を抑制し、それが収量に影響することが示された。

畑条件への適応性には遺伝的変異があることが報告されているため、9品種を供試して2年間の圃場試験を行い、水田条件と畑条件における収量と葉面生長を比較した。その結果、収量と完熟期における地上部乾物重には品種と水環境の交互作用効果が認められた。さらに、品種と水環境の交互作用効果は栄養生長期の葉面積指数にも認められた。そして、畑条件では、栄養生長期の葉面積指数が高い品種ほど、収量の安定性に優れることが示された。これらから、集約的なイネの畑栽培において多収性水稲品種を用いて安定多収を達成するためには、遺伝的改良によって葉面生長を高めることが有効であることが示された。

葉面生長は茎数と茎あたり葉面積によって決まる。9品種および世界のイネ・コアコレクション(農業生物資源研究所・ジーンバンク)を含む91品種を供試して、水田と畑で圃場試験を行い、栄養生長期の葉面積指数と形態形質との関係を検証した。その結果、茎数と茎あたり葉面積の間にはアロメトリー関係が成り立ち、両者のバランスが草型の遺伝的変異をもたらしていること、そして、畑条件では、葉面積指数は茎あたり葉面積と正の相関関係にあることを明らかにした。これらから、畑条件において葉面積指数を高めるためには、個葉葉面積や茎あたり葉面積の大きい品種の選択が有効であり、熱帯ジャポニカ品種が、表層土壌が頻繁に乾燥する条件でも茎あたり葉面積の維持に優れ、集約的なイネの畑栽培における遺伝資源として有用であることが示された。

さらに、土壌水分に対する葉面生長の反応は、表層土壌の乾燥に対する反応と、潅水に対する反応から成ることから、土壌乾燥とその後の潅水に対する葉面生長反応を、半矮性・多げつ型のインディカ水稲品種(IR72ないしIR64)と、少けつ型の熱帯ジャポニカ水稲系統とで比較した。その結果、土壌乾燥後の潅水によって、インディカ水稲品種では茎数増加に、熱帯ジャポニカ水稲品種では各茎の生長に同化産物を優先的に分配することが示された。この熱帯ジャポニカ品種の特性は、個葉葉面積および茎あたり葉面積の維持あるいは増加に寄与することから、土壌水分が変動しやすい畑栽培では優れた形質であると判断された。

そこで、IR64を遺伝的背景として熱帯ジャポニカ由来の染色体断片を交雑導入し、IR64よりも個葉が大きく少けつ性を示す1系統(YTH323)について栄養生長期の葉面生長と収量とを比較した。その結果、YTH323は、いずれの土壌水分条件でも、IR64よりも栄養生長期の葉面生長に優れ、収量を高く維持した。個葉葉面積および茎あたり葉面積の増加は、葉面生長の確保に寄与し、集約的なイネの畑栽培において重要な形質の一つであることを確認した。

以上から、本研究は、集約的なイネの畑栽培において安定多収を達成するために、(1)栄養生長期の葉面生長を高める必要があること、(2)葉面生長を高める方策として、遺伝的改良による個葉葉面積の拡大が有効であること、さらに、収量ポテンシャルの高いインディカ改良水稲品種の遺伝的改良にあたり、(3)熱帯ジャポニカ品種が供与親として有望であること、の3点を明らかにした。これらの新たな知見は、水資源の節約と安定多収の両立を目指す、今後の節水稲作技術の確立に貢献するものと判断された。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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