学位論文要旨



No 129182
著者(漢字) 尹,禎敏
著者(英字)
著者(カナ) ユン,ジョンミン
標題(和) ジベレリン受容体制御剤の創製と遺伝学への応用研究
標題(洋)
報告番号 129182
報告番号 甲29182
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3887号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 永田,宏次
 東京大学 准教授 中嶋,正敏
内容要旨 要旨を表示する

1. 背景および目的

本研究の目的は、植物ホルモン・ジベレリン(GA)の信号伝達機構をより深く解析する上で有用な新分子ツールの発掘に向け、特にGA受容体およびそれと直接相互作用する情報伝達因子DELLAに着目し、その機能制御剤を探索・創製することである。

GAは種子の発芽、茎の伸長、花芽形成など植物の様々な生理現象を制御しており、信号伝達の主経路は以下のとおり説明される。(i) GA濃度が低い場合、制御因子DELLAは信号を伝えないように核内で機能している。(ii) GA濃度が高まると、受容体はGAと結合して、新たにDELLA因子との親和性を持つようにその性状を変化させる。(iii) 受容体-GA複合体はDELLA因子と結合し、SCF E3ユビキチンリガーゼ構成因子の一つであるF-boxにDELLA因子を引き渡す。(iv) プロテアソームが関与するタンパク質分解過程を経てDELLA因子が分解され、信号伝達の抑制状態が弱まる結果GAからの信号が伝わり始める。この主経路に加え、関わりが示唆される因子が幾つか知られており、経路全貌の解明が待たれる。

ところで、低分子化合物を用いて、ある遺伝子に対する機能欠損型の変異導入と同質の効果を及ぼすことを起点とする研究分野は「化学遺伝学」と呼ばれる。植物ホルモンの研究領域においても、この化学遺伝学的アプローチにより信号伝達に関わる有益な情報が得られた例がいくつかある。植物の化学遺伝学に応用された化合物は、ホルモンの生合成酵素や受容体、あるいは以降の下流因子を標的としている。そこで本研究では、GAの信号伝達に関わる未解明領域への応用を期待して、GA受容体を作用点とする制御剤の開発を展開した。

2. オールラウンド型制御剤Y13の選抜と作用機構の解明1)

多くの化合物群からGA受容体の機能制御剤を探索するためには、可能な限り効率的で正確な探索システムの構築が不可欠である。そこで、双子葉のモデル植物シロイヌナズナのGA受容体と、その受容体から信号を直接受け取るDELLA因子との間でGA依存的に形成される複合体形成過程を解析するため、これまで所属研究室で利用されてきた酵母two-hybrid系の転用を図り、多検体の同時試験が可能となるよう改良して用いた。また、放射性GAを用いるin vitro試験系により受容体のGA結合活性が測定可能であったことからその併用も考慮した。

生育が制限される環境下、探索に用いたtwo-hybrid用酵母はGA依存的な増殖を示す。その増殖に応じて発現誘導されるレポーターの酵素活性に基づき、目視による候補化合物のハイスループットな選抜を実現した。各種合成化合物を納めた市販ライブラリーを対象として候補探索を行った結果、約1万種から4%程度の陽性候補を一次選抜した。さらに、増殖にGAを要求しない対照環境においても同試験を行い、酵母の生育自体を阻害する約9割の偽陽性候補を除外して45種(Y1-Y45)までの絞り込みを達成した。研究の遂行加速のため、ひとまず選抜に用いたtwo-hybrid系に対する阻害強度が比較的強い13種を以降は優先的に扱い、in vitro試験系においても明瞭に受容体のGA結合能を阻害した5種を選抜した。そこで、in plantaレベルにおけるGA信号伝達阻害状況の評価を最終選抜段階と位置づけ、これら5種をシロイヌナズナに投与した。その結果、Y13と呼称する1種のみが種子発芽過程、および、幼植物体の生長過程いずれに対しても明瞭に阻害活性を示すことが明らかとなった。

