学位論文要旨



No 129204
著者(漢字) 髙部,宗一郎
著者(英字)
著者(カナ) タカベ,ソウイチロウ
標題(和) 板鰓類の体液調節における鰓の役割 : 機能形態学的研究
標題(洋) The role of the gill in elasmobranch body-fluid regulation : Functional and morphological studies
報告番号 129204
報告番号 甲29204
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3909号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 井上,広滋
 東京大学 准教授 大久保,範聡
 聖マリアンナ医科大学 准教授 廣井,準也
内容要旨 要旨を表示する

生物は、自身をとりまく環境の様々な変化に対して、体内の環境を一定の生理的範囲内に保つ仕組みを発達させてきた。その中でも、体液の水分とイオン濃度の調節は生命維持の根幹を担う重要な機構のひとつである。水圏環境は高塩分の海水からイオンの乏しい淡水まで様々であり、そこに生息する魚類は外環境に応じた体液調節をおこなっている。真骨魚類では鰓がイオン調節に必須の器官であり、その中心的な役割を担うmitochondria-rich cell (MR cell)の機能に関して、イオン輸送の分子機構を含めて解明が進んでいる。一方、サメやエイからなる板鰓類は尿素を利用するユニークな体液調節をおこなっており、水やイオンの調節に対する鰓の役割はほとんどわかっていない。

板鰓類を含む軟骨魚類は、現存する脊椎動物顎口類のなかで最も早くに分岐したグループであり、その特徴的な環境適応や繁殖といった生理学的な観点、さらには海洋生態系の維持や生物資源という観点からも重要な生物群である。近年では乱獲や環境変化による個体数減少が懸念される一方で、大発生による食害も社会的な問題となっている。したがって、将来にわたって海洋生態系を維持していくために、板鰓類の生理機構を研究する意義はきわめて大きい。本研究では、海産狭塩性種のドチザメと広塩性種のオオメジロザメという環境適応能力の異なるサメを用い、板鰓類の鰓が体液調節に対して担う役割を明らかにすることを目的とした。

第一章 ドチザメの鰓隔膜上で発見したNa+/K+-ATPase免疫陽性反応を示す新規濾胞状構造体の形態と機能

板鰓類の鰓には鰓弁同士を隔てる鰓隔膜が存在するなど、真骨魚類と異なる特徴が多数存在する。そこで第一章では、板鰓類の鰓を形態学的に再検討することから始めた。その結果、Na+/K+-ATPase (NKA)を発現する細胞が濾胞状に集合した新規構造物(follicularly-arranged NKA-rich cells, follicular NRCs) を鰓隔膜上に発見した。このfollicular NRCsは鰓隔膜上にのみ存在し、一層の細胞から構成され、外界への開口部を持つ。ドチザメ以外に、フトツノザメやミツクリザメでも存在を確認できたことから、サメ類に広く存在する構造物だと考えられる。

透過型電子顕微鏡での観察から、follicular NRCsの頂端膜上には発達した微絨毛が存在し、細胞間は深いタイトジャンクションで結合することがわかった。頂端膜直下には小胞が多数観察され、その一部は側部細胞膜に融合していた。この小胞の電子密度が低いことから、イオンや水の輸送に関与することが示唆された。In situ hybridizationによりfollicular NRCsに発現するイオン輸送体を調べた結果、NKA、Na+/H+exchanger 3 (NHE3)、Carbonic anhydrase 2、Ca2+ transporter 1 (CaT)の存在が明らかになった。免疫組織化学染色の結果から、NKAは構成細胞の側基底膜上に、NHE3は頂端膜上に存在していることもわかった。

以上の結果は、新規構造物であるfollicular NRCsが、頂端膜に存在するCaTを介してCaイオンを取り込むことを示唆している。取り込まれたCaイオンは、細胞内の小胞を介して細胞間隙へとエキソサイトーシスにより分泌され、体内に取り込まれると考えている。CaTとCaイオンの親和性はpHに依存することが報告されており、頂端膜上のNHE3は、CaTによるCaイオン取り込み効率を制御するのであろう。これまで体液調節への関与が知られていなかった鰓隔膜がCaイオン調節に関与することが本研究から示唆され、板鰓類の鰓がイオン調節機能を持つことへの証拠を得た。

