学位論文要旨



No 129181
著者(漢字) ベフオチル,ダワープレブ
著者(英字) Bekh-Ochir,Davaapurev
著者(カナ) ベフオチル,ダワープレブ
標題(和) ブラシノステロイド情報伝達遺伝子BIL2に関する化学生物学研究
標題(洋)
報告番号 129181
報告番号 甲29181
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3886号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 特任教授 朝倉,富子
 東京大学 教授 野尻,秀昭
 東京大学 准教授 中嶋,正敏
内容要旨 要旨を表示する

1. 背景と目的

ブラシノステロイドは細胞伸長や細胞分裂、光形態形成、環境ストレス耐性促進などの生理活性を持つ植物ステロイドホルモンである。ブラシノステロイド生合成や情報伝達欠損変異体は、明所で矮性形態、葉長の短化など表現型が変化し、暗所発芽条件下で野生株では見られる胚軸の徒長や子葉の閉鎖が見られず、光存在下のような太く短い胚軸と展開した子葉をもつ形態"暗所光形態形成"を示すことから、ブラシノステロイドは植物の成長調節に重要な機能因子であると認識されるようになった。1990年代以降、分子遺伝学的手法によってブラシノステロイドの生合成欠損変異体の解析が進められ、生合成経路についてはほぼ全ての変換過程が解明された。一方、ブラシノステロイドの情報伝達機構については、受容体BRI1以降の因子は未解明の部分が多く残されたままであった。そこで本研究で、この未知部分を明らかにするため、化学物質への生物の応答性の違いを利用して突然変異体を発見し、関連する遺伝子を単離する化学生物学によるアプローチを試みた。

植物は暗所で発芽した場合、胚軸が伸長するもやし状の形態を示すが、ブラシノステロイド生合成阻害剤Brz存在下で暗所発芽した植物は、生合成変異体の場合と同様に胚軸が伸長せずに、あたかも光存在下で発芽した形態「暗所光形態形成 (de-etiolation)」を示す。この阻害剤Brz処理条件下にも関わらず、胚軸が伸長するようなシロイヌナズナの突然変異体が得られれば、それらはブラシノステロイド情報伝達経路、もしくはブラシノステロイド生合成後期過程が活性化した変異体であると考えられる。そこで、この暗所BR生合成阻害剤Brz存在下での胚軸徒長を指標として、シロイヌナズナのEMS変異体プールから最初のBrz抵抗性変異体変異体bil1-1D(Brz-insensitive-long hypocotyl 1-1D)/bzr1が単離された。このbil1-1D/bzr1の原因遺伝子はbHLH型の転写因子であることが明らかにされている。

現在までに、細胞膜のブラシノステロイド受容体BRI1近傍のBAK1など幾つかの遺伝子及び、転写因子BIL1/BZR1, BES1近傍のBSU1, BIN2などの解明が進んでいるが、細胞壁と細胞核をつなぐ中間の細胞におけるブラシノステロイド情報伝達は不明ままであった。そこで本研究では、Brzを用いた化学生物学的アプローチによる、シロイヌナズナのアクティベーションタグイングラインから新しい突然変異体Brz-insensitive-long hypocotyl 2-1D (bil2-1D)の選抜と遺伝子の単離を行い、それらの変異原因遺伝子の機能を解析することによるブラシノステロイド情報伝達機構解明を目的とした。

2. ブラシノステロイド生合成阻害剤Brz耐性突然変異体bil2-1Dの選抜

bil2-1D変異体はBrz存在下で暗所発芽させた際、胚軸の徒長が見られる。通常、Brz濃度が高くなるに従い野生型株では胚軸の伸長が抑制されるが、bil2-1Dは野生型と比較してBrzに耐性を示し、Brz 3 μMの濃度では野生株の約1.6倍に伸長を示した。これらのことにより、bil2-1DはBrz耐性を持ち、ブラシノステロイド情報伝達が恒常的に活性化されている突然変異体である可能性が示された。

リアルタイムPCR(RT-PCR)による、アクティベーションタギング近傍の遺伝子発現解析を行った結果、3種の遺伝子の発現量が野生型と比較して増加している結果が得られた。この3種の遺伝子について高発現株を作製したところ、2種はBrz存在下で胚軸が徒長しなかったが、1種については暗所Brz存在下で胚軸伸長するbil2-1D変異体の形質が再現された。この遺伝子 (At2g42080) はbil2-1D変異原因遺伝子であると結論した。

BIL2は263アミノ酸をコードすると予測される新規遺伝子であり、アミノ酸配列からDnaJ/Hsp40 ファミリーのタンパク質であることが明らかとなった。BIL2のアミノ酸配列を基にしたBLAST検索の結果、BIL2のホモログはシロイヌナズナ、トウゴマ、ダイズ豆、ブドウ、 イネなどの植物に広く保存されていた。DnaJ/Hsp40 タンパク質はDnaK/Hsp70と共に一つのシャペロン系を構成し、タンパク質の折りたたみ、タンパク質複合体の会合と解離、タンパク質の安定化、タンパク質のトランスロケーションやの環境ストレスによる変性タンパク質の修復など、総じてタンパク質の修飾を行う機能を持つことが知られているタンパク質である。

