学位論文要旨



No 129172
著者(漢字) 小島,渉
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,ワタル
標題(和) カブトムシTrypoxylus dichotomaの幼虫-蛹間の振動及び化学交信に関する研究
標題(洋) Studies on vibratory and chemical communications between larvae and pupae of the soil-inhabiting beetle, Trypoxylus dichotoma
報告番号 129172
報告番号 甲29172
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3877号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,幸男
 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 勝間,進
 東京大学 准教授 松尾,隆嗣
内容要旨 要旨を表示する

地上性の昆虫は、化学物質、音、振動、色や動きなどを使って個体間のコミュニケーションをとることが知られており、これについては数多くの研究がなされている。一方、地中で生活する昆虫のコミュニケーションについては、人の目に触れにくいという理由から、これまでほとんど調べられてこなかった。本研究では、腐葉土の中で生活するカブトムシの幼虫や蛹が、様々なコミュニケーションを行っていることを明らかにした。

1.幼虫は化学物質を介して集合する

カブトムシの幼虫は腐葉土や腐蝕の進んだ広葉樹の材を食餌とする。幼虫は、腐葉土の堆積した樹洞などから見つかることもあるが、多くの場合、人によってつくられた腐葉土、堆肥、ゴミ捨て場などを生活の場としている。1つの生息パッチ(マイクロハビタット)には20から200個体の幼虫が生息していることが多い。これは、メス成虫に1つのパッチに卵をまとめて産む性質があることと関係していると考えられる。つぎに1つのパッチ内における幼虫の分布を調べたところ、これも有意に集中していることがわかった。そこで、幼虫どうしが積極的に集合する可能性について検証するため、幼虫の定位行動について選択試験をおこなった。ここでは、小さな網かごに入れて移動を制限した幼虫(定位源)を腐葉土の入った直方体の容器の片方に設置し、容器中央に新たに置いた幼虫がどちらへ移動するかを観察した。その結果、幼虫は定位源の個体がいる方向に有意に誘引された。さらに、幼虫のかわりに幼虫の磨砕物を定位源として用いた場合でも、中央に置いた幼虫は定位源側に誘引された。この結果から、野外で観察される集中分布には、化学物質を介した幼虫の集合性が関わっている可能性が高いと考えられた。幼虫の集合性は、2齢および3齢の個体においてみられ、1齢の個体ではみられなかった。腐植食性のカブトムシ亜科や、これに近縁なハナムグリ亜科の種についても同じ実験をしたところ、ほとんどの種の幼虫において集合性がみられた。幼虫の集合性は、腐植食性のコガネムシ科に普遍的な性質であると推測される。

幼虫は集合することで、採餌効率の上昇などの利益を得られる可能性がある。しかし、室内において高密度で飼育した幼虫と低密度で飼育した幼虫の体重に、有意な差は見られなかった。今後、密度などの条件を再検討して、実験を行う必要がある。

2.蛹は振動信号で幼虫をだまし、身をまもる

カブトムシの幼虫は、初夏になると、糞と土を混ぜ合わせて楕円体の蛹室を土中につくり、その中で蛹化する。蛹室内のスペースが確保されていることは、前蛹や蛹が、蛹化や羽化を成功させる上で非常に重要である。しかし、この蛹室は大変もろい。集団生活する本種において、幼虫は蛹室ときわめて接近して生息しているにもかかわらず、蛹室が周囲を動きまわる幼虫に壊されることは滅多にない。カブトムシの蛹は幼虫に対して何らかの防御をおこなっている可能性が高いと考えられる。蛹や前蛹の行動を観察したところ、これらの個体は幼虫が接近すると腹部を回転させ、その反動で前胸部の背面を蛹室の壁面に打ちつけることにより、低周波の振動を発することがわかった。そこで、この振動が幼虫を忌避する信号となっている可能性について検証した。

まず、蛹の生死が蛹室の幼虫に対する防御に影響するかどうかを調べた。蛹が生きていると、蛹室が幼虫によって壊されることはほとんどなかったが、蛹をあらかじめ死亡させると、多くの場合、蛹室は幼虫によって破壊された。つづいて、周囲の幼虫に対する蛹の反応を調べた。腐葉土を入れた容器に人工蛹室をつくり、そこに蛹を入れた。容器内に幼虫がいるときといないときで、人工蛹室内の蛹が回転運動をする頻度を比較した。その結果、容器内に幼虫がいると、人工蛹室内の蛹はより高頻度で回転運動を行うことがわかった。蛹は、幼虫が近づいてくることを感知すると、これに対応して回転運動をおこない、振動を発すると考えられる。さらに、空の人工蛹室のそばで振動子を用いて蛹の振動を人工的に再生したところ、人工蛹室はほとんど幼虫に壊されることはなかった。以上の一連の実験により、蛹は、振動信号によって、周囲の幼虫に蛹室を壊されるのを防いでいることが示された。

