学位論文要旨



No 129188
著者(漢字) 稲葉,弘哲
著者(英字)
著者(カナ) イナバ,ヒロノリ
標題(和) 細胞性粘菌の細胞質分裂に関わる新規細胞骨格制御因子の解析
標題(洋)
報告番号 129188
報告番号 甲29188
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3893号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 准教授 堀内,裕之
 東京大学 准教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

第1章 緒論

細胞分裂は生物にとって自己増殖を達成するために不可欠な現象である。細胞分裂は、遺伝情報であるDNAを等分する核分裂と、それに引き続いて起こる細胞質を等分する細胞質分裂からなる。この過程は時空間的に厳密に制御される必要があるが、その詳細な分子機構は特に細胞質分裂において未解明な部分が多い。動物細胞では、核分裂時に球形化・伸長した細胞は、核分裂の終了に伴い中央で収縮環が陥入して分裂溝が形成され、娘細胞が両極へ移動し、最終的に娘細胞を繋ぐ橋状構造が切断され、完了する。この様に細胞質分裂は非常にダイナミックな細胞形態の変化を伴うので、広義の細胞運動現象であると言える。細胞運動現象にはアクチン細胞骨格を主とした細胞骨格系の制御が重要である。アクチン細胞骨格は収縮環の主成分であり、娘細胞の細胞移動においても重要である。アクチン細胞骨格には多くの制御因子が見出されているが、その詳細な制御機構は未解明な部分が多い。

細胞性粘菌Dictyostelium discoideumのアメーバ細胞は細胞質分裂や貪食作用、走化性運動などにおける形態変化の様式が動物細胞のそれと酷似しているため、広義細胞運動現象のモデル生物として用いられている。当研究室では、REMI(restriction enzyme-mediated integration)法により基質上で多核化する細胞性粘菌変異株を取得し、細胞質分裂に関わるタンパク質の同定と解析を行ってきた。本研究では、その中の1つであり、細胞骨格制御に関わっていると考えられたnenkyrin (D411-2p)の機能解析を研究の開始点として、動物型細胞質分裂の分子機構を明らかにすることを目的とした。

第2章 細胞質分裂に関わる新規アクチン結合タンパク質nenkyrinの解析

Nenkyrinは1346アミノ酸からなる全体が親水性のタンパク質で、遺伝子破壊株(KO6株)は、基質上で細胞質分裂に失敗し巨大多核化することや、細胞形態が扁平であることが分かっていた。また、GFP-nenkyrinはアクチンに富む細胞の裏打ち骨格(cortex)やマクロ飲作用時の王冠状突起(crown)に局在した。これらのことから、nenkyrinはアクチン細胞骨格系の制御に関与することが示唆された。そこで、貪食作用やマクロ飲作用、走化性運動の速度を調べると、何れもKO6株では親株(AX2)に比べ明らかに低下していた。また、GFP-nenkyrinはファゴシティックカップにも局在しており、nenkyrinは様々な細胞運動現象においてアクチン細胞骨格を制御することが示唆された。

GFP融合型の部分断片を作製し、局在を観察すると、F9R7 (アミノ酸残基264~701)とC末端を含むNΔF14 (1052~1346)の2断片でそれぞれFアクチンと共局在を示し、GST融合型として大腸菌から精製した両断片はウサギ骨格筋のFアクチンと相互作用の強さが異なるものの、共沈した。但し、GFP-F9R7と異なりGFP-NΔF14は界面活性剤Nonidet P-40を用いて調製したFアクチンを主成分とする細胞の裏打ち骨格(cytoskeleton ghost)との共沈は見られなかった。大腸菌から精製したnenkyrin全長もFアクチンと共沈し、nenkyrinは少なくとも2カ所でFアクチンと直接相互作用することが示唆された。

NenkyrinをFアクチンと混合し、透過型電子顕微鏡で観察するとFアクチンが束化されており、これはF9R7断片のみでも観察された。以上より、nenkyrinはアクチン束化タンパク質であり、束化活性は少なくともF9R7領域内にあることが分かった。

作製したGFP融合型断片をKO6株で過剰発現させるとGFP-NΔF14で細胞質分裂と細胞形態の異常が相補された。このことからnenkyrinの機能には束化能を持つF9R7領域よりむしろ、Fアクチンとの相互作用が弱いNΔF14領域が重要であることが示唆された。これまでnenkyrinには既知のドメインに相同性のある配列は見出されていなかったが、NΔF14領域のみによる検索から、この領域に相同性のある配列を持つアメーバ類のタンパク質がいくつか同定された。これらの領域は互いに相同性を持っており、nenkyrinドメイン(NKD)と命名した。NKDを持つ細胞性粘菌のタンパク質はnenkyrinの他に3つあり、既に命名されていたGflB以外のタンパク質をNkrB、NkrCとした。単独遺伝子破壊株の解析により、NkrBの細胞質分裂への関与は示唆されなかった。一方、GflBは細胞質分裂への関与が示唆されたので、第3章で詳細に解析した。