植物に対するY13の投与効果をより詳細に検証すべく、シロイヌナズナのGA応答性遺伝子の発現状況を定量PCRを用いて解析した。その結果、予想どおりGAからの信号伝達の抑制を裏付ける通常とは異なる発現状況を確認した。また、シロイヌナズナ以外の植物への投与効果を検討したところ、同じアブラナ科に限らず他科の双子葉植物でも総じて矮化する傾向が認められた。さらに、単子葉植物まで範囲を拡げ試験したところ、オオムギ種子の糊粉層において通常GAが誘導するα-アミラーゼ遺伝子の発現に加え、液胞化および細胞死の誘導までY13は明瞭に抑制した。よって、Y13は子葉の単複を問わず広範囲に及ぶ植物のGA信号伝達過程をほぼ網羅的に抑制することが可能な化合物であることが示された。

本研究の到達目標に据えていた化学遺伝学の領域にY13を応用すべく、シロイヌナズナの各種変異体プールを対象としてY13低感受性変異体の選抜を実施した。具体的には、通常なら種子発芽や幼植物体の生長過程ともに阻害する濃度のY13存在下で、周囲と比較して相対的に生育が良い個体を選抜した。結果、シロイヌナズナに由来する特定の完全長cDNAの過剰発現を狙った変異体プール(シロイヌナズナFOXライン)の中から独立に2系統を候補として見出した。後代種子を入手して、過剰発現が期待される各標的遺伝子の発現量を調べたところ、通常と比べ数十倍かそれ以上に及ぶ過剰な発現状況を確認した。両系統のY13低感受性について上述の2過程に分けて検討したところ1系統は発芽過程のみ、残る1系統は幼植物体の生育過程のみY13に対する低感受性を示すことが明らかとなった。現在、機能欠失型および過剰発現型の変異体作出を行っている。この解析の進展が、GAからの信号伝達制御に関わる新因子特定に寄与することを期待する。

3. 器官選択型制御剤Y25の選抜と作用機構の解明

two-hybrid用酵母に対する阻害強度が低く、解析を後回しにした32種についても上記Y13の選抜過程と同様に評価と選抜を実施した。その過程において、うち1種(Y25と呼称)は胚軸の生長阻害がほとんど認められないのに対して、根の生長に対して明瞭な阻害効果を持つことを見出した。そこで、種子発芽、花茎の伸長、種子形成の各過程に及ぼす影響を調べて比較した結果、Y25は発芽率や花茎の伸長にはほとんど影響を与えないのに対して、通常どおり花が咲くものの種子形成をほぼ完全に阻害することが新たに判明し、Y13には備わっていない制御対象器官の選択性が認められた。in vitro試験系を用いた検討から、Y25の効力自体はY13より弱いものの、受容体のGA結合能を有意に阻害することが判明した。加えて、Y25処理個体の花を顕微鏡観察した結果、雄しべの短化により適正な受粉が行われないことが種子形成不全の主要因と考えられた。

