学位論文要旨



No 129201
著者(漢字) 五十嵐,洋治
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,ヨウジ
標題(和) Tetraodon属魚類の分子系統関係および塩分適応に関わる分子進化学的研究
標題(洋)
報告番号 129201
報告番号 甲29201
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3906号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 潮,秀樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 東京大学 特任教授 渡部,終五
 東京大学 准教授 木下,滋晴
 東京大学 名誉教授 西田,睦
内容要旨 要旨を表示する

フグ目フグ科魚類は海水域のほか、汽水域や淡水域に広く分布しているが、この中、20以上の種で構成されるTetraodon属魚類はアジアおよびアフリカの熱帯から温帯の淡水、汽水域および一部の海水域に生息している。このTetraodon属魚類は体サイズも小さく、体表の模様も多様なため、その多くは観賞魚として日本国内で流通している。一方、同属ミドリフグT. nigroviridisは全ゲノムサイズが約340 M bpと、トラフグTakifugu rubripesと同様に既知の脊椎動物中、最小のため、ゲノム研究のモデル生物としても注目されている。しかしながら、Tetraodon属魚類では近縁種が多く、個々の生態もよく知られていないため、形態形質に基づく現在の分類には不明な点が多い。

そこで本研究では、Tetraodon属魚類の分子系統関係と、様々な塩分環境に分布する同属魚類の塩分適応に関わる分子進化の一端を明らかにすることを目的に、まず、ミトコンドリアDNA (mtDNA) 塩基配列に基づいてTetraodon属魚類とその他の関連フグ科魚類との系統類縁関係を解析した。続いて、東南アジアで現地採取したTetraodon属魚類を対象に、mtDNAおよび核遺伝子塩基配列に基づく分子系統解析を行い、形態的特徴や生息域との関係を調べた。さらに、アジア産Tetraodon属魚類については、淡水域種と汽水域種の塩分耐性の違いを明らかにするため、二次元電気泳動を用いたプロテオミクス解析によって塩分変化がタンパク質発現に及ぼす影響を調べるとともに、筋成長に関わるミオシン重鎖遺伝子をマーカーとして、筋成長と塩分環境との関連を検討した。得られた成果の概要は以下の通りである。

1. Tetraodon属魚類と関連フグ科魚類の分子系統解析

下関水族館で形態から種同定されたTetraodon属17種のほか、淡水域に生息するCarinotetraodon属5種、Colomesus属2種およびAuriglobus属1種、汽水域に生息するArothron属10種、Marilyna属2種、Sphoeroides属3種およびChelonodon属1種、海水域に生息するLagocephalus属4種、Takifugu属10種、Canthigaster属4種、Tetractenos属1種およびOmegophora属1種のフグ科魚類の計13属60 種127個体のアルコール保存標品を試料とした。次に、各試料魚の胸鰭または尾鰭から試料約20 mgを採取してDNAを抽出し、得られたDNAを鋳型として、PCRにより16S rRNA遺伝子の3'側の一部領域を増幅した。決定した571-580 bpの配列に基づき最尤法を用いて分子系統樹を作製したところ、属間の分岐のブートストラップ値は低く、その信頼性は高くなかった。しかしながら、Marilyna属、Tetractenos属、Takifugu属、Omegophora属、Canthigaster属、Auriglobus属、Chelonodon属およびArothron属の8属は属ごとに1つのクラスターを形成したことから、各属内の魚種が遺伝的に近縁で、形態形質に基づく分類と分子生物学的分類が概ね一致することが示された。一方、T. cutcutiaを除くTetraodon属魚類の分子系統関係はそれぞれの生息域と一致したクラスターから成り、アジア淡水域、アジア汽水域およびアフリカ淡水域の3系統に分類された。

続いて、Tetraodon属魚類の系統類縁関係をさらに詳細に調べるために、Tetraodon属魚類の16S rRNA(1,667-1,680 bp)およびシトクロムb (Cyt b, 1,137 bp)全長塩基配列を決定し、既報のフグ科魚類のmtDNA全長塩基配列に基づいて作製された分子系統樹(Yamanoue et al., 2011)と合わせてsupermatrix解析を行った。その結果、前述の16S rRNA部分塩基配列に基づく分子系統樹と同様に、T. cutcutiaを除き、生息域に応じてアジア淡水域、アジア汽水域およびアフリカ淡水域の3系統に分類された。すなわち、Tetraodon属魚類は単系統では無く、各3系統はそれぞれ別属のフグ科魚類とクラスターを形成することから、Tetraodon属魚類の3系統は属レベルで異なる可能性があり、既存の形態学的分類については再検討が必要であるものと推察された。各3系統の内部の分岐においては、アジア淡水域系統ではメコン川流域に生息するグループ、アフリカ淡水域系統ではコンゴ盆地に生息するグループなど、同一地域に生息する魚種は近縁の関係にあり、分子系統樹が各魚種の生息域をよく反映していることが示された。