第3章 nenkyrinドメインを持つGflBの機能解析

GflBはNKDを持ち、同時に低分子量Gタンパク質の制御ドメインであるRhoGAPドメインとRasGEFドメインを持つ1601アミノ酸からなるタンパク質である。GflBの機能を調べるため、最初にgflB破壊株を作製した。gflB破壊株は基質上では単核であったが、生育速度が遅く、仮足(pseudopod)の数が多く、細胞が扁平且つ細長くなっていた。さらに、gflB破壊株では貪食作用とマクロ飲作用の速度の低下も見られた。一方、GFP-GflBを過剰発現すると、細胞の球形化が見られ、基質上でも多核細胞が見られた。破壊株と過剰発現株を懸濁培養すると、何れも多核化し、特に破壊株は分裂せず、細胞数の増加がほとんど見られなかった。また、gflB破壊株ではcytoskelton ghostに含まれるFアクチン量が増加しており、アクチン細胞骨格に異常が見られることが分かった。

GFP-GflBの局在を観察すると、crownやcortexなどのFアクチンに富む部位への局在が見られた。GFP-GflBは細胞質分裂時に分裂溝への局在は見られなかったが、不思議なことにF5R6領域(129~700)を含む部分断片で分裂溝や、娘細胞を繋ぐ橋状構造への局在が見られた。また、Fアクチンに富む部位への局在にはCΔR10領域(1~47)が必要であり、大腸菌から精製したGST-CΔR10はFアクチンと共沈することから、GflBもまたFアクチン結合タンパク質であることが示唆された。

GFP融合型の部分断片をgflB破壊株で過剰発現させると、NKDの一部を欠損させたΔNKD3(1~1423)やGEFドメインの一部を削ったΔGEF(Δ1106~1205)では形態の異常は相補されず、GEFドメインとNKDを持つGEF+NKD(783~1601)で相補された。このことからGflBにおいても細胞骨格制御における機能にNKDが必要であり、加えてRasGEFドメインも必要であることが示唆された。

第4章 GflBを含む情報伝達系の解析

GflBを含む情報伝達系の解析のために、まずGflBの標的低分子量Gタンパク質の探索を行った。酵母ツーハイブリッド法によって全てのRhoファミリーGTPaseとRasファミリーGTPaseについて解析したが、有意な強さの相互作用は認められなかった。第3章で述べた様にRasGEFドメインの重要性が示唆されたので、以降はRasファミリーGTPaseに絞って解析を進めた。まず、GST-Rasを用いたpull-down assayやin vitroのGEF活性測定を一部に対して行ったが、何れも陰性だった。次に、GFP-GflBの過剰発現で多核化が見られたことから、RasファミリーGPTaseの恒常活性型の過剰発現で多核化が見られるか調べた。その結果、既に知られていたRasBの他にRasW, X, Y, Zで多核化することが分かった。RasW, X, Y, Zは相同性が高く、重複した機能を持つと予想される。現在の時点でこれらとGflBの関連性は明らかではないが、少なくともRasW-Zが細胞質分裂に関与することは示唆された。

次に、免疫沈降とPMFによりGFP-GflBの相互作用因子の探索を行ったところ、恒常発現型の熱ショックタンパク質Hsc70-2が同定された。細胞性粘菌にはHsc70のアイソフォームHsc70-1~4の4つが存在する。共免疫沈降実験でmRFPmars-Hsc70-1~4は全てGFP-GflBと共沈した。これらのことから、Hsc70-1~4は何れもGflBと相互作用することが示唆された。Hsc70-2については、単独遺伝子破壊株を作製した。Hsc70-2の遺伝子破壊株に目立った表現型は見られなかったが、GFP-GflBを過剰発現させるとAX2で過剰発現させた場合に比べ、有意に多核細胞が多く、この相互作用はGflBの機能に意味があるものと考えられた。Hsc70は分子シャペロンであるので、GflBの機能的構造の形成にのみ関与する可能性もあるが、それ以外の機能も含めて、今後の解析が必要である。

総括

本研究ではNenkyrinがFアクチン束化タンパク質であり、細胞質分裂に加えて細胞移動やエンドサイトーシスも制御することを明らかにした。また、これらの細胞運動制御に、保存されたドメイン(NKD)が重要であることを見出した。このNKDを持つGflBもアクチン結合タンパク質であり、細胞質分裂や細胞形態、エンドサイトーシスの制御にNKDとRasGEFドメインを通して関与していることが示唆された。さらに、GflBとの関連は証明できなかったが、RasW, X, Y, Zを新規細胞質分裂関連因子として同定した。この様に本研究により、NKDが細胞運動現象における細胞骨格制御に重要な役割を果たすことが分かったが、NKDの詳細な分子機構は未だ不明であり、今後解明されることを期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