ところで、所属研究室ではGA受容体の機能欠失型多重変異体の中に雄しべの短化を主要因とする種子形成不全系統が存在し、生化学的見地からその原因を探り報告している(Suzuki et al., Plant J, 2009)。これに拠ると、シロイヌナズナではGA受容体が3種、DELLA因子が5種存在するが、花ではそれぞれの一部がGA信号の伝達制御のために有効に機能している。そして、上記多重変異体中で正常に機能する受容体は、花で機能するDELLA因子群に対し総じて親和性が低く、DELLA因子の機能抑制に向け効率的な役目を果たせないことが形質出現の原因と考察している。そこで、Y25処理で現れる同様の形質も、受容体を作用点とする現象との想定に立ち、「花におけるGAからの信号伝達制御に機能するGA受容体とDELLA因子のうち、とりわけ花に特異的な2分子間の組合せを選択的に、かつ、効率よくY25が阻害する」ことを示せば、Y25の花器官選択性を説明できると考えた。この作用点把握の一助とすべく、Y25の構造的アナログ11種を有機化学的手法を用いて調製するとともに、市販品6種も入手した。計17種を用いて種子形成過程、根や胚軸の生長過程に対する阻害活性を評価した結果、Y25同様に種子形成阻害能を有する新規化合物3種を見出すとともに、うち1種はY25が合わせ持っていた根の生長阻害活性を消失しており、より一層の器官特異性の向上を確認した。他方、Y25が持たない胚軸の生長阻害活性が新たに付与された化合物も含まれた。「花器官で重要と目される受容体-DELLA因子」間の相互作用解析時に用いるtwo-hybrid用酵母を対象として、アナログ化合物の投与効果を調べた結果、少なくとも種子形成阻害能が高い化合物群は総じて酵母の生育阻害効果も高く、受容体-DELLA因子間の相互作用がある程度効果的に阻害される傾向が伺えた。こうした微細な構造的変化が阻害対象となる器官選択性の変化を生じる点について、やはりY25の作用点が受容体であって、15通りもの組合せが関与するDELLA因子との相互作用状況とも関わっていることの傍証であろうと推測している。

より別の角度から、「Y25の作用点=受容体」を支持する情報を集めるべく、受容体-DELLA因子間の相互作用に対する阻害効果を有する化合物を集め、その中からY25同様の器官特異性付与化合物の存在を検討した。既に実施済みin vitro試験系による評価結果を再検討し、in plantaレベル未検討の候補13種を新たに選抜した。これらの幼植物体胚軸および根の生長阻害活性を調べた結果、根に影響を与えず、胚軸の生長のみ大きく阻害するY33を見出した。Y33は種子発芽や種子形成過程にも影響を与えず、胚軸選択的制御剤と判明した。このY33の選択性については、Y25の種子形成過程選択性と合わせさらなる検討を重ねる必要がある。

最後に、器官選択性を生む機構解明状況のいかんに関わらず、Y25の種子形成阻害作用は現在F1交雑品種の流通が盛んな育種の分野に多大な貢献をもたらす可能性を述べる。シロイヌナズナもこれに属する自家和合性の植物を人工交配する場合、自家受粉回避のため雄しべの摘除作業が欠かせない。しかし、花自体が小さいほどその作業には多大な労苦を伴う。Y25処理個体の花は、正常な他個体の花粉を用いて交配させた場合、正常な種子形成が認められることから雌しべの種子形成能は維持されている。この結果から、少なくともシロイヌナズナの人工交配作業を劇的に簡略化する分子ツールとしてその有用性が示された。今後、シロイヌナズナ以外の植物に対する効果も検証していく必要がある。

1) JM Yoon, M Nakajima, K Mashiguchi, SH Park, M Otani and T Asami, Chemical screening of an inhibitor for gibberellin receptors based on a yeast two-hybrid system. Bioorg. Med. Chem. Lett., 10.1016/j.bmcl.2012.12.007.
審査要旨 要旨を表示する

本研究は、植物ホルモン・ジベレリン(GA)の信号伝達機構を解析する上で有用な新分子ツールの発掘に向け、GA受容体および情報伝達因子DELLAに着目し、その機能制御剤を探索・創製することを目的として展開された。