では,幼虫は蛹の発する振動を感知したとき、土の中でどのような行動をとるのだろうか。土の中を幼虫が動くとき、微弱な振動が生じる。この振動を加速度計で計測し、蛹の振動を再生する前後で,幼虫の発する微振動の頻度がどのように変化するかを調べた。幼虫の発する微振動は、蛹の振動を再生する直前まで継続的に記録されたが,蛹の振動を再生すると、約10分間、まったく計測されなくなった。このことから、蛹の振動を感知した幼虫が動きを完全に停止する「フリーズ反応」を起こしたことがわかる。フリーズ反応は,外敵を察知したときに多くの昆虫が示す反応である。

カブトムシに近縁なハナムグリ亜科やスジコガネ亜科の蛹は、振動を発しない。ところが、ハナムグリ亜科やスジコガネ亜科の数種の幼虫に対しカブトムシの蛹の振動を再生したところ、すべての種の幼虫がカブトムシの幼虫と同様に、約10分間のフリーズ反応を示した。幼虫の振動に対するフリーズ反応は、一般に天敵の回避に有効であることから、コガネムシ科の様々なグループで保存されている形質であると考えられる。カブトムシの蛹は、幼虫が元々もっていたこのフリーズ反応を利用することで、振動信号を進化させた可能性がある。ここで、蛹は幼虫をだますことで利益を得られるのに対し、幼虫は、蛹にだまされることで、行動が制約されるなどのコストを被るため、蛹と幼虫のコミュニケーションは進化的に不安定なようにも思われる。しかし、天敵からの捕食圧が高い場合、振動を無視することによるコスト(天敵に捕食される確率の上昇)が、だまされることによるコストより大きくなる可能性がある。そのような場合、蛹の振動を無視するという行動は進化しづらいであろう。また、きょうだい同士が空間的に近くに生息している場合、幼虫の蛹に対する忌避的な反応は、血縁淘汰上も有利となる可能性がある。

3.蛹の集合には化学物質が関与している

野外において、幼虫同様に蛹室も有意な集中分布を示す。この現象が、単なる幼虫の集中分布の結果にとどまらず、幼虫が他の蛹を手がかりとして蛹室を作る場所を選んでいる可能性が考えられた。室内において、腐葉土の入った直方体の容器の片方に、細かく砕いた蛹室を定位源として埋め、選択実験を行ったところ、幼虫は、定位源となる蛹室のすぐ近傍に蛹室をつくった。これに対し、定位源として若い幼虫の糞を用いた場合は、誘引はみられなかった。蛹室は、粘性の高い特別な糞を塗り固めることで作られるが、この特別な糞の中に幼虫を誘引する化学成分が含まれている可能性が高い。

では、蛹は何のために群れをつくるのだろうか。単独状態と集団状態の人工蛹室を実験的に用意し、蛹室内の蛹が周囲にいる幼虫に対して振動を発する頻度を計測した。その結果、集団の内部の蛹は、単独の蛹に比べ、幼虫が近づいてきたときに振動を発する頻度が有意に低かった。また、集団の中央部の蛹は、集団の周縁部の蛹に比べ振動を発する頻度が有意に低かった。つまり、幼虫が近づいてきたときに、それを最初に感知した一部の蛹(おもに集団の周縁部の個体)が振動を発して幼虫を追い払うため、集団の他のメンバーは振動を出す必要がなくなったと推測された。振動を発するためには、何らかのエネルギー的なコストを伴う可能性が高い。集団の中央部で蛹化することで、蛹は振動信号を発するコストを軽減でき、そのことが蛹の集合性を進化させた可能性がある。

以上、本論文は、これまで全く研究されてこなかった地中に棲息する昆虫における相互コミュニケーションに光を当てたものである。カブトムシの幼虫や蛹が、集合するため、あるいは集合のもたらすコンフリクトを解消するため、化学物質や振動を用い、成長段階に応じて様々なコミュニケーションを行っていることを明らかにした。これらの複数のコミュニケーションは、互いに影響を及ぼしながら進化してきた可能性が高いと考えられ、新たな研究領域として興味あるものである。

審査要旨 要旨を表示する

地上性の昆虫は、化学物質、音、振動、色や動きなどを使って個体間のコミュニケーションをとることが知られており、これについては数多くの研究がなされている。一方、地中で生活する昆虫のコミュニケーションについては、人の目に触れにくいという理由から、これまでほとんど調べられてこなかった。本論文は、腐葉土の中で生活するカブトムシの幼虫や蛹が、様々なコミュニケーションを行っていることを明らかにしたものである。