2. 東南アジア産Tetraodon属魚類の分子系統解析

タイ各地およびマレーシアのボルネオ島の計6地点でアジア汽水域系統のTetraodon属魚類ミドリフグ19個体およびミドリフグ近縁種のサバヘンシスT. sabahensis 3個体を採取したところ、体表の黄緑色に黒班を伴う色調や紋様は地域集団によって大きく異なっていた。そこで、全個体のmtDNAのCyt b全長塩基配列(1,137 bp)および核遺伝子recombination activating gene 1 (RAG1)の部分塩基配列(1,419 bp)を解析した。また、ミドリフグについてはそれぞれの採取地につき各1個体、ボルネオ島産サバヘンシス2個体のmtDNA全長塩基配列を決定した。サバヘンシスmtDNAは全長16,450 bpで、データベース登録済み(AP006046)ミドリフグmtDNAと同様に、2個のrRNA、22個のtRNAおよび13個のタンパク質遺伝子がコードされていた。また、登録済みのミドリフグmtDNA全長塩基配列と比較した結果、塩基同一率は98%と高い値を示した。

次に、決定したCyt b全長、mtDNA全長およびRAG1部分塩基配列に基づき近隣結合法を用いて分子系統樹を作製した。その結果、ミドリフグについては、どの遺伝子に基づく分子系統樹においても、同一地点で採取された試料は同一クラスターを形成し、同一地点内では遺伝的にも同一集団であることが示された。サバヘンシスについては、mtDNA 全長およびRAG1部分塩基配列を用いた解析において2つの系統に分かれたが、いずれも背側に小班点を持つタイ・パンガー産のミドリフグ試料と近縁であった。また、背側に大斑点を持つミドリフグ試料は、背中に小斑点を持つミドリフグおよびサバヘンシスと明確に分岐し、遺伝的には小班点ミドリフグおよびサバヘンシス間よりも遠いことが示された。すなわち、異なるミドリフグ集団間の遺伝的距離は、サバヘンシスと各ミドリフグ集団間のものより大きい場合もあり、さらに、サバヘンシスにおいては少なくとも2系統以上が同所的に生息する可能性が示唆された。

次に、タイ東部で採取されたアジア淡水産Tetraodon属魚類12種を対象に分子系統解析を行った。全ての試料魚は形態的特徴からT. cohinchinensisとされたが、16S rRNAの部分塩基配列(573 bp)はT. cohinchinensisのものとは異なり、解析した12個体中2個体はT. abeiおよびT. baileyiの配列と同一であった。また、その他10個体は同一塩基配列を示し、公開データベースでは未登録であった。決定した部分塩基配列に基づき分子系統樹を作製した結果、これら10個体はアジア淡水域系統に分類され、この分子系統樹とアジア淡水域系統の各魚種の生息域の関係から、T. cambodgiensisと推定された。一方、RAG1の部分塩基配列575 bpでは、塩基同一率が99-100%と高く、また、配列中にはヘテロな塩基置換がみられたため、分子系統解析には使用しなかった。アジア淡水域系統のTetraodon属魚類は、近縁種間でその形態的特徴が類似する種も存在するため、形態形質からの分類には注意が必要で、DNA分析に基づく種判別は強力なツールとなるものと考えられた。

3. Tetraodon属魚類の塩分耐性と関連分子の探索

アジア産Tetraodon属魚類の生息域を規定する表現型の一つの塩分耐性を、汽水域種ミドリフグと淡水域種メコンフグT. cohinchinensisを対象に調べた。その結果、ミドリフグは100%海水でも生存したが、メコンフグは海水50%以上の塩分では生存できなかった。したがって、両魚種の塩分耐性は明確に異なることが示された。