2章では初めに化合物の選抜系を構築した。双子葉のモデル植物シロイヌナズナのGA受容体とDELLA因子間で生じるGA依存的な複合体の形成過程について、酵母two-hybrid系を用いて再現し、ハイスループット化を施し選抜系として用いた。各種合成化合物を納めた市販ライブラリー約1万種から制御剤候補を選抜した結果、約4%の陽性候補を一次選抜した。増殖のためにGAを要求しない対照環境も選抜系に利用し、一次候補の9割を偽陽性と判断して除外した結果、45種(Y01-Y45)まで絞り込みを達成した。酵母に対する阻害効力が比較的強い13種を対象に、in vitro試験系による受容体に対するGA結合阻害能が明瞭な5種を選抜した。これらをシロイヌナズナに投与して、種子発芽過程、幼植物体の生長過程いずれも明瞭に阻害するY13を見出した。以降はY13に焦点を絞り、シロイヌナズナGA応答性遺伝子の発現状況を解析した。結果、GAからの信号伝達の抑制を裏付ける発現状況を確認した。また、シロイヌナズナ以外の植物への投与効果も調べ、アブラナ科以外の複数の双子葉植物やイネ・オオムギに対しても矮化効果を認めた。さらに、オオムギ種子を用いて、GAが誘導するα-アミラーゼ遺伝子の発現、液胞化、細胞死の全ての過程をY13が明瞭に抑制することを確認した。よって、Y13は子葉の単複を問わず広範囲の植物のGA信号伝達過程を網羅的に抑制することが判明した。さらに、シロイヌナズナの各種変異体プールを対象に、Y13低感受性変異体の選抜を実施した。結果、シロイヌナズナFOXラインから2系統の候補を選抜した。後代の植物体における各標的遺伝子の発現量は通常と比べ、数十倍かそれ以上に及ぶ過剰な発現状況であることを確認した。両系統のY13低感受性を検討したところ、1系統は発芽過程で、残る1系統は幼植物体の生育過程でY13低感受性を示した。これらの解析より、GA信号伝達制御に関わる新因子特定への寄与が期待される。

3章では、前章で扱わなかった32種を対象として評価した。その中で、Y25は胚軸の生長阻害がほとんど認められないのに対して、根の生長に対する明瞭な阻害効果を持つことを見出した。さらに、花は咲くが種子の形成を著しく阻害することが判明し、器官選択性が認められた。in vitro試験系を用いて、Y25もY13より弱いものの受容体のGA結合能を阻害することが判明した。Y25処理個体の花を観察し、雄しべの短化により適正な受粉が行われないことが種子形成不全の主要因と考えられた。GA受容体の機能欠失型多重変異体の中に雄しべの短化を主要因とする種子形成不全系統が存在することを根拠として、「GA受容体とDELLA因子のうち、機能的に花で重要な両分子間の組合せを選択的にY25が阻害する」点を実験的に示すことを計画し、そのためにY25の構造的アナログを有機化学的に調製して種子形成過程、根や胚軸の生長過程に対する阻害活性について比較した。その結果、Y25と同様に種子形成阻害能を示し、かつ、根の生長阻害活性の消失により器官選択性が高まった新規化合物3種を創製した。他方、Y25と異なり、胚軸に対する生長阻害活性が新たに付与された化合物も創製した。two-hybrid用酵母を用いてこれらアナログ化合物の投与効果を調べた結果、少なくとも種子形成阻害能が高い化合物群は総じて酵母の生育阻害効果も高く、受容体-DELLA因子間の相互作用がある程度効果的に阻害される傾向が示された。このY25の種子形成阻害作用について、Y25処理個体の花に正常な花粉を人工交配させた場合、正常な種子形成を認めた。よって、雌しべの種子形成能は阻害しないことが判明した。これにより、Y25は現在F1交雑品種の流通が盛んな特に野菜の育種分野において、煩わしい交配作業を劇的に簡略化することにより多大な貢献をもたらす可能性を提示した。

以上のように本研究の展開により、化合物ライブラリーからGA受容体を作用点とする有用な制御剤が選抜され、一つは非常に広範囲な植物種に効力が現れる化合物を、もう一つは器官選択性を持ち、特に種子形成過程を阻害する化合物の発見・創製に到達した。加えて、化学遺伝学への応用を図り、新因子特定に向けた候補遺伝子を2つ見つけた。これらの結果は、GA信号伝達過程における未知因子同定への基盤になると期待され、従来の制御剤では達成し得ない新しい制御方式を提案しており、学術的にも応用的にも寄与するところが多い。よって審査委員一同は、本研究が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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