第二章 板鰓類を低塩分環境に馴致させるとMR cellにおけるNa+,Cl- cotransporterの発現が上昇する

真骨類の鰓に存在するMR cellはイオン調節に重要な役割を果たしているが、板鰓類の鰓にも真骨魚類のMR cellに類似した細胞が存在する。しかし、その機能は酸塩基調節と考えられてきており、その他の機能はほとんどわかっていない。そこで、板鰓類のMR cellに発現するイオン輸送分子を網羅的に同定し、その機能を明らかにしようと考えた。

研究を開始した時点では、軟骨魚類では限られた数のイオン輸送分子しか同定されていなかった。そこでまず、ゲノムデータベースが利用できるゾウギンザメを用いて、鰓に発現するイオン輸送分子のクローニングを行った。次いで、ゾウギンザメのmRNA配列を参考に、ドチザメでもイオン輸送分子をクローニングし、in situ hybridaizationにより発現する細胞を調べた。まず、NaClの排出に関わる分子群は、板鰓類の鰓にはほとんど発現していないことが確かめられた。これまで他の板鰓類では、NHE3とNKAが共発現するNKA-rich(A型)MR cellと、Pendrin (PDN)とVacuolar-type H+-ATPase (V-ATPase)が共発現するV-ATPase-rich(B型)MR cellの存在が報告されていた。本研究により、ドチザメでもこれら2種類のMR cellの存在が確認された。加えて、A型MR cellの一部にCaTが発現すること、B型MR cellの一部にNa+,Cl- cotransporter (NCC)とChloride channel 3 (CLC3)が発現することを発見した。B型MR cellのうち、NCCとCLC3を発現していないものをB-I型、発現しているものをB-II型とした。B-II型MR cellにおいてNCCはNaイオンとClイオンを同時に取り込み、側基底膜上のCLC3を介してClイオンを体内に取り込むと考えている。近年哺乳類において、CLC3にClイオンとHイオンの交換輸送活性が報告されており、V-ATPaseがClイオン輸送を駆動することが示唆される。

もともと、NHE3とPDNによる酸塩基調節の結果としてNaClが取り込まれるモデルが提唱されており、以上の結果は、板鰓類のMR cellが低塩分環境への適応に重要である可能性を示唆している。そこでドチザメを30%海水に移行させ、各輸送体遺伝子の発現量変化を定量PCRにより調べた。30%希釈海水への移行により、NKA、NHE3、V-ATPase、NCCのmRNA発現量が上昇した。A型MR cellの数も増加し、特にinter-lamella spaceの細胞が増え、シグナルも強くなった。一方、B型MR cellの数も増加したものの、A型MR cellの様な劇的な変化は見られなかった。ただし、B型MR cellのうち、NCCが発現しているB-II型細胞の割合が増加した。さらに、実際に海水と淡水の間を行き来する広塩性のオオメジロザメでも同様の現象が起こるのかどうかを調べるため、沖縄美ら海水族館にて、飼育下のオオメジロザメを淡水環境に移行させる実験を行った。オオメジロザメでも、NCCはB型MR cellに発現しており、淡水移行により発現量が上昇した。したがって、板鰓類を低塩分環境に移行させるとA型MR cellによりNaイオンを、B型MR cellによりNaイオンとClイオンを取り込み、体内のイオン環境維持に寄与することがわかった。B型MR cellでは特にNCCが重要な役割を果たすこともわかった。