続いて、塩分適応に関わる分子の探索を目的に、ミドリフグでは淡水および100%海水、メコンフグでは淡水および40%海水の異なる塩分で馴化した各試料魚の筋肉および肝臓から、常法によって水溶性タンパク質を抽出した。得られたタンパク質を二次元電気泳動に供し、プロテオミクス解析を試みた。ミドリフグ、メコンフグとも筋肉および肝臓で淡水飼育区と100%もしくは40%海水飼育区で発現量に差異が認められるタンパク質のスポットが複数検出されたが、再現性は得られず、塩分変化によって発現変動を示すタンパク質の同定には至らなかった。

次に、先にトラフグで筋成長に関わると報告されたミオシン重鎖遺伝子TnMYH(M2528-1) (Akolkar et al., 2010)のミドリフグ・オーソロガス遺伝子につき、異なる塩分環境下での発現変動を調べた。まず、ミドリフグ・ゲノムデータベースを利用し、シンテニー解析を行って TnMYH(M2528-1)を同定した。次に、ミドリフグ筋肉からRNAを抽出し、3'RACEおよびcDNAクローニングによりTnMYH(M2528-1)の3'UTRを含む塩基配列702 bp を決定した。さらに、TnMYH(M2528-1)に特異的なRNAプローブを作製し、in situハイブリダイゼーションにより筋肉中の転写産物を検出した。その結果、本遺伝子は成長に伴って新しく形成されたと思われる細い筋線維で多く発現し、ミドリフグにおいても筋成長に関連することが示唆された。リアルタイムPCRによってTnMYHM2528-1のmRNA蓄積量を調べた結果、100%海水馴化区に比べ、淡水馴化区で約2倍高く、低塩分環境で筋成長が促進される可能性が示された。

以上、本研究の分子系統解析により、Tetraodon属魚類は単系統ではなく、生息環境と一致して、アジア淡水域、アジア汽水域およびアフリカ淡水域の3系統に分類されることを明らかにした。また、東南アジアに分布するミドリフグおよびその近縁種の一部につき、体表の色調や紋様と地域集団の関係を示した。さらに、形態的特徴の酷似するTetraodon属魚類は形態形質からの分類は困難な場合があり、DNA分析に基づいた分類が必要と考えられた。また、アジア淡水域種と汽水域種では塩分適応能に明確な違いがあり、前者では低塩分環境下で筋成長が促進される可能性を示した。

ゲノムサイズの小さいTetraodon属魚類における種分化の過程およびその塩分適応に関わる分子進化は、ゲノムの変化と表現型を結びつける基礎的知見という点でも意義深い。以上の成果は、Tetraodon属魚類の分類および種分化の過程のより詳細な記述につながるとともに、魚類の塩分適応に関する分子進化過程を明らかにするための一助となることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

五十嵐 洋治氏の博士申請論文Tetraodon属魚類の分子系統関係および塩分適応に関わる分子進化学的研究はミドリフグを代表とするTetraodon属魚類について遺伝子情報を用いて分子進化学的に詳細に考察したものである。その概要を以下に示す。

フグ目フグ科魚類は海水域のほか、汽水域や淡水域に広く分布しているが、この中、20以上の種で構成されるTetraodon属魚類はアジアおよびアフリカの熱帯から温帯の淡水、汽水域および一部の海水域に生息している。本研究では、Tetraodon属魚類の分子系統関係について、ミトコンドリアDNA (mtDNA) 塩基配列および核遺伝子塩基配列に基づく分子系統解析を行い、形態的特徴や生息域との関係を調べた。さらに、アジア産Tetraodon属魚類については淡水域種と汽水域種の塩分耐性の違いを明らかにするため、二次元電気泳動を用いたプロテオミクス解析によって塩分変化がタンパク質発現に及ぼす影響を調べるとともに、筋形成に関わるミオシン重鎖遺伝子をマーカーとして、成長と塩分環境との関連を検討した。

Tetraodon属17種のほか、フグ科魚類の計13属60 種127個体のアルコール保存標品を試料とした。16S rRNA遺伝子の3'側の一部領域を増幅した。決定した571-580 bpの配列に基づき最尤法を用いて分子系統樹を作製したところ、属間の分岐のブートストラップ値が低く、その信頼性は高いとは言えなかったが、Marilyna属、Tetractenos属、Takifugu属、Omegophora属、Canthigaster属、Auriglobus属、Chelonodon属およびArothron属の8属は属ごとに1つのクラスターを形成した。一方、T. cutcutiaを除くTetraodon属魚類の分子系統関係はそれぞれの生息域と一致したクラスターから成り、アジア淡水域、アジア汽水域およびアフリカ淡水域の3系統に分類された。続いて、Tetraodon属魚類の16S rRNA(1,667-1,680 bp)およびシトクロムb (Cyt b、 1,137 bp)全長塩基配列を決定し、既報のフグ科魚類のmtDNA全長塩基配列に基づいて作製された分子系統樹(Yamanoue et al.、 2011)と合わせてsupermatrix解析を行った。その結果、前述の16S rRNA部分塩基配列に基づく分子系統樹と同様にアジア淡水域、アジア汽水域およびアフリカ淡水域の3系統に分類された。すなわち、Tetraodon属魚類は単系統では無く、属レベルで異なる可能性があり、既存のTetraodon属魚類の分類については再検討が必要であるものと考えられた。