1.幼虫は化学物質を介して集合する

カブトムシの幼虫は、人によって作られた腐葉土や堆肥などを生活の場としていることが多い。1つの生息パッチには20から200個体の幼虫が生息している。パッチ内における幼虫の分布を調べたところ、有意に集中していることがわかった。そこで、幼虫どうしが積極的に集合している可能性について室内実験により検証した。腐葉土の入った直方体の容器の片方に、網かごに入れて移動を制限した幼虫(定位源)を設置し、容器中央に新たに置いた幼虫がどちらへ移動するかを観察した。その結果、幼虫は定位源の個体がいる方向に有意に誘引された。幼虫の代わりに幼虫の磨砕物を定位源として用いた場合でも、幼虫は定位源側に誘引されたことから、野外で観察される幼虫の集中分布には、化学物質を介した幼虫の集合性が関わっている可能性が高いと考えられた。腐植食性のカブトムシ亜科や、これに近縁なハナムグリ亜科の種についても同じ実験をしたところ、ほとんどの種の幼虫において集合性がみられた。幼虫の集合性は、腐植食性のコガネムシ科に普遍的な性質であると推測される。

2.蛹は振動信号で幼虫をだまし、身をまもる

カブトムシの幼虫は、初夏になると楕円体の蛹室を土中につくり、その中で蛹化する。蛹室は蛹化や羽化を成功させる上で非常に重要であるが、大変もろい。ところが、周囲を動き回る幼虫によって蛹室が壊されることは滅多にない。そこで、蛹が幼虫に対して何らかの防御を行っている可能性が考えられた。蛹や前蛹の行動を観察したところ、これらの個体は幼虫が接近すると腹部を回転させ、その反動で前胸部の背面を蛹室の壁面に打ちつけることにより、低周波の振動を発することを発見した。そこで、この振動が幼虫を忌避する信号となっている可能性を検証した。

まず、蛹室内の蛹の生死の影響を調べた。蛹が生きていると、幼虫によって蛹室が壊されることはほとんどなかったが、蛹をあらかじめ死亡させると、多くの場合、蛹室は幼虫によって破壊された。つづいて、周囲の幼虫に対する蛹の反応を調べた。腐葉土を入れた容器に人工蛹室を作り、そこに蛹を入れた。この容器内に幼虫を入れると、蛹はより高頻度で回転運動を行うことがわかった。蛹は、幼虫の接近に感応して回転運動をおこない、振動を発すると考えられる。さらに、空の人工蛹室のそばで蛹の振動を人工的に再生したところ、人工蛹室はほとんど幼虫に壊されることはなかった。以上の一連の実験により、蛹は、振動信号によって、周囲の幼虫に蛹室を壊されるのを防いでいることが示された。

つづいて、蛹の発する振動を感知したときの幼虫の行動を調べた。土中を幼虫が動くとき生じる微弱な振動を加速度計で計測し、蛹の振動を再生する前後における、幼虫の発する微振動の変化を調べた。幼虫の発する微振動は、蛹の振動を再生する直前まで継続的に記録されたが、蛹の振動を再生すると、約10分間、全く計測されなくなった。蛹の振動を感知した幼虫は、動きを完全に停止する「フリーズ反応」を起こすことがわかった。カブトムシに近縁なハナムグリ亜科やスジコガネ亜科の蛹は、振動を発しない。ところが、これらの亜科の数種の幼虫に対しカブトムシの蛹の振動を再生したところ、すべての種の幼虫がカブトムシの幼虫と同様に、約10分間のフリーズ反応を示した。幼虫の振動に対するフリーズ反応は、一般に天敵の回避に有効であることから、コガネムシ科の様々なグループで保存されている形質であると考えられる。カブトムシの蛹は、幼虫が元々もっていたこのフリーズ反応を利用することで、振動信号を進化させた可能性がある。

3.蛹の集合には化学物質が関与している

野外において、幼虫同様に蛹室も有意な集中分布を示す。この現象が、単なる幼虫の集中分布の結果にとどまらず、幼虫が他の蛹を手がかりとして蛹室を作る場所を選んでいる可能性を検証した。室内において、腐葉土の入った直方体の容器の片方に、細かく砕いた蛹室を定位源として埋め、選択実験を行ったところ、幼虫は定位源のすぐ近傍に蛹室をつくった。これに対し、定位源として若い幼虫の糞を用いた場合は、誘引はみられなかった。蛹室は、粘性の高い特別な糞を塗り固めることで作られるが、この特別な糞の中に幼虫を誘引する化学成分が含まれている可能性が高い。では、蛹は何のために群れをつくるのだろうか。単独状態と集団状態の人工蛹室を実験的に用意し、蛹室内の蛹が振動を発する頻度を計測した。その結果、集団の内部の蛹は、単独の蛹に比べ、振動を発する頻度が有意に低かった。また、集団の中央部の蛹は、集団の周縁部の蛹に比べ振動を発する頻度が有意に低かった。つまり、幼虫が近づいてきたときに、それを最初に感知した一部の蛹(おもに集団の周縁部の個体)が振動を発して幼虫を追い払うため、集団の他のメンバーは振動を出す必要がなくなったと推測された。振動を発するためには、エネルギー的なコストを伴う可能性が高い。集団の中央部で蛹化することで、蛹は振動信号を発するコストを軽減でき、そのことが蛹の集合性を進化させた可能性がある。

以上、本論文は、これまで全く研究されてこなかった地中に棲息する昆虫における相互コミュニケーションに光を当てたものであり、本研究の成果は学術上、応用上の価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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