ティラピアなどの広塩性真骨魚類でも、NHE3を持つ細胞とNCCを持つ細胞という、2種類のMR cellが淡水環境でのイオンの取り込みに重要であることが報告されている。今回の結果は、板鰓類でも真骨魚類と同様のイオン取り込み機構をMR cellが持つことを示しており、魚類に共通の現象であることがわかった。板鰓類のMR cellは頂端膜に微絨毛が存在し、形態学的にも真骨魚類の淡水型MR cellと共通である。このことも板鰓類のMR cellが低塩分環境への適応に重要であることを支持している。本章での結果から、これまでに報告されていた酸塩基調節だけでなく、鰓のMR cellが板鰓類でもイオン調節に重要であることがわかった。

第三章 淡水移行が広塩性板鰓類の鰓上皮のタイトジャンクションとclaudinに与える影響

魚類の鰓は体表面積の大部分を占める呼吸器官であり、物質の透過性が高い。これには、細胞質内を通るtranscellular経路だけでなく、上皮細胞間を通過するparacellular経路も含まれる。実際、海水中の真骨魚類はMR cellと隣接するaccessory cellとの間の接着を緩くし、その間隙からNaイオンを排出すると考えられている。一方で淡水魚は、上皮細胞間に深いタイトジャンクションを形成することで細胞間接着を強くし、水の流入やイオンの流出を防ぐとされている。広塩性板鰓類のオオメジロザメは淡水中でも体液中に高濃度の尿素とNaClを維持するため、結果として体内外には約600 mOsmの浸透圧差が生じる。この値は淡水中の真骨魚類の2倍にもなり、大量の水の流入とイオンの流出を引き起こしかねない。それゆえ、鰓での透過性を調節することが、低塩分環境での体液調節に重要であると考えた。

透過型電子顕微鏡を用いる観察により、淡水群は海水群に比べてタイトジャンクションが深くなる傾向にあることがわかった。したがって、オオメジロザメは淡水に移行すると鰓の透過性を低下させ、過剰な水の流入やイオンの流出を防いでいることが示唆される。

続いて、タイトジャンクション構成タンパク質のひとつであるclaudinのクローニングを行った。次世代シーケンサーによるトランスクリプトーム解析の結果、5種類のclaudin mRNAを同定し、そのうちの4種類がオオメジロザメの鰓に強く発現することがわかった。定量PCRにより海水群と淡水群の間で4種類のclaudinの発現量を比較したが、鰓において有意な差は見られなかった。この原因としては、発現量に変化が見られるようになるためには、淡水馴致期間が短すぎたのかもしれない。一方で、真骨魚類では数十種類ものclaudinタンパク質が鰓に存在することが知られている。今回調べた遺伝子は鰓で強く発現する4種類だけであるため、板鰓類の鰓にもまだ多種類のclaudin分子が存在し、それらのうちのいくつかが環境変化によって発現が変動する可能性がある。

本研究により、板鰓類の鰓はNaClの排出には関与しないものの、イオンの取り込みの促進や水透過性の低下など、低塩分環境への適応に対して重要な役割を果たすことが明らかとなった。板鰓類は海水環境に適応するために尿素による浸透圧調節を行い、そのため海水を飲む必要がない。また、NaCl排出器官として直腸腺を持つ。これらのことが、海生真骨魚類とは鰓の役割が異なる原因なのだろう。これまで、板鰓類の鰓にはMR cellが存在するものの酸塩基調節への関わりしか知られていなかった。本研究の結果は、板鰓類の鰓が恒常性の維持に対して多様な機能を持つことを示しており、板鰓類の鰓の機能解明に向けて大きな進展をもたらした。

審査要旨 要旨を表示する

本論文のジェネラルイントロダクションでは軟骨魚類の生理学、特に体液調節のしくみと海洋環境への適応について、本研究の背景、目的と必要性、具体的な研究内容が記述されている。軟骨魚類は体内に高濃度の尿素を蓄積することで、体内の浸透圧を環境の海水よりもわずかに高く維持し、海洋という高い塩分・浸透圧環境でも脱水されることなく適応できる。一方で、血漿中のNaCl濃度を海水の半分程度に下げるなど、様々なイオンの調節も行っている。真骨魚類での研究から、イオン調節においては鰓の重要性が一般的に認識されているが、軟骨魚板鰓類(サメ・エイ)においては、鰓のイオン調節への役割は全くわかっていない。論文提出者は、板鰓類の鰓の機能を明らかにすることを目的とし、分子形態学的手法を駆使して鰓の構造と機能の研究を進めた。その結果は、3章からなる本文にまとめられている。