細胞分裂は生物にとって自己増殖を達成するための根源的な現象であり、時・空間的に厳密に制御される必要がある。細胞質分裂は、DNAを等分する核分裂に引き続いて起こる、細胞質を等分するプロセスである。動物型の細胞質分裂は、アクチン収縮環の形成に始まり、分裂溝の陥入、細い橋状構造の形成、切断という流れで進行する。この一連の流れにおける細胞形態のダイナミクスは、ほとんどがアクチン細胞骨格によって制御されていると考えられるが、その詳細な分子機構は多くが未解明のままである。本論文は、細胞質分裂研究の、特に細胞形態変化において重要なモデル生物として位置付けられている細胞性粘菌のアメーバ細胞を用い、細胞質分裂に関わる新規タンパク質の同定、機能解析を行った研究成果をまとめたもので、4章より構成される。

第1章の緒論に続き、第2章では、細胞性粘菌の細胞質分裂に関わる新規アクチン結合タンパク質nenkyrinの機能について述べている。

まず、nenkyrinのアクチン細胞骨格の制御する細胞運動現象への関与を調べ、貪食作用、マクロ飲作用、走化性運動、細胞基質間接着への関与が示唆された。

次にFアクチンとの相互作用について調べた。GFP融合型のnenkyrin部分断片の細胞内局在解析により、2領域でFアクチンと共局在することが明らかになった。組換えタンパク質を用い、ウサギ骨格筋のFアクチンとの共沈を調べ、この2領域でFアクチンと直接相互作用することが示唆された。さらに、組換えタンパク質をFアクチンと混合し、透過型電子顕微鏡で観察すると、Fアクチンの束、特に部分断片ではパラクリスタルと呼ばれる非常に密な束が見られ、nenkyrinは密にFアクチンを束化することが示唆された。

次にnenkyrin部分断片の遺伝的相補性を調べ、C末端を含む束化能を持たないFアクチン結合領域のみで遺伝的相補性を持つことを明らかにした。さらにこの領域のアミノ酸配列が細胞性粘菌やアメーバ類のタンパク質に保存されていることを見出し、この領域をnenkyrin domain (NKD)と命名した。NKDには高く保存された短い指紋配列が3つ存在することを見出した。

第3章ではNKDを持つタンパク質GflBの遺伝子破壊株の表現型と細胞内局在について述べている。

GflBはNKDの他に推定RhoGAP、RasGEFドメインを持つタンパク質である。gflB破壊株は基質上で細胞が細長くなっており、懸濁培養すると多核化した。このことからアクチン細胞骨格の異常を推測し、調べたところ、細胞表層のFアクチン量の増加が見られると共に、仮足が長く出続けることが明らかになった。細胞分裂のタイムラプスビデオによる観察においても娘細胞の移動性に異常が生じていることが示され、仮足形成の制御異常が細胞極性や細胞質分裂の異常として表れることが示唆された。

次に細胞内局在を調べた。GFP-GflBは間期にはFアクチンに富むクラウンや細胞表層に局在し、分裂期にもFアクチンに富むpolar regionに局在した。このことからもGflBは娘細胞の細胞移動に関与すると予想された。さらに部分断片も用いた解析によりGflBはFアクチンと直接相互作用すること、アクチン細胞骨格依存的に細胞表層に局在することが示唆された。また、遺伝的相補性についても調べ、GflBにおいてはRasGEFドメインとNKDが機能的に重要であることが示唆された。この様にNKDを持つGflBもアクチン細胞骨格制御を通じて細胞質分裂に関与することが明らかになった。

第4章では、GflBを含む情報伝達系を解析した結果が示されている。GflBとRho、RasファミリーGTPaseとの相互作用について多角的に調べたが、相互作用は見出されなかった。しかしながら、GflBとの表現型の類似性を調べる過程で、RasW, X, Y, Zの恒常活性型をそれぞれ過剰発現すると、細胞が基質上で多核化することが明らかになり、これらが新規細胞質分裂関連因子として同定された。

次に、免疫沈降とPMF法によってGflBと相互作用するタンパク質を探索し、Hsc70-1, 2を同定した。Hsc70は分子シャペロンとして機能することが想像されるが、Hsc70-2遺伝子破壊株でGFP-GflBを過剰発現した場合に、より多核化することが示され、この相互作用に何らかの生理学的意義があることが示唆された。

以上、本論文は細胞性粘菌の細胞質分裂に関わる複数のタンパク質を新たに同定し、その機能を明らかにすると共に、細胞運動現象において重要な機能を持つ新規ドメイン、NKDを同定したものであり、これらの研究成果は、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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