3. BIL2遺伝子の植物体における機能解析

BIL2高発現株(BIL2-OX)の成熟個体においては、花茎の伸長促進、枝数の増加を示すことが観察された。また、根においては、主根伸長促進と側根数の増加が観察された。bil2-1Dの形態がBIL2遺伝子の過剰発現を原因とする場合、同遺伝子のノックダウンはbil2-1Dの形態と逆の形態を示すことが予測される。そこで、BIL2-RNA interference形質転換体を作製し、形態観察を行った。このBIL2-RNAi植物体において、胚軸短化が観察され、BIL2が胚軸伸長に促進的活性を持つ可能性が裏付けられた。さらに、BIL2-RNAi の成熟個体は野生型に比べて、花茎長の抑制と枝数の減少が見られた。これらの結果は、BIL2が植物成長において促進的な機能を持っている可能性を示している。

BIL2のブラシノステロイド情報伝達における分子的なレベルでの関連性を明らかにするため、BIL2-OXやBIL2-RNAi植物体でのBR応答性遺伝子の発現についてRT-PCRにより解析を行った。その結果、通常ブラシノステロイドによる発現の上昇が見られるTCH4について、BIL2-OXにおいて発現の上昇がみられ、BIL2-RNAiにおいて発現の減少が見られた。ブラシノステロイド刺激でフィードバック的に発現が低下するブラシノステロイド生合成遺伝子のCPDは、BIL2-OXにおいて発現の減少がみられ、BIL2-RNAiにおいて発現の上昇が見られた。これらの結果より、BIL2はブラシノステロイド応答遺伝子発現を制御してあり、ブラシノステロイド情報伝達に重要な機能を果たしていることが示唆された。

BIL2のブラシノステロイド情報伝達経路での機能部位の解明を目指し、BIL2-OXとブラシノステロイド受容体欠損変異体であるbri1-5との二重変異体を作製し、遺伝学的解析を行った。その結果、BIL2-OXとbri1-5との二重変異体において、bri1-5変異体に比べて胚軸が長くなり、成熟個体の矮性形態の回復が認められた。これらの結果は、BIL2が受容体BRI1の下流で機能している可能性を示している。

BIL2は新規な遺伝子であるため、植物の成長における機能をより詳細に解明するため、BIL2の発現部位について、BIL2 promoter-GUS解析により調査した。その結果、暗所2、3日目の個体において胚軸で発現が認められた。このBIL2発現はブラシノライド(BL)処理により促進され、Brzにより発現の抑制が観察された。さらに、野生型植物の芽生えについて各BL、Brzを3時間処理し、BIL2 mRNAの発現量をRT-PCRにより解析したところ、BL処理により発現の上昇が見られ、Brzにより発現の低下が見られるBIL2 promoter-GUS解析の時と同様な結果が得られた。さらに成長後期におけるBIL2-GUS発現の解析の結果、明所11日目の個体においては幼葉、側根で発現し、28日目の個体においては花蕾、花粉で発現が見られたことより、植物成長の様々な局面で働いている可能性があると考えている。

さらに、BIL2の細胞レベルでの機能解析を目指して、BIL2::BIL2-GFP形質転換体を作製し、細胞内局在の観察を行った。その結果、BIL2::GFPはドット状オルガネラに蛍光が観察された。ミトコンドリアが特異的に染まるMitotrackerを用いて、観察したところ、BIL2::GFPはMitotrackerと共局在する蛍光観察像を示した。このことから、BIL2タンパク質はミトコンドリアに局在することが明らかとなった。

4. BIL2遺伝子のATP産生における機能解析

ブラシノステロイド情報伝達因子は細胞膜、細胞核、小胞体、液胞などの色々なオルガネラに局在することが明らかになっているが、ミトコンドリアに局在するブラシノステロイド情報伝達因子は初めての報告である。ミトコンドリア機能とブラシノステロイド情報伝達の関わりの手掛かりとして、ミトコンドリアの最も重要な機能であるATP産生を介したBIL2による胚軸伸長制御の可能性について解析を開始した。その結果、ATP存在下で野生型植物はBrz耐性胚軸伸長を示すことが明らかとなった。ATPはミトコンドリアのATP産生酵素によって産生されるため、このATP産生阻害であるオリゴマイシン処理条件下で発芽させたところ、野生型植物において胚軸伸長が阻害されたが、BIL2-OX はオリゴマイシン耐性の胚軸徒長を示した。続いて、細胞内ATP内生量の測定を行った結果、BIL2-OXにおいて野生型より、ATP産生が約3.5倍に増加していることが明らかとなった。さらにBIL2-OX株は塩や強光ストレス耐性を示すことも明らかとなった。これらのことより、BIL2は、ミトコンドリア内ATP産生酵素のタンパク質フォールディングを補助することによってATP産生量を増加させ、ブラシノステロイド情報伝達経路を活性化し、植物成長を促進する機能を持つと考察した。