第1章では、板鰓類の鰓の構造的特徴と、鰓隔膜上に発見した新規構造物の機能について述べられている。板鰓類の鰓には鰓弁同士を隔てる鰓隔膜の存在など、真骨魚類と異なる特徴が多数存在する。鰓を解剖学的に再検討した結果、Na+/K+-ATPase (NKA)を発現する細胞が濾胞状に集合した新規構造物(follicularly-arranged NKA-rich cells, follicular NRCs) を鰓隔膜上に発見した。Follicular NRCsは一層の細胞から構成され、外界への開口部を持つ。その頂端膜上には発達した微絨毛が存在し、細胞間は深いタイトジャンクションで結合する。頂端膜直下には小胞が多数存在し、その一部は側部細胞膜に融合しており、電子密度の低さからイオンや水の輸送に関与することが示唆された。Follicular NRCsにはNKA、Na+/H+exchanger3 (NHE3)、Ca(2+) transporter 1などが存在する。以上の結果は、follicular NRCsがCaイオンを取り込み、細胞内の小胞を介して細胞間隙へとエキソサイトーシスにより分泌し、体内に送り込むことを示している。板鰓類の鰓がイオン調節機能を持つこと示した意義深い結果である。

第2章では、鰓弁に存在するミトコンドリアリッチ細胞(MR cells)の機能について述べられている。板鰓類の鰓にもMR cellの存在が知られていたものの、その機能はわかっていなかった。そこで、MR cellに発現するイオン輸送分子を網羅的に同定し、その機能を明らかにしようとした。まず、NaCl排出に関わる分子群が存在しないことがわかった。MR cellはA-I、A-II、B-I、B-IIの4つのタイプに分けられ、その中でもNHE3とNKAが共発現するA-I型と、Na+,Cl- cotransporter (NCC)が発現するB-II型のMR cellが、サメが低塩分環境に曝された時にNaClを取り込むために重要であることを発見した。同様の現象は、広塩性のオオメジロザメを海水から淡水に移行させた時にも起こったことから、板鰓類のMR cellがNaClの排出ではなく、低塩分環境でのNaCl取り込みに重要であるという、これまでの海生魚類での常識とは異なる現象であることを見出した。

第3章では、鰓上皮での物質透過性について述べられている。海水中のサメでは尿素などの損失を防ぐこと、淡水中のサメでは過剰な水の流入と尿素や塩の損失を防ぐことが、鰓において必要だと考えられる。透過型電子顕微鏡を用いる観察により、淡水群は海水群に比べてタイトジャンクションが深くなる傾向にあることが示された。また、タイトジャンクション構成タンパク質の1種であるクローディンに関して、鰓特異的に発現する複数のサブタイプを発見した。したがって、板鰓類の鰓は環境の塩分・浸透圧変化に応じて、上皮の物質透過性を適切に制御し、環境に適応することが明らかとなった。

以上の結果から、板鰓類の鰓は特に低塩分環境でのイオン取り込みに重要であり、環境の塩分や浸透圧変化に応じて取り込み能力や上皮の物質透過性を調節する。板鰓類の鰓が恒常性の維持に対して多様な機能を持つことを示した初めての結果であり、ジェネラルディスカッションでは、これらの結果を統合的な観点から考察し、明解にまとめている。

以上の通り、本論文は板鰓類の鰓の機能解明に向けて大きな進展をもたらし、学術上寄与するところが大きい。全ての研究において、論文提出者が主体となって実験と解析を行ったものであり、よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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