アジア汽水域系統のTetraodon属魚類ミドリフグ19個体およびミドリフグ近縁種のサバヘンシスT. sabahensis 3個体のmtDNAのCyt b全長塩基配列(1,137 bp)および核遺伝子recombination activating gene 1 (RAG1)の部分塩基配列(1,419 bp)を解析した。また、ミドリフグについてはそれぞれの採取地につき各1個体、ボルネオ島産サバヘンシス2個体のmtDNA全長塩基配列を決定した。ミドリフグについては、どの遺伝子に基づく分子系統樹においても、同一地点で採取された試料は同一クラスターを形成し、同一地点内では遺伝的にも同一集団であることが示された。サバヘンシスについては、mtDNA 全長およびRAG1部分塩基配列を用いた解析において2つの系統に分かれたが、いずれも背側に小斑点を持つタイ・パンガー産のミドリフグ試料と近縁であった決定した部分塩基配列に基づき分子系統樹を作製した結果、これら10個体はアジア淡水域系統に分類され、この分子系統樹とアジア淡水域系統の各魚種の生息域の関係から、T. cambodgiensisと推定された。アジア淡水域系統のTetraodon属魚類は、近縁種間でその形態的特徴が類似する種も存在するため、形態形質からの分類には注意が必要で、DNA分析に基づく種判別は強力なツールとなるものと考えられた。

アジア産Tetraodon属魚類の生息域を規定する表現型の一つの塩分耐性を、汽水域種ミドリフグと淡水域種メコンフグT. cohinchinensisを対象に調べた。その結果、ミドリフグは100%海水でも生存ず、メコンフグは海水50%以上の塩分では生存できなかった。したがって、両魚種の塩分耐性は明確に異なることが示された。塩分適応に関わる分子の探索を目的に、ミドリフグでは淡水および100%海水、メコンフグでは淡水および40%海水の異なる塩分で馴化した各試料魚の筋肉および肝臓についてプロテオミクス解析を試みたが、塩分変化によって発現変動を示すタンパク質の同定には至らなかった。

ミオシン重鎖遺伝子MYHM2528-1のミドリフグオーソロガス遺伝子につき、異なる塩分環境下での発現変動を調べた。in situハイブリダイゼーションにより筋肉中の転写産物を検出した。その結果、本遺伝子は成長に伴って新しく形成されたと思われる細い筋線維で多く発現し、ミドリフグにおいても筋量の増大に関連することが示唆された。リアルタイムPCRによってTnMYHM2528-1のmRNA蓄積量を調べた結果、100%海水馴化区に比べ、淡水馴化区で約2倍高く、低塩分環境で筋成長が促進される可能性が示された。

以上、本研究の分子系統解析により、Tetraodon属魚類は単系統ではなく、生息環境と一致して、アジア淡水域、アジア汽水域およびアフリカ淡水域の3系統に分類されることが明らかにされた。また、東南アジアに分布するミドリフグおよびその近縁種の一部につき、体表の色調や紋様と地域集団の関係を示した。さらに、形態的特徴の酷似するTetraodon属魚類は形態形質からの分類は困難な場合があり、DNA分析に基づいた分類が必要と考えられた。また、アジア淡水域種と汽水域種では塩分適応能に明確な違いがあり、前者では低塩分環境下で筋成長が良い可能性を示した。ゲノムサイズの小さいTetraodon属魚類における種分化の過程およびその塩分適応に関わる分子進化は、ゲノムの変化と表現型を結びつける基礎的知見という点でも意義深い。以上の成果は、Tetraodon属魚類の分類および種分化の過程のより詳細な記述につながるとともに、魚類の塩分適応に関する分子進化過程を明らかにするための一助となることが期待される。

よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として必要十分な条件を満たす、価値あるものと判定した。

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