審査要旨 要旨を表示する

ブラシノステロイド(BR)は細胞伸長や細胞分裂、光形態形成、環境ストレス耐性促進などの生理活性を持つ植物ステロイドホルモンである。

植物は暗所で発芽した場合、胚軸が伸長するもやし状の形態を示すが、BR生合成阻害剤Brz存在下で暗所発芽した植物は、生合成変異体の場合と同様に胚軸が伸長せずに、あたかも光存在下で発芽した形態「暗所光形態形成 (de-etiolation)」を示す。この阻害剤Brz処理条件下にも関わらず、胚軸が伸長するようなシロイヌナズナの突然変異体が得られれば、それらはBR情報伝達経路、もしくはBR生合成後期過程が活性化した変異体であると考えられる。そこで、この暗所BR生合成阻害剤Brz存在下での胚軸徒長を指標として、シロイヌナズナのEMS変異体プールから最初のBrz抵抗性変異体変異体bil1-1D(Brz-insensitive-long hypocotyl 1-1D)/bzr1が単離された。

現在までに、細胞膜のBR受容体BRI1近傍のBAK1などの遺伝子及び、転写因子BIL1/BZR1, BES1近傍のBSU1, BIN2などの解明が進んでいるが、細胞壁と細胞核をつなぐ中間の細胞におけるブラシノステロイド情報伝達は不明ままであった。そこで本研究では、Brzを用いた化学生物学的アプローチによる、シロイヌナズナのアクティベーションタギングラインから新しい突然変異体bil2-1D (Brz-insensitive-long hypocotyl 2-1D)の選抜と遺伝子の単離を行い、それらの変異原因遺伝子の機能を解析することによるブラシノステロイド情報伝達機構解明を目的とした

bil2-1D変異体は、Brz存在下暗所発芽させた際に胚軸の徒長が見られたことから、BR情報伝達因子が恒常的に活性化されている突然変異体である可能性が考察された。次に、上記形態を示すbil2-1D変異体の原因遺伝子を単離するため、アクティベーションタギング近傍の遺伝子発現解析を行った結果、3種の遺伝子の発現量が野生型と比較して増加している結果が得られた。この3種の遺伝子について高発現株を作製したところ、2種はBrz存在下で胚軸が徒長しなかったが、1種については暗所Brz存在下で胚軸伸長するbil2-1D変異体の形質が再現された。以上の結果より、この遺伝子 (At2g42080) がbil2-1D変異体の原因遺伝子であると結論した。

BIL2は263アミノ酸をコードすると予測される新規遺伝子であり、アミノ酸配列からタンパク質のフォールディングの制御を行う可能性を持つDnaJ/Hsp40 ファミリーのタンパク質であることが明らかとなった。本変異体中においてBR応答性遺伝子は野生型株に比べてBIL2-OXにおいて正に制御されていた。また、BIL2-OXはBR受容体欠損株であるbri1-5の矮性形態を回復することができた。野生型株の成長前期におけるBIL2-GUS発現は胚軸で、成長後期の時は花粉でより強く発現が見られた。

BIL2-GFP遺伝子形質転換シロイヌナズナの観察結果より、BIL2タンパク質はミトコンドリアに局在することが強く示唆された。これまでにミトコンドリアに局在するBR情報伝達因子に関しての報告はなく、今回が初めての研究例となった。ミトコンドリア機能とBR情報伝達の関わりの手掛かりとして、ミトコンドリアの最も重要な機能であるATP産生を介したBIL2による胚軸伸長制御の可能性について解析を行った。その結果、ATP存在下で野生型植物はBrz耐性胚軸伸長を示すことが明らかとなった。ATPはミトコンドリアのATP合生酵素によって産生されるため、このATP産生阻害であるオリゴマイシン処理条件下で発芽させたところ、野生型植物において胚軸伸長が阻害されたが、BIL2-OX はオリゴマイシン耐性の胚軸徒長を示した。続いて、細胞内ATP内生量の測定を行った結果、BIL2-OXにおいては野生型より、ATP産生が約3.5倍に増加していることが明らかとなった。ATP処理によるBR応答性遺伝子発現は制御されることが示唆された。さらにBIL2-OX株は塩や強光ストレス耐性を示すことも明らかとなった。

本研究において、新規なBR情報伝達因子BIL2遺伝子が、BR受容体BRI1の下流で働いており、ミトコンドリア内ATP合生酵素のタンパク質フォールディングを補助することによってミトコンドリア内のATP産生量を増加させ、BR情報伝達経路を活性化し、植物成長を促進する機能や環境ストレス耐性を促進させる機能を持つことを明らかとした。これらの結果はBR情報伝達に関する遺伝子の機能を明らかにするという基礎研究としての成果と共に、将来的にBIL2遺伝子を応用することで農業生産性を高めた作物を作出するための応用基盤研究としても、重要な知見を得たと考えられる。よって審査委員一同は、本